「警察の介入」
9日目 午前9時〜午後6時
早瀬凌は、朝から画面を見続けていた。
警視庁サイバー犯罪対策課の小さな部屋に、デスクが六つ並んでいる。早瀬のデスクは窓際だった。窓の外には高速道路が見え、絶え間なく車が流れていた。その流れを横目に、早瀬は三つのモニターを交互に見ていた。
三十七歳。刑事歴十二年。サイバー犯罪対策課に異動して四年になる。
昨日の夕方、この案件が回ってきた。
「ネット上の誹謗中傷による自死の可能性。関連する殺人予告動画あり」という概要だった。早瀬は資料を一読し、翌朝から本格的に動き始めた。
まず動画を見た。
四分十二秒。暗い画角。声だけ。「私は七日後に人を殺します」という一文を繰り返す内容だった。声は抑揚がなかった。感情を抑制しているのか、元々そういう声質なのか、この段階では判断できなかった。
次にスレッドのログを追った。
二千件、三千件、特定班の動き、柏木真司の名前が出た瞬間、個人情報の拡散、YouTuberの突撃、トレンド入り、電凸の呼びかけ。一週間分の記録が、画面の中に積み上がっていた。
読みながら、早瀬は感情を切り離そうとした。
できなかった。
十二年の刑事経験で培った冷静さが、このログの前では何度か揺らいだ。人間がここまで組織的に、ひとりの人間を追い詰められるのかという事実が、画面を通しても伝わってきた。
午後一時、柏木家を訪問した。
加奈子は憔悴していた。目の下に深い影があり、声に力がなかった。しかし早瀬の質問に、丁寧に答えた。最初の電話がいつだったか。誰から勧められて住所を変えなかったか。遺書の内容。
遺書を読んだ。
「ネットの誹謗中傷に耐えられなくなりました」という一文が、便箋の最初に書かれていた。早瀬はその文字を見た。震えのある字だった。書いた人間の状態が、文字の形に残っていた。
加奈子が「犯人は捕まりますか」と聞いた。
早瀬は少し間を置いた。
「動画の投稿者を特定することが、現時点での最優先です」と答えた。「誹謗中傷をした全員を立件することは難しい。しかし動画を投稿した人物については、威力業務妨害や名誉毀損の可能性を含めて調査します」
加奈子は何も言わなかった。
早瀬には、その沈黙の意味が分かった。「全員を捕まえることはできない」という言葉の裏を、加奈子は読み取っていた。七万八千件の投稿のうち、誰が立件されるのか。誰が罰せられないまま生活を続けるのか。
午後三時、署に戻った。
動画のIPアドレスを解析した記録を確認した。Tor経由だった。追跡は技術的に困難だった。しかし不可能ではない。時間と手間がかかるだけだ。
早瀬はモニターを見ながら、この案件の輪郭を頭の中で整理した。
動画投稿者。特定班。インフルエンサー。YouTuber。電凸した者。無言電話をかけた者。出前を送りつけた者。タグを使って拡散した者。
七万八千人。
その全員が、程度の差はあれ、柏木真司の死に関わっている。しかし法律が裁けるのは、そのうちのごく一部だった。
早瀬は窓の外を見た。高速道路を車が流れていた。
その流れを見ながら、早瀬は静かに怒っていた。声に出さない、表情にも出さない、しかし確かにそこにある怒りが、胸の中で燃えていた。




