「深夜の決行」
7日目 午後9時30分〜深夜
クローゼットを開けた。
奥に押し込んだ袋がそこにあった。取り出した。ビニール袋の中のロープは、買った時と同じ重さだった。当たり前のことだったが、その当たり前さが、今夜は妙に落ち着いた。
居間に戻った。
家の中は静かだった。加奈子の寝息は聞こえなかった。彩の部屋からも音はなかった。壁時計が午後九時四十分を指していた。
柏木は机の引き出しを開けた。
封筒がそこにあった。宛名のない封筒。加奈子と彩への言葉が入った封筒。引き出しの上に置いた。見えやすい場所に。
ロープを手に持ち、天井を見上げた。
居間の梁が通っていた。古い家だった。結婚して買った家だった。加奈子と一緒に内覧した日のことを、ふと思い出した。「梁が素敵」と加奈子が言った。柏木は「そうだな」と答えた。あの日の加奈子の声が、十二年越しに耳に戻ってきた。
椅子を梁の下に運んだ。
ロープを梁に結んだ。
手が震えなかった。不思議だった。この一週間、何度も震えていた手が、今夜だけは静かだった。疲れ果てたからかもしれなかった。決めたからかもしれなかった。
輪を作った。
椅子に乗った。
窓の外で風が鳴った。カーテンが微かに揺れた。深夜の住宅街は眠っていた。どこかで犬が一声吠えて、また静かになった。
柏木は目を閉じた。
瞼の裏に、彩の顔が浮かんだ。今夜、肩車をした時の顔だった。天井に手を伸ばして「届かない」と笑った顔だった。
加奈子の顔が浮かんだ。午後の光の中で、お茶を飲んでいた横顔だった。
目を開けた。
部屋は静かだった。ロープが梁から下がっていた。椅子の上に自分が立っていた。
もう一度だけ、家の中の空気を吸った。
夕食の残り香がした。豚肉を炒めた油の匂いが、まだかすかにあった。この匂いのする場所で、十二年生きてきた。この匂いのする場所で、彩が育った。
輪に首を通した。
最後に思ったのは、謝罪でも後悔でもなかった。
ただ、静かだと思った。
椅子が、鳴った。




