「最初の嘲笑」
動画が公開されてから最初の一時間、コメントはゼロだった。
再生数を示すカウンターが、ひとつ、ふたつと動いた。それが「私」自身のリロードによるものか、別の誰かの訪問なのか、数字だけでは判断できない。深夜の動画投稿サイトには、眠れない人間が世界中に散らばっている。
午前三時半を過ぎた頃、最初のコメントが付いた。
「釣り乙」
二文字。それだけだった。
「私」はその言葉をしばらく眺めた。「釣り」というのはネットスラングで、嘘や作り話で他者の反応を引き出そうとする行為を指す。投稿者は名前の代わりに「名無し」と表示されている。誰でもない、誰かの言葉。
続いて二件目が届いた。
「声だけ動画とかww 顔出しもできないチキン」
三件目。
「承認欲求の塊で草」
「草」とは笑いを意味する記号だ。嘲笑が絵文字ひとつに圧縮されて届く。画面越しに誰かが笑っている。顔も声も、名前も持たない誰かが、この動画を見ながら笑っている。
「私」は、その反応を予測していた。
むしろこれが正常だった。七日後に人を殺すと宣言した動画に、深夜に遭遇した人間の大半が取る反応として、「本気にしない」は正しい選択だと思う。世界には毎日、膨大な量の嘘と冗談と誇張が流れている。本気で受け取る方が、ある意味では異常だろう。
再生数が二桁になった。
四件目のコメントは少し違った。
「まあ本当だとしたら被害者はかわいそうだけど、どうせ虚言やろ」
この人物は一瞬、「本当だったら」という可能性を想像した。しかし最終的には「虚言」という結論に着地した。その思考の軌跡が読み取れる気がして、「私」は画面から目を離せなかった。
五件目。
「こういう構ってちゃん動画、定期的に湧くよな。炎上狙いでしょ」
炎上。その言葉の軽さが、すべてを物語っていた。
かつて「炎上」という現象が始まった頃、それはまだ重い言葉だった。誰かの人生が燃えている、という比喩として機能していた。今は違う。炎上はコンテンツになった。燃えること、燃やすことが、エンターテインメントの一形態として確立されている。だからこそ、この動画も「炎上狙い」と読まれる。人を傷つけるための道具ではなく、注目を集めるための演出として受け取られる。
午前三時四十分。再生数は八十を超えていた。
コメントは二十件近くになっていた。大半が同じ論調だ。「釣り」「承認欲求」「どうせ嘘」「暇人」。文体は違えど、内容は均質だった。まるでひとつの生き物が、異なる口から同じことを言い続けているようだった。
「私」はその均質さに、ある種の安堵を感じた。
誰も信じていない。今夜の段階では、誰も。
それでいい。七日間ある。
一件、毛色の違うコメントが混ざっていた。
「もし本当なら止めてほしい。どんな事情があるにせよ、取り返しのつかないことはしないで」
短い文章。「名無し」ではなく、アカウント名を持つユーザーが書いていた。プロフィール画像は小さな犬の写真だった。
「私」はそのコメントを読んで、何かが胸の中を動いた。正確には、動こうとしたが、すぐに静止した。その感覚を言葉にする前に、次の投稿が流れてきて、画面を更新した。
「自作自演乙www」
「どうせ深夜に暇なだけのやつだろ」
「こんなん真に受けるとかありえない笑」
嘲笑が重なり、犬の写真のコメントは流れていった。
深夜の海の中に、善意はある。しかしそれは声が小さい。怒りと嘲りは大きな声で鳴り響くが、心配と優しさは静かにしか存在できない。画面のスクロールに巻き込まれ、流されていく。
午前四時。
「私」はようやく椅子の背に体を預けた。天井を見上げると、蛍光灯が白く広がっていた。
誰も信じていない。まだ誰も、本気にしていない。
七日後まで、そういう温度が続くかどうか。それは分からなかった。
ただ、確かなことがひとつあった。
世界は今夜も回っている。無数の「名無し」たちが、それぞれの暗い部屋で画面を光らせ、言葉を投げ、笑い、流していく。その巨大な渦の中に、「私」は今夜、最初の石を投げた。
石が波紋を描き始めるまで、あと六日と数時間あった。




