「夜のパトロール」
6日目深夜1時30分〜7日目午前4時
加奈子が寝室に引き上げた後、柏木は居間の電気を消した。
暗くした部屋の中で、窓のそばに立った。カーテンを数センチだけ開け、外を覗いた。街灯が等間隔に並ぶ住宅街の夜は、普段なら静かで平和な眺めだった。今夜は違って見えた。
午前一時五十分、一台の車がゆっくりと通りを走ってきた。
速度が遅かった。住宅街の深夜に、あの速度で走る理由が思い当たらなかった。車は柏木家の前でさらに速度を落とした。窓ガラス越しに、運転席の人間がこちらを見ているような気がした。暗くて顔は見えなかった。車はそのまま走り去った。
柏木はカーテンを閉じ、また開けた。
見間違いかもしれなかった。深夜にゆっくり走る車など、いくらでも理由がある。道に迷っているだけかもしれない。しかし一度疑い始めると、止まらなかった。
午前二時十五分、同じ車が戻ってきた。
今度は確信した。同じ色、同じ車種。同じ速度で、同じ場所で速度を落とした。柏木はスマートフォンを手に取り、ナンバープレートを撮影しようとした。暗くて読み取れなかった。車はまた走り去った。
柏木は椅子を窓のそばに引き寄せ、座った。
見張ることにした。
なぜそうしようと思ったのか、自分でも分からなかった。警察を呼ぶべきかもしれなかった。しかし「深夜にゆっくり走る車がいた」という理由で警察が動くとは思えなかった。何かが起きてからでないと、動いてもらえない。何かが起きる前に動けるのは、自分だけだった。
窓の外を見続けた。
午前三時、また別の車が来た。今度は止まった。柏木家の真向かいに駐車した。エンジンが切れた。しばらく動きがなかった。
柏木は息を詰めた。
五分後、運転席のドアが開いた。男が降りてきた。スマートフォンを手に持っていた。画面が光っていた。男は柏木家の外観に向けてスマートフォンを持ち上げた。撮影していた。
柏木は立ち上がった。
玄関に向かいかけて、止まった。出て行ってどうする。怒鳴るか。詰め寄るか。相手が複数いたら。暴力を振るわれたら。あるいは自分が暴力を振るってしまったら。その瞬間の映像を撮られたら。
すべての可能性が頭を駆け抜け、足が止まった。
窓から見ると、男はまだ撮影していた。三分ほどで車に戻り、エンジンをかけて走り去った。
柏木はその場に立ち尽くした。
怒りがあった。恐怖もあった。しかしどちらも行き場がなかった。怒りをぶつける相手は暗闇の向こうに消えた。恐怖を打ち明ける相手を起こすことが、できなかった。
午前三時半、寝室のドアが開いた。
加奈子が廊下に出てきた。眠れなかったのか、目が覚めたのか、聞かなかった。
「何してるの」と加奈子が言った。
「見張ってた」と柏木は答えた。
加奈子はしばらく柏木の顔を見た。それから「一緒に見てる」と言い、もう一脚椅子を引いてきて、隣に座った。
ふたりで窓の外を見た。
深夜の住宅街は静かだった。街灯が白く、道路が光を反射していた。もう不審な車は来なかった。
午前四時になった頃、加奈子が「少し寝よう」と言った。柏木は「そうだな」と答えた。
立ち上がる前に、柏木は窓の外をもう一度見た。
何もなかった。ただの夜だった。しかしその「ただの夜」が、もう信じられなくなっていた。




