「トレンド入り」
5日目 午後4時〜午後11時
午後四時十七分、「#柏木真司を許すな」というハッシュタグが初めて投稿された。
最初に使ったのは、フォロワー二百人ほどの匿名アカウントだった。レイジの配信を見た誰かが、怒りの感情をそのままタグに変えた。何の戦略もなかった。ただ怒っていた。
最初の一時間で、同じタグを使った投稿が三百件を超えた。
拡散には構造がある。最初に火をつけるのは感情だ。怒り、義憤、共感。それが一定の密度に達した時、SNSのアルゴリズムが反応する。「注目されているトピック」として推薦され、それまで無関係だった人々のタイムラインに流れ込む。流れ込んだ先でまた拡散する。
午後六時、タグはトレンドの上位に入った。
それを見たインフルエンサーたちが動いた。
フォロワー十二万人のアカウントが投稿した。「いじめを見て見ぬふりした教師が今も教壇に立っている現実。子供を守れない大人に教育を語る資格はない」。リポストが千件を超えた。
フォロワー八万人の「教育問題を考える」アカウントが続いた。「五年前の事件の詳細と、なぜこの教師が今も処分されていないのかを解説します」という長文投稿だった。内容の半分は憶測だったが、断定的な文体で書かれていた。
フォロワー三十万人の芸能人に近い人物が「こういうニュース見るたびに日本の教育が心配になる」と投稿した。案件投稿が多いアカウントで、教育への関心が深いとは言いがたかった。しかし三十万人のフォロワーはその投稿を受け取った。
午後七時、投稿総数は二万件を超えた。
内容は均質化していた。怒りの言葉、断罪の言葉、正義の言葉。それらが微妙に言い換えられながら繰り返された。新しい情報は出てこなかった。しかし量が増えることで、既成事実としての重さが増した。
タグの中に、異なる声も混ざっていた。
「本当にこの人が該当者なの? 確認取れてる?」というアカウントが質問した。返信は来なかった。タイムラインの流れに飲み込まれた。
「ネットリンチになっていませんか」と書いたアカウントには、「加害者の味方か」「黙ってろ」という返信が来た。そのアカウントは数時間後に投稿を削除した。
午後八時、別の動きが始まった。
柏木の勤務先の高校に対して、「なぜこの教師をまだ雇用しているのか」という問い合わせを学校側に送ろうという呼びかけが広まった。学校の代表電話番号と問い合わせフォームのURLが貼られた。
「電凸しよう」という言葉が使われた。電話で突撃する、という意味のスラングだ。
午後九時までに、学校の問い合わせフォームには三百件を超えるメッセージが届いていた。内容は怒りの言葉で埋め尽くされていた。
投稿した人間たちは、それぞれの部屋にいた。
ソファに寝転んでスマートフォンを操作している人。夕食を食べながら画面を確認している人。電車の中で親指を動かしている人。それぞれの日常の隙間に、このタグへの参加が組み込まれていた。
誰ひとり、柏木真司に会ったことがなかった。
声を聞いたことがなかった。顔を直接見たことがなかった。どんな人間かを知らなかった。それでも言葉を投げた。投げることに、罪悪感を感じなかった。画面の向こうの人間は、感情移入できる対象として存在しなかった。
午後十一時、タグの投稿総数は五万件に迫っていた。
その頃、柏木家の固定電話は再び鳴り始めていた。
加奈子はコードを抜こうとして、やめた。もし学校から緊急の連絡が来た時のために。その葛藤のまま、電話は鳴り続けた。
五万の言葉が、ひとつの家庭を包囲していた。




