19 長女が魔王って何だ
週明け最初の授業は研究科目の魔法陣研究Ⅰ
「この研究室は複数の魔法陣を繋ぐ回路の研究をしている。複数の魔法陣を効果的に使う為には魔力の減衰率が低い効率的な回路の構築が不可欠である。その為に必要な物の1つが回路を描くのに適した魔力を通し易い回路用薬剤だ。今年の研究テーマは従来使われている薬剤よりも効率の良い回路用薬剤を開発する事だ。」
この研究室では魔道具製作に使う回路の研究をしている。
魔導具には主となる魔法陣の他に、補助や制御の魔法陣が使われており、それらの魔法陣は特殊な薬剤を使った回路で結ばれている。
回路を描く薬剤の性能によって魔導具を動かす魔石の消耗度が大きく異なる。
俺も父さんに教えて貰いながら色々な魔導具を作ってきたし、オリジナルの魔導具も幾つか開発した。
魔導具の回路に使える新しい薬剤が開発出来たらいいな、と思ってこの研究室を選んだ。
様々な開発実績のあるこの研究室は魔導具ギルドや高位貴族の資金援助が多く、高価な希少素材を使った研究を行えるので希望者が凄く多い研究室。
但し、高度な魔法回路知識を持っているか、高額の寄付をしてくれる高位貴族の子弟しか入れないし、高額な寄付をしても能力不足と判定されれば研究室を追い出されるので能力の有る研究員しかいない。
プライドだけ高くて努力をしない東部伝統貴族の子弟が1人もいないと姉さん達に聞いたのもこの研究室が気に入った理由。
そしてもう一つの大きな理由が魔導具ギルドに頼まれたから。
受験勉強で王都に戻った時、キラ領で作った新魔導具“冷凍庫”を王都のギルドに登録した。
水属性の俺は氷魔法が得意。
父さんの作った冷蔵庫を真似して冷凍庫を作ったら魔導具ギルドで絶賛された。
魔導具の登録の時に王立学院合格をギルマスに言ったら、魔法陣研究室で回路の研究をして欲しいと頼まれた。
飛び級が出来て、初年度から研究科目に進める事になったので真っ先にこの科目を選んだ。
研究室に入るには魔導具関係教授か、魔導具ギルドの推薦状が必要。
魔導具ギルドに行ったらギルド長がすぐに書いてくれた。
研究員は俺を含めて19人と少数だけど、優しい先輩ばかりで初心者の俺に実験のやり方を丁寧に説明してくれた。
昼休み、いつものように食堂に行った。
いつものように日替わり定食を受け取って、いつものように隅の席に向かおうとしたら声を掛けられた。
「おい、ここで一緒に食べないか?」
魔法陣研究で一緒になった先輩達。
さっきの時間に色々と丁寧に教えてくれた優しい先輩。
採用条件の厳しい魔法陣研究室で研究している先輩なら安心。
「はい、良いのですか?」
「勿論だ。同じ研究室の仲間だからな。」
「ありがとう御座います。」
先輩達のテーブルで一緒に食事をする事になった。
いつもの日替わり定食なのに、大勢で食べると美味しく感じる。
「ところで、ハリーはチャーの弟って本当か?」
先輩はチャー姉を知っているらしい。
「はい、本当です。」
「チャーが弟も魔法陣研究を取ったから宜しくと言っていたんだ。おっと自己紹介がまだだったな。俺はフロント、侯爵家の次男坊だ。」
侯爵家の次男が平民に声を掛けても大丈夫なのか?
侯爵ってめっちゃ大きなお城に住んでいるお殿様って聞いたぞ。
あれ?
今思い出したけどルナ姉も侯爵。
キラの領館は大きいけど、お城じゃ無かったぞ。
釈然とはしないが侯爵にも色々とあるのだろう。
「俺は伯爵家の3男でイリス。」
「俺はオトブ、伯爵家の次男。3人共魔法科の3年だ。」
皆高位貴族の子弟、俺とは住む世界が違う人達。
あれ、リヌ姉達3人も伯爵。
伯爵にも色々ある事にした。
「チャー姉の弟でハリーと言います。姉が迷惑を掛けていると思います、済みません。」
とりあえず謝るの先。
「おいおい、いきなり謝られるとは思わなかったぞ。」
「確かに弟に余計な事を言ったら只では済まさないと脅されたがな。」
「そもそも長女が魔王だから、チャー程度は全然問題無いぞ。」
まてまて、長女が魔王って何だ?
「・・念の為にお伺いしますが、長女ってルナ姉の事ですか?」
「そう、侯爵家当主で学院の学生会長。入学式で挨拶しただろ。」
確かに在校生代表で挨拶してたけど、魔王なの?
「どうしてルナ姉が魔王なのですか?」
「襲い掛って来る勇者をことごとく粉砕するから魔王。」
学院に勇者がやって来るのか?
判らん。
「えっと、襲い掛って来る勇者って何ですか?」
「首席だからとか、女の癖に生意気だとかで襲い掛って撃退されたバカ息子が、自分では敵わないからと仲間を集めたり、暗殺者を雇って襲わせるという事件が何回もあった。ことごとく撃退されたのは勿論、実家ごと潰された奴もいた。Aランク冒険者で侯爵家当主のルナ閣下を襲うなんて勇者としか思えないだろ。襲って来た勇者をことごとく撃退するから魔王。」
「はぁ。」
聞かなきゃ良かった。
「チャーもAランクって言っていたけどハリーもAランクなのか?」
「うちの家族は父さん以外全員がAランクだよ。」
「父上はSSランクのキラ閣下だよな。」
「そう。」
「キラ閣下ってどんな方だ?」
「チャー姉には聞いてないの?」
「そんな事恐ろしくて聞けるか。」
チャー姉は姉達の中では優しい方なのに恐ろしいの?
家と学院では態度が違う?
判らん。
「父さんはめちゃめちゃ強いしカッコイイよ、森では。」
「森では、って家ではどうなんだ?」
「う~ん、家にいる時は母さん達にべったり甘えている。」
「閣下が甘えるのか?」
「一番好きなのはお母さんの膝枕で耳掃除をして貰う事。母さん達のおっぱいを触るのも好きだね。」
「おっぱい・・・。」
オトブが驚いている。
イリスは口を開けたまま呆然として固まっている。
「一番下の俺達が乳離れしてからは母さん達のおっぱいは父さんの物なんだって。」
イリスの目が泳いでいる。そんなに意外なのかな。
「・・・、冒険者としての活動はしていないのか?」
フロントが話題を変えた。
「SSランクへの依頼なんて殆ど無いからね。」
「そうなのか?」
「Sランクになって20年近くになるけど、指名依頼があったのは2回だけって聞いたよ。どっちも直ぐに終わったらしいから、冒険者として働いたのは20年間で数日? 殆ど無職に近いかな。」
「魔獣討伐とかはしないのか?」
「一番下の俺達が8歳になるまでは時々黒い森で一緒に魔獣を討伐した。でも父さんは戦いが嫌いだから子供達が安全に討伐出来るようになったら、家でゴロゴロしたり母さん達に甘えたりが多くなったね。」
「何歳から黒い森で討伐したんだ?」
「うちでは5歳になったら黒い森の外縁で訓練する事になってる。」
「5歳から黒い森・・。8歳からは何をするんだ?」
「8歳になるとルナ姉の領地で冒険者登録して魔獣や盗賊の討伐。実戦経験を積めるし、ルナ姉も領地の魔獣や盗賊が減って喜ぶから1石2鳥なんだって。」
「閣下は?」
「王都の屋敷で母さん達とのんびり? 知らんけど。」
「閣下は戦うのが嫌いなのか?」
「うん。俺も戦いが嫌いだから父さんの血かも知れない。」
「魔王やチャーを見ていると戦いが嫌いとは思えないぞ。」
「ハリーの姉さん達はみんな魔王やチャーみたいなのか?」
「う~ん、それは何とも言えないけど、姉さん達はみんな戦うのが好きだね。父さんとは違って母さん達は戦うのが好きだから母さん達の血かも知れない。」
「ひょっとしてお母様達は“娘を嫁にしたいなら私を倒せ“とかいうタイプか?」
「それは無い。姉さん達は自由気儘だから結婚したいと思ったら勝手に結婚すると思う。」
多分間違い無い。
「自由気儘と言われたら、なんとなく納得出来るな。」
「閣下でもチャー達を止められないのか?」
「父さんは家族には弱いから無理。姉さん達にもしょっちゅう怒られてるし。」
「閣下が怒られるのか?」
「何かに夢中になると時間も忘れちゃうんだよね。食事時間に行方不明になってみんなで探し回った事もあったよ。あと、母さん達のフルネームも覚えて無いし、姉さん達の名前を間違えて怒られる事もある。」
「娘の名前を間違える父親ってどうなんだ?」
「11人もいるからしょうがないって家族はみんな諦めてる。」
「凄げえ家だな。」
「でもみんな仲が良いし、家族の為ならみんな命を懸けて戦うから良い家族だと思うよ。」
「家族で憎しみ合っている貴族は多いから耳が痛いな。」
「うちの家族はみんな地位や財産には全く関心が無いから大切なのは家族だけなんだ。ルナ姉だって家族の為なら平気で侯爵位でも国でも捨てるよ。家族全員が何時でも逃げられるように余計な物は持たない主義だしね。」
「何時でも逃げられるように、・・・そうなんだ。」




