13 古代語のカンダーラ教授
研究棟は2階建て、1階が実験室、2階が教授や研究科生の研究室だと姉さんが教えてくれたけど、どう見ても4階建て位の高さがある。
指定された第3研究棟に行くと、研究室名の書かれたプレートが付いた大きな扉が並んでいた。
“古代語研究室・実習室”と書かれた扉を入るとめっちゃ広くて天井が高い部屋だった。
入り口横には部屋の天井を突き抜ける手すりの付いた長い階段がある。
建物の東西にも階段があったけど、実験室からも直接2階、といっても3階以上の高さにある研究室に行けるらしい。
入り口が南側で、東西の壁には手すりの付いた細長い観測席のような板が渡されて梯子の様なものが掛けられている。
北側の壁には大きな金属っぽい板?
多分中央に設置されている四角い金属枠みたいな実験器具から発生する魔法から壁を守る為の物だろう。
キョロキョロと部屋の中を見回していたら、助手らしい兄ちゃんに声を掛けられた。
「研究棟は初めてか?」
「はい。新入生です。」
「貴族科の新入生で古代語Ⅰを選べたと言う事は飛び級だな。古代語で描かれた魔法陣を見た事はあるか?」
制服に縫い付けられている校章の色で新入生と判ったらしい。
ちなみに魔法科の制服はローブだし、騎士科はかっちりとした軍人ぽい服なのでひと目で専攻科の区別がつく。
飛び級している学生は多いので、研究科目を選ぶ新入生も多いのだろう。
「簡単な古代語でなら魔法陣を描けます。」
「そうか、それは重畳。俺は古代語研究助手のミッキー=ヨシナだ。判らない事が有ったら気楽に訊いてくれ。」
「新入生のハリ―です、宜しくお願いします。」
「この部屋ではどんな実験をしているのですか?」
「この部屋は魔法陣の文字を未知の古代文字に入れ替えて文字の力を調べる為の部屋だ。部屋の中央に実験装置が作られていて、4方だけでなく3方向の壁には板が渡してあるので上からも観察出来るようになっている。更に部屋の壁全面には強力な結界が張られているので魔法陣が暴走しても建物が壊れる恐れは無い。」
部屋の壁に観覧席の様なものがあるのは実験を観察するためらしい。
実習室に入った時、古代語の研究に天井の高い部屋が必要なのかと疑問に思ったが、思っていたよりも高度な研究をしているらしい事に驚かされた。
って、ちょっと待った。
壁は結界で守られているけど、観察している人は大丈夫なの?
政治についての知識は無いけど、結界については父さんに沢山教えて貰ったので結構詳しいつもり。
ミッキーさんの説明に少し疑問を感じた。
「えっと、この部屋の中で観察している人は結界に守られていないと言う事ですか?」
「古代語のカンダーラ教授は細かな事には頓着されないおおらかな方だ。何の心配もない。」
そうか、教授がおおらかだから大丈夫なのか。
って、そんな訳無いだろ。
何の心配もないと言われても、“教授がおおらかだから“では不安しか無い。
「でも、周囲にいる人に魔法が直撃したら危ないですよね。」
「危ない魔法の時はそれなりの注意はなさると思う、多分。」
多分なんだ。
「・・・何で壁に結界なのですか?」
「2年前に魔法陣の暴走で壁を壊して隣の教授に怒られた。去年は研究予算の殆どを結界の構築に当てたからもう隣の教授に怒られる事は無い。」
胸を張って自慢そうにきっぱり言い切った。
隣の教授に怒られない、って胸を張って言う事?
ちょっと疑問に思ったけど、俺は新入生でこの兄ちゃんは教授の助手。
俺の解析ではあまりたいした結界では無さそうだけど、俺の知らない仕掛けが他にも色々あるのだろう。
「・・・まあ、そうかもしれませんね。」
一応頷いたけど、何となく怪しい研究室に来てしまったような気もした。
「今日は初参加の学生が多いから、少し派手な実験をする事になっている。楽しみにしておけ。」
ミッキーさんはそんな説明をしながら部屋の中央に組まれた四角い金属枠に色々な器具を取り付けている。
「・・はい。」
取りつけているのは見た事のある装置。
たぶん父さんが開発した温度計・湿度計と気圧計。
キラ領に行く直前、魔導具ギルドに出すサンプル作りを手伝わされた覚えがある。
どうやら量産化に成功しているようだ。
金属枠で囲まれた床の中央で魔法陣を発動させて、その効力を調べるのだろう。
実習開始時間が近づいて徐々に学生が集まって来た。
総勢16名。
キ~ン・コン。キ~ン・コン。
遠くから授業開始の鐘の音が聞こえた。
暫くして白衣を着たおっさんがゆっくりとした動きで階段を降りて来た。
「古代語研究室のカンダーラだ。我が研究室ではいまだに解明されていない古代文字を使った魔法陣を発動させて、古代文字の意味を調べる研究をしている。本日は新年度初日と言う事で、実際にどのような事をしているのかをお見せしよう。」
教授が助手に命じて魔法陣の描かれている板を壁に掛けさせ、棒で指し示しながら説明を始めた。
「諸君も知っている通り、この4文字は東西南北4つの方向を示す文字なので、風の魔法陣に使うと指定された方向に風が吹く。1つの魔法陣に使える同じ文字は3つ迄、4つ使うと魔法陣が暴走するので決して同じ文字4つを使ってはならない。これは我が研究室の実験で検証された古代文字研究の大きな成果の1つである。」
教授が少し顔を顰めながら隣の研究室方面の壁をチラッと見る。
助手のお兄さんも同じ方向を見たと言う事はさっき教えてくれた2年前の暴走はそう言う事だったのだろう。
「今回は発熱の魔法陣の上に風の魔法陣を重ねて、1方向に強い熱風を出す実験を行う。その際に新しく見つけた“焚”という文字を使って実験をする。今までの検証でこの“焚”という文字が高温を出すことまでは判ったが、どの程度の熱となるかが検証されていない。そこで今回は“焚”と言う文字を3つ書き込んだ魔法陣の上に風の魔法陣を置いて、どの程度の熱を得られるかを調べてみる。」
あれ?
新しく見つけたという“焚”は林を火で焼くという意味の字だよね。
多分発熱じゃなくて炎を出す文字、父さんが作った魔導竈の魔法陣でも使われている。
王都屋敷や領都屋敷の厨房にある魔導竈に使われている文字と同じだから見間違いでは無いと思う。
1文字でかなり強い炎が出る古代文字だった筈だけど、3つも重ねて大丈夫?
ちょっと心配になる。
俺の心配をよそに、助手のお兄さんが部屋の中央に設置された1.5m四方・高さも1.5m程ある鋼の枠の床に発熱の魔法陣の描かれた基盤を置き、細い鋼が網状になっている上の段の中央に風の魔法陣を設置した。
「魔法陣の基盤は我が研究室が開発した耐熱素材なので高温にも耐えられる。熱風の当たる壁にも耐熱素材の板を設置しているから安心して見学するが良い。」
熱風が当たるらしい北側の壁に吊るされている板は耐熱素材らしい。
どうやら大丈夫なようだ。
「強い熱風が北側の壁に向かって吹くから、諸君は北側の壁から離れた所で見学しなさい。燃料となる魔石の継続時間は2分程しか無いのでしっかり見るのだぞ。」
学生達が北側を避けて中央にある実験装置を囲んだ。
「では魔法陣を起動する。」
助手の兄ちゃんが風の魔法陣を起動した。
強い風が北側の壁に引き付けられ、跳ね返った風が実験室に渦巻く。
西側で見ていた俺の髪が風に舞い上げられる。
ちょっと風が強すぎじゃね?
慌てて髪を抑えていたら助手の兄ちゃんが熱の魔法陣も起動した。
熱の魔法陣から激しい炎が吹き上がった。
部屋全体の温度も急上昇している感じ。
見学していた学生達も熱いらしく、慌てて一番遠い南側の壁に全員が張り付いた。
実験機器を見ると床にある熱の魔法陣が噴き上げる炎を風の魔法陣が北側の壁に吹き付けている。
“焚”の文字は熱では無くやっぱり炎を出す文字だった。
上の段にある風の魔法陣は無事なので耐熱板が熱を防いでいるらしい。
北側の壁に掛けられた耐熱版も持ちこたえている。
流石は王立学院。
と思ったのはほんの数十秒。
風の魔法陣が乗せられている鋼の網が真っ赤になって溶け始めた。
風の魔法陣がゆっくりと傾いていく。
耐熱板に吹き付けられていた炎が徐々に西側へとずれ始め、耐熱板を外れて北の角から西の壁へと炎の方向が変わる。
壁に張られた結界に炎が直撃して結界に罅が入り始めた。
ヤバい。
「結界!」
学生達に聞こえるように大きな声を上げ、中央の実験器具全体を結界で囲んだ。
父さんに教えて貰った“結界消火“。
魔獣討伐はいつも姉さん達と一緒だが、テン姉は火属性なので時々火事を引き起こす。
どうせ直ぐに俺が消すからと安心して練度の低い魔法を試すから。
色々な状況下で消火したお陰で“結界消火“の練度が上がり、今では1瞬で“結界消火“魔法を発動出来ようになった。
俺が発動した“結界消火“の中で激しい炎が渦巻いて実験器具がドロドロに溶けて行くが、すぐに結界内の空気が無くなり噴き上げていた炎が止まった。
”換気“
熱い空気が窓から外に出て行った。
熱気も収まって皆がホッと息をする。
「うむ。実験の結果、“焚”と言う文字は激しい炎を意味するようだ。これ程激しい炎を出せるなら魔道具に使う事も出来よう。本日の実験はいずれ王国の魔導具界に革命をもたらす事となる。皆は大発見の目撃者としての栄誉に輝いた、胸を張るが良い。」
教授が胸を張った。
俺も大発見の目撃者に成れたらしい。
うん、良かった。
「実験には常に万全を期しておる。万が一の事態が起こっても、我が研究室にはこのように諸君の安全を守ってくれる優秀な者が居るので安心して欲しい。・・ところで君の名は何だった?」
「ハリーです。」
「ハリーか。研究助手なのか?」
「えっと、新入生です。」
「そうか、新入生か。諸君、このハリーは新入生なのであと5年間は研究室の安全が守られる。安心して研究に勤しんでほしい。本日はこれで終わりとする。」
えっ、俺5年間この研究室にいなくちゃいけないの?
ちょっと困った。
困ったことが有れば何でも言いなさいと言われていたので、後で姉さん達に相談してみよう。
いや、今朝怒られたばかり。
少し間を置いてからにしよう。
俺は経験から学べる12歳だ。




