10 逃げるがカチューシャ
「それまで。」
教授の声が聞こえた。
慌てて構えを解いたが、訳が判らない。
訓練場の隅に控えていた神官服のおっちゃん達が慌てて王子に駆け寄っている。
王子は全く動かない。
ひょっとして、やらかした?
学院のルールは知らんけど、授業初日に王子を殺したら何となく拙いような気がする。
いや、初日でなくても拙い?
死んでたら逃げた方が良いかな。
それとも証拠を消した方が良いのかな。
“目撃者全員を殺す? 記憶を消す魔法ってあったかな?”
「殺すな、記憶も消すな!」
教授に怒られた。
考えが口から出ていたらしい。
視界の端で神官のおっちゃんに治癒魔法を掛けられていた王子の体がピクピクッと動いた。
生きてたんだ。
王子って結構しぶといな。
生きてるなら大丈夫。
骨折や打撲は治癒魔法やポーションですぐに治るから問題は無い。
きっと体調が悪くて必殺技を出せなかったとか、模擬戦前に魔力を使い過ぎて身体強化が出来なかったのだろう。
全力で突いていたら爆散していたかもしれないと思って冷や汗が流れる。
盗賊の討伐は姉さん達の役目で、俺は盗賊のお宝回収が役目。
家族や騎士団長以外の人間と戦うのは初めてだったので、鎧を着ているのに魔獣よりも脆い人間がいるなんて知らなかった。
王立学院は色々と勉強できる所だった。
下がろうとしたら教授から声が掛かった。
「ハリー、“た~まや~!”というのは何だ?」
「えっと、何かが飛ぶときに叫ぶと綺麗に飛ぶおまじないと教わりました。」
「初めて聞いた、確かに綺麗に飛んだな。今度俺も叫んでみよう。」
「“か~ぎや~!”というのもあるそうです。」
「良い事を聞かせて貰った。ところで、ハリーは本当に槍を使った事が無いのか?」
「はい。」
「それにしては動きが良いぞ。」
「運動は得意なんです。森熊なら体術だけで倒せます。」
攻撃魔法は下手だけど身体強化や魔力操作の練習になるので武術や体術は好き。
姉さん達が俺の訓練用に時々魔獣をスルーしてくれるので森熊は何度も倒した。
体が小さくて筋力が弱いから中位ランクの魔獣は無理だけど、森熊程度なら大丈夫。
教授から見ればたいした魔獣では無いかもしれないけど、立ち上がると俺の2倍もある森熊を体術だけで倒すと結構気分が良くなる。
同級生の中では小柄なのでちょっと見栄を張った。
「「「・・・・。」」」
王子の側近達が目を剥いている。
森熊程度は誰でも倒せるし、父さんなんか中位ランクの魔獣でも素手で倒せる。
側近達が驚いたのは俺の体が小さいからだろう。
体は小さくても動きは早いぞ。
あっ、小さくて早いのはダメって姉さんに言われたっけ。
忘れようとしていた事を思い出して、ちょっとテンションが下がった。
「森熊を素手でか?」
「はい。森熊なら大丈夫です。あっ、腕を鈍らせない為に時々は剣や杖も使います。」
気を取り直して剣と杖が使える事も申告した。
報連相は大事と姉さん達に言われている。
「槍以外は経験者という事か。」
「はい。」
「魔獣討伐をしているのか?」
「今まではキラ領で討伐していましたが、今年からは週末に姉さん達と黒い森で素材採取をする事になっています。」
「黒い森・・・」
先生が絶句している。
黒い森はCランク以上の高ランク冒険者しか入れない狩場。
俺達のようなAランク冒険者が黒い森以外で討伐をすると低ランク冒険者の迷惑になるらしくて週末は黒い森に入る事になっている。
「それ程の腕ならば私が相手をしよう。」
教授が模擬戦の相手をしてくれる事になった。
教授が突く、俺が流す。
学生相手なので手加減しているのだろうが、教授だけあって突きの速さが王子とは段違い。
それでも騎士団長の剣よりは遅い。
足さばきが悪いので森狼よりも動きが遅いし、森猿の様に木に登らないので俺にとっては戦い易い。
まだ槍には慣れていないので距離感が難しくて上手く間合いを測れない。
かなり手前で止める事を繰り返しながら寸止めの距離を測る。
「終わり、終わりだ。」
さあこれからという時に終わりを宣言されてしまった。
「ありがとう御座いました。」
「さっきのは寸止めの練習か?」
「はい。距離感が難しくてうまくいきませんでした。」
「足さばきが騎士団長に似ていたが、教えて貰った事があるのか?」
「うちに遊びに来た時はいつも相手をしてくれました。」
「騎士団長が遊びに来る? そんな家があるのか?」
「うちの料理が好きなようで時々来ます。うちの料理長は優秀ですから。」
「そ、そうか。」
あまり納得はしていないようだった。
授業初日は終わったけど、政治学・礼儀作法・槍術の3つともめっちゃ疲れた。
明日からの授業が不安になった。
王立学院は教育機関であると同時に研究機関、知らんけど。
それぞれの学生は最初の2年間で基礎教養を身に着けながら研究課題を探し、後半の3年間は教授の指導を受けながら研究を深めて論文に仕上げる、って姉さんが言ってた。
論文が評価されれば上級の研究機関や学院に残って研究を続ける事も出来るらしい。
俺は冒険者志望だから関係無いけど。
1年生・2年生の間は研究課題を探す期間なので、既に研究課題が決まっている学生以外は授業が終わると基本的に暇。
姉さん達は学院で知り合ったお友達との交流や王都観光をするらしい。
俺はボッチなのでトレーニングをする事にした。
キラ領で冒険者活動をしていた時は毎日森や山を走り回っていた。
試験勉強の為に王都に戻って2か月、軽い運動や乗馬はしていたものの教授と槍の模擬戦をした時に体のキレが落ちているのを感じたから。
攻撃魔法が苦手な俺の強みは逃げ足の速さ。
ヤバいと思ったらすぐに逃げる。
これが父さんから教わった俺の必勝法。
古代語では”逃げるがカチューシャ“と言うらしい。
冒険者は一度の負けで命を失うから毎日勝ち続けなければならない。
古代語では“エブリデイカチューシャ”だと父さんが言っていた。
ただ残念な事に俺は体が小さいので筋肉も少ない。
身体強化を掛けても素の筋力が小さければ大きな力は出せない。
今は一杯食べて大きくなる事と、少ない筋肉を鍛えて強くすることが大事。
重力魔法で体に負荷を掛けながら走れば、筋力強化と同時に魔力操作の練習も出来るじゃんと思った。
魔法は練度が上がると魔力使用量が減るのに威力が上がる。身体強化も練度が上がれば強化率が上がる。
魔法は練度上昇が体感出来るので、楽しくていつも複数の魔法を発動している。
姉さん達は魔法バカと笑うけど、楽しいのだからしょうがない。
走りながらだと余計な事に意識を取られないので、練度の上昇率が上がる筈。
そうだ、ついでに王立学院の地形や施設配置も見てみよう。
“チキンタツタが吉日”、思った事はすぐに実行するのが俺の生き方。
まずは走りながら王立学院の広大な敷地の探検だ。
“学院に入ったら1人でも歩けるようになりなさい“と姉さん達に言われたからでは無い、と思う。
俺はもう12歳、今までの様に姉さん達のお尻を見ながら歩いているだけではダメ。
森よりも危険と姉さん達が言っていた学院の中をたった1人で走る。
歩くのが怖いからでは無い、たぶん。
初めてのソロ活動、ちょっと不安だけどそれ以上にワクワクした。




