29 猿じゃないんだから
「ただいま。」
「おかえり。」
ソファーから立ち上がって迎えてくれたイータを抱き締める。
「寂しかったね。」
「本当に。 帰って来たと思ったらすぐにお母さんとデートなんてずるいわ。」
「ハリー、イータ、いい加減にしなさい。 朝出掛けて行って今はまだお昼よ。 猿じゃないんだからイチャイチャするのは夜まで待ちなさい。」
魔王に怒られた。
「はい、これが返書よ。」
レイナ母さんがファン辺境伯から預かった返書を魔王に渡す。
魔王が返書を開封して目を通し、テーブルに広げるとアシュリーお祖父さんとドランお祖父さんが覗き込んだ。
「成程、なかなか状況判断の出来る男のようだな。」
「忙しくなりそうだが、ファンにキラ軍が入ればドウデルも迂闊には手を出し難い。 急いだほうが良いな。」
「既に移動の馬車は手配していますが、3千人を2000㎞運ぶのですから大仕事です。 お祖父さん達も手伝って下さいね。」
「任せろ。」
お祖父さん達も笑っている。
「ハリーはファン辺境伯の家臣達が持って行く荷物を、新しいファンの街に運んでね。」
「新しいファン?」
「ミトンの西にある旧王家の直轄領よ。 家臣の荷物には名札を付けて貰うから、時々ファンの預かり所に行ってアイテムボックスに入れておいて。 どうせ家臣達が着くのは1ヶ月以上先だから、直前に新しいファンの街にある倉庫に出してくれれば良いからね。」
どうやらファン辺境伯は魔王の家臣になるらしく、お国替えで旧ミトン、今のソランダの西にある旧直轄領を領地として貰うらしい。
転移はキラ1族だけの秘密なので、移動を希望している家臣3千人を2000㎞も離れた街まで馬車で運ぶことになる。
そもそも3千人を運ぶ程多くの馬車を集めるのはかなり難しい。
お祖父さん達が付いているのだから、目途は立っているのだろう。
「ハリー、黒竜剣を作るぞ。」
父さんに突然声を掛けられた。
「急にどうしたの?」
「黒い森の最奥で戦ってみたが、Sランクの魔獣相手だと切れ味の良い大剣が使い易そうに思った。 ハリーが剣を欲しがっていたし、奇跡山脈を越えて大陸南部に行くなら、最高の武器を持っておく方が良い。 一緒に作った方が判り易いだろ。」
黒竜剣が欲しいと思って、だいぶ前から父さんに貰った黒竜の欠片で練習していた。
父さんと一緒に作れるのは手本になるので有難いし嬉しい。
しかも長剣では無く、黒竜の素材を使った大剣。
めっちゃワクワクする。
偵察のお仕事も一段落したところなので都合も良かった。
王宮の片隅に父さんが作った錬金場に、父さんと一緒に籠る事になった。
黒竜の欠片で色々と試してみた結果、魔法成形で加工は出来るものの、膨大な魔力と長い時間が必要な事が判った。
大剣を作るとなると、事前に入念な準備が必要になった。
黒竜化石の成形には繊細な魔力操作が必要だし、途中で中断すると失敗して素材がダメになる。
完成までの間、ずっと精神を集中して作業を継続出来る環境を整えなければならない。
使用人達に食糧や飲み物を用意させ、母さん達とイータには交代しながら24時間の世話をしてくれるように頼んだ。
親指を立てれば食事、人差し指なら飲み物、中指は・・、薬指は・・、小指はおしっこ。
魔法成形に集中出来るように、世話係にして欲しい事はハンドサインで伝える。
今回使うのは黒竜の角の化石。
2本しかない角を父さんと俺が1本ずつ使う。
2度と手に入らない素材なので絶対に失敗は出来ない。
母さん達やイータも真剣な表情で父さんの説明を聞いていた。
父さんが8mもある大きな角の化石を2本取り出した。
手順は父さんが丁寧に教えてくれたし、欠片で何度も練習したので大丈夫な筈。
「始めるぞ。」
父さんの声で魔法成形を開始した。
父さんの魔力を感じられるので、どのくらいの魔力量を使っているのかが凡そ判る。
父さんの真似をして魔力量調整しながら魔力を注ぎ込んでいく。
父さんはゆっくりゆっくりと魔力量を増やしている。
俺も同じようにゆっくりと増やす。
作業開始から3時間半、角が微かに縮み始めた。
父さんの魔力量増加が止まって現状維持になる。
俺も増加させるのを止めて魔力量を維持する。
親指を立てた。
イータが口元に差し出してくれたサンドイッチを齧る。
人差し指を立てる。
イータが水筒に差し込まれたストローの先を咥えさせてくれる。
視線はずっと黒竜の角に向けたまま。
通常の魔力成形とは違って、注ぎ込む量がとてつもなく大きいので魔力が揺れやすい。
魔力を揺らさない様に精神を集中し続けるのは結構つらい。
相当な時間が経っているようで、何度も食事をしたし、おしっこも何度もした。
イータも母さんも何度も交代していたようだ。
疲れが酷くなると中指を立てる。
イータが俺の手をとって、服をはだけた胸に誘導してくれる。
父さんに教えて貰った精神安定法。
手を触れているだけで心が穏やかになる。
チチは偉大なり。
俺の体に力が湧く。
頑張って魔力を流し続ける。
父さんの魔力が止まった。
俺の方はまだまだ。
中指を立ててもう一度イータに力を貰う。
頑張れ俺。
黒竜化石に吸われている魔力量が減って来た。
もう一息、もう一息。
出来た。
「目が覚めた?」
「うん。」
まだ頭がぼんやりしているけど、目は覚めた。
「何日?」
「魔力成形が9日、それから丸3日寝てたわ。はい、お水。」
「ありがとう。」
親しき仲だからこそお礼は大事。
奥様は怒らせると恐ろしいが、怒らせなければ怖いだけ。
何の問題も無い。
父さんの教えはいつも間違いない。
差し出された水を飲んだ。
「今スープを温めているから少し待ってね。」
「うん。父さんは?」
「父さんは7日で魔力成形を終えて2日間眠ったから3日前から母さん達と楽しんでる。」
極端に疲れると部分的に元気になるとは聞いていたが、流石は父さん。
同衾の儀で行った連続46回は伊達では無い。
これがSSランクとAランクの差なのだろう、知らんけど。
温かいスープを飲むと、少し落ち着いた。
「食事を運ばせる? それとも食堂に降りる?」
「母さん達にもお礼が言いたいから食堂に行く。」
イータに着替えを手伝って貰い、食堂に降りた。
イータと一緒に食事を摂ると、リビングに向かった。
「お疲れ様。」
「ハリー、よく頑張ったね。」
リビングにはリーナ母さんに膝枕された父さんや母さん達がいた。
「なかなか良い出来の剣に仕上がっているぞ。 4日後に付与を付けるから、心づもりをしておけ。」
父さんの顔色から、俺の剣も上手く作れた事が感じられた。
3日間は俺と一緒に楽しめると知ったイータの顔がほころんでいる。
「はい。」
付与魔法の幾つかは経験があるし、上の姉さん達の大型武器を作った時に見せて貰ったので問題は無い筈だが、絶対に失敗出来ないので父さんが付与するのを見ながら真似をした。
午前と午後に1つずつ。
武器強化、自動洗浄、重力軽減、魔法防御、衝撃吸収、魔力吸収、自動修復、雷撃。
4日間かけて8つの付与が完了した。




