12 屁の突っ張りにもならない
「じゃあそろそろ行くよ。」
「はい、お弁当と今脱いだばかりのショーツ。」
脱ぎたてのショーツは残存魔力が多いので転移し易い。
お弁当とまだぬくもりが残っているイータのショーツを収納に入れる。
「ありがとう。行って来るね。」
イータにチュっと口づけする。
イータに教えて貰ったエルフ国の挨拶。
執事達が生温かい目で見ているが気にしない。
「行ってらっしゃい。」
笑顔のイータに見送られて今日の仕事場に転移した。
帝国との国境になっている山の上を飛ぶ。
王都から1000㎞程ある場所だが、初日に王都から飛行魔法を使った時でも俺の飛行速度なら1時間ちょっとで行けた。
王都屋敷を起点にすれば帝国国境の何処で何が起こっても直ぐに偵察に行ける事が判った。
今日はミュール川の源流を越えてミトン侯爵領に近い所の偵察。
帝国は大陸最北端の国なので、国境付近はまだ夏だというのに少し肌寒い。
高い山の山頂は雪というより氷に覆われている。
山と山の間には所々に細い峠道が見える。
夏の終わりなので、さすがにこの時期には雪も無い。
国境に沿って西に飛びながら地図を作って行く。
“地図“の練度もだいぶ上がった。
俯瞰を飛ばさなくとも空中でホバリングしながら地図を作れるのでめっちゃ楽。
一々地上に降り、整地した地面に紙を広げて転写していたのは何だったのかと思う。
とはいえ、1枚の地図に描ける範囲は限られているので、広大な国境地帯の地図を作るのには時間が掛かる。
魔王に頼まれたのは黒の森の西端からミトンの先200㎞迄の東西約1200㎞、国境を中心に南北300㎞ずつ600㎞の地図。
面積で言えば72万㎢。
ちょっとした小国以上の面積だ。
イータの染み付きショーツのお陰で毎日夕方にはイータの所に帰り、一緒にお泊りして翌朝中断現場へ戻るという生活リズムが出来た。
毎晩帰るだけでなく、忙しい今でも週末の2日は必ず仕事を休んで、朝から晩までイータと一緒に過ごしている。
俺遣いの荒い魔王も、週休2日は認めてくれている。
王都屋敷の使用人達も週休2日だったので、キラ1族の領地では家臣達も使用人達も皆週休2日。
他の貴族家や商家・工房では、使用人達の休暇は、年に3日あれば良い方らしい。
週休2日導入してくれた父さんに感謝だ。
過ちは繰り返さない、大切なのはイータであって仕事では無い。
俺は失敗から学べる17歳だ。
いつものように地図作りをして、イータの染み付きショーツを大木に隠して家に転移した。
家に戻ったとたんに異変を察知した。
邸内には人が溢れ、慌ただしく走り回っている者もいる。
貴族家の使用人が走る事など余程の緊急事態以外は有り得ない。
転移部屋から飛び出すと、近くにいた使用人を捕まえた。
「何が起きた!」
「陛下御夫妻や長老達が次々と参っております。キラ様はすぐに応接室に向かって下さい。」
「判った。」
陛下や長老が来たという事は、何か不測の事態が起こったのだろう。
廊下を走り、応接室に飛び込んだ。
「えっ?」
応接室ではイータを囲んで国王陛下御夫妻や長老達が笑顔でお茶を楽しんでいる。
「・・・どゆこと?」
「昼頃、精霊神殿の神官に“イータが子を身籠った”という精霊様のお告げがあった。」
陛下が笑顔で説明してくれた。
「直ぐに産婆を手配して診察して貰ったら、子を授かっているのは間違いないって言われたわ。」
王妃殿下も笑顔。
2人にとっては初孫。
笑顔が弾けてる。
「エルフは子供が出来にくい。結婚してわずか1年で身籠ったのは精霊様の祝福を頂いたお陰で有ろう。いや、めでたいのう。」
集まっている長老達も、皆が笑顔で頷いている。
広い応接間だが、エルフの偉いさん達でぎゅうぎゅうになっている。
イータの前には祝福の言葉を掛けるエルフが列をなし、挨拶を終えたエルフが使用人に案内されて別室へと移動していく。
使用人達がバタバタと走りまわっていた理由が判った。
俺?
暫く呆然としていたけど、慌てて言祝ぎの列の最後尾に並んだよ。
順番を守らないのはダメ、絶対。
ルナ姉に通信を入れた。
“イータが妊娠した。暫く偵察を休む”
すぐに返信が来た。
“ハリーが家に居ても屁の突っ張りにもならないから、偵察の仕事をしなさい”
サイデスカ。
魔王は魔王だった。
ところで、”屁の突っ張り“って何だ?
父さんに聞いてみた。
「まあ、“何の役にも立たない”って言う意味だな。俺も奥様達が妊娠した時にはやたらと仕事を頼まれたり、エドと遠乗りに行かされたりで屋敷に入れて貰えなかった。・・まあ、・・そう言う事だ。」
父さんが遠い目で教えてくれた。
流石に父さんは物知りだ。
秋も深まって来たが、今日も朝から地図作りに励んでいる。
妊娠しても毎朝の挨拶は今まで通りなので、今日もイータに笑顔で見送って貰えた。
収納にはいつも通りにお弁当と脱ぎたてのショーツが入っている。
今朝の挨拶を思い出してニヤニヤしていたら、帝国軍の鎧を着けた兵士50人程が峠道をミュール王国方面に向かって進んでいるのが目に入った。
他の峠道よりも標高が低いらしく、道幅も結構広く砂利が敷き詰められて整備状況も良い。
帝国との交易路になっている2本の脇街道のうちの1つだろう。
高高度から峠道の先を確認すると大きな砦が見えた。
位置や大きさから帝国との国境を守るミトン侯爵領の国境砦。
近づいて見ると、砦の中庭で帝国兵30人程がミュール王国の鎧を着けた兵士と戦っている?
あれ?
戦っている者達の周りで大勢の兵士が騒いでいる。
帝国の鎧を着けた者とミュール王国の鎧を着けた者が、一緒になって戦っている者達を囃し立てている?
何故か笑顔の者が多い。
倒れている者もいるが血は流れていない。
遠視の感度を上げて細かく見ると、どうやら一緒に訓練をしているらしい。
これって拙くね?
砦の先には小さな村や町。
その遥か先に大きな街が見える。
遠聴で門番の声を拾うとミトンの街。
ふと思い出したのは母さんから聞いた父さんとのなれそめ。
母さん達と父さんが出会った学院行事の山火事事件で、国外追放となった王子の後ろ盾がミトン侯爵だった。
元々は東部の譜代貴族だが、王国拡大期に西部侵攻の拠点としてミュール川西岸に領地替えとなった大貴族。
対帝国砦の領主ではあるが、帝国交易の窓口でもあるので帝国との関係も深い。
その関係で国外追放になった王子は帝国に行ったと母さんが話していた。
帝国と仲が良いなら軍事訓練する事もあるのだろう。
ミトンの街を偵察してみるが、賑わってはいるものの戦いの準備をしている様子は無い。
まあいいか。
父さんも、“仲良きことは美しき哉”と言っていた。




