わたしの幼馴染は世界一かっこいい
わたしの幼馴染 道井知花は世界一かっこいい。
どこがかっこいいのかを挙げ出したらきりがない。
まず容姿。ほどよく伸ばしたストレートの黒髪をポニーテールに結っている知花は活発そうな雰囲気を醸し出していて、それでいてきりっとした顔立ちをしているので普段澄ましているとすごく知的な感じに見える。切れ長の瞳もクールで、でも笑うときらきらしてて眩しい。
背はそんなに高くないけどすらっとした体つきで、でもちゃんと筋肉はついていてスポーツ少女っていう感じがする。足が長く見えるのもかっこよさを引き立てている。知花より少し背の低いくらいの自分と見比べても、知花のほうが数倍くらい綺麗に思える。
次に性格。さばさばしてて明るくて、誰とでも分け隔てなく話ができるのが知花だ。引っ込み思案なわたしとは違って、人と関わるのが得意で、周りの人を笑わせたり元気にさせたり、でも特定の誰かを贔屓することはなくて、周りのことを深く考えて行動ができる。それがかっこいい。憧れといってもいいのかも。
普段の立ち振る舞いだってかっこいい。
歩く時は背筋がぴんと伸びていて凛々しいし、目上の人と話す時だって動じずに冷静に振舞っているところもすごい。場に知花がそこにいるだけで空気が引き締まるような気がする、というのは流石に言い過ぎだろうか。
あとは勉学とスポーツについてもそう。成績優秀で運動神経もよくて、文武両道をまさしく地で行くのが知花だ。
勉強はできるけど運動はからっきしな自分とは違って、ちゃんと両立しながら結果を残せるところがかっこいい。すごいと言い換えてもいい。
知花は地頭がよくて、未知の物事にも自分の力で考えて立ち向かっていける。それは一緒に勉強をしている時からずっと思っていて、自分には真似できないことをやってのける姿がかっこよかった。
そして、スポーツといえば今。
体育館の端っこに座って順番を待っているわたしの視界の先で、コートの中を縦横無尽に駆け回っていた知花が相手からボールを奪い、巧みなドリブルで前線へ駆け上がっていく最中だった。
お昼休み直前の4時間目、体育館には2クラス分の歓声と喋り声が入り混じって天井に反響し、音の渦になってこちらへと降り注いでくる。
バスケットボールという生徒にも人気のある競技を扱っているここ最近の体育の授業は特に熱気に満ちていて、プレーしている人も待機中で観戦している人からも結構声が上がる。
そんな活気に溢れた空間の隅っこで、わたしは静かに体育座りをして知花の様子を眺めていた。
今日も知花はかっこいいなと思っていたら、見事に相手を交わし続けてゴール下まで辿り着いて、片手でレイアップを決めようとしていた。
右手からふわりと放たれたボールがまるで引力で引っ張られているかのようにゴールへと吸い込まれて行って、着地した知花の前にすとんと落ちてくる。綺麗なシュートだった。
それを見届けた知花は嬉しそうに笑って、チームメイトとハイタッチなんかしている。
バスケ部なのに体育の授業でもハンデがないというのは少しずるいとも思わなくはないが、こうやってかっこよく活躍する姿を見ているとそんな考えも消えてなくなる。
そんなタイミングでふと背後に誰かが近寄ってくる気配を感じると、勢いよく隣に滑り込むように座ってきた友達― 卯野灯里が声をかけてくる。
「道井さん、今日もカッコいいね」
「うん、そうだね」
「雪乃の幼馴染なんでしょ? もっと喜びなよ」
「まあ……見慣れてるからそんな大げさに反応するほどではないし」
こうして友達に知花のことを褒められるとなんだかうれしくて、つい照れ隠しでそっけない反応をしてしまう。
本当は知花が活躍してるとすごくうれしいんだけど。
それには気付かないようで「そんなもんなのかー」と唸った灯里はぐっと大きく背伸びして肩の力を抜いている。
どうやら自分の出ていた試合が終わったタイミングだったらしい。
「道井さんってスポーツ全般上手いよね、隣のクラスだから合同授業の時しか見れないけどさ。運動神経の良さって本当にあるんだなあって」
「知花は昔から運動するの好きだったから。バスケは特別だけど」
「はえー、やっぱ幼馴染だと色々知ってるんだねえ」
知花との付き合いは小学校に入学する少し前。
知花の住んでいるマンションの2つ隣の部屋にうちの家族が引っ越してきたところから始まった。
同い年、家はすぐ隣。そんなわたしたちが行動を共にするようになり、仲良くなっていくのにそう時間は掛からなかった。
知花は小さい頃から運動が好きで、休み時間になったらすぐ校庭に出ていって、鬼ごっこをしたりドッジボールではしゃいだりしていた。休み時間は大概自分の席で本を読んでいるか勉強をしているかの自分と違って、そうやって外で元気に動き回っているところも、わたしが知花のことをかっこいいと思う要因かもしれない。
そんなことを考えていたり、灯里と喋ったりしていたら、今度は視界の先で知花がスリーポイントを決めたところだった。美しく放物線を描いたボールが一切の澱みなくゴールネットを揺らすのは職人技のよう。
そのゴールに沸き立った生徒たちが知花に向かって歓声を上げる。
直後に試合終了のホイッスルが鳴れば、チームメイトの活発そうな子たちが一斉に集まって知花を取り囲んでいた。その輪の中心で爽やかに笑っている知花はとても楽しそうで。
「道井さんほんとにすごいね。あれは見入っちゃう」
「バスケは小学校に入る前からやってるんだよ。だから年月の為せる技って感じ」
「いやいやそれにしても十分上手いでしょ。うわー、これは惚れそうだな」
「惚れるの?」
「惚れるって。あたしがじゃなくて周りの子がだけど。ここ女子校だし、カッコいい子はモテるよ」
「そう、なんだ」
そうなのか。知花は他の子に惚れられたりするような立場なのか。確かに体育の授業のヒーローだったらそうなるのかも。
ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染がそんな風に言われるとむずがゆいようで、だけどそれと同時になんだかもやもやした気持ちが湧き上がってくる。なんなのかよくわからない。
もしかしたらわたしがこれまで色恋沙汰とは縁のない人生を送ってきたからかもしれない。
今年の誕生日が来たら丸14年。誰かに恋愛感情を抱いたこともないし、誰かから好意を向けられたこともない。
わたしの隣には知花がいて、それだけで他に特段求めるものもなかった。そんな風に恋愛に疎いから、こうやって変な気持ちになったりするのかも。そう思っておく。
それにしてもなんだろう、この感覚。
むずむずして不思議なほど気分が重くて、それを振り払いたくてわざと勢いをつけて立ち上がる。
「ん? 雪乃、どうしたの」
「もうすぐ出る試合だから、準備運動でもしようかなって」
「お、やる気だね。道井さんに触発されたか」
適当に口から出まかせで放った言葉を実行すべく、屈伸したり腕を伸ばしたりしてみる。だけどもやもやした気分はなかなか晴れてくれない。
チーム戦で人に迷惑をかけてしまうような試合はあんまり出たくなくて憂鬱には違いないのだけど、その憂鬱を上回るくらいの強さでもやもやが脳内に立ち込めて消えてくれない。
結局、わたしの頭の中からそれが消え去ったのは、試合が始まって無理やり集中し始めた後のことだった。
―――
その日の夕方。
昼間に感じていた不思議なもやもやもすっかり忘れてしまったわたしは宿題をこなすべく机に向かっていて、でもその集中を削いでくる声が後ろから聞こえる。
「雪乃ー、おやつ食べようよ」
「夕飯前に食べたらお腹空かなくなるよ」
「私の胃腸は消化速いから大丈夫だって」
わたしのベッドにぽふんと腰掛けて足をぶらつかせた知花は、半分不満そうな顔でこっちを見てくる。
学校帰りの制服姿のまま、いつも通り我が家に上がり込んでわたしの部屋に居座って、あろうことか家主にお菓子までねだるなんて。
だいぶわがままな気がするけど、それすら心地良いと思ってしまうのが知花との関係だった。
さっきまで読んでいた小説は鞄の中にしまったらしい。
読み終わったのか、キリのいいところまで進んだから切り上げたのか。
「もう6時なんだけど……はあ、じゃあクッキー持ってくる」
「やった! もしかしてそれ雪乃が作ったの?」
「そうだよ。この前の土日で作ってみた」
知花は中学校に上がってからというもの、食欲が一気に増したようでこうして夕飯前におやつを食べたいとねだってくることが多くなった。この後自分の家に帰ったら食事が待っているというのに。
普段からこんな風にしているくせに、本人曰く夕飯の時は白米をおかわりするらしい。部活でエネルギーをたくさん消費しているから嘘でもないんだろうけど。
キッチンに置いておいたお手製のクッキーを小さな皿に盛り付けて部屋に持って帰れば、らんらんと目を輝かせた知花がすぐに食いついてくる。その姿はご褒美を用意された時の犬みたいでなんだか微笑ましい。
「雪乃が作ったお菓子っ! いただきます!」
「あーもう、クッキーは逃げないからゆっくり食べて」
小さめサイズのクッキー数枚を勢いよく口へ放り込んだ知花に呆れる。
満面の笑みでもぐもぐと咀嚼している姿は、普段学校で見ている時の人当たりの良い爽やかな感じのお姉さんではなくて、甘いものに夢中になっている年頃の女の子という感じがする。
それは多分外ではあんまり見せていない― というか、年齢を重ねるにつれて外では見せないようになった知花の顔だと思う。いつもはかっこいいけど、こういう時はかわいいのが知花だ。
それにしてもうれしそうに食べてくれるから作ったわたしもうれしい。
自分の作ったもので喜んでくれる人がいるのは素敵なことで、その相手が知花だと思うと他の人よりもなんだか心が満ち足りて、胸のあたりがぽかぽかと温かくなる。そう思うのは長い間一緒に過ごしてきたからなのか、理屈はよくわからないけれど。
カーペットに降りてぺたんと座り込んだ知花の前に腰を下ろして、わたしもクッキーを一枚手に取る。
口に放り込めば少しざらついた食感が舌の上で踊った。
「んー……少し固すぎたかも。今度はちょっと分量変えてみようかな」
「言われてみればそうかも。でも美味しいから全然気にしてなかった」
そう言うからもう一度お皿の中を覗き込んでみれば、結構載せたはずのクッキーは三分の一くらいまで数を減らしていた。
「えっ、知花もうそんなに食べたの? 早すぎるよ。それにお腹いっぱいになっちゃうし」
「雪乃が作ってくれたものは別腹だよ、大丈夫」
「ほんとかな……」
知花はいつもわたしが作った料理やお菓子を褒めてくれる。
きっとお世辞も入っているのだろうけど、それでもわたしを明るい気持ちにしてくれるのは確かで、こんなに喜んでくれるならまた作りたいなと思う。
こうやって人の気持ちを慮って、それを行動にできるところも知花がかっこいいと思う理由のひとつだ。
そんな知花は口をもぐもぐと動かしたまま、「んっ、そうだ」と突然言い出せば鞄の中をごそごそと漁り出す。
少しだけ見えた鞄の中はきちっと整理されて教科書やノートが並んでいて、こういうところでもきっちりとした知花の性格が見え隠れする。なんていうんだろう、優等生らしいというか。
そうして取り出したクリアファイルからA4の紙を一枚引き抜けば、おもむろにこちらへ手渡してくる。
「これは……?」
「来週の土曜日に市の大会があるから、もし興味あったら見においでよ。うちの部結構強いからさ」
手渡された用紙は部員の家族に向けた観戦案内で、場所を確認してみれば最寄駅から電車で十数分あれば着けるような距離にある私営の大きな体育館だった。
そういえば知花からこういう風に誘われることは今までなかった気がする。
バスケをしている知花を見るのも体育の授業くらいで、部活でやっている時の様子は見たことがなかった。
せっかく近い場所でやるんだし、見に行ってみようかと思う。
知花が活躍しているところに遭遇できたら楽しいだろうし。
「じゃあ見に行くよ。せっかくの機会だし」
「やった。じゃあ来てくれるの楽しみにしてる!」
わたしの返答を聞いた知花はやたらと喜んでいて、わたしが来るのがそんなにもウキウキすることなのかと不思議になる。
案外知花もかっこいいところを褒めてもらいたいのかな、なんて思ったり。
ちょっと微笑ましくなって知花の方を見ていると、やっぱりにこにこと笑いながら口を開くところで。
「今回は会場が近いから雪乃も来やすいかなって思ったんだよね。遠出するの苦手でしょ?」
「えっ……そ、そうだけど」
その言葉に驚いた。わたしのことをそこまで考えてくれていたのかと。
確かにわたしは遠出するのは苦手で、長距離移動や知らない街で気疲れしてしまうタイプだ。
当然知花もそのことは知っているはずだけど、そんな些細な情報が頭の片隅に追いやられることもなく残っているということにびっくりした。
そして、そんな風に気遣ってくれる知花がかっこいいと思った。
その思いやりに胸の中の温かさが大きく広がって、なんだか頬が熱くなるほどうれしい。
「知花、ありがとね」
「どういたしまして。私は雪乃のことならお見通しだからね」
知花は澄ました顔でさも当たり前かのようにそう返してくる。
それがやっぱりかっこよくて。
残ったクッキーをすごい勢いで食べ切ってしまうのも今日は許そうと思った。
―――
5月終わりの土曜日は暖かい陽気で外出するにはちょうどいい気候だった。
最寄駅から電車に乗って、6つ先の駅で降りてからは徒歩で10分くらい。
そんな立地にあるのが今回の大会の会場になっている体育館だった。
古くなっていた公共の体育館を私営でリノベーションした施設は数年前に再オープンになったばかりで、一昔前にありがちなちょっと汚い感じとは一線を画した綺麗な建物だった。
建物の中はアリーナ型になっていて、中央に広い競技スペース、その周りを取り囲むスタンドに客席が配置されている。
入口で自分の学校の出番とコートを確認したので、できるだけ見やすいような位置を探す。
スタンドは他の学校を応援しに来た生徒や親御さんもいるし、なんなら出番を終えた選手たちが休憩に来たりしていて、思ったよりも席は埋まっていた。
一人で来ているわたしはちょっと肩身が狭いなと思いつつ、試合のあるコートを少し斜めに見るような位置にちょうどいい空席を見つけて腰を下ろす。一番前の列も空いていたけど、そこまで熱を上げて見るというわけではないし……と思って前から数列空けたあたりに陣取った。
しばらくは持参した小説をぺらぺらと捲って過ごしていたけど、近くから笛の音が鳴ってはっと顔を上げてみれば、うちの学校の試合が始まるところだった。
きょろきょろと視線を泳がせていれば、ちょうどわたしに背を向けるような立ち位置に知花を見つける。顔は見えないけど後ろ姿だけでも十分だ。
試合が始まれば、視界からあっという間に外れてしまうほど知花はよく動く。
チームにおける知花のポジションはスモールフォワードと呼ばれる攻守一体のオールラウンド型で(これは本人から教わった)、そういう立場にいることもあってかとにかく細かく速く動き回る。
知花はそんなに背が高いほうじゃないから体格差で他の選手に負けがちだけど、だからこそ小回りが利くという点を強みにしているというのは素人目でもなんとなくわかる。
バスケの試合はあっという間にボールが次の人へと渡っていくから、ついつい目がそれを追ってしまう人が多いと思うけど、わたしはそうでもなくて知花を必ず視界の真ん中に入れている。
そうすると知花がどんなことを考えて動いているのかにちょっと近付けるような気がして面白い。知花の思考に近付くことにどうしてそこまでの魅力を感じるのかはよくわからないが、面白いのだから仕方ない。
試合はうちの学校が優勢で進んでいって、知花は守りも硬いし遠距離のシュートも複数回入れるし、活躍していると言っても文句はないだろう。俊敏な動きで相手からボールを奪い去って前線へ駆け上がっていく様子は見ていて興奮するし、スリーポイントを決めた時なんかは思わずうれしくて手をぎゅっと握り拳みたいにしてしまった。
それにしても試合の間ずっと走り続けたり動き回ったりできるのはすごいなと思う。
わたしだったら体力が切れてすぐにへたってしまいそう。
結局1試合32分間をフルで出た知花だったけど、終わった後も余裕そうにチームメイトと喋っていた。
その後も試合はテンポよく続いていって、知花が出ない試合の時もなんだかんだうちの学校の試合を見ていたり、それがない時は休憩がてら外に出てお昼ご飯を食べたり、おやつを買いに行ってみたりして、こうやってスポーツ観戦で過ごす一日も悪くないものだなと感じる。
知花が言っていた通りうちのバスケ部は結構強くて、決勝まで残ったからわたしもそれを見届けるべく長時間観客席に残ることになった。
途中で敗れた学校の中には引き上げていくところもあったけど、会場に残って決勝戦を見学するというところもあった。
なのでわたしの周りは案外人が多くて騒がしくなったのだけど、今は知花を見守ることに集中。
そうして始まった試合は一進一退の攻防が続いた。
どちらかが点を取ればもう一方が取り返す。大きな得点差が付かない緊迫した展開。コート上もベンチも客席も張り詰めた空気が流れている。決勝に相応しい激戦だ。
そんな中で知花はといえば、やはりオールラウンダーとしてコート中を駆け回っていた。
1on1からボールを奪い去る瞬発力に秀でた動きも、素早いドリブルで積極的に前線を狙っていく姿勢も、巧みな手捌きでゴールをもぎ取るシュート技術も、全てがこのコートの中で光って見える。
試合が折り返しを迎えて、それでも均衡は崩れなくて、最後のクォーターに入っても平行線のまま。
今日これまでにも何試合も出ていたせいか知花は少し疲れているみたいで、時々大きく息を吸って吐いてを繰り返す。
それでも集中を切らさない姿を見ているとわたしも気が抜けなくて、両手にじわりと汗が滲むほどに固唾を呑んで試合の行方を見守る。
獲物を逃さないというかのように鋭く尖った眼光が、知花の切れ長の瞳と合わさって、遠目に見てもその表情からは相手を圧迫せんといわんばかりのオーラが漂ってくる。試合の終わりが近付くほどその圧は増していっているような気がして、1点を奪い取り、1点を奪わせまいとする動きの秀敏さにも拍車が掛かる。
それにひたすら集中していたから、試合終了の笛の音がやたらと鋭く心臓に刺さるように響いてきて―
結局、試合は2点差で相手の勝利に終わった。
笛の音が鳴り終わる頃にはうちの学校の選手たちは脱力すると同時に悔しそうな表情をしていて、知花も例に漏れず歯噛みして悔しさを表していた。残念だし、あんなに頑張ったのに負けてしまったことがやるせない気持ちにもなる。
だけど、いい試合を見れたと思う。知花もかっこよかったし。
わたしはなんだかんだ満足していた。
だから、悔しがってる知花を労って励ましに行こうと思って、観客席から出てアリーナの方へ向かう。
階段を下りた先には色々な学校の拠点がビニールシートの上に作られていて、その一角にうちの学校の場所も見えたからそこに近付いていって。
だけど、知花の姿を見つけた時、わたしは不意にその場で動けなくなってしまった。
知花は女の子たちに取り囲まれていた。
服装を見るに他の学校の選手だろうか。人数は3~4人くらい。
彼女たちはテンションが上がっているのかキャッキャとはしゃぎながら知花に話し掛けている。
ここからでは会話は聞こえないけど、「かっこよかったです」とか「憧れてます」とか言ってるのが想像できた。
だってそれを聞いている知花がうれしそうにニヤニヤしていて、頬はすっかり緩んでるし、後ろ手で照れ臭そうに頭をかいているのを見たら、喜ぶようなことを言われていることくらい容易に推測できる。
彼女達はひとしきり話し終えて満足したのかと思えば、両手を前に差し出して知花に握手をねだる。
知花もまんざらでもないのか快諾したみたいで全員と順番に握手していく。それが済んだところで彼女たちはお礼を言ってから帰っていった。
― なんだか、むかむかする。
うれしそうに振舞っていた知花にむかむかする。
簡単に握手なんかしちゃう知花にむかむかする。
それをチームメイトに揶揄われている知花にむかむかする。
わたしの知らないところで勝手にヒーローになって、勝手にちやほやされて。
普段はわたしにたくさん甘えてきて、わたしの部屋に入り浸ってるくせに。
小さい頃からずっと一緒に過ごしてきたわたしを差し置いて何をしているんだろう。
自分でも制御できないほど心の中が荒れ狂って、どんな顔で知花に会えばいいのかわからなくて、結局その場から踵を返して出口に向かう。なんなんだろう、この気持ちは。
会場を出た後も、電車に乗っている間も、家に帰った後も、むかむかする気持ちが消えてくれなくてずっと心の中に居座っている。
知花になんて文句を言いたいのかもわからないまま、ただもやもやした心持ちのまま土曜日の夜が過ぎて、日曜日も料理に手が付かず、最低限の勉強しかできないくらいには集中力を削がれた。
月曜日の朝は知花と顔を合わせるのが憂鬱で、起きた時から身体が重くて学校に行くのがおっくうなくらい。
だけど運がいいのか悪いのか、知花は朝練で先に登校していたから顔を合わせずに済み、学校に着いても別のクラスだから遭遇することもなくて。
それでちょっとだけ平穏が訪れていたはずなのに、そんなささやかな安堵は昼休みの出来事で全部打ち消されてしまった。
日曜日に料理すらできなかったわたしはお弁当を準備することもできず、今日のお昼ご飯は外で買って済ませようとコンビニまで買いに行っていた。
学校の正門を出てから数分のところにあるお店でおにぎりとサラダを買って、ビニール袋片手に学校へ戻る。そこでふと見かけたのが校舎の裏の方へ向かっていく知花の姿だった。
お昼休み、弁当を食べるには向かない場所へひとりで歩いていく知花が不思議で、なんとなくこっそりと後を付ける。
知花はわたしの気配には気付かないようで、忍び足で移動していればすんなりと尾行することができた。
そうして校舎の角を曲がろうとしたところで、わたしは慌てて立ち止まり、角に隠れてあちらを窺う。
視線の先にいたのは知花と、背の低い生徒がひとり。
見た感じだけなら1年生だろうか。
そわそわと目を泳がせながら知花と向き合った彼女は、いくぶんかの間を置いた後に顔を赤くしながら口を開き―
「道井先輩……ずっと前から好きでした! 私と付き合ってくださいっ!」
頭をがつんと殴られた気がした。
脳みそごと揺さぶられたような気がして、目の前の視界がくらくらと揺らぐ。
自分が今ちゃんと立てているのかもわからなくて、咄嗟に校舎の壁に手を付いた。
いま心の中がどうなっていて、自分が何を思っているのかも定かではない。ただこれ以上この場にいたらおかしくなってしまいそうで、よろめきながらも校舎裏を離れて玄関の方へ戻る。
そこからどうやって教室まで戻ったのかは全く覚えていなくて、気付いたら自分の席に座って呆然としていた。
知花が、誰かに告白されている。
その事実を頭の中で反芻する度に形容のできない感情の塊がぶわっと吹き出してきて、冷静に現実を捉えようとする思考をすっかりダメにしてしまう。立ちくらみでも起こしているんじゃないかと思うくらい頭がふらふらする。座っているから立ちくらみなんてしているわけもないのに。
怒っているのか、悲しんでいるのか、慌てているのか、動揺しているのか。全部当てはまりそうな気がするし、全部違うような気もする。ただ知花のことを考えると頭がいっぱいになって、ぐちゃぐちゃした感情に支配される。
何度も深呼吸をして、胸の中で歪に鳴る鼓動をゆっくりと抑えて。
わたしの意識がようやくまともに戻ったのは、ご飯に手を付けずに黙りこくっているわたしを心配したクラスの友達に声を掛けられてからだった。
そこでようやくお腹が空いていることに気付いて、買ってきたおにぎりを無心に頬張る。
咀嚼しながら考えるのはやっぱり知花のことで、時間が経つにつれてだんだん知花へのむかむかとした気持ちが強くなっていく。バスケの大会で感じたあの時の気持ち。
わたしの知らないところで勝手に人から好かれて、たくさん好意を向けられて、それを当たり前のように受け止めている知花がむかつく。わたしにはなんにも言わないくせに。わたしにべったりのくせに。
ああ、本当にむかつく。
今目の前に本人がいたら舌打ちでもしてしまいそう。
そうしてる間におにぎりは全部なくなって、間髪入れずに開けたサラダも勢いですぐに食べ切ってしまう。
こういうのをやけ食いって言うのだろうか。口の中でむしゃむしゃと噛んでいるキャベツの音がうるさいのもなんだかむかつく。起きていること全部がわたしの神経に障る。
これから午後の授業をどんな気持ちで受ければいいのかわからない。
ただ頭の中にあるのは知花へのむしゃくしゃする気持ちだけだった。
―――
「雪乃ー、おーい雪乃ー」
ああ、本当にむしゃくしゃする。
むしゃくしゃという擬音をこんなに何度も使うなんて人生で初めてかもしれない。
今日一日で使用回数は既に3桁に到達している。数えてはいないが大体それくらいむしゃくしゃしている。むしゃくしゃしすぎて頭の中でゲシュタルト崩壊しそうだ。
「んー、雪乃さん? 反応してほしいんですがー」
「…………なに?」
夕方6時半、夕方と夜の境目に位置するような微妙な時間帯になって知花はわたしの部屋に上がり込んできた。
このどうしようもない気持ちを忘れるべく宿題と明日の予習に打ち込んでいたところに気安く喋り掛けてくるものだから、頭の片隅に追いやっていたはずの怒りがまたぶり返してきて余計むかつく。
部活を終えて意気揚々と帰ってきたであろう知花は上機嫌で、いつにも増してにこにこしているのがもっと気に食わない。
部活でそんなに良いことでもあったのか、単に今日は調子がいいのか。昼間あんなことがあったくせに呑気なものだ。
「あ、やっと反応した。今日の雪乃は無口だったからなー……って、あれ。なんでそんな険しい顔してるの」
「……今課題に集中してたところだったから」
「あっ、ごめん。じゃあ私は後ろで静かにしてるよ」
変に素直なのが更にむかつく。
そこでもうちょっと食い下がってくればいいのに。自分は気を遣えますよ、みたいな振る舞いにイラっとする。
ああ、とにかく同じ空間にいるのが癪に障る。
「別にわたしの部屋にいてもいいことないでしょ。早く帰りなよ」
「……どうしたの雪乃、今日は冷たいっていうか……」
「気のせいだって。ほら、家に帰ったら夕飯待ってるよ」
そう告げると知花は一瞬目を見開いて、でもすぐに傷ついたように寂しそうな顔をした。
そこに少しだけ罪悪感を覚えて胸の奥が痛む。けれど悪いのは知花なのだ、わたしが知ったことじゃない。
「じゃあ、今日は帰るよ。……また明日ね」
切って貼り付けたような薄い笑みを浮かべてその言葉を紡ぎ、知花は部屋を出て行った。
ぱたんと音がしてドアが閉じて、一人きりに戻った部屋の中に沈黙が流れる。
思わずため息をつくと身体の力が抜けて椅子にもたれかかる。気を張っていたから疲れた。
このやり場のない気持ちをどこに投げればいいのかわからなくて本当に困る。
このまま知花をずっと突き放しておくわけにもいかないし、距離を取ろうと思っても簡単にはできない。
せめてこの正体不明の怒りとそれに付きまとう色々な感情が綺麗になくなってくれればいいのだけど。
でも、それが容易にできるのならこんなことにはなってなくて、できないまま夕飯も食べて、お風呂も入って歯磨きもして、ベッドに入って眠って、朝が来て起きて。
結局日付が変わってもこの気持ちは消えなくて、朝の支度をしている間の薄い眠気の膜の向こう側で黒い感情が渦を巻いている。それだけで憂鬱なのに、もっと憂鬱なのは今から知花と一緒に登校することだった。
出来るだけ複数人で登下校した方がいいという論理には十分納得しているけど、今日ばかりは抵抗感がある。
どんな顔をして十数分の時間を過ごせばいいのかわからない。
本当にわからないことばかりで困る。
でも家を出る時間になるから玄関を開けてマンションの廊下へ出れば、二つ隣の部屋の前で知花がこっちを向いて待っていた。できるだけ目を合わせないように視線を逸らしてその横を通り過ぎれば、知花は慌てて振り返って後ろについてくる。
「ねえ、雪乃。なんで昨日からずっと冷たいの?」
「知花には関係ないよ」
マンションの敷地を出てからも顔を見ないように先を歩く。
知花はわたしの一歩後ろをずっと付いてきて、何度もこちらに声をかけてくる。
「雪乃ってば! 話聞いてよ!」
「…………」
「ごめん、私が何か悪いことしたなら謝るから!」
「……別に、知花は何もしてないよ」
「じゃあなんでっ……!」
そう、知花は何もしてないのだ。
勝手に人から好かれて、勝手に黙ってるだけ。
そうやって繰り返しわたしに呼び掛けるのを無視し続けているうちに、知花も諦めたようで途中から完全に黙りこくった。
ずいぶん粘っていたけど引き際はわきまえているようだった。それはそれでむかつく。
背後で静かになった知花を引き連れるようにして歩く道は澱んだ灰色みたいな視界に変わっていって、普段一緒に登校してる時はどんな風だったか思い出せなくなる。いつも何喋ってたっけ。
学校に着くまでの時間はいつもよりも長く感じて、そう感じる度に背筋を嫌な汗が伝う。居心地が悪い。早く知花から離れたい。
結局、学校の玄関についた辺りで知花はわたしのそばから離れた。
―――
そんな風に知花と距離を置く日々が2週間くらい続いた。
そもそも2週間だっけ。本当はもっと短いかもしれないし、もっと長いかもしれない。
知花と言葉を交わさない日々は世界の彩度が落ちたみたいで、時間感覚すら危うくなっていた。
朝登校する時は知花もわたしも黙ってるし、放課後に知花がわたしの部屋に来ることもなくなった。
趣味のお菓子作りは続けているけどそこまでやる気は起きなくて成果も振るわないし、勉強により集中できるようになるかもと思っていたはずが実際はそこまで捗らなくて困っている。
夜寝付きが悪くなったのも知花への正体不明な感情に振り回されているかもしれない。ベッドに入ると毎晩といっていいほど知花とのことが脳内にフラッシュバックしてきて、それが映画のように流れるせいで眠りに落ちるまでに時間が掛かってしまう。
結局どうすればいいのかもわからないまま時間は流れて、学校においてわたしが落ち着いて過ごせる時間は友達と昼食を摂る時くらいになっていた。
人と話している時は気が散って知花のことも忘れられる。
だから今日もクラスで一番仲の良い友達、もとい灯里をお昼に誘って一緒に食べているわけなのだが―
「そういえばさ。最近道井さん来なくなったね。週に2回はお昼ご飯に誘いに来てたのに」
「……まあ、色々あって」
灯里がそんなことを言い出すのだから思い出してしまった。困る。
しかもなんか興味深そうにこっちを見てくるのはなんで。
「お、もしかして喧嘩でもした?」
「してないよ。……してないけど、お互い思うところはあってね」
「ふーん、ちょっと気になるなあ。話聞かせてよ」
突如友情アドバイザーと化した灯里が乗り気で聞いてくるので、ぼんやりと話をしてみることにした。
全部言うのは恥ずかしいから掻い摘んで、だけど。
「知花ってかっこいいタイプでしょ。だから最近色んな人にちやほやされてるみたいで」
「確かにね、告白されてたって噂も前聞いたし」
「そうやっていい思いしてるくせに、わたしには何も言ってこないんだよね。それがむかつく」
うん、単純に言うとこういうことだ。
これは知花がわたしを自然に怒らせているのだ。
だけど、それを聞いた灯里はきょとんとした目をして、それから数秒置いて大きくため息をついた。
呆れてる顔だけどどうしたんだろう。お手上げみたいなポーズしてるけど。
「あたしから何も言うことないわ……はあ……」
「えっ、なんで。何かアドバイスとかないの」
「ないって。強いて言うなら今の気持ちを正直に話しなよ、道井さんにさ」
それが癪に障るから困ってるんじゃないか、と抗議してみるけど灯里は動じない。
せめて少しでいいから打開策を教えてほしいと繰り返し頼み込めば、数倍増しになった呆れ顔でこう言ったのだった。
「なんでそんなにムカついているかを掘り下げて自己分析しなよ。理由がわかったら取るべき行動もはっきりするから」
どうしてこんなに怒っているのか。
それは知花がちやほやされているのにわたしに言わないから。
じゃあ、なんで言わないのがむかつくんだろう。
幼馴染だから? ずっと一緒に過ごしてきたわたしを無視してるから?
もっと考える。言わないことがむかつくのは事実で、でもその根源にあるものはなんなのだろう。
他の人に好意を向けられたり、告白されたり。
その間、知花がわたし以外の人と仲良く過ごしているのかと思うと―
…………
「……あっ」
「やっと気付いたかあ。というか気付くまで結構長かったんじゃない? 雪乃はそういうところ鈍感だなあ」
気付いてしまったそれをどうやって知花に伝えるか。
お弁当をよそに、わたしの頭は高速でぐるぐると回り出した。
―――
私の幼馴染 宮代雪乃は世界一可愛い。
まず容姿。綺麗な黒髪を一つ結びにしている雪乃はおしとやかで清楚で、色白の肌もすごく綺麗。
まつ毛は細くて、目はぱっちりとしていて大きい。薄桃色の頬も柔らかそうでとても愛らしい。
私よりも背の低くて小柄な体格で、腕や脚も細くて折れちゃうんじゃないかと思うほど華奢な雪乃。
守ってあげたくなる可愛らしさがあって、それは小さい頃から変わらない。
次に性格。昔は気弱ですぐ泣き出すような子だったけど、歳を取るにつれてどんどん強くなっていって、心の中に確固たる芯を持てるようになったのが今の雪乃。
優しくて繊細で、でも困難なことにも立ち向かっていける強さがあって、自分以外のことを人一倍思いやれる。傷つきやすいけど、傷ついてしまうくらい人の痛みをわかることができる。それが尊敬できるところだ。
……あれ、可愛いところを挙げていたはずなのにいつの間にか話が逸れてた。
普段の立ち振る舞いだって柔らかさがあって、そこに雪乃がいるだけで周りが穏やかな空気になる。
二人きりで過ごしている時に私がそう感じるし、クラスで友達と過ごしている時の雪乃をこっそり見てみても周りにいる子たちはとても優しそうで、遠目にもわかるくらい穏やかな空間が出来上がっていた。
……うん、これも可愛いじゃなくて良いところの話だね。
そのついでに触れておくと雪乃は頭もいい。
スポーツは苦手だけど勉強はできる。何かを覚えるだけじゃなくて、文脈を読み取って物事の繋がりを理解した上で何かを会得したり、深く考察して物事を捉えられる。私にはできないことだから羨ましい。
あとはどこが可愛いだろう。やっぱり二人で過ごしている時かな。
私に向けられる優しい笑顔、楽しそうに料理をしている時の明るい姿、私の話を喜んで聞いてくれるところ。
雪乃の全部が私を魅了してやまない。
そんな雪乃に私は恋心を抱いている。
それを自覚したのは中学に進学した春のこと。
新しい環境になって、私の知らないところで色々な人と仲良くなっていく雪乃を見て不意に焦りを覚えた。このままじゃ雪乃が私から離れていってしまうのではないかと。
離れてしまったらと考えると世界が暗く沈んでモノクロみたいに思えて、それで私は雪乃のそばにいたいのだと気付いた。
そして雪乃にも私のそばにいてほしい。この先ずっと、大人になっても。
そしてそれが恋なのだと自覚した日から、私は雪乃への恋心をひた隠しにしてきた。
この想いを告げて嫌われてしまったらどうしよう。
そう思うと言い出せなくて、でも雪乃に会いたいから毎日のように家に通った。
雪乃と一緒に過ごす時間は幸せで、その間は恋という苦しみも忘れられた。
雪乃が笑ってくれて、一緒にいてくれるだけで満足した。
……なのに、雪乃が突然冷たくなった。
私のことを突き放すような態度になって、話し掛けても素っ気ない返事ばかり。
理由も分からない私はただただ困惑して、それ以上踏み込めなかった。
朝登校する時はお互い無言で、学校でも一緒の時間を過ごすことはなくなって、放課後に雪乃の家に行くこともやめた。
雪乃に嫌われてしまったことも辛いし、雪乃に冷たくされることも辛かった。
それくらいならいっそ関わらない方がいいと思ったのに、雪乃のいない日々はとても寂しくて悲しくて、勉強にも身が入らないし、大好きなバスケをしていても集中できないくらい私の心はボロボロになっていた。
友達にも心配されるし、部活に至ってはもうしばらく休んだ方が良いんじゃないかと思うくらいの悲惨さで自分でもみじめになる。そんな日々が2週間も続いて私はすっかりダメになってしまっていた。
だから、このままじゃいけないと思う。
自分の抱えている好きという気持ちを言葉にして伝えないと、雪乃は取り返しのつかないところまで離れていってしまうという恐怖に駆られる。
奇しくも現状に迫られる形で、私は告白することを決意したのだった。
雪乃が話を聞いてくれるかどうかわからないけど、今はせめてこの気持ちを伝えないと前に進めない。
今日の夜、部活が終わって家に帰ったら雪乃のところへ行くのだ。そこで正直に話をする。
その覚悟が決まると少しだけ元気が出てきたように思えて、だけどそれと同時にどんな風に雪乃に伝えようかと頭の中がぐるぐる回り出す。
放課後はもうすぐそこまで迫っていた。
―――
「雪乃、入るよ……?」
「……うん」
夕方6時を過ぎたわたしの部屋に知花はおそるおそる上がり込んできた。
こうして部屋に来るのはひさしぶりで、知花がこの場にいるという感覚に懐かしさを覚える自分がいた。
知花は帰り道を走って来たのか息を切らしていて、ぜーはーと荒く呼吸している。
そんな知花にどう向き合えばいいかわからなくて、でも無下にはできなくて、カーペットの床に座り込んだ知花の前にわたしも同じように座った。まだ目は合わせられない。
どうやってこの気持ちを伝えようか、その答えがまだ出ていない。
だからうまく話し出せないまま時間が過ぎていって、でもずっと黙ったままでは居づらくなってきて、何か喋らなきゃと思って意を決して口を開いて―
「雪乃っ!」「知花っ」
わたしたちの言葉が重なる。
それにびっくりして、二人とも動きが止まる。
「あっ、ごめん……雪乃から喋っていいよ」
「う、ううん。知花が先に喋って、わたしは聞くから」
「そ、そう……? じゃあ私から……」
知花はおどおどした様子で、でも口を開こうとするその姿からは普段と違うものを感じる。まるでわたしが言おうとしてることを、知花も行ってくれるような気がして。
「あのね、雪乃。この2週間くらいずっと、雪乃と一緒にいれなくて寂しかった。雪乃に冷たくされたのも悲しかったけど、普段の生活すらままならなくて、バスケも全然上手くいかなくて」
「……そう、だったの」
「そうだよ。……雪乃のことが頭から離れなくて、勉強にもバスケにも集中できなくて、家に帰ってからもずっと頭がいっぱいでぼーっとして」
小さい頃からずっとバスケをやってきた知花が、文武両道で勉学だって優秀な知花が、そんなふうになってるなんて知らなかった。
「私たち、昔からずっと一緒にいたよね。一緒にいるのが当たり前で、それが私にとっての普通になってて。だから、雪乃がいなくなるのがこんなに苦しいことなんだって実感して、それで思ったんだ。私がどれくらい雪乃のこと大事に思ってるか、ちゃんと伝えたいって」
大事に思ってる。それはつまり―
「あのね、雪乃。聞いてほしいんだ……私ね」
知花の頬がほんのりと桃色に染まって、瞳を潤ませたその表情は恋する乙女のそれで。
「私、雪乃のことが好き。幼馴染じゃなくて、恋人になりたい」
胸がどくんと高鳴る。
自分でも抑え切れないくらい鼓動が速くなるのも、顔がかぁっと熱くなるのも、膝の上で握った手が震え出してしまうのも、全部わかってしまうくらい身体も心も大きく揺さぶられる。
「雪乃の優しいところが好き。ご飯を作ってくれるところも、周りの人にやさしくできるところも、私の話を嬉しそうに聞いてくれるところも」
「雪乃の可愛いところが好き。にこにこ笑った顔も、くすって小さく笑う時の顔も、普段澄ましてる時の顔も」
「雪乃の強いところが好き。昔はあんなに気弱で泣き虫だったのに、今はもうすっかり強くなって一人で歩けるようになった雪乃の強さが好き」
何も言葉が出てこない。うれしくて、幸せで、感極まって喉が動かない。
その間も知花はずっとわたしの好きなところを伝えてくる。
「雪乃と一緒に過ごす時間が好き。他の誰とも違う、私が信頼して自分を出せるのは雪乃の前だけ。雪乃と一緒にいるとすごく幸せで、もっと近くにいたいって、大人になっても一緒にいたいって思う…………雪乃は、どう?」
そう言ってわたしに問いかけてきた知花は少しだけ不安そうな表情をしていた。
あんなに好きなところをいっぱい告げたのに、まだわたしに拒絶されることを恐れているみたいで。
でも、そんなことない。だってわたしも―
「わたしも― 知花のことが好き、大好き。知花の恋人になりたいっ……」
「雪乃っ……!」
「知花の全部が好き。かっこいいところも、優しいところも、元気なところも全部好き。わたしだって知花と一緒にいると幸せ。知花がいなくなると寂しい、知花に会えないと悲しい、知花がいない未来なんて考えられないっ!」
これまでずっと言えなかった想いが堰を切ったように流れ出て言葉になる。
自分がどんな顔で喋っているのかもわからなくて、ただただそれを伝えたくて言葉にする。
「雪乃……嬉しいよ、私も大好き」
「知花、わたしも大好き。愛してるっ……」
知花は瞳を潤ませて、でもすごくうれしそうに微笑んでいて。
それからゆっくりと顔を近付けてくるから、わたしも同じように顔を寄せると、わたしたちの唇が重なった。
知花の味。甘くてとろけて、柔らかい唇の感触がわたしのそこを通して伝わってくる。
お互いの熱が唇の上で混ざり合って身体中がぽかぽかする。
そのうち知花がわたしをぎゅっと抱き寄せてきて、それにつられてわたしも知花の背中に腕を回す。
知花とこんなに近い距離でキスしていられる幸せで心の中はいっぱい。
知花と一緒にいられなかった期間の空白を埋めるように唇を重ね続ける。
その気持ちは知花も同じみたいで、何十秒か何分か過ぎてもわたしたちのキスは終わらない。
それは何よりも満たされて、何よりも幸せな時間だった。
―――
結局キスが終わった後、我慢できずにもう1回キスして、それが終わる頃には時計は夜7時を指していた。
いくらわたしの部屋に居座るのが定例になっている知花でも夕飯の時間になれば家に帰らないといけない。
「ん、じゃあそろそろ帰るよ」
「わかった。明日は朝一緒に学校行けるよね?」
「うん、いつもと同じね」
いつもと同じ。これまでみたいに知花と一緒の時間を過ごせる。それがうれしい。
まあ自分から知花を遠ざけた結果だったのだけど。
「そういえばさ、最後に一つ聞いていい?」
「うん」
「雪乃が私に冷たくしてた理由、一応教えてほしい」
そうだよね。答えなきゃダメだよね。
言うのはちょっと― いや、かなり恥ずかしいのだけど。
「……知花がバスケの大会の時に他校の子にちやほやされたり、学校で告白されてるのを見てむかついて、それで」
「ありゃ、見られてたのか」
雪乃にはあんまり見られたくなかったんだけどな、と呟く知花。
「でも告白は全部断ってるし、大会のときもファンサービスみたいなものだから。……それより雪乃、ムカついたってことはさ、つまり嫉妬してくれてたってこと?」
「…………うん、してた」
それを聞いた知花はくすっと笑って、こちらへ駆け寄って来たかと思えば両手を広げてむぎゅっと抱きしめられる。
知花の胸に顔を埋めるような格好で頭を撫でられて。
「えへへ、雪乃は可愛いなあ。よしよし」
「ちょっと知花、子ども扱いしないでっ」
本当にもう。これだから言いたくなかったんだ。
やっぱり全部知花が悪い。反省してもらわないといけない。
でも、こうしてまた知花と一緒にいられると思うとうれしい。
「これからは雪乃が嫉妬しなくてもいいように、私がいつでも雪乃のそばにいるよ」
「……うん、わたしも知花から離れない」
力強くそう告げた知花が頼もしくて、抱きしめられたまま腕をぎゅっと回して強く抱き寄せる。
ああ、やっぱり知花は世界一かっこいいな。