臆病な獣人がいました
初めて会った時に番だと感じた。と同時に彼女は同盟国の王太子の婚約者だと知った。
「なんでそこで遠慮するんだ。番だと分かったら攫ってしまえばいいだろう。それだから臆病だと言われるんだぞ」
主君が呆れたように、自分の対応の酷さを罵る。
「確かに獣人としては情けないでしょうけど、相手は王太子の婚約者で公爵令嬢です。しかも王族ならまだしも王子の側近相手が番だと言って奪ったらせっかくの同盟関係が破綻するに決まっているでしょう!!」
白金色の狼の獣人である主君は力こそすべてなので理解できていないようだが……いや、訂正する。獣人の国は強い者が治める国でそれが国をまとめ秩序を作っているがそれ以外は特に何も考えていない。野蛮な者たちだと人間たちに思われて、恐れられて、同時に奴隷として人買いに狙われることが多い。
そんな輩を保護しようとする国を相手にするためには愚策だが相手のフィールドに入って、相手を負かせないといけないと説得して、主君にとって面倒の一言で片づけられてしまう外交などに力を入れてきた。
「獣人は狼や虎など強い民族もいますが、弱い者達もいるんですからね」
兎とか鼠とかは能力的には素晴らしい者も居るが、それでも獣人の中では弱い部類だ。
「お前の言うことは理解できるが、だが、それで番を諦めるなんて愚かだろう。お前も生粋の狼だろう。恋の季節の度に伴侶を変える種族と違って」
ならば欲しろと言われると自分は獣人として出来損ないだと思わされる。だが、
「前世の記憶が足を引っ張るんですよね……」
と前世寄りの意識である自分に溜息しか出ない。
自分には前世日本という国で暮らしてきた記憶がある。そこで法律関係の仕事を行ってきたんだろうなというあいまいな知識が蘇った。
その前世の知識と意識がある影響か獣人という種族がヒト種の中で下に見られて、不条理な契約を結ばれている事実に気付いて、内部から変えないといけないと幸いにして現王族の狼族であったので――王族は弱まったと判断されると下克上をされる――国を豊かにするために直談判をして様々な政策に取り込んだ。
最初は反対も多かったが、知識の種族と言われる狐やら猿族などの協力を得て、今まで奪って、狩りをするだけだった国に着実に畑と牧場を作って、生産や養殖という考えが育ってきて、まあ、狩りこそすべてだという種族も居るので、牧場や畑を荒らす獣を狩ってもらうという仕事を紹介して給金というものがあれば服などを買えるというのを知ってもらういい機会なので無理に生活を変えさせることはなかった。
その実績を買われて気が付いたら主君の側近になったのだが、狼の獣人であるのに異端な考えで臆病だと笑われてしまった。まあ、そこがいいと微妙な誉め言葉ももらったが。
「不便だな。お前のそのゼンセとやらで我が国が豊かになったのにな。臆病な言い訳だろう」
「……まあ、否定はしません。あの人は公爵令嬢として王太子の婚約者として頑張っているのです。それを番だからという一方的な理由で壊す訳にはいきませんから」
こちらの言い分だけを押し付けるわけにはいかない。番と言われても意味は理解できないだろうし、
(前世でも仕事を続けたい女性と仕事を辞めさせたい男性で揉めることはあったし、彼女の意思を尊重したい)
だが、ひっそりと想うだけでも許してほしい。
「後で後悔するなよ」
主君の言葉に何とも言えずに苦笑いを浮かべた。
そんな煮え切らない態度の自分にどう思ったのか主君は同盟国に行く時は必ず供として来るように命じた。まあ、外交という苦手分野で戦うのに適している側近というのが自分しかいないからだというのも理由かもしれないが。
王太子の傍には公爵令嬢が常に控えて、王太子が困っているとさりげなくフォローをして、仲睦まじい様子がよく見られた。
そう過去形。
ある日。毎年のように式典に参加していたが、王太子の傍には公爵令嬢がいなかった。代わりにいたのは王太子の臭いを纏っている女性……気になる匂いも混ざっているのを主君が気づいて眉を顰めるが、顔に出さないようにそっと小突いて、傍に控えている部下に命じる。だが、仕事に集中しないと主君を押しのけて問い詰めたいと思えるほど心が荒れる。
「モードレット」
どういうことだと体調を崩しているのかと心配になっている自分に気付いたのか主君が名前を呼ぶ。ただの名前呼びだったが、自由行動を許すという意味合いなのはすぐに理解して席を外す。
「キアラ嬢」
化粧や香水で鼻が利きにくくなるが、番の匂いは感じ取れたのですぐに彼女を見付けることが出来た。
「モードレット様」
中庭に一人で佇んでいる様は儚く消えていきそうに見える。
「どうしたのですか。王太子殿下のエスコートは……」
王太子の傍でいつも控えてフォローしていたのに何で一人でいるのかと、いや、聞かなくてもここは察しないといけなかった。だって、
「なんで泣いているのですか……」
彼女は慌てて拭ったのだが、涙の匂いがはっきり残っていたのだ。
(なんでそんなことに気付かずに尋ねたんだよっ!!)
前世の自分ならそんな愚かな事をしないのにこういう時だけ現世の獣人の特徴が出ていることを責めたくなった。
「なんでもありません。少し疲れて休んでいたのですよ」
気になさらないでくださいと誤魔化そうとするさまにこれ以上何か言いたそうにしている本能を無理やり抑え込み、前世の空気を読む行いを心掛ける。だけど、一言言いたい。
「………そうですか。こんな寒いところではなく暖かいところでせめて休んでください体調を崩しますよ」
番同士で想いが通じているのなら自前の尻尾で温めるとか狼姿に戻って温めたいが、番だとこっちが一方的に感じているだけで彼女は知らないし、婚約者のいる立場だ。そんなことは出来ないと歯がゆい想いを抱く。
「いえ、ここの方が空気が澄んでいますから」
まあ、確かに室内ではいろんな臭いが充満して落ち着かないかと、それでも一人にしては心配だ。
「こんな時まで強がらなくてもいいのに……、もっと本能のままで動いたら楽ですけど、人間ってままならないですね」
つい本音を漏らして告げると少し離れたところに腰を下ろす。
「……モードレット様からそんな言葉が出るなんて意外でした」
目をぱちくりさせて、驚いたような表情を浮かべるキアラ嬢。
「えっ? 何かおかしかったですか?」
「おかしくはありませんが……。モードレット様が獣人らしいことを言うとは思いませんでした。いつも獣人の方が何かを言っていると『それは獣人以外だと怖がらせる発言ですよ』と窘めているので」
言われてみたらそうかもしれない。
「まあ、獣人らしくないと思いますが、獣人の国という群れを守るためには人間のことを知らないといけませんし、獣人の常識で動いていたら足元を見られます。――キアラ嬢も同じでしょう」
「同じ……?」
「ええ。――この国という群れを守るために王太子を支えているのですから。――俺はそんな貴女を尊敬してます」
(それと番と言いうことだけではなく貴女のその覚悟を愛してます)
番という本能だけではなく、知れば知るほど彼女を好きになっていく。だが、彼女の良さを守るためには本能のまま連れ去ってはいけないと改めて感じる。
「…………」
キアラ嬢はじっと黙っている。だが、その彼女から悲しみの匂いが薄まっていくのを感じる。やがて、
「……来賓の方が凍えてしまったら大変です。先にお戻りください」
「ですが……」
覚悟を決めた匂いをさせて、キアラ嬢はこちらに向かってそんなことを言い出す。
「わたくしもすぐに戻ります。――ありがとうございます」
その笑みは強い眼差しを宿していて今まで見た中で一番綺麗なものだった。
屋内に先に入ると主催の王太子が主君と共に居るのが見える。どうやら王太子は自分の臭いを纏わせている女性を紹介しているようだ。そのまるでマーキングのような臭いをさせている女性はマーキングされているのにも拘らず主君に色目を使っている。
「殿下ったらまた男爵令嬢を連れて……」
「学園でも終始べったりとか」
「でも、いくらなんでもこんな公式の場所で婚約者を放置するなんて……」
ひそひそと話をしているが狼の耳にはしっかり聞こえている。
「男漁りがご趣味のようで、今度は殿下がいるのに帝国の皇帝陛下を物色しているわ」
「キアラさまが再三注意しているのに」
身分的に口出しできないからひっそりと話をするだけにとどめているという感じか。
(政略結婚の相手を蔑ろにして恋人といちゃついていると言うことか。まあ、女性の方は恋人と思っていないようだけど)
確かこの国では正室の他に側室と愛妾も持てるし、獣人の種族の中にはそういうのもいるが、それでも正室を蔑ろにするのはあり得ない。いや、まだ正室ではなく婚約者ならいいというわけではない。だが、女性の感覚で言えば、どちらかといえば王太子はキープというものに近いようだ。
「キアラ・マクレーン。ここに来い!!」
王太子がいきなり式典で楽しんでいる人々が居る中大きな声で自身の婚約者の名前を呼ぶ。
「なんの御用ですか?」
覚悟を決めたような匂いをさせて、キアラ嬢が現れる。
「お前との婚約を破棄する!!」
その後身分を笠に着てとか、王太子の婚約者だと言って周りを馬鹿にして居てとかいろいろ喚いていたが、
「お言葉ですが」
「お前の言葉など聞いていない!!」
言葉を返そうとしたキアラ嬢の言葉を封じる様に叫ぶさまは醜いの一言にすぎないと思いつつ、聞いている内容はどう考えてもキアラ嬢は至極当然なことを言っているに過ぎないし、それで異論を認めないというか言わせない時点でどっちが身分を笠に着ているのかと言いたくなる。
「さっさと捕らえよ」
王太子の言葉を聞いた矢先、身体が勝手に動いた。
「大丈夫ですか、キアラ嬢」
キアラ嬢を守れる場所に立ち、王太子を睨む。その際、彼女を捕らえようと……明らかにとらえるのを戸惑っている兵士たちは明らかにほっとしているのが感じられ、こっちが出てきたら一歩引いてくれたので捕らえるのに躊躇いが無い輩だけ前世で学んだ護身術で抑え込んだ。
「ここは貴方様の主君を守るべきではありませんか」
キアラ嬢が戸惑いつつ心配して声を掛けてくる。
「確かに主君を守らないといけないでしょうが、それよりも今は貴女を……番を守りたいので」
番という箇所だけ声が小さくなってしまったのは恥ずかしくて言えないからではなく、キアラ嬢の立場を守るため。ここではっきり番だと告げてしまうとそこのぼんくら王太子が自分の有責なのを認めず彼女に無実の罪を被せる可能性があったから。
「はっ、たかが、獣混じりが邪魔するのか」
彼女を庇う様を見て王太子が舌打ち混じりに告げると何人かの貴族が眉を顰めるのが見える。だが、この王太子は気付いていないようだ。
「我ら獣帝国の民をまさか蔑ろにしているのか。同盟国の王太子は」
主君は嗜虐的な笑みを浮かべ急にこの場に加わってくる。事態を悪化させてしまうのでやめてほしいと思ったが、先に動いてしまったので何も言えない。というかその嗜虐的な笑みを浮かべて獲物で遊ぶのは猫系……というと虎族とか豹族が眉を顰めるのだが、まあそれらの種族であって犬系の……狼だと言われるのだが、そちらの種族ではないでしょうと溜息を吐く。
「そこまで毛嫌いされているのなら同盟を破棄してもいいよな。モードレット」
甚振るような笑みを浮かべたままこちらに振り向くので、
「ええ。我が国の要望である奴隷として攫われた同族を見付けてくれないどころか犯罪者を匿っているようですし、ならば、我が国が貸し出している獣人騎士団の派遣を取りやめても……」
会場の一部貴族から同族の匂いがしっかり漂っている。あえて何も言わなかったが王太子にくっついている女性からも。
彼らが獣人を欲しているのは愛玩目的なのもあるだろうし、一番の理由はこの国の傍に魔獣の森という魔獣が出現する場所があり、毎年多くの被害が出ている。
以前は魔獣と獣人を混同する輩も居たそうだが……。その魔獣を倒せるのは獣人――しかも奴隷ではなく、主君を持つ群れの認識が強い獣人のみだ。
きちんと主従関係を結べているものなら大丈夫だが、そういう者は奴隷ではないだろうし、ひどい扱いもされていないのでこの場にいる人たちで当てはまる者も居ないだろう。
で、魔獣の被害が酷いのは獣人の奴隷を持っているところがほとんどだったりする。奴隷にした獣人を返してくれたところから優先的に騎士団を派遣しているのだが、奴隷のいない場所はそんな条件を付けなくてもわずかにお安めな値段でお貸ししている。
そんな我が国の騎士団をもっと大事にしろとか奴隷を開放する法律を作るように手を回してくれたのがキアラ嬢のご実家なのだが、王太子は奴隷を持っている方々にそそのかされての婚約破棄騒動だろう。
獣人は外交などの頭を使うのは苦手とか言っていたのにいつの間にかそんな技術を磨かれたのか。
(って、そんなことを考えている場合ではないか)
「い、いや、これは式典を楽しませるための余興だっ!!」
「そっ、そうですわっ!!」
慌ててこちらを説得させようとする王太子と王太子の傍にいる女性。いや、確か男爵令嬢と言っていたその女性はじわりじわりと主君に近付いてくっつこうと手を伸ばすが、
「臭いな」
と身を翻して避ける。
「きゃっ!!」
べちんと良い音をさせて頭から転んでいく。
「そう言えば、この茶番の始まりは婚約破棄。でしたか」
転んだ女性を助け出すこともせずに思い出したように、キアラ嬢を庇いながら。
「このような余興に公爵令嬢。ましてや我が主君の誇りを穢すような行いをする事が余興としても趣味が悪いですね」
顔をしかめて不快感を顕わにすると、
「獣混じりが」
と小さく悪態をつく声が聞こえる。聞こえないと思っているのか獣人の聴覚を何だと思っているのか。
主君は呆れたように溜息を吐き、
「モードレット」
「はっ」
すぐさま身体を翻し、その際キアラ嬢も連れて、この場を去って行こうとするが、
「おっ、お待ちください!!」
今までどこにいたのか王が慌てたようにこちらに向かってくる。
主君の機嫌を損ねてはいけないというのはよく理解しているから慌てて説得しようとするが、主君の気持ちは変わらない。
「このような扱いをされて黙って待っていろと?」
どこまでもこちらを馬鹿にしているのだと冷たく一瞥をして、そのまま会場を後にする。
「巻き込んでしまって申し訳ありません」
キアラ嬢が頭を下げる。
「いいや。こっちからすればいい機会だったんで」
あっけらかんとさっきまでの雰囲気はどうしたんだと突っ込みたいくらい明るい口調で、
「あんな王太子だとお先真っ暗だし、案外あの馬鹿をコントロールできる逸材として婚約していたんじゃね~か?」
「主君っ!!」
「よく、気が付かれましたね」
こっちが叱りつける声に被さるようにキアラ嬢が告げる。
「そりゃ、大変だ。もしかしたらあのぼんくらがキアラ嬢を手放さないように何かやらかすかもな。――モードレッド」
「……一番あり得るのはキアラ嬢と婚約を破棄したら王太子の座を追われると言われて婚約破棄を無かったことにしてやると言い出すとか。でしょうか……」
ありえそうなこととして思い浮かべると、
「それは大変だなぁ。と言うことでモードレッド。しばらくキアラ嬢を護衛しろ」
いきなりそんなことを命じられて、どう反応していいのか分からないので口をパクパクさせていると。
「ここでいいところを見せておけ。さっきのようにな」
にやりと笑われて、
「主君!!」
面白がっていると叱りつけるとくすっと笑う声が聞こえる。
「仲がよろしいですね」
キアラ嬢の楽しげな声。
「す、すみません……」
恥ずかしいと顔を赤らめるとキアラ嬢はどこか面白そうに頭上を見ている。
「モードレット様は獣人らしくないと思っていましたけど訂正します」
頭上。そして、足元を見て、
「成人した方に告げるのは失礼ですが、とても可愛らしいですよ。耳と尻尾」
「お~。しっかり耳が垂れているな~」
主君の声に耳が垂れていることと尻尾を丸めていることに今更気付く、恥ずかしくて穴に入りたくなったが、
「……先ほどの番という話。前向きに検討させてください。モードレット様をもっと知りたくなりましたので」
後半は小さく聞こえて、
「頑張れ」
と主君に肩を叩かれる。
「主、主君……」
「――名誉棄損での婚約破棄でもうお前の思うように動いていいだろう」
臆病は卒業しろと言われて、とっさに庇いに行ったことを今更思い出す。
(ああ、そうだな)
もう遠慮する必要はない。
「なら……いい返事をもらえるように頑張ります」
微笑んで告げるとキアラ嬢は少し顔を赤らめて頷いてくれる。
それに安堵したが、まず番を安心させるために敵を排除しないとなとかつて臆病と言われていたがいまは獣人らしく群れを守るために爪を研ぐことにした。
しゅくんがとちゅうでみせばをうばっていこうとしたのでたいへんだった。