7.転がり落ちる
朝、森の中を抜けてくる暖かな陽射しに照らされてルクスは目は覚ます。
ゆっくりとベットから離れると、クローゼットから大きさの合っていない服を身に着け、寝室を静かに出る。
寝室を出るとすぐに掃除を始める。隅から隅まで掃いて拭いて汚れ一つない状態に家を保つ。
家を綺麗にしたら次は洗濯である。家のすぐそばにある薄っすら緑の混ざった水縹色の泉で衣類などを丁寧に洗濯し、ついでに顔や体も洗う。
洗濯物を干したら、次は料理である。夕食の仕込みと昼食の作り置きを完成させ、朝食作りに移る。トーストにサラダ、ハムエッグにチーズを用意し、コーヒーを淹れる。
全てが終了した段階でルスヴァンを起こしに寝室へと戻る。
これが現在のルクスの毎朝のルーティーンである。
「先生!朝だぞ、起きろ!」
「う~ん……」
眠そうに目を擦りながら上半身を起こしたルスヴァンに、ルクスは乱雑に服を投げて寄こす。
「さっさと服着て、起きて来いよ。朝食冷めるぞ」
そう言うとルクスは再び寝室から出る。
ルスヴァンも服を着て後を追うように寝室を出る。
朝食が並べられているテーブルにルスヴァンが腰を掛けると、ルクスは薄っすらと湯気が立っているコーヒーを差し出し、自身も朝食が並べられている対面の席に腰掛ける。
食事中は特に会話があるわけではない。
そもそも1年間も何もない森の中で2人で過ごしているため、すでに話題が尽きている。かと言って気まずいわけではなく、この状態が日常となっていた。
食事が終わるとルクスが食器を片付ける。
そして2人して家の外へと出る。
「それじゃいつも通り──」
「ちょっと待て。あんた今のオレがどのレベルにいるか把握できてないだろ?もう一度オレと勝負してくれ」
「……。どの程度基礎が出来てるか見せてみぃ。合格なら相手をしてやろう」
ルスヴァンは付いてくるようジェスチャーし、泉の方へと歩を進める。
しかし、ルクスはルスヴァンについて行かず、その場に立ち止まったままである。
そんなルクスの様子に気付かずに、ルスヴァンは指示を出す。
「まずは水の上を歩いてみぃ」
「やっぱなんも把握してねぇよ、先生」
そう言われ、ルスヴァンは振り返る。
ルクスはまるで見えない階段がそこに存在するかのように、空中を昇り始める。そして、ルスヴァンを完全に見下ろせる位置で不安定さ一つもなくピタリと止まる。
「自然に存在してる魔素を掴む技術なんて疾っくの疾うにマスターしてる」
「……まったく……おぬしに驚かされるのは何度目かのぉ」
「ついでだから見せてやるよ」
ルクスは地面擦れ擦れで勢いを殺しフワッと着地すると、右手を軽く突き出す。
その直後、赤黒い血液がルクスの手から噴き出す。
その血液は、剣、槍、槌、鎌、針、手裏剣、杖、扇と次々に形状が変化していく。ルクスは遊ぶようにクルクルと手元で回しながら完璧に操って見せる。
「どうだ、一端の血結魔法に見えんだろ?」
ルクスは小憎たらしい笑顔で自慢げに魔法を操作し続ける。
「なるほど……よかろう。その鼻っ柱折るとするかのぉ」
「うっしゃ!」
ルスヴァンが戦闘を認めたことでルクスの目がキラリと鋭く光る。
ルクスは5メートルほど後方に飛び退き、無邪気に構えをとる。
しかし、ルスヴァンの様子を見てその表情がスッと曇る。
「はぁ~」
ルクスは大きくため息を吐くと正面から一気に突っ込む。
低い体勢から一切の容赦なく高速で打ち放たれる拳。
ルスヴァンは余裕を持って反応し、拳を打ち落とすと同時にカウンターで掌底を飛ばす。
ルクスも即座に反応し、打ち放たれる攻撃を回避すると滑らかに自身の攻撃へと繋げてゆく。
互いにフェイントを織り交ぜる駆け引きを行いながらも、常に残像が残るほどの徒手攻防。一瞬の判断の遅れが敗北へと誘う。
ルスヴァンはなおもルクスを過小評価していたことを思い知る。
ルクスが全力で挑んできたとしても魔力のみで圧倒できると考えていた。それが互いに魔力のみの徒手戦で互角どころか押されつつあった。
「くっ」
振り下ろされたルクスの上段への攻撃を受けた次の瞬間、ルクスの体勢が下へと沈み込み拳が顎を目掛けて突き上がってくるのを目の端で捉える。一瞬遅れて反応し、先程受けた手を振り下ろすように受けの体勢を間に合わせる。
が、打ち込まれるはずの衝撃が来ない。どころか下方にいたはずのルクスがいない。
視線誘導によりルスヴァンの視線が下がり、攻撃を受けるために下ろされた手が視線を遮る一瞬をルクスは見逃さなかった。
ルスヴァンがルクスを見落とすタイミングで空中へと跳ね、渾身の後ろ回し蹴りを叩き込む。
血結魔法により超高速でルクスの攻撃を防いだルスヴァンであったが体制が十分でなかったため後方へと大きく吹き飛ばされ、地面を削りながら踏み止まる。
対照的にルクスは軽やかにその場に着地する。
「もう準備運動はいいだろ?」
「フフフ。まさか純粋な魔力勝負で押し負けるとはのぉ」
「だったら──」
〈──サングイスサルターレ──〉
ルクスは無意識のうちに戦闘態勢をとらされていた。
ルスヴァンの圧力が明らかに増し、周囲の空気がピリピリと振動し始める。
ルクスは呼応するように魔力を一気に練り上げる。
ルクスの集中力が上がるにつれて瞳孔が縦に細く絞られる。一つ大きく呼吸をすることにより肩がゆっくりと上がりゆっくりと下がる。
さっきまでとは一変、まるで今から命の取り合いをするかのような空気感の変貌にルクスの頬を汗が一筋伝い顎に溜まる。
束の間の静寂。
ルクスの視界からルスヴァンが消える。
一瞬でルクスの側面に移動したルスヴァンの重く鋭い一撃が顔面目掛けて放たれる。
ルクスはその速度にも反応し、攻撃を両腕で受けながら距離を取るために後方へ飛び退こうとする。
「がっ」
が、間を置かずに放たれた蹴りがルクスの横腹に突き刺さる。深く突き刺さった蹴りは体を抉り、血が噴き出る。
横に大きく吹き飛んだルクスは空中で即座に体勢を立て直す。赤黒い刀を魔法により生成し、一直線に距離を詰めてくるルスヴァンに向かって振り抜く。
ルスヴァンは跳び箱のようにルクスの頭を軸にその刀を躱し、交差際に大きなトンカチを血結魔法により生成し、自身を追いかけ振り向くルクスの体表を滑らせるように顎へ目掛けて振り上げる。
刀を振り抜いた勢いのまま振り返ったルクスは顎に迫る脅威に辛うじて反応するも、ガードした両腕が跳ね上げられ、体が空中へと浮く。もろにトンカチを受けた左腕は拉げ、苦痛に顔を歪める。
無防備になった胴体を見逃すことなく、ルスヴァンの一撃が加速する。
ルクスは魔力で魔素を掴むと空中を蹴ってエビのように体を折り勢い良く後方へと飛び退く。
100メートル近く飛び退き着地した瞬間、右膝が落ちる。慌てて支え棒を生成し体勢を支え、右脚へと視線を落とすと血の釘が太ももに突き刺さっている。
「がはっ!?」
思考する間もなくルスヴァンに頭を掴まれ地面へと叩き付けられる。
そのまま両手足と首を血液の鎹により地面へとホッチキス止めされ、ルスヴァンに腰掛けられる。
「詰みじゃの」
「くそっ……!!」
ルクスは悔しさを言葉にはするも、敗北を受け入れ全身の力を抜く。
「カッカッカッ。まだまだ勝ちを譲るわけにはいかんよ。それでも、その成長スピード、末恐ろしいのぉ」
ルスヴァンはご機嫌で下敷きになっているルクスの頭をペチペチと叩く。
模擬戦に負けたルクスは自身の血肉とするため、冷静にルスヴァンの能力を分析する。
「なぁ先生。さっきのあれ、魔力の身体強化に加えて心拍数や血流を操作してさらに加速した、でいいんだよな?」
「基本はそうじゃな。
それと同時に、酸素と同じ要領で魔力を血液に乗せて細胞一つ一つに送りこんどる。結果、ワシの体は柳の枝以上のたおやかさと、鋼以上の強靭さを手に入れておる」
「なるほどね~。同じ魔法でも色んな使い方が出来るのか……」
「ワシと同じことしようとするのはやめた方がええぞ」
「なんで?」
「心拍数や血流の操作は体にかかる負荷が莫大じゃからな、普通の人間じゃ間違いなく体が持たん。無理に使えば命を縮めるぞ」
「そういうことね。だったら問題ない」
ルクスは体を起こそうとする。
気付いたルスヴァンが腰を上げ、拘束を解く。
立ち上がったルクスの体の傷がみるみるうちに元通りになってゆく。
「オレは普通とはちょっと違うからな」
「前にも何度か言ったがその力はかなり危険じゃぞ。
治癒魔法はただでさえ希少で戦争の火種にもなり得る魔法じゃが、おぬしの魔法はそれどころではない。ワシの長い人生の中でも初めて出会ったモノじゃから正確かはわからんが……ワシの見立てでは大事では済まん魔法じゃ。安易に使用せぬ方がよい力じゃぞ」
「分かってるって!耳にタコだよ。
武器生成同様うまく誤魔化せばいいんだろ?
平気平気!
それよかさ、他にもなんか教えてよ」
「これも前から言っとるが、ワシは誰かに魔法を教わったことはないんじゃから、教えられることも限られておるんじゃ。
色々知りたくば他の、人間から教わるんじゃの」
「ちぇッ、ケチババアめ…」
「おい、ワシの耳は遠くなっておらんぞクソガキ」
「イデッ!」
ルスヴァンはボッソっと悪態をつくルクスの脳天に拳骨を落とす。
「王都にリテラ・アルファスと言う奴がおるはずじゃ。魔法について詳しく知りたくばそ奴に聞け。確か学校の先生かなんかやっとったはずじゃ」
「強いの?」
「今のおぬしじゃ火の粉にもなれんよ。ワシの名前を出せば無下にはせんはずじゃ、気が向いたら訪れてみぃ」
「ふ~ん」
「ああそうじゃ!昔、リテラから一つだけ魔法を教わったことがあったわい。久しく使っとらんかったから忘れておったわ」
「どんな魔法!」
その言葉にルクスは子犬のように食いつく。
「なんとも皮肉な魔法じゃよ。
弱者が強者に一矢報いるために開発された魔法じゃったんじゃが、弱者には修得難易度が高くてな。弱者と強者の間に更なる絶対的格差を生んでしまった魔法じゃ。
ただ、この魔法を知らん強者に対しては逆転の切り札にもなり得るから一概に元の目的から外れた魔法とも言えんかの」
「つまりその魔法を使える奴は強者ってわけだ」
「端的に言うとそうじゃな。……まぁ強者の中にも修得できないものはおるじゃろうがな」
「どうすればできるようになる?」
「言葉では説明できん。見て感じて学ぶしかあるまい」
ルスヴァンは両手で印を結ぶ。
〈──閉錠──〉
ルスヴァンの詠唱に、ルクスは期待と緊張の中、一つも見逃すまいと全感覚を研ぎ澄ます。
しかし何も起きたように感じない。
〈──禍福魔牢──〉
気を抜きかけたルクスは目の前で起きた現象に目を丸くする。
先程までの見慣れた光景が一変、別の空間へと変貌している。
「なっ!?どうなって──」
何が起こったかわからず、ルクスは周囲をキョロキョロと見渡す。
「カッカッカッ。気持ちいくらいに驚いてくれるのぉ。見ての通り禍福魔牢は〈自身を中心として空間を召喚する魔法〉じゃ。
外部から中の様子を確認することはできず、干渉を受けることも一切ない。
脱出する方法は発動者が魔法を解くか発動者の意識を奪うかの2つじゃ。
欠点は中からも外の様子を確認できず、干渉することもできないことじゃの」
「なるほど……それだけじゃないだろ?
それじゃ切り札と言えるほどの魔法じゃない。今の説明じゃ弱者が強者にワンチャン作るのは無理だ」
「その通りじゃ、この魔法の有用なところは空間に引きずり込む対象を任意に選択できること。つまり、強制的に一対一に持ち込み時間を稼いだり、雑魚を先に処理したりすることが出来るということじゃ」
「任意?発動者も効果選択に入るのか?」
「いや、ワシも1人で色々試したんじゃが残念ながら発動者は必ず禍福魔牢の中じゃ。
そして、禍福魔牢最大の能力は魔牢内の魔素が発動者の色になることじゃ」
「発動者の色?」
「そうじゃ。空気中に存在しておる魔素は無色透明じゃ。その魔素を取り込み体内で自分の魔力性質に変換することで魔法を発現しておる。
じゃが、禍福魔牢では空気中の魔素が自分の色に変わる。つまり、魔素を取り込む過程を要さずに魔法を発現可能ということじゃ」
そう言うとルスヴァンはほんの少しだけ指を動かす。
次の瞬間、ルクスは無数の血の刃に囲まれたいた。
「マジか、反応すら出来ないのか……」
「この空間は今ワシに有利の魔素で満たされておる。単純にワシは普段より強い上に、おぬしは普段より弱い」
「弱体化してんの!?」
「当然じゃろ。おぬしの味方をする魔素がない以上、魔力が下がるのは必然であろう?」
「……確かにコイツは切り札だな」
ルクスが満足したのを見て、ルスヴァンは禍福魔牢を解く。
「ああそうじゃ、忘れとった忘れとった。
禍福魔牢は消耗が激しくての、連続発動できるような代物じゃないから発動は慎重に──」
説明を中断してルスヴァンは一点へと視線を飛ばす。
釣られて、ルクスがルスヴァンの視線の先へと目線を送る。
「何者かが森を進んできておる」
「!?……近いのか?」
「どうじゃろうな。気を抜くな、少々面倒かもしれん……」
「……なんも感じないけ──」
濃色のローブを羽織った集団が音もなくヌルっと森の中から現れる。
「おや?気付かれていましたか」
「何者じゃ?おぬしら」
「我々は魔神の御先。神命を受け人類に進化を促す者です」
「森を抜けてきたということはワシに用があるのじゃろ?何用じゃ?」
「あなたは人類の進化の妨げとなる厄介な存在。故に、ここで静かにしていていただく」
魔神の御先はルクスとルスヴァンを逃がさぬよう、取り囲む形で散開する。
「前あった奴らの仲間か?」
「……はて、何のことでしょう?」
ルクスの疑問に魔神の御先は少し考えてから返答する。
「よくわからんが違いそうじゃの。まぁいずれにせよワシの敵じゃろ?」
魔力を練り始めた2人であったが、ルスヴァンは目を見開くと視線を魔神の御先から外す。
そして、ルクスに指示を飛ばす。
「ルクス、おぬし村まで全力で走れ」
「な!?オレだけ逃げろってのかよ!」
「そうじゃない!!村がマズいやもしれん!」
「!?」
「ワシがサポートする。おぬしは全力で村へ向かえ。──行け!!」
「チッ!」
ルクスは全力で森の前に立っている魔神の御先の1人へ突っ込む。
相手は突撃してきたルクスを仕留めようと腰を落とし構える。
その瞬間、ルクスの背後で死角となっていた無数の血の糸が獲物を貫かんと一気に襲い掛かる。
咄嗟に両腕で致命傷となる急所を守り、何とかルスヴァンの攻撃を回避した相手を横目に、ルクスは勢いを落とすことなく森の中へと突入する。
「しまった!」
ルクスを逃がした相手が体を翻し、ルクスを追おうとした瞬間。
「ばかやろう!!」
体を翻した者の首が地面へと転がり落ちる。
「ワシを無視してルクスを追おうとは……ワシそんなに弱く映るかの~」
「くっ!?総員気を抜くな!!」
魔人の御先の包囲を抜け、森に入ったルクスは振り返ることなく村へと走る。
かなりの速度が出ているものの全速力ではない。村へ着いた後のことを考えると力を使い果たすような真似は出来ない。
それでもルクスの心中は穏やかではなかった。
普段、何が起きても声色一つ変えることの無かったルスヴァンの声が、焦りを帯び僅かに高くなっていた。その事実がルクスに嫌な想像を働かせていた。
「ユーリス、お前がいるんだ……問題ねぇよな……」
村の様子を探るための魔力を感じることが出来ないどころか、光すら射さない紅黒城の口の中、微かに村からの音がルクスの耳に届く。最初は聞き取ることさえできなかった音が徐々に大きくなる。
パチパチと何かが弾けるような音、耳心地の悪い獣の咆哮と耳を覆いたくなるような悲鳴。
ルクスは強く地面を踏み込んで加速する。
次第に周囲の温度が高くなり、比例するようにルクスの呼吸も浅くなる。
長い暗闇の終わり、目の前に現れた光の中へ飛び込む。
勢いよく森を抜けたルクスの足が減速し止まる。
「────なっ!?」
ルクスの目に飛び込んできたものは、青い草木と土色の家や道のコントラストが美しい見知った景色ではなく、空までオレンジと灰に染まった景色であった。
混乱しているルクスは、何かに導かれるように行動を開始していた。
村の現状を把握するため見晴らしの通る紅黒城の口の最も近くに存在する物見櫓へと走る。
相変わらず獣の咆哮は鳴り響いているものの、悲鳴はもう聞こえない。
道は赤黒く染まり、無事な家は見当たらない。
空中を蹴り、物見櫓へと飛び乗ったルクスは村全体を見渡す。
家も農作物も家畜も全てが炭となり、周囲を囲む森や山にまで火が移り始めている。
3メートル近い大きさであるヤギの顔をしたサルの魔獣が、何百体も村を我が物顔で闊歩している。
黒く長い毛が全身を覆い、頭からは小さな4本の角が生えている。大きく丸い目は、破壊しつくされた村で今なお獲物を探すように白く光っている。
ルクスは違和感を覚えていた。
(至る所に血痕が残ってるってことはみんなバラバラに逃げたんだよな?
いや、魔力を垂れ流してるこの大量の魔獣を、ユーリスがそんな状況になるまで気付かないなんてことがあるか?あり得ない!
なら既にみんなどっかに逃げてる?
じゃあ、さっきの悲鳴はなんだよ!
そもそもこの魔獣たちの目的はなんだ?なんでこの村を襲った?さっき奴らが操ってんのか?
あーくそっ…落ち着け、落ち着け……)
ルクスはやるべきことに集中するため、拳を口に近づけ大きく深呼吸する。
一呼吸置いたところで、ルクスを影が覆う。
背後から飛び掛かる魔獣の攻撃を躱すと同時に、生成した赤黒い刀で真っ二つにし、物見櫓から降りる。
近くにいた他の魔獣たちが警戒声を上げる。
それを引き金に魔獣たちが四方八方からルクスへ向かって襲い掛かる。
「ふっっ」
正面から突っ込んできた一体を切り伏せる。
即座に振り返り、同時に襲い掛かってくる二体を僅かに後方へステップを入れることにより間合いを保ちながら処理する。
ルクスは周囲の魔力を感知することにより前後左右上下の状況を把握し、死角外からの攻撃も的確に対処してゆく。
それでも百を超える圧倒的な数と一切衰えることの無い魔獣の猛攻にルクスの体力も精神も徐々に削られてゆく。
体力が削られることにより、最初の頃は一撃で仕留められていた攻撃が二撃、三撃と必要になる。一体あたりに必要な攻撃が増えれば増えるほど体力の減りは加速し、隙も生まれるようになってゆく。
ルクスは近辺に魔獣を操ることのできる魔神の御先の仲間が潜伏している可能性を警戒していた。
(戦闘中に周囲の気配を探っても人っ子一人いる気配がねぇ。にもかかわらず、魔獣はパトリア村から移動する気配がない。理由はなんだ?)
常に周囲を警戒しそんなことに思考を割きながらも、まだ掠り傷一つ負うこと無く全ての攻撃を捌いていた。
不意に魔獣の攻撃を捌いていたルクスはある事実に気付く。
(こいつらオレを村から逃がさないように村の外から中心に追い立てるように攻撃してんのか!?──上等じゃねぇか!!)
ルクスは魔獣たちがパトリア村から離れない理由、そして身を潜めているかもしれない魔人の御先を探すように、辺りに目を配りながら回避優先で戦闘し続ける。
そして、孤児院が視界に入った瞬間にルクスの脳裏に希望の光が差す。
(孤児院の地下にはシェルターがある!なるほどな、みんなそこに避難してるってわけか。だったら、とっととこいつら掃除するか!)
ルクスは一匹、また一匹と徐々にヒツジの頭にサルの形をした魔獣を減らしてゆく。
「こいつでラスト!」
襲い掛かってきた全ての魔獣を駆除したルクスは、安全確認のため再度村全体を見渡す。
木造であった建物は多くが崩れ落ち、勢いよく燃えていた火は二酸化炭素の充満により沈下しつつある。日が落ちた暗い空を覆う分厚い煙が、人の声も獣の咆哮も虫の音すらもしない無音の空間に妙にマッチしている。
「一匹も残ってねぇな……おしっ、孤児院の地下行くか!」
孤児院の地下に繋がる礼拝堂、ルクスは警戒していた。
孤児院の地下から微量ではあるが魔力が感知できる。
「ユーリスの魔力ってこんなんだったか?」
真っ暗な礼拝堂を警戒しなが進むルクスの目に、礼拝堂の床から薄っすらと明かりが漏れているのが見える。
「やっぱし!」
村の住人は地下室に逃げていたという希望を得たルクスは、小走りで地下へと降りてゆく。
「え!?」
しかし、地下には1人しかいなかった。
動揺したルクスは思わず渡りを見渡す。だが、やはり他に誰もいない。
いるのは恐怖からかカタカタと小刻みに震えている少女だけ。その少女からルクスが警戒していた魔力が感じ取れる。
「…………クエル?」