5.知は力
紅黒城の口は一切の光を遮る。
光源を確保しても、光源から一定距離で空間が歪んでいるかのように光が霧散し、1メートル先には闇が下りている。閉所と錯覚するような暗闇の中では、方向感覚や時間感覚が機能しない。
この森の特性により空気が粘性であるかのように重く湿度も異様に高い、なかなか前へ足が出ず、そんな状況に焦れて先を急げば急ぐほど呼吸が苦しくなる。
結果、一歩また一歩と歩を進めるたびに体力が大きく削られていく。
「目印用のナイフは要らなかったな」
ルクスは頬を伝い顎に溜まる汗を拭いながら、急く気持ちを必死に抑え一歩ずつ着実に進んでいく。
前回と違い、全身から魔力を放出し続けることにより、魔法酔いの現象が緩和されている。
方向感覚や時間感覚は機能していないものの、吐き気や上下の感覚が狂う状態には陥っておらず、冷静を保てている。
方向感覚を失っているルクスではあるが、目的地は見失っていない。
集中するため足を止め、魔力を探ることによりヴァコレラ・ルスヴァンから垂れ流されている極大の魔力を捉え、足場の悪さを無視して一直線に近づいていく。
それでも、常に魔力を感知できるわけではないため、気が付いたら全く別の方角へ進んでいることもあり、スムーズとは言い難い状況であった。
「落ち着け……ここで焦ったら死にかねねぇぞ。落ち着け落ち着け……必ず辿り着ける」
実のところルクスは焦っていた。
今の自分であれば紅黒城の口に存在する魔法酔いには対抗できるはず、であるならば容易に先生の下へ辿り着くことが出来る。そう考えていた。
しかし、ルクスの想定以上に魔力の放出は労力を必要とするものであった。
意識しないと魔力を放出することが出来ないため、寝ることはおろか一瞬気を抜くことも許されない。その上で牛歩状態を強要され進捗も悪い。
自身の魔力総量を把握できていないルクスには、魔力が最後まで持つのか計算もできない。
ただでさえ座り込みたくなる一歩にかかる疲労が、焦燥感によって更に加速する。
それでも、自分に何度も何度も落ち着けと言い聞かせることで、冷静さと一歩ずつ着実に進むという意思を保っていた。
「──────!!?」
衣服は擦り切れ、水も食料も底を尽き、葉に滴る雨水と草の根を齧ることで空腹を誤魔化すこと数日、唐突にその時はやってきた。
木の間から僅かに差し込む小さな光。
走りたい気持ちを押し殺し、僅かな気の緩みもなくルクスはその光に向かって歩を進める。
全てを拒む森を抜けた先で、痩せこけ満身創痍のルクスの体は暖かな陽の光に包まれる。
「すーーーーーーーーーーぅ」
ルクスは甘美な味を堪能するように、大きく深く肺に空気を送り込む。
先程までの重く纏わりつくような空気ではない。
どこにでもあるごく普通の空気。だが、今のルクスにとっては感涙を呼ぶ軽く澄んだ空気であった。
「ありゃ!?思ったよりもかなり早かったの、少年」
泉の畔まできた侵入者を確認するため家から出てきたルスヴァンが、驚きながらルクスに声を掛ける。
「約束通り修行をつけにもらいに来たぞ、先生」
「よぉお、ここまで来れたの。辿り着けんと思うとったぞ。来れたとしても10年以上はかかると考えておったのじゃが……想像よりも怪物じゃな、おぬし」
「どう思ってようが別にいいけどよ。早く修行しようぜ!そのために来たんだ!」
ルクスには様々な感情が渦巻いていた。
歓喜、驚愕、警戒、畏怖、期待感。
森を抜けたルクスは魔力の精度が森に入る前よりも格段に上がっていた。
それでも、目の前に現れたルスヴァンの力を推し量ることが出来なかった。
自分より遥か格上、隔絶された力量差を持つ相手の“力を”“技術を”“知識を”学ぶことが出来るかもしれない。ルクスの好奇心は最高潮に到達していた。
そんなルクスの感情をルスヴァンは、孫をあやすかのように鎮静化させる。
「気合十分なのは結構じゃが、まずは体調を戻すことじゃな」
「体調?別に悪くねぇよ」
「そう錯覚しておるだけじゃ。
目的地に辿り着いたことでアドレナリンがでておるのじゃろう。
見たところ栄養も足りておらんし、睡眠もとっておらんのじゃろ?万全でない奴に修行をつける気は毛頭ない。
わかったら体を休ませることじゃな」
「今最高に調子がいいんだ!今つけてくれよ!」
「駄々をこねるでない。早く休んだ方が早く修行を始められるんじゃぞ?賢明な判断をするべきじゃな」
「くっそ……わーったよ」
「良い子じゃ」
ルクスの説得に成功したルスヴァンは家の中にルクスを招き入れる。
ルスヴァン自らの手で豪勢な食事を用意し、ルクスが食べてる間に風呂と寝室の準備を整える。
「悪いんじゃが、服があまりなくての、ワシので我慢しとくれ」
「ああ、服なんて何でもいいよ。気にしたことないし」
「そうか、そいつは助かる」
ルスヴァンは風呂から上がったルクスに、子どもにはサイズが大きい自分の服を渡した後、寝室に案内し寝かしつける。
「そういや、もうちょっとだけ早く来ていればあの子に合えたのにのぉ」
「あの子?」
「ほれ、少年が助けた女の子じゃ」
「助けたのはオレじゃなくて……先生だろ?」
「そうじゃない。村の大人たちに責められそうになっておったのを助けたじゃろ?かわいい子じゃし、ホの字じゃないのか?」
「別に……あんま……印象にな…………」
腹が膨れ、汗と泥を流し、温かい布団に入ったルクスは、さっきまでの興奮状態が嘘のように睡眠の底へと落ちていった。
窓から差し込む陽の光がルクスの顔を照らし、ルクスの目が薄っすらと開く。
直後、視覚がはっきりしたルクスが一気に飛び起き、周囲を見渡す。
ベット以外特に何もない簡素な部屋。
ルスヴァンの家であることを思い出したルクスは寝室を出る。そのままリビングに向かうと、机に突っ伏してルスヴァンが寝息を立てている。
「……先生……先生!」
ルクスは体を揺すってルスヴァンを起こす。
起こされたルスヴァンは眠気眼で反応する。
「……んっ……なんじゃ……少年か……気分はどうじゃ?」
「ばっちりだぜ!いつでも修行できる!」
「それは良かった。それじゃあ食事を摂ったら始めようかのぉ」
「なぁ、何でこんな所で寝てんの?」
「ベットはおぬしが使っておったろ、一つしかないんじゃ……それよりも少年、名は?」
「ルクス。ルクスって言うんだ。改めてよろしくな」
「そうか……それじゃあルクス、食事は作れたりするかの?」
「?……どうだろ?出来んのかな?」
「なんじゃその返答は?」
「オレ記憶がなくてよ、だから何が出来て何が出来ないのか自分でもよくわかってねぇんだ。まぁ、結構体が覚えてたりするみたいで不便を感じたことはねぇんだけどな」
「ほう……ルクスは色々と珍妙じゃな。まぁ良い、ここで修行する以上当然家事をやって貰うからの!今回の朝食は特別にワシが用意してやるが、今後はルクスに任せるからの。良いな?」
「おう!任せろ!」
穏やか雰囲気の中朝食を済ませ、2人は修行のため外へと出る。
学習意欲が高まり、ルクスは魔法の修行が楽しみでしょうがなかった。
ルスヴァンもルスヴァンで自身のことを先生と慕い、見込みのある生徒であるルクスに修行をつけることは満更でもなかった。
「──それじゃあ座学から始めようかの」
「待ってくれ。まず最初に……先生、あんたの実力が見たい」
そう言ってルクスがスッと戦闘態勢に入る。
その様子を見たルスヴァンは眉間に皺を寄せ不快感を露わにする。
「とことんワシの想像を裏切るのぉ。見込みありと思うとったんじゃが、よもや己と相手の力量差のも測れんポンコツとは……」
「早とちってんじゃねぇよ。……情けねぇことだが、今のオレじゃ逆立ちしてもあんたに届かねぇことは理解してんだ」
「ならどういう意味じゃ?」
「オレは魔法について何も知らねぇ。だから取り敢えずの目標が欲しい……。あんたなら見せられんだろ?至高ってやつを……」
「ふむ……一応理由には納得しよう。じゃが、死んでも知らんぞ」
そう言うとルスヴァンはルクスに向かって魔力を放つ。
次の瞬間、ルクスが両手と片膝をつく。
「──ぐっ!?」
ルスヴァンから発せられる魔力の圧に耐えようとはするものの、ルクスの本能は抗うことのできない現実を理解してしまっていた。
膝が笑い、歯がカタカタと小刻みな音を立てる。嫌に冷たい汗がゆっくりと全身をつたう。
ここまで辿り着くために通って来た森など比較にならない重さと絶望感が、ルクスを押さえつける。
「……よく耐えておる。……じゃがルクス、おぬしが知りたいのは至高であろう?ならば……今一つ踏ん張るのじゃな」
ルスヴァンの発言が終わるや否や、ルクスの視界が深紅に染まる。
何が起きたか理解できず呆然とするルクスに紫紺の手のようなものが何本も絡みつく。恐怖心から必死に抵抗するが巻き取られ、深淵へと引きずり込まれる。
「うわああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ルクスの精神が限界を迎えたタイミングでルスヴァンは魔力の放出を止める。
ルクスは完全に腰が抜け、虚ろな目でヒューヒューと浅く息をしている。全身が総毛立ち、痙攣しているかのように小刻みに震え、うまく体を動かすことが出来なくなってしまっていた。
「まぁあ、こうなるじゃろうな。今のおぬし相手なら指一つ動かすことなく殺すことが出来るのぉ」
「………………」
「おぬしの才覚は認めるところじゃ。
じゃが、残念ながらおぬしだけが特別というわけではないんじゃ。
故に、努力は必須となる。その努力を効率化してくれるのが知識じゃ。知識があれば今の恐怖にも対抗できるやもしれん。
なにより、ワシに指を使わせることが出来るぞ!」
「………………」
ルクスは放心状態となってしまい返事が出来ない。
そんなルクスの様子にルスヴァンはやり過ぎてしまったかもしれないと、気まずそうに頭を掻き、オロオロとルクスの顔を覗き込む。
「……ル……ルクス?」
「大丈夫……聞こえてるよ。ちょっと魔法酔いがキツかっただけだ」
「魔法酔い?なんじゃそれは?」
「え?なったことねぇーの?強い魔力を受けると気持ち悪くなるやつ……」
「なんじゃ、魔素超過のことを言うとったのか。……魔法酔い……それおぬしが名付けたのか?」
「いや、ユーリスって奴がそう呼んでた。それよりさっき出た魔素って?」
「ふむ。丁度良い。このまま座学を始めるかの」
「うっす!」
魔素とは、この世界における力の根源である。
魔素は空気や水、火、鉱石などの無機物、人間や動物、植物、菌類などの生物や有機物、ありとあらゆる全てのモノから生み出され、魔素を利用できる才覚を持つモノに消費され常に流動している。
魔素の持つ特性は至ってシンプルであり、「増強」である。より大きく、より多く、より太く、より速く、より頑強に、魔素を保有出来れば出来る程この特性が色濃く表れる。
魔素超過とは本来個体が持っていたはずの基礎ステータスが外部から許容以上の魔素を摂取することによって異常をきたし、急激に増強させられたステータスに肉体の強度が耐え切れず、バランスが崩れることによって発生する症状である。
大抵の場合、魔素は循環するモノなので安静にしていれば数日で元通りに戻る。
魔力とは、自然界に流動している魔素を己がモノにした力である。
魔力をコントロールするにも才能が必要となる。
魔力は「循環」「圧縮」「放出」「纏帯」などができる。
「循環」とは魔力を常に体に循環させること。
魔素の循環は右から左へと体を通り抜けるような循環に対して、魔力の循環は体の端から端まで行き渡るように循環させることである。
「圧縮」とは、魔力を1点に集め留めること。
体内に留めることも、体外で留めることも、どちらも圧縮と呼ばれる。
「放出」とは、魔力を飛ばすこと。
魔力を放ち続けることも、圧縮した魔力を飛ばすことも、放出と呼ばれる。
「纏帯」とは、鎧のように魔力を纏うこと。
循環とは違い、体を覆うように魔力を保持し続ける。繊細な魔力コントロールが出来ないと身を亡ぼす可能性があるためかなりの難度となる。
「待て待て待て待て。もうちっとわかりやすくならない?」
「なんじゃ?どこがわからんのじゃ?」
「……もっと……こう……ほら!イメージしやすい感じにさ!」
「ふーむ……しょうがないのぉ」
そう言うと、ルスヴァンは大きな木の側に立ち、コンコンと木をノックする。
「よいか。よく見ておれ。これが魔力を利用せず殴った威力じゃ」
そう言うと、ルスヴァンは拳を握り、振り被ると横軸にスイングし鉄槌を大木に見舞った。拳を叩き付けたルスヴァンは涼しい顔で3歩前に出る。
ズドンという重たい音が響き、拳を打ち付けられた箇所が派手に凹む。次第にビキビキと音を立てヒビが入り、大木がゆっくりと折れる。
「……なっ!?」
ルスヴァンは自身4人分以上はある太さの木をただの拳一発でへし折ったのである。
ルクスはアホみたいに口を開けていた。
「じゃあ次は魔力を込めて殴る。違いをよう見とくんじゃぞ」
「ちょっと待て!なんだ今の威力!?違いなんか判るのか!?」
「なんじゃ?すぐ止めよって。黙って見とき」
ルスヴァンは先ほどよりも更に太い木の側に歩み寄ると今度は振り被りもせずに、まるで扉をノックをするかのように軽く木を叩いた。
ルクスは先ほど以上の驚愕を味わうことになる。
ルスヴァンが木を叩いた瞬間パッーーーンっと大きな音な炸裂音が響き、直線状にあった木もまとめて木の一部が円形状に消し飛んでいた。支えの無くなった木の上部が一斉に落下する。
「どうじゃ?これが魔力を使える者と使えぬ者の差じゃ。圧倒的じゃろ?」
「ああ。想像以上だ」
「ちなみに言うとくがな、魔族と呼ばれる者たちは生まれながらにこの力を有しておる。無闇に突っかかることはせんことじゃな」
「……なるほどな……けどよ、身につければオレでも届くんだろ?」
「うむ、否定はせん。それじゃあ次は、魔法についてじゃな」
魔法とは、魔力に効果を付与させたモノである。
火の効果を付与させれば炎熱魔法に、水の効果を付与させれば水泡魔法にと魔法の種類は様々である。
魔法の特徴として個人の才能の差が如実に出るというモノがある。
魔法の種類を選ぶことは基本的に出来ない。つまり、火の魔法が使いたくとも炎熱魔法の才能がなければ扱うことは出来ない。
また、複数の魔法を行使できるかどうかも才能による。4つも5つも魔法を使いこなす者もいれば1つとして満足なレベルに達しないということもザラに存在する。
基本的に選べないのだが、いくつか例外が存在している。
その中の一つが種族魔法。人類種の中では家系魔法とも呼ばれている。
要は、遺伝による魔法継承である。必ず狙いの魔法が遺伝するわけではないが、可能性はかなり高い。紡げば紡ぐほどその可能性は上がっていく。さらに、隔世遺伝も起こり得る。これは祖先が持っていた魔法が突然顕現するというモノである。
これは魔力量も同様である。魔力量の多い者と魔力量の多い者が交配すればより魔力量の多い子が生まれる可能性が高い。
「ユーリスは水泡魔法の才能があったってことか……。なぁ、どんな魔法が使えるのかってどうやったらわかるんだ?」
「さてな」
「は?どんな魔法が使えるか調べる方法ないの?」
「どうじゃろうな?ワシは知らん」
「じゃあ先生はどうやって自分の魔法を知ったんだよ?つか、先生はどんな魔法使えんの?」
「わしの魔法か?色々使えるぞ。さっき言ってた水泡魔法も使えるしの」
「あんとき魔獣を倒した魔法は何?」
「血結魔法か、あれは最古の魔法じゃよ。なんじゃルクス、血結魔法に興味があるのか?」
「使える?」
「使う方法はあるにはあるが……オススメはせんな。他のが出来るか試してからでも良いじゃろ」
「だから、どうやったら他のが使えるかわかるんだよ」
「そいつはまぁあ、時間をかけて色々と挑戦するしかないの。
それよりもじゃ、まずは魔力を完璧に操れるようになるところからじゃな。理解しとるじゃろ?ちょっと魔法が使えるようになったところで、ワシに指一本使わせることはできんぞ」
「うっす!まずはどうすればいい?」
「まずは魔力の循環からじゃ。」
ルスヴァンの影の中から、薄く水色に光る角の生えた真っ赤な目の漆黒の兎が突如ワラワラと現れる。
「なんだこいつら!?」
ルクスが一瞬で飛び退き、戦闘態勢に入る。
そんなルクスを微笑ましく思いながら、ルスヴァンが嗜める。
「そんな警戒せんで大丈夫じゃよ。こやつらはワシの眷属じゃ。ただ一つ他者の練り上げた魔力を喰らう特性があっての、おぬしにはその中で乱されることなく魔力を循環させる修行をしてもらう」
「かなり難易度高くないか?」
「食事中も排泄中も睡眠中も魔力を循環させている状態でいられるようになる必要があるからのぉ。体内の魔力は感じられるんじゃろ?じゃあその魔力を外に逃がさないように体の中で循環させるんじゃ。なぁに1年もあればできるようになるじゃろ」
「なるほど。やってやるぜぇ!」
ルクスが紅黒城の口に入った次の日、ユーリスも紅黒城の口の前に来ていた。
その目は決意に満ち、全身からはこれまでにない魔力が立ち上っていた。
「今のままではダメだ。ボクは一刻も早く誰よりも強くなる」