2.友の声
魔獣事件があったその夜、ルクスは自分の部屋にある姿見の前に立っていた。
丘の上で目覚めてから初めて見る自分の姿。
12歳にしては高い方だろうか、細くしなやかなシルエット。色素薄目な血色の悪い肌の色。黒と白の混じったヤマアラシのような色の男にしては多少長めの髪。みすぼらしい髪とは対照的に黄金のように輝く、猫のように細い黄色い瞳孔。年齢相応の童顔。片方の白目の部分と20の爪の先が漆黒に染まっているという周りとの違いはあれど、外見的だけで言えば人類と言って差し支えない。
自身の姿をまじまじと確認してもルクスの記憶は蘇らない。
「自分の骨格も理解せずよくまともに動けたもんだ……」
ルクスは傷一つない体に不完全な機能がないか確認しながら、昼間の戦闘での不甲斐なさを振り返り奥歯を噛みしめる。
「しかし、どうするかな~。急に動かなくなったと思ったら記憶がないと宣い始めた挙句、魔獣とかいう化け物に突っ込んでいくとか……。完全にヤバい奴だよな~」
独り言を呟きながらベットに仰向けで倒れ込む。
魔獣との戦闘後、ここは何処で、自分は何者で、どう生きてきたのか、様々なことを色んな人に聞いて回った。
名前はルクス。出生不明の孤児である。故に誕生日も正確な年齢もわからず一応12歳ということになっている。物心ついたころには既に孤児院にて生活を送っており、孤児院の最古参である。
丘から村を一望した際に見えた、住宅地の中央に建っていた小さな教会らしき建物がルクスが育った孤児院であった。孤児院は院長と職員の合計3名で経営されており、村を統治している貴族の援助により孤児たちは不自由なく暮らすことができている。
ルクスはうつ伏せへと体勢を変え、院長から借りてきた本をベットの上に広げる。
「確かここはミラリアム王国という国のウル・ドゥニージャ公爵領の辺境、パトリア村だったよな。なんだよ!先生が住んでる泉が地図に載ってねーじゃん!」
本に描かれた高低差もわからず大雑把な情報しか載っていない地図を見ながら現在の位置を確認する。
ミラリアム王国はその名の通り王制であり、国のトップは女王である。身分階級が存在しており王命により各貴族に土地が与えられ、与えられた土地を貴族自らが統括することになっている。
しかし、貴族が全ての土地を逐一見て回ることなどできないため、基本的に都市や村などに長を擁立し管理している。とは言え、問題が発生した場合に女王から叱責を受けるのは拝命を受けた貴族であるため、貴族は小さな村に対しても融和な姿勢を取ることが多い。結果、小さな村であるパトリア村の孤児院も贅沢できるほどではなくとも満足いく生活ができるレベルにあった。
「この国の身分は世襲制が基本なのか…。王族、貴族、平民、この国では原則禁止になってるけど、国によっては奴隷階級なんてのも存在するのか…。てか、女がトップの国が多いんだな。……ん~王都や公爵とやらが住んでる都市についても知りたかったけど皆知らなかったんだよな~。まぁ、ほとんど村から出ないっぽいし、出た奴は帰ってこないっぽいしでしゃーないか」
記憶に刷り込むようにブツブツと独り言を呟きながら、ルクスは頭の中に情報を整理していく。
コンコンコン
ルクスの部屋のドアが非常に丁寧にノックされる。
「開いてるよ」
ルクスの返答を聞き、少年が入ってくる。
背恰好はルクスと近い。菜の花のような眩しい黄色い髪に碧い目。近い未来美形になることが確約された非常に整った顔つきである。白を基調とした孤児院の制服も非常に似合っている。
「座ってもいいかな?」
「ご自由に。……あー…悪いんだが…名前なんだっけ?」
「ああ、そうか記憶がないんだったっけ。ユーリスだよ」
近くにある椅子を引き寄せベットに座り直したルクスの正面に腰かけたユーリスは、ルクスの質問にフッと表情が暗くなる。
それでもルクスに罪悪感を抱かせまいとすぐに明るく名乗る。ただ、本題に入るためにすぐに笑顔から真剣な表情へと切り替わる。
「ルクス、もしかして魔法が使えるのかい?」
「魔法?」
「うん。魔獣と戦った時、人間離れした動きしてたでしょ?……ただ…魔法を使える人は生まれながらにその才を有しているそうで、後天的に魔法を習得するというは不可能とされているはずなんだけど……」
「前のオレは魔法とかいうのが使えなかったが、今のオレは使えてるってことか?」
「多分ね」
「悪いな、困ったことに何も覚えていないんだ」
「いいんだ。気にしないでくれ。それに君には感謝しているんだ」
「どういうことだ?」
「念のため布を敷かせてくれ」
そう言うとユーリスは立ち上がり自分の前に布を敷く。
その後、両手を向かい合うように胸の前へ構えると、目を瞑り集中する。徐々に手の間の空気が揺れ始め、次の瞬間、一気に高速に螺旋回転する球体の水が発生する。
ユーリスが力を緩めると水は何事もなかったかのように空気中に霧散する。
「ふー。君の褒められてから結構努力したんだよ」
ユーリスは爽やかな笑顔を見せる。
それに対し、ルクスは目を輝かせ興奮状態で反応する。
「すげーじゃねーか!」
「ははっ。雰囲気は変わってるけど、やっぱりルクスはルクスだね!」
「どういう意味だ?」
「村の人は魔法を、つまりこの力を魔族の力として忌避しているからね。大人たちがボクを気味悪がってたから、子どもたちも真似して最初はボクと話してもくれなかったんだよ…。でも君は違った!今みたいに魔法を凄いって褒めてくれて、結果孤児院の子たちはボクに関わってくれるようになった。…覚えてないと思うけどボクは君に救われたんだよ」
「そ、そうか……。えー…あっそうだ。あの騒動の後、村が全体的に変な空気だったろ。なんかあったのか?」
唐突なユーリスの感謝にすわりが悪くなり、照れを隠すようにルクスは話を変える。
そのヘタクソな話の転換の仕方にクシャっと笑顔を見せた後、ユーリスは真剣な表情でルクスの問いに答える。
「今日、3年前と2年前にここの孤児院を卒業していった先輩たち4人が、山菜や薬草を取りに森に入ったそうだが、3人が遺体で見つかって1人は未だ行方不明だそうだ」
「そうか……オレもその人たちとは顔馴染みだったんだろうな」
「……うん……」
少しの間シンっとした沈黙が流れ、外の雑音が部屋の中にこだまする。場の空気を変えようと今度はユーリスが話を振る。
「ところで、ルクスは今後どうする?」
「どうって?」
「ボクもルクスももう12歳だ、今まで通り好き勝手はしてられない。成人の16歳まではまだ多少の時間はあるが、13歳からは一人前になるために村で仕事を手伝うか村を出るか選択しないと」
「あー。確か孤児院は一応成人までは面倒見るっつうことになってるが、基本13になったら出てくんだっけ?てか、以前もオレとこの話した?」
「うん」
「そん時のオレはなんだって?」
「ボクたちは孤児だからね。相続できる田畑や店はほとんどない。だから、君はこの村を出ると言っていたよ。村を出た後何をするかは決まっていなかったようだが」
「そうか……。明日先生の所にいくから進路はその後かな。……ただ最終的には村を出るのは変わらんと思う。村でできることは少ないだろうしな。ユーリス、お前はどうすんだ?」
「ボクはもう少し村に残ることにしたよ」
「もう少し?」
「ああ。今のボクではすぐに村を出ても何も出来ないことがわかった。しばらく孤児院を手伝いながら魔法の修行を積むよ。そして、強くなって王都に行く。王都に行けば魔法が役に立つ仕事があるかもだからね。それで……それで成人になったら…クエルにボクの気持ちを伝えようと思うんだ……」
「おっ、おう。頑張れな」
「ありがと!……それと謝りたいことがあるんだ」
「?」
「……実は…君があの魔獣と戦っているのを見ていた……。ボクは魔法が使えて…修行のためにルクスたちがせっかく遊びに誘ってくれても断ることも多かった。それもこれも何かあった時に君やクエル、皆の力になるためだ。……そう思っていたのに…いざその時が来たら怖くて動くことが出来なかった。ルクスが体を張ってたのに、加勢してあげられなくてゴメン!ほんと自分が情けないよ……」
ユーリスは椅子から立ち上がり、体を直角に曲げてルクスに謝罪する。
「いいって、気にすんな。それにオレも無策で突っ込んだだけだしな。結局、先生が来てなかったら殺されてたろうぜ。情けねー話だ…。そうだ──」
ルクスがユーリスに「明日一緒に先生のもとへ訪れないか?」と提案しようとしたタイミングで部屋のドアが乱雑に開けられる。
「ルクス、ちょっといい!?」
「クエル!?いつから!?というか。他人の部屋に入るときはノックしなきゃ」
ユーリスが慌ててクエルに視線を飛ばす。その目は完全に泳いでいる。
(こいつがユーリスの言ってたクエルね……)
クエルの背はルクスより一回り小さい。
服装は孤児院の制服ではなく、親から大切にされていることがわかる清潔で可愛らしい服に身を包んでいる。蜜柑色の髪に飴色の瞳をした少女が、当たり前のことであるかのように一切悪びれる様子のない態度でルクスの部屋に入ってくる。
そして、ユーリスに高圧的な態度で対応する。
「なに?あんたの部屋じゃないでしょ!?」
「そうだけど……。それより夜にここに来たら親御さんに叱られるよ……」
「はー!?それこそあんたに関係なくない!?てか、なんであんたが説教してくるわけ!?」
「いや、説教ってわけじゃ……」
「ていうかあたしルクスに用があるんだけど?あんたの用まだ終わんないの!?」
「へ?あ、えっと、じゃあボクはこれで……。ルクス、邪魔したね」
クエルの圧に気圧されユーリスがすごすごとルクスの部屋を去っていく。
その様子にクエルはフンッと鼻を鳴らす。そして、先ほどまでユーリスが座っていた椅子を無視してベットに座っているルクスの隣に腰掛ける。
急な距離に驚いたルクスがクエルを見る。
一方のクエルは何かを迷うように俯いたままじっと自分の手を見ている。
「……」
「……」
暫しの間沈黙が流れ、意を決したようにクエルがパッとルクスの瞳を見つめる。
「ルクスだよね?」
「は?」
「別人じゃないよね!?本物のルクスだよね!?」
肯定して欲しい。そう訴える潤んだ瞳でクエルはルクスに問い掛ける。
クエルの問いに対して、ルクスは簡単に肯定することが出来ない。
「クエルはどう思う?」
「わかんないよ……。話し方が違う、癖が違う、歩き方も、手の握り方も、何もかもが違う!!昔のルクスなら魔獣に突っ込んで行ったりはしなかった。……でも、魔人の子を助けた時はやっぱりルクスだと思った……」
「……」
「お願い!もう魔獣に突っ込むなんて無茶しないで!!」
「あれは流石に無謀だったな」
「そうじゃないよ…心配なの。だからもう戦わないで!!」
「そういう訳にはいかない。あの化け物は明らかに人間に敵意を持っていた。ああいうのがいるなら、戦わなければ確実に少なくない被害が出る。だが、今回で学んだ、死んだら誰も守れない。殺されずに勝つ!そのためにも、オレは必ず強くなる!守りたいものができた時、後悔しないようにな!」
ルクスの強く真っ直ぐな瞳にクエルは顔を紅くして視線を逸らす。
決して折れることの無いルクスの意思を理解し、クエルは説得を諦め、別の話題を振る。
「ねぇ、さっき何の話してたの?」
「ユーリスとか?」
「そう」
「そろそろ13歳だから今後どうするかってな」
「どっ、どうするの!?」
「さっきも言ったように取り敢えず強くなる。その後は村を出るかな」
ルクスがそう発言した途端、クエルが甲高い声で詰め寄る。
「ユーリスの奴に変なこと吹き込まれたの!?」
「は?」
「あいつ魔族と同じ力が使える化け物なんだよ!!陰で水相手にブツブツ言っててヤバい奴なんだから!!ルクスも近づかない方がいいよ!!」
「魔族と同じ力?魔法の事か?」
「そう!ユーリスは魔族と同じで人間の敵だって大人たち皆言ってるよ」
ルクスはクエルの発言で、最初は誰もユーリスに話しかけなかったという言葉を思い出していた。
ルクスはクエルを責めようとは思わなかった。
子どもが周囲の大人の影響を色濃く受けることは当たり前であり、魔法という力が極少数の人にしか発現しない貴重なものであるならば、多くの人にとって理解の出来ない畏怖の対象となることも理解できていた。
現にユーリスに魔法のことを聞くまで村人から魔法についての話は漏れてこなかった。魔獣が襲ってきた際も誰一人として魔法を使える者がいなかったからルクス一人が魔獣と戦闘することになったのだ。
故に、本心から忠告するように優しく静かに口を開く。
「だったら俺にも近づかない方がいいぞ。クエル」
「え?どうしてそんなこと言うの?」
クエルはルクスから放たれた言葉に困惑と焦りの表情を浮かべる。
「どうやらオレにも魔法の才能がある。つまり俺も、この村からしたら異質な存在ということだ。そういう訳もあって将来的にはこの村を出ることにした。ユーリスは関係ない」
「そ、そうなの?」
「ああ。まだ、どういった能力かは定かじゃないけどな」
「もしかして魔法が発現したから記憶がなくなっちゃたの?」
「さあ?どうだろうな?よくわからん」
「ルクス、人じゃなくなったりしないよね?ずっとルクスのままでいてね?」
「あっはっはっ。人とは別の何かになった感覚はないかな。大丈夫だよ。魔法が使えようが使えななかろうがオレはオレのままだ、変わらないよ」
不安と信頼が半々であったクエルだが、聴くもの全てを無条件で信用させることができそうなルクスの自信に満ちた声音を聞き信用すると決める。
そして、今度は上目遣いの甘える子犬のような目で、ルクスの目を覗き込みおねだりし始める。
「……あ、あのさ!もしよかったらルクスがこの村を出るときさ、あたしも連れてって欲しいんだけど……ダメかな?」
「んー……」
「お願い♡」
「なんか役に立ちそうだったら考えてやるよ」
「ほんと!約束だからね!!」
約束事が決まった時、部屋のドアが開き院長が現れる。
「クエル、やっぱりここにいたんですね!お母様が心配してらっしゃるわよ!早く家にお帰りなさい!ルクスもそろそろ寝る準備なさい!疲れてるでしょ!」
「やっっばっ!?」
現れた院長を見て、クエルが焦ってベットから立ち上がる。
そして、ルクスの髪を手で上げると額に軽く口づけして、部屋から小走りで出ていく。
「おやすみ♡」
最後にヒョッコっと顔を覗かせて寝る前の挨拶を済ませると、院長とヤイヤイ言い合いながら自宅へ帰っていった。
静かになった部屋でルクスは、ユーリスがやっていたように胸の前に手を掲げ魔力を感じられるように集中する。
「は~。全くわからん」
そのまま仰向けでベットに倒れ込むとルクスは静かに眠りに落ちた。