フィグメントの空5
「や、やっちまった……!」
包丁を持ったまま、時雨が待ち受けているであろう玄関から飛び出す武蔵。
当然ながら演技である。
「ははは、あのクソ妹め! キモいんだよ、俺は時雨と一緒になるっていうのにいつまでも……あれ?」
シナリオ通りの設定を言いつつ時雨の様子を伺うと、どんなループでも必ず家の前で待っていた時雨がいなかった。
いきなり予定が狂ったことに武蔵は困惑しつつ、とにかく時雨の行動を推測する。
「しまったな、今日は出会いからイベントが発生してたか」
時雨は様々なテンプレイベントを再現してくる。
今日のテンプレは、朝彼女が迎えに来るのが相応しくない内容だったらしい。
それでもそのうち顔を出すだろうと武蔵は普通に登校することにした。
包丁を持って、返り血を浴びたままの姿で。
「ねえ坊や、あれって……」
「しっ、お母さん。ああいうのは見ちゃ駄目だよ」
通学時間だと加味すれば不自然この上ない親子連れに奇異の目を向けられつつ、武蔵は通学路を進む。
目指すは今日一日で通い慣れた、鋼輪工業へのルートだ。
だが時雨がいないので、意気揚々と横着して空中バスのバス停を目指す。
「いっそ、もう出てこなければ平穏なんじゃ……」
「くっ、『深淵の民』がここまで侵食しているなんて―――! 誰か、適正のある者に協力を求めなきゃ……!」
負傷した様子の時雨が、変なことを口走りつつ曲がり角から現れた。
いつもの学生服だが、その手には日本刀。そしてこれみよがしに眼帯。
中二病ルックであった。
「はっ! 貴方、なんて魔力を……うん?」
どうやら今日は異能力系のボーイミーツガールをやりたかったらしい時雨。
しかし彼女は血まみれ包丁装備の武蔵を見て、愕然と口を開いた。
「どうしたの、それ」
「妖魔が現れた。あれはB……いや、A級の鬼種に違いない! 『深淵の民』の動きは俺達の予想を超えている!」
武蔵は中二病にノッてみた。
後先など考えてはいない。
「え、あ、そうね」
「まさか、遂に始まろうというのか―――『カタストロフ』が。『例の戦争』終焉から1年もたっていないというのに、まさか『スサノオ機関』が動いたのか。時雨、『人造国家』の大統領は俺達と戦争をしたいようだ。―――la・yrds・stiana―――」
「えっと、あの? どうしたの?」
「まさか時雨、お前……!? くそっ、奴らの手はお前にまで伸びているというのか。カソック機関の秘術に記憶操作があると聞いていたが、時雨の絶対障壁を突破するとはな……!」
「大丈夫? 今日はもう明日にする?」
「ふははははははははは! あの妹を自称する小娘は始末してやったわ! 俺の妹は10年前に死んだ、お前達に殺されたんだ!」
時雨は武蔵の言動に呑まれていたが、やがて顔を青くして、そのままに駆け出した。
予定変更であったが、いい感じに時雨が大和家に向かったので良しとする武蔵。
こそこそと帰宅すると、膝から崩れ落ちて涙する彼女に出くわした。
「どうしよう、武蔵が、武蔵が……」
「嘆くことはない、これで俺と時雨の永遠は保証された。そう、この小娘こそが終わらない今日を生み出していたのだ!」
「ちが、私、私達が……武蔵、正気に戻って。私が……」
ぽろぽろと涙を落とす時雨。
罪悪感が割と凄いが、しかし彼女がこの状況の原因である。
「どうしたんだ時雨、クソビッチ妹モドキは排除した、俺達は今日という世界を永遠に愛し合えるんだ!」
「武蔵が、武蔵がおかしくなっちゃった……」
時雨はやがて、意を決したように立ち上がる。
「武蔵。ごめんなさい、こんなこと、しちゃいけなかった」
「おせーよ」
「全てに決着を付けましょう。私達の全てに、私が邪魔な足枷じゃないことを証明する為に」
世界が、ノイズと共にブラックアウトした。
『2045年7月4日』
「まあ、そんなこったろうと思ってたよ」
武蔵の目の前には、どことも知れない広い土地が広がっていた。
見覚えはないが、立地からおおよそ予想はつく。
セルフ・アーク内唯一の自衛隊拠点―――大苫基地だ。
基地内の滑走路の上。辺りは未だ暗く、星の位置から未だ丑三つ時であることが判る。
「うん、そういうこと。さっきまで私達がいた学校は、現実じゃない」
そう告げる時雨の後ろには、彼女の愛機たる疾風がアイドリング状態で鎮座している。
武蔵が振り返れば、当然のようにそこには彼の零戦があった。
「仮想現実。バーチャルリアリティの中で、私達は偽りの永遠を過ごしていただけ」
武蔵は爪先で滑走路を叩く。
「大丈夫、ここはもう現実よ」
「そうか」
先程までの仮想世界があまりにリアルだったので判断しかねていた武蔵であったが、どうやらここは本物の自衛隊基地であるらしい。
どうして自衛隊の基地内にいるのか、それはおおよそ予想がついている。
何故か夢に登場していた自衛隊員の差金であることは簡単に想像がついた。
「訓練用の仮想空間技術―――VRは元々は軍事訓練の場で実用化されたんだ。自衛隊が最新のものを保有しているという点においては、それは今でも変わらない」
武蔵はずっと電子の世界に閉じ込められていたのだ。
「お前はプログラム方面にめっぽう強かったからな、おおかた自衛隊に協力でもしてたのか?」
「そんなところよ。被験者はごく少数に絞っての、新型フルダイブVRの試験」
「細々な矛盾や登場人物についてはどうなってる」
「催眠術みたいなものね。貴方の潜在意識から再現した人格。あのループする世界の登場人物はほとんどが幻覚よ」
「催眠術か……ループしていた時間が明らかに24時間を超えているのもそのあたりが理由か?」
「そうね。当事者の脳そのものが描く幻想、認識に便乗することで、VRに実在感を出す―――そういう技術」
これならば今日が続こうが、おかしな現象が生じようが何ら不思議ではない。
ある意味、機械仕掛けの神が登場するのと同列の禁忌―――夢オチに等しい結論だ。
なんでもありの、一番とんでもないオチである。
「伝説のエアレーサー」
時雨が、誰に聞かせるわけでもないように呟く。
「天空の覇者。若きエースパイロット。中学生にして、世界選手権ですら通用するほどの実力を持った絶対強者」
それら称号を、武蔵はよく知っていた。
今でこそそのような気配はない。
だが、それらはまごうことなきかつて武蔵が背負っていた称号なのだから。
「一線を画する零戦―――故に、ゼロセカンド」
零戦は2つの数字にて形式を表す。
最初の数字は機体のバージョンを、2つ目の数字はエンジンのバージョンを表している。
例えば武蔵の乗る零戦、21型。2番目のバージョンである量産型の機体に、量産型零戦の当初のエンジンである栄一二型発動機を搭載しているという意味になる。
「かつて、エアレースにおける零戦の評価は低かった。歴史的に重要な機体ではあっても、競技用機としては誰も重視していなかった」
航空史において、零戦がある種の金字塔であることは疑いようがない。
しかし空戦理論が成熟し、高性能なエンジンが調達可能となった現代においては、零戦は改造ベースにするには脆すぎる。
零戦は、どうしても根本的な機体強度が足りなさ過ぎたのだ。
日本軍機にこだわるならば、疾風や烈風など優れたプロペラ機はまだある。零戦などを選ぶくらいなら、海外製のマスタングなど、もっと安価に入手出来る高性能機は幾らでもあったのだ。
そんな中、人知れずデビューしたのが武蔵と零戦21型だった。
「武蔵は最初から強かったわけじゃなかった。むしろ、尖りすぎた戦い方のせいで弱かった」
「うっせえ。少なくともお前に負けた経験はねえよ」
「でも、いつの間にか、誰よりも強くなっていた。誰も勝てなくなっていた」
武蔵の戦法はシンプルだ。大出力エンジンと軽い機体で空を駆け上り、執拗に一撃離脱を繰り返す。
急降下速度に大きな制限がある為に、ひたすらに機会を伺い続ける戦法。
延長戦すら厭わないやり方に反感を抱く者も多いが、それでも武蔵という選手が糾弾されないのはやはり『強いから』に他ならない。
「一撃離脱に徹せられては勝ち目はない。空戦に引き込んでも単純に強い。上手い人間が油断せずに卑怯と誹りを受けかねない戦術に徹せば、もう凡俗に勝ち目はない」
生産数が多かったので、エアレーサーにも零戦を駆る使用者はいた。
だが、武蔵ほどに零戦を改造し、零戦で勝利を重ねてきた人物は他にいない。
エアレース史に、これまでとは明確に違う異端者が現れたのだ。
「だからこその、ゼロの次世代機。常識を覆す、異端のゼロ」
そこまで、妄執的に強くなることを求め続けた武蔵。
その原動力は、ただ1つ。兄のようになりたかった―――それに尽きた。
優秀な自衛隊員であった兄に憧れた武蔵は、しかし兄とは致命的に違うことに気付けなかった。
兄は自分の衝動のままに空を目指した。だが、武蔵はそんな兄の背中を追っただけ。
武蔵自身の感情など、そこに一分も介在していなかったのだ。
「今になって思えば、あまりにバカバカしい。借り物の夢、借り物の感情。まして、それが人に迷惑をかけるものだと気付いて、俺はもう空を飛ぶ気にはなれなかった」
武蔵はかなり合理主義なところがある。目的さえ明確なら、最短距離で到達出来る人間だ。
だからこそこれまでの戦術を覆し、肉体の限界を意図的に超えるという邪道な戦い方を編み出せた。
だが、その果てに得たものなどなかった。
武蔵の行動で時雨は重症を負い、しかしそれを鑑みなかったことに自分自身で愕然とさせられた。
結果と目的が逆。一度我に返ってみれば、背後には多くの嘆きと恨み言。
彼が中学頃に引退するまで、数えきれないほどのエアレーサーを敗北させてきた。
その全員が武蔵を恨んでなどいない。武蔵は正しく、強力な選手だったのだから。
だから、武蔵が感じたのはただの被害妄想。
自分自身の罪悪感が、彼を引退に追い込んだのだ。
「でも、武蔵は空に戻ってきた。かつての強さのままに、私達の前に立ち塞がっている」
「ああ―――ハーレムという響きは素晴らしい。酒池肉林、まさしく男の夢。その為ならば、俺は操縦桿を握れる」
「……その動機については、ほんとなんとかならなかったのかしら」
何を言う、と武蔵は不満げに眉を寄せる。
「空を目指そうなんて、個人の性癖に過ぎん。だが俺のハーレム婚は生物としての正しい衝動だ。嫁達とバンバンヤッてバンバン産んでほしい。少子化対策だ。むしろ健全化したといっていい」
「人間は本能としては一夫一婦制なんだけど……」
「諸説ある」
人が属する猿類は、多くが一夫多妻制や乱婚制である。
むしろ一夫一婦な人間が異端であり、いや人間も実は乱婚なんじゃね、という意見も多い。
「目的は得た。俺はもう迷わない。今度こそ、貫き通してみせる―――!」
「なんかかっこいいこと言ってる」
困った様子で頭を搔く時雨。
「ねえ、ぶっちゃけるわよ?」
「おうよ、来いや」
「私は武蔵の特別でありたい」
それは、割と当然の主張であった。
「でも妥協するわ。武蔵ってなんだかんだで無茶を通せる人間だから、きっと一夫多妻も出来る。私は、武蔵のハーレムに加わってもいい」
「お前が俺に好意を抱いているなんて、大前提過ぎると思う」
「だからぶっちゃけて、全部再確認してんのよ。だから、アンタも正直にぶっちゃけなさい」
そう言って、時雨は武蔵を指差す。
「私を疎むのは、私が負傷したって負い目があるから?」
「……そうなんだろうな」
どれだけ言い繕ったところで、それは変わらない。
時雨は武蔵の失敗の象徴だった。
彼女自身は嫌いじゃないのだ。美人で、さっぱりした性格は好ましい。
最近は放置し過ぎて暴走気味であるが、本来の彼女は姉御肌の世話焼きなのだ。
彼女がエアレースチームのキャプテンなのも、割と納得の実績なのだ。
「馬鹿にしないでよ。あれは、私の単独事故よ。無理にアンタに付いてって、限界高度を超えて自滅したってだけ」
「だが、本来ならあの場で俺はすぐに降りるべきだった。でも俺は重症を負ったお前を無視して、スケジュールをこなすことを優先した」
「アンタが地上に戻ったところで、何が出来るっていうのよ。付き添うくらいしか出来ないでしょ。なら、合理主義のアンタなら自分の出来る予定をこなすことを優先する。きっと、空を飛ぶ人間にはそれくらいの非人間性が必要なのよ」
時雨は空を見上げる。
コロニーの天上に投影された、作り物の空を。
「どこかで聞いたわ。世界初の航空機事故は、137年前におきたって。それから100年以上たって、空はかつてよりずっと安全になった。でも、それは蓄積したノウハウや発展した技術のおかげだけじゃない。空に真摯に向き合う人が、最後の最後に防波堤として気を張り続けたからよ」
だから、と時雨は思う。
「私は武蔵が間違っていたとは思わない。いつだって思うわ。旅客機に乗るなら、武蔵みたいな一分の隙もない徹底したパイロットに命を預けたいって」
「―――そう、か」
救われた気がした。
こんな平凡な理屈で。こんな単純な言葉で。
武蔵は、今までのわだかまりが溶けた気がしたのだ。
「そっか」
「そうよ。だから、あの空の続きをしましょ」
滑走路の滑走路灯が、風向灯が、あらゆる飛行場灯火が明かりを灯す。
武蔵と時雨、疾風と零戦をライトアップする投光器。
自衛隊の全面協力による、なかなかの演出過多であった。
「許可は」
「取ってあるわよ、そりゃあ」
まあそうだろうな、と頷く武蔵。
時雨は主翼に足をかけ、自らの愛機、疾風に乗り込む。
「証明してあげる。私だって、あの頃のままじゃない。今度こそ、あんたより高く飛んで見せる」
そんな言葉を聞いて、武蔵ははたと思い出す。
そういえば、彼女はかなりの負けず嫌いだったなと。
「私は、アンタに守られる対象でも、憐れまれる相手でもない。独壇場だなんて思わないことね、空の上であろうと対等に寄り添ってみせるわ」




