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レイモン・ソルニエの騎士道4


 PON!


 なんてシュールな音が実際にあったわけではないが、そんな感じにコロニー外壁から宇宙に飛び出す凰花。

 そしてぽろん、と続いてコロニー外壁から虚空へ飛び出すMiG―25。

 宇宙単独飛行に感動すべき状況かもしれないのだが、武蔵としては後ろの伊勢が気になってそれどころではない。


「なあ、ミグ25って宇宙で飛べるのか?」


「【知るか。12万フィートでも飛べるんだ、そうそうオシャカにはならんだろう】」


 不機嫌そうに答える日向。

 このまま彼の機体を宇宙で漂流させるわけにはいかないので、両機をランデブーさせて武蔵は宇宙遊泳用のスーツを着込む。


「ちょっと船外作業してきます」


「《あわわわわわわわっ》」


 振り返ると、花純は白目を剥いて燃え尽きていた。

 とりあえず交渉材料になるかもしれないと携帯端末で彼女の顔写真を撮って、武蔵は宇宙へ飛び出した。

 凰花とMiG―25のアレスティングフックをワイヤーで繋ぎ、漂流する機体を慎重に減速させる。


「重い」


 正規の方法ではないが、飛行機で飛行機を牽引するという負担のかかる作業ができる箇所がアレスティングフックくらいしかないのだ。

 少しずつMiG―25を移動させ、なんとかセルフ・アークの衛星軌道に同期させる。

 それはやたら時間がかかる作業であった。

 機体とコロニーの相対速度は時速で1000キロ以上。2機のエアチェイスの速度そのままだ。

 20トンもある大型戦闘機を、5トン程度の重量しかない小型機である凰花が制動させる。そんな芸当が出来るのも宇宙の妙であろう。

 宇宙では時間をかければどんな重量物だって、それこそ小指一本でも受け止めれれる。だが、やはり小型機である凰花には荷の重い作業であった。

 そして、それは間違いなく武蔵達に対してのダメージとなっていた。


「とんでもなく時間と燃料食ったぞ。目的地まで行けるか怪しくなっちまったかもしれん」


「【くけけけ。お嬢様を攫ってバカンスなんて許せねえんだよ!】」


「このおっさん、嫉妬に命賭けてやがる……」


 セルフ・アークと付かず離れず一定の距離を漂流するMiG―25。放っておけば宇宙作戦隊が彼を回収するはずなので、武蔵はそれ以上は行わないことにした。

 というか仮に漂流してもレーダーに映るので自衛隊はちゃんと回収するはずだが、宇宙空間には太陽風をもろに浴びる危険な宙域が存在する。そこに入ってはコックピットがシールドされてもいないMiG―25では、日向の寿命が縮まってしまうかもしれない。

 何が彼をそこまで突き動かしたか。自衛隊員としての義務感か。

 否、嫉妬であった。


「とにかく今日は俺の勝ちってことで」


「【くけーっ!】」


「自衛隊はニワトリを戦闘機に乗せるのか」


 セルフ・アークから離脱する凰花。

 お姫様を誘拐するのが楽なことであるはずはない。だがそれにしても、やたらどっと疲れた武蔵であった。







「出発からおよそ3時間、予定通り低軌道に入りました」


 地球を上に見る形で、凰花は人工衛星のように高空を飛行する。

 感覚的には、頭上に家より大きな地球儀が浮かんでいるよう。

 初見の花純はその雄大な光景に感動し打ち震えていたが、残念ながら武蔵はそのようなロマンチシズムに勤勉ではなかった。

 というかここに来るまで色々あったので、武蔵は疲れ声となってしまっていた。


「タイミングを見計らって大気圏に突入します。それまで少しだけ休憩させてもらいます」


 小さい羊羹を吸うように食べる武蔵。大気圏突入も重労働なので、高カロリーなものを食べておきたかった。


「んあ、なんだこれ、ジンギスカン味? 誰だこれ商品化オーケーしたの」


「《あの》」


 しばし猶予が生まれたと見て、花純は航行中に抱いた疑問を訊ねてみることにした。


「ん、羊羹食べます? 羊肉味」


「《出来ればプレーンを頂けますか?》」


 羊羹にもプレーンという表現は適切なのだろうか、と思いつつ武蔵は粒あん羊羹を後部座席に投げ込む。

 ちなみに羊羹のルーツは羊料理なので、ある意味ジンギスカン味は原点回帰である。


「《うむむっ、粒あんですか》」


「貴様、こしあん派の手の者か!」


「《ふっふっふ、私に背後を取られたのが最大の失策でしたね》」


「意外とノリいいですね会長」


「《程度の低い相手に対する処世術です》」


「帝王学というやつですか」


 頭の悪い会話をしつつ羊羹をよう噛んで食べていると、再び花純が声をかける。


「《いえ、羊羹じゃなくて。少し気になったので、質問してもいいですか?》」


「なんです?」


「《以前、宇宙開発黎明期の映画を見ましたけど……月に行くまでに4日間もかかってました。なのに現代では3時間。技術の進歩といっても、短縮しすぎに感じるのですが》」


「あー……まあ技術の進歩は日進月歩ですし、そう不自然なことでもないのですけど」


 どう答えていいものか、と武蔵は少し考える。


「確かにセルフ・アークの浮かぶラグランジュ4は、地球までの距離が38万キロで月と同等です。でもそれなりの質量を持つ月と、計算上無視していい程度の質量しかない宇宙コロニーを同じ考えで捉えてはいけません」


 花純がおおよそ噛み砕いて理解したのを感じ、武蔵は続ける。


「会長が見た映画、その時代はとにかく現代より技術が初歩的で限定されています。今ほど宇宙でエンジンを使い放題ってわけでもなく、極力節約して飛ばなければなりませんでした」


 なるべく燃料を節約して飛ぶという原則は今でも変わらないが、それでも当時の雑巾の水を絞るような節約手法と比べれば雲泥の差だ。


「当時の推進剤節約方法として、宇宙船は月の重力を利用した楕円軌道で飛んだんです。最低限のエンジン使用で月軌道に入る為に、絶妙なタイミングとルートで航行したわけです」


 理論限界に等しい低燃費ルート。数学的に逆算から描かれた軌道は、当時としては当然の手法であった。


「《この凰花はそれとはまた違う飛び方をするんですか?》」


「まず、セルフ・アークという物体にはほとんど重力はありません」


「《え? 歩いたり物を置いたり出来ますよ?》」


「内部の遠心力を利用した人工重力ではなく、セルフ・アークという大質量の物体が持つ万有引力の話です」


 内部が巨大過ぎて普段まったく意識されていないが、セルフ・アークは分類としては砂時計型に近い形状の宇宙コロニーである。

 恋人たちが手を繋いでお花畑でくるくる回ると、遠心力で外にふっ飛ばされちまえ畜生なエネルギーを重力として利用した形式だ。

 琵琶湖とほぼ同サイズの砂時計が宇宙に浮かんでいる、と思えばスケール感でいえば間違いではない。


「それなりに巨大なので皆無ではありませんが、それでも宇宙船が楕円軌道で折り返すには全然足りません。そのまま通り過ぎます。だから、セルフ・アークに限らずラングドジュポイントの宇宙コロニーに行こうと思えば、自前のエンジンで減速しなければならないんです」


 コロニーからワイヤーで宇宙船を拘束して直接減速する案も存在したが、そんな小細工をせずとも安全に減速出来るだけの高性能エンジンは既に開発されていた。


「だからどの道、楕円軌道による航行は出来ず、現代の宇宙船は最短距離で天体間を航行します。そのルートだと相当時間短縮されます。例えば第一世代宇宙船の科学ロケットあっても、このルートを使うならば月まで半日程度だと言われています」


「《半日って、それでも12時間なのですが。私達の移動は3時間ですよ?》」


「そこはまあ、単純な宇宙船の性能向上です。70年前の宇宙船と現代の宇宙船を同一に考えるだけ無駄です」


 ともかく、この時代の宇宙と地球の距離感なんてそんなものなのだ。

 片道3時間。乗り降りに諸々面倒な手続きがあるとしても、人々は旅行や仕事で行き来しまくってるのである。


「あとはあれですね。会長の見た映画では積んだ物資だけで地球と月を往復しなければならなかったですけど、今なら月面基地や宇宙コロニーで燃料補給や整備を受けられます。片道だけ考えればいいので燃料も気兼ねなく使えるってわけです」


 納得した様子で頷く花純。


「《割と忘れてしまいますが、武蔵さんってやっぱり成績優秀者なんですね》」


「ハーレムの為とあらば勉学だって打ち込めます」


 一夫多妻はエリートのみが許される権利なのだ。資金的な意味で。


「ところで、会長が見たって映画ってどれですか? あの宇宙船は色々映画になってますけど。事故で有名な13号? 世界初の月面着陸を成し遂げた11号?」


「《確か18号です。東側のロケットがあの頃に有人月面着陸をしていたなんて知りませんでした》」


「くそっ! 真面目に説明して損した!」


 宇宙史において欠かせない偉業ということもあり、あの宇宙船のシリーズを題材にした映画は有名なものから無名なものまで多く存在する。13が特別有名だが、それ以外にも色々とあるのだ。

 しかし18号についてはSFというより、月を舞台にしたドキュメンタリー風ホラー映画であった。







「ところで会長、降りたい場所ってリクエストあります?」


「《降下直前になって聞くんですか?》」


「あとはタイミングの問題ですから、ある程度は融通効きますよ。あるいは最後のチャンスです」


 これから降下する地域を選んで各地の管制指揮下に入るので、これ以上の引き伸ばしは出来ない。


「《えっと、どこでもいいですか?》」


「治安が良くて、日本語か英語が通じる場所なら」


「《ではヨーロッパが見てみたいです。騎士の伝説が眠る島国に》」


「りょーかい」


 ヨーロッパって括りだと英語圏に含むのだろうか、と訝しむ武蔵。

 騎士伝説の国となれば間違いなく英語圏だが、それはそれで学校教育における英語とは種類が違う。


「ま、通じないってことはないだろ」


 てきぱきと手続きを済ませる武蔵。やがて、地上の管制施設より指示が来る。


『こちらESA。N75MKM、貴機のリクエストに則りルート36への進入を提示する。300秒後に逆噴射を開始せよ』


「了解」


 武蔵は本格的に大気圏突入シークエンスの操作を開始する。

 機体後部のリニアエンジン。2本左右に並んだエンジンとフレームとを固定する物理ロックが、何重にも解除される。

 ばきゃり、と生物的な機械音。油圧シリンダーを動かすモーター音と連動して、機体下方へ垂れ下がるエンジン。

 人によっては脚のようだと表現するかもしれないが、それにしては膝にあたる関節はないし自由に動かせるわけでもない。

 大気圏突入における減速手段は2つある。空気抵抗か、逆噴射か。

 凰花はその両方を採用している。

 空気抵抗で減速するのならば一番効率がいいのは機体の腹部で大気を受け止める方法だ。当然である、面積も広く耐熱パネルも貼りやすい。

 逆噴射で減速するのならばエンジン噴射口を下に向ければいい。ハリヤーのように推力を下へ偏向させるという手段もあるが、エンジンそのものを下に向けるのが最も効率がいい。

 前者がスペースシャトル形式、後者がスペースX社のスターシップ形式……とでもいうべきか。

 双方それぞれ長所がある。

 そして、せっかくなら両方活用すべきだと考えたのがこの機体の思想である。

 2種類の減速方法。それらに適した突入姿勢が違うというのなら、両立するように変形すればいい。

 下に構造体を伸ばした、およそ航空機とは思えない形態となった凰花。


「さあ、楽しい楽しい中間層だ」


 それこそエアレースに挑む選手のように、集中を高める武蔵。

 速度は音速の25倍。伊勢日向と追いかけっこした際のマッハ3など屁でもない。

 機体仰角を40度に調節。このまま、斜めに重力へ突入していく。

 リニアエンジンがプラズマの炎を吹く。薄い大気が翼端に尾を引き、ほぼ存在しないはずの空気抵抗が機体を震わせる。

 ポーン、と気の抜けた効果音が鳴る。定義上の宇宙と空の境界線、高度100キロ(カーマンライン)を下回ったのだ。

 だからといって何かが急に変わるわけでもない。依然として機外は過酷な、人の生存を許さない世界だ。

 ナビゲーションに従い、武蔵は機体をバンクさせた。

 大気圏突入に際し、宇宙機は何度も進路変更を行う。真っ直ぐ降りるよりも蛇行することで距離を多くとって、大気を存分に受けた方が減速されやすいのだ。

 後転しそうになる機体、操縦桿を抑え込み凰花は仰角を保つべく制御し続ける。

 日本製耐熱パネルが熱化し、いよいよ機体は真空から空気中へと突入する。


「フェザリング・モード開始」


 通常の航空機とさして変わらないように見える尾翼が、胴体より離れ浮き上がった。

 尾翼は機体中央から伸びたアームの先端に接合されており、それが上部にアンテナのように起立する。

 旗のように立ち上がった尾翼。初期の民間宇宙船によって確立した、減速と姿勢安定を兼ねたシステム。

 この大胆な構造を世界で初めて取り入れたのが、こともあろうか個人設計技師だというのだから武蔵としては恐れ入る。

 機体は既に中間層を抜け、成層圏界面を貫いている。

 この高度においては所謂オゾン層が紫外線を吸収することで高温化しているが、それでも人が生存出来るほどの適度な温度が保たれている。ここに降りてくるまでそれなりに減速された凰花にとって、さして問題となる温度ではない。

 成層圏となれば、既にジェットエンジンが稼働する大気圏航空機の領域。凰花は再度変形して大気中モードに移行し、尾翼を折り畳んで機体に同化させた。

 ここまでくれば、既に凰花は宇宙船ではなく飛行機だ。

 しかしその飛び方は未だ、ほとんど垂直に落ちるレンガに等しい。

 とても『飛んでいる』とは表現しがたい落下っぷりだ。

 それも仕方がないことなのだ。この高高度を、高度を維持して飛ぶには長い主翼が必要となる。

 例えばU―2ドラゴンレディ偵察機。この機体は航空機として限界に近い高度2万5000メートルを飛行する為、異常に長い主翼を有している。

 対して凰花はスペースシャトルのような、二重デルタの小さな主翼だ。様々な条件を折衷妥協した結果の翼形だが、とても成層圏で安定して巡航出来る揚力は稼げない。リニアエンジンを下方に向けて使用し、反作用でホバリングすればその限りではないのだが。

 それでも、熱圏から成層圏にかけての突入と比べれば遥かに安定している。大気というのはそれだけ、飛行機にとっての福音なのだ。


「ここから先は特に難所もありません。お疲れ様でした」


「《は、はい……やっぱり大変ですね、再突入は》」


 こんな時代だ。旅客機にて宇宙と地上を何度も行き来している花純にとって、大気圏突入など武蔵以上に慣れている。

 そういった一般人向けの旅客機は長時間の逆噴射を行うので、科学ロケットエンジン主流であった第一世代宇宙船の再突入ほどGが強いわけではない。

 凰花もまた一般人が乗ることも想定された汎用機だが、旅客機ほど乗り心地に留意されているはずもない。

 鍛えていない花純にとっては当然ながら疲弊させられるものだった。







 問題なく大気に入れたことに安堵する武蔵。その気配を感じたのか、少し浮足立った花純が声をかけた。


「《武蔵さん、左を見てください。あれって本州ですね? 日本です!》」


「北アメリカ大陸です」


「《……忘れてください》」


「君との思い出は1つたりとも忘れないよハニー」


 宇宙からの光景は対比物がないので、慣れないと地表の大きさや形状を見誤ってしまうのだ。

 四国とオーストラリア大陸を見間違えるのは鉄板ネタである。


「あれはロング九州半島、あれは五大琵琶湖。やや、あれは日本アルプスならぬ日本ロッキー山脈?」


 花純をからかいつつ操縦する武蔵。


「《…………。》」


 しばしからかっていると背後から会長パワーを感じ、武蔵は口閉した。

 こほんとわざとらしく咳払いをして、武蔵は仕切り直し説明を再開する。


「俺達はオーストラリアあたりから降下して北アメリカ大陸を突っ切って、これからヨーロッパに突っ込みます」


「《……簡単に言いますけど、凄い旅路ですよね。1時間にも満たない時間で地球半周だなんて……あれ?》」


「どしました?」


「《先程お話した映画では、大気圏再突入で無線が通じないタイミングがありましたが。この飛行機、ずっと地上と通信が繋がってましたよね?》」


「今時、大気圏突入で無線封鎖する宇宙船なんてありませんよ」


 いつの時代の話をしているんだ、と武蔵は呆れてしまった。


「その問題は宇宙開発黎明期にすぐ解決してます。具体的にいえば、スペースシャトルの時代には常時通信状態での大気圏再突入は可能となっています」


 あんまりマニアックな話をしても一般人には引かれるだけなので、武蔵は花純の様子を探ってみる。

 意外というべきか、彼女は話の続きを欲しているようだった。

 そういうことなら、と武蔵は語る。


「……突入時に通信出来なくなるのは再突入体の下部がプラズマに包まれてしまうからなんですけど、宇宙船の上部は割と無事なんです。中継する人工衛星を噛ませれば通信し続けるくらい楽勝です」


「《ずっと通信しているイーサというお相手とも、そうやって連絡を取っているのですか》」


「ですね。ちなみにESAはヨーロッパ方面の宇宙管制を請け負ってる組織です。この飛行機から中継人工衛星、地上アンテナ、海底ケーブルと通じて地球の裏側のESAと通信してたんです」


「《なんといいますか、途方もない話ですね》」


「最近のインターネットと比べたら大したことないリレーですよ。セルフ・アークの自宅から地上のサーバーにインターネットでアクセスしようとすれば、これ以上の複雑な経路を行くことになりますしね」


 安全な運用に関わるので、これらはまだ独自回線によるシンプルかつ信頼性の高いシステムなのだ。


「せっかくですし、ESAについての説明もしときます?」


「《せっかくなので、聞いておきましょう》」


 提案しつつも若干めんどくさくなってきた武蔵だが、まだ着地まで時間はある。


「ESAは欧州宇宙機関の略称です。ヨーロッパの皆で力を合わせて宇宙開発しましょう、って組織ですね」


 かつて歴史の中心地であったヨーロッパといえど、その実態は小競り合いを続けてきた小国の集まりだ。

 積み上げた基礎技術と歴史は決して侮れるものではないが、大国が跳梁跋扈する世界情勢においてそれは吹けば飛びかねない含蓄であった。


「なまじ歴史が深いからこそ、彼らの焦りは大きかったでしょう。幾度もの世界大戦を通して、かつての大国が呆気なく滅んでいったのを見てきたんですから」


 超大国同士の強大に過ぎる軍拡競争を目の当たりにしたヨーロッパ諸国は、大陸内のいがみ合いをしている場合ではないと悟った。

 だからこそ、彼らはあらゆる面で協力体制を築き上げた。それが、薄氷の上に成り立つ子供の約束のような協力であったとしても。


「協力は様々な方面で行われ、幾つもの国際機関が発足しました。上手くいったのもあれば、結局分裂してしまったのもあります。その中で宇宙開発に携わることを使命としたのが欧州宇宙機関です」


 ESA、イーサと略されるこの機関は1975年に当時10カ国から始まった。その後国際機関としては割と順当な技術発展に成功し、商業用ロケットの開発を経て欧州方面の広域管制をも請け負うこととなる。

 宇宙と地上の境界が生活レベルで曖昧となった現在、宇宙と関わりのない国家など存在しない。よって機関参加国は2045年現在では50カ国を超え、世界的に見ても屈指の宇宙関連組織へと成長したのだ。


「……というのが、今お世話になっている管制組織の詳細です。何か質問はありますか?」


「《宇宙開発って、複数国が集まらないといけないくらい大変なんですか?》」


「大変なんです。初期の有人宇宙船なんて、コップ一杯の水を運ぶのにも数百万円かかったんです。一国じゃとても支えきれません」


「《もっと技術が成熟するのを待てば良かったのでは? 他国が技術を確立してから後追いした方が楽が気がしますが》」


「そこはまあ、国家間の利権や意地って奴です」


 宇宙開発競争は、形を変えた当時の国家間戦争だったのだ。

 一発の銃弾も行き交わないが、そこには確かに多くの人命すら賭した戦争があった。


「なんというか、大人が集まって意地を張り合うなんて頭の悪い話ですが」


「《子供に政を任せたら、世界も存外平和だったかもしれませんね》」


「文字も読めない子供が医者をやる世界になりますよ」


 それは意地の張り合い以上に頭が悪く、愚かな現実の歴史であった。







「まあ多様性は競争原理の根幹ですし。それに意地を合理性で捨てられるなら、今頃国境なんて死語になってます」


 戦略的に一蓮托生ならば、いっそヨーロッパを一国に合併してしまえばいい。それが出来ないのが人間であり、だからこそヨーロッパは世界の中心足り得たのだ。


「《なんとも耳の痛い話です》」


「というと?」


「《朝雲家の娘としても雷間の生徒会長としても、私は保守的になりがちなので》」


「いやまあ、アバンギャルドで破天荒な生徒会長なんてマンガの中で充分ですよ」


 物語に登場するようなカリスマ性溢れる派手な生徒会長が実在すれば、それは秩序を破壊し尽くした挙げ句に後始末もせずに卒業する暴君となりうる。

 改革などと称してルールを変えるのは簡単だが、しかしそのルールが持続可能な体制を整えるのは難しい。

 カリスマ性と統治能力が比例するかは別問題なのだ。


「俺は感謝してますよ、貴女のような常識人が生徒会長であったことに。だからこそ俺も無茶が出来るんです」


「《しないで下さい。この前の全校集会だって私達は後始末に追われたんですよ》」


「そりゃまあ、責任を取るのが責任者の仕事ですから―――」


 武蔵は目を細め、前方を見据える。

 唐突に、武蔵はエアレーサーの直感に従って操縦桿を引いた。


「むっ」


 咄嗟に進路を変える凰花。

 何かが、凰花の側面を高速で通り過ぎた。

 機首のレーダーに反応はなかった。目視で確認して初めて存在に気付けたのだ。


「《な、なんでしょうか今の。ユーフォー?》」


「ESAへ、こちらN75MKM。只今Unknown(未確認飛行物体)とニアミスした。レーダーに何か映っていたか」


『こちらESA。タイムテーブル上には何も記録されていない。詳細を求む』


「こちらも一瞬でよく解らなかった。レコーダーのデータを転送する、解析してくれ」


 センサーから記録される映像の一端をESAに送ると、ややあって返答があった。


『飛来方向と速度からして、数日前に撃墜された宇宙海賊船の一部と思われる。レーダーに移りにくいパーツが低軌道に入ってしまったのだろう』


「勘弁してくれ、危なかったぞ」


『Angel1200なんて低空だ、よく今まで落ちなかったと不思議なくらいだ。最低限こちらでも追走するが、なんだ、運が悪かったな』


 運で済ますな、と内心憤りつつ武蔵は要求する。


「今ので進路がずれた、修正ルートを提示してくれ」


『承知した』


 不手際の自覚はあるのか、ESA側は迅速に対応した。

 コンソールに回避ルートが表示される。

 一見ほとんど進路変更のない、緩い曲線のルート。しかし武蔵は訝しむ。


「コントロール。こちらは一般人を後ろに乗せている、このルートは現実的ではない」


 地図上では確かにほぼ直線だが、未だマッハ10は出ている。この速度でこの旋回半径ともなれば、僅かな動きでも急激な横Gを受ける。

 予想される加速度は3G程度。武蔵やアリアなら耐えられるが、民間人の花純にはつらい。


「一度減速して変進点を設けるにしても、もう推進剤も心許ない。ビンゴだ。最短距離で安全に降りられる場所を教えてくれ」


『しかしこれ以外のルートとなると、目的地に到達出来なくなるが』


「構わない。安全に降りられる国に誘導してくれ」


『大陸でいいのならまだ旋回も緩やかだ。リクエストはあるか』


「風光明媚で飯の美味い土地ならどこでもいい」


『……了解した』


 普段は機械的な対応に終始する管制塔も、こういった特殊な事態では人間味が出てくるものだ。

 武蔵の雑な問いかけを飲み込み、管制官が再度ルートを提示する。

 今度は問題なさそうだと頷き、武蔵は操縦桿を慎重に動かす。


『目的地の宇宙機が着陸可能な空港は内陸部だ、現在の角度ではとても届かない。一度低弾道飛行を行う必要がある』


 凰花が大気圏内での飛行が可能だといっても、燃費はけっして良くはない。既に散々飛んで、推進剤が残り少ない。

 大気も濃くなり、凰花はグライダーとして順当に減速していく。

 現在は大西洋の東部、ビスケー湾の上空。本来の目的地であった島国からかなりずれてしまった。

 ESAから提示された新たな目的地となる国際空港は、ヨーロッパ大陸内陸部の300キロ先。


『指定したタイミングで中間層まで上昇しろ』


「そこまで昇るのか?」


 中間層は成層圏より上、大気圏航空機には到達出来ない高度50キロ以上の領域だ。

 この距離で中間層に届く弾道飛行となると、なかなかに急上昇急落下を強いられる。


『宇宙コロニーと違って、地上の空は狭いんだ。接近のリスクを下げる為には一度昇った方が手っ取り早い』


 武蔵は思わず空を見上げた。

 セルフ・アークよりずっと広く見える蒼穹。しかし、その実態は違う。

 数えきれないほどの民間航空機や通信用飛行船で空は埋め尽くされ、ただ飛ぶだけでも気を遣わねばならないのだ。

 それは地球の人類分布が広いからこそ求められる需要であり、地球より宇宙コロニーの空の方が広いということを武蔵は寂しく思った。


「すいません、しばらく海峡の上でクルージングです」


 上昇指示が来るまで、海上を旋回待機することとなった凰花。


《まあ大陸側も騎士の国にはちがいありませんし……それより、こんな低く飛んで大丈夫ですか?》」


 凰花はみるからに低空を這うように、海面すれすれを飛んでいた。


《宇宙を飛ぶこの飛行機が空を飛ぶのが苦手だってことくらい、私だって判ります》」


「まあ、確かにそうなんですけどね」


 凰花は機体重量の割に翼は小さい。アスペクト比が小さく、低速巡航にはまったく向いていない。

 不整天体への着地を想定しているので垂直離着陸能力があるが、飛び続けることは不得手だ。

 だからこそ、武蔵はあえて高度を思い切って下げていた。


「補助エンジンスタート。メインエンジンオフカット」


 凰花の副エンジン、イオンエンジンが推進剤噴射を開始する。

 あくまで姿勢制御や非常時のシステムだが、最近の技術では大気圏内で推力を賄える程度の出力は発揮出来るようになっている。大気圏外や高速に適したリニアエンジンよりは効率的で、推進剤もリニアエンジンとは別系統なので消費を気にしなくとも良くなる。


《これ、補助エンジンというのは動いているんですよね…?》」


 あまりの静けさに不安を覚える花純。

 流体力学の極地たる最新鋭航空機は風切音すら小さく、花純はまるで機体が反重力で浮かんでいるような錯覚を覚えた。


「イオンエンジンは効率がとてもいいエンジンなんです。エネルギーのロスとなる爆音なんて出しません」


 海面上の落ちそうで落ちない高さを、静かに飛ぶ凰花。

 まるで湖面に浮かぶボートに乗っているようだ、と花純は思った。


《着水していないのに、航跡が残るんですね》」


 機体を追うように伸びる海上の白線。

 一見船のそれと変わりなく見えるそれは、しかし海に触れていない凰花によって生じている。


「この重い飛行機を大気が支えているわけですから。目で見えないだけで、飛行機はとても強い気流を生み出してるんです」


 成層圏ではどれだけ踏ん張っても落下するのみだった凰花が、超低空では最小限のエンジンでこうして浮かんでいられるのだ。

 この高度なら、大気のみならず海面までもが凰花を支えてくれる。ずっと小さな揚力で飛び続けられる。


「いわゆる地面効果ってやつです。しばらくこれで待ちましょう」


 それからしばらくして、再び上昇した凰花は中間層を経てヨーロッパ大陸へ突入。

 無事、目的地の国際空港に降り立ったのであった。

大気圏突入シーンはSFの花。

この作品においては何度か突入シーンがでてきますが、この回の突入が一番まともで安全となります。

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