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レイモン・ソルニエの騎士道3

本日3度目の更新です。

推敲が進み気味で、ちょっと余裕があるんですよね。

休み中は一日に何度か更新するかもしれません。

 時間は遡り、30分前。

 武蔵とアリアは、いつものように悪巧みを行っていた。


「目標はここ。南西11キロ、高度100メートルほどの浮遊島だ」


 浮遊島。文字通りの、空飛ぶ島だ。

 ファンタジー丸出しな存在に思えるかもしれないが、そもそも昨今は船が空を飛ぶ時代である。島の1つや2つ飛ぼうというものだ。

 原理は飛空艇と変わらず、浮遊機関によって浮かんでいる。輸送を主任務とした飛空艇ほどしっかりした推進機関を求められないので、巨大だがむしろ技術的には船よりシンプルに纏まっていた。

 そんな空飛ぶ島に住みたがる人間は一定数存在するが、その動機は様々だ。浮遊島に済むことをステータスと考える者もいれば、小さな島1つを個人所有して俗世から離れることを望む者もいる。

 そして朝雲家に関していえば、その理由は『セキュリティ』であった。

 上下左右、物理的に切り離された空間ならば不届き者が入り込む余地などない。その他あらゆる内外の接触は制限され、住む者は確かな安心を享受させるのだ。

 そんな空中要塞に挑むバカがここにいた。


「朝雲家の所有する浮遊島に侵入するぞ」


「完全無欠に言い逃れようのない犯罪なのです」


「違う。これは友達の家に遊びに行くだけだ」


 付き合わされたアリアはぶーたれていた。

 花純が秋津洲から立ち去って数時間後。部員達に号令を発した武蔵は、アリアの愛機たる100式司令部偵察機の改造に勤しんでいた。


「ああ、なるほど。おいおい、他の女に目が行ってるからって嫉妬するなよ」


「…………? え? ……んん?」


「そのホントに意味が解ってない顔やめて」


 自分が武蔵に嫉妬する、という想定がまったくないので、武蔵の発言の意味が理解不能なアリアであった。

 立場のなくなった武蔵は作業しつつ説明を進める。


「朝雲家の浮遊島は空飛ぶ要塞だ。海上に浮かんでいるから当然陸路の侵入は不可能として、海中は吊下式ソノブイが、空はルックダウン能力を持つレーダーが常時監視している」


「軍艦みたいですね、いえ私は軍艦に詳しいわけではないのですが」


「まあ全部民生品だし、それぞれデータリンクもされてないけど。巡視船よりは厄介だろうな」


 逆にいえば、合法的に買える民生品のみで軍艦もどきを作れるのである。

 特殊部隊の装備は銃以外全て秋葉原で買える、という逸話もある。なんとも不思議な世の中だと武蔵は思った。


「Look down radarというのはどの程度の感知能力があるのですか? 百式でそうっと近付けばバレないのでしょうか?」


「最近の奴なら海上に浮かぶゴミだって探知出来るそうだが、朝雲家に設置されているものの性能はわからない。まあ無計画に突っ込めばシースキミング(低空飛行)したって見つかるだろうさ」


 そもそもここは宇宙コロニーなので、海面は地球のように球状ではない。平皿のように、薄く窪んだ大地なのだ。空から広範囲を見渡すのは容易だ。

 レーダーどころか、肉眼の警備員にすら見つかるかもしれない。


「というわけで、ハカセの工場からパクってきたこれの出番だ」


「なんですか、このアンテナみたいなの」


 一般人が見れば『小さなヒレ』としか思えないそれも、それなりに航空機に慣れてきたアリアには正しく理解出来た。

 航空機用のアンテナだ。このヒレの中にカラビナみたいな形の金属部品が入っており、電波を送受信するのである。


「プラズマ発生装置だ。どんな物もこれ1つでステルス機になる優れものだぞ」


「とりあえずヤベーもんを調達したのは判りました」


 軍用機に求められてきた性能の1つ、それがステルス能力だ。

 交戦距離が互いに見えない超長距離となって以来、どれだけ相手を先に見つけるか、どれだけ相手の目をかいくぐるかは軍用機、とりわけ戦闘機にとって至上命題となった。

 21世紀となってからはその重要度は更に増し、多くのメーカーが機体構造と外装形状からのステルス能力獲得を目指す。

 この設計は困難を極め、一部の先進国が開発に成功するのみ。しかし時代は少しずつ、確実に見えない戦闘機を主役とした世代へと移行していたのだ。

 それに伴い、第4世代機以前の戦闘機は陳腐化していき旧式機の烙印を押されていく。

 航空機としての基礎性能は決して第5世代にも劣らない。空を飛ぶということに関して戦闘機は第4世代でほぼ完成の域に達しており、近代化改修さえすればドッグファイトにおいて第5世代戦闘機ともそれなりに戦える地力を有していた。

 まだ飛べるのに時代遅れのレッテルを貼られた戦闘機達。

 そんな彼らを救い、同時に第5世代戦闘機の開発者を錯乱させるような新技術が生まれた。

 プラズマステルス機。相応の電力を消費し、レーダー波を霧散させるプラズマを纏うことで物体を後天的にステルス化する技術。

 これにより、一度は主役を奪われた戦闘機達は近代化改修され、再び戦場へと返り咲いたのだ。


「勿論本格的な第5世代機よりは劣るんだが、今は割と平和な時代だからな。どこも軍縮の手段として積極的にこの装置を導入している」


「だからといって、第二次世界大戦に飛んでたこの百式に載るのですか?」


「たぶん。本来はジェットエンジンで発電しまくらなきゃならんのだけど、そこはタマになんとかさせる」


『こき使われる現状良くないにゃあ!』


 タマが抗議してきたが、武蔵は彼女を胴体後部の隙間に押し込んで黙らせた。


「そういえばニュースでよく聞きますよね、自衛隊の機体は老朽化が深刻だって」


「自衛隊は未だにF―4をステルス化して使ってるからな。ちゃんと次期戦闘機も開発してるのに、貧乏性拗らせて生産ラインを限定している」


 実験機に至っては朝雲重工製F―1戦闘機を未だ修繕して使っている、という噂すらある。

 出来れば冗談であって欲しい話であった。


「よし、これで完成だ」


「軍用装備なのにお手軽すぎやしませんか」


「だから世界中で流行ってるんだよ、簡単装備で兵器の世代が1つ上がるんだぞ」


 ステルス機となった百式。重量は増えたが装置は機体から独立しているので、テスト飛行の必要すらない。

 こんなので20世紀レベルの防空網なら突破出来るのだから、ステルス機開発者はやってられないのである。


「よし、早速だが行こう。この作戦をこれより『ロミオとジュリエット作戦』と呼称する!」


「ロミオなんて柄じゃないでしょう貴方は」


 そもそもロミジュリがバッドエンドである点については、あまりにアホくさくて指摘する気になれないアリアであった。







 プラズマステルス機は光学迷彩などではない。

 むしろ纏うプラズマが光を漏らすので夜間は目立ってしまう。朝雲家への侵入は夕日が沈む前に済ませたかった。


「《目標、前方5キロ! お邪魔しますの挨拶と手土産を忘れるな!》」


「《機体の下に括り付けたアレで良ければ、Present for youなのです》」


 朝雲家の浮遊島は陸地からそう離れてはいない。あまり離れていては単純に不便だ。

 だからこその、陸地からの最短距離5キロ。海岸線を沿って飛んだ百式と、もう1機の『特殊な機体』は、予め定めた変針点を通過して浮遊島へと突っ込んだ。


「《今日は波が凪いでやがる、高度を見誤るなよ》」


「《承知(copy)なのです》」


 両機から指示する武蔵に、アリアは淡々と従う。

 これより彼女が行うのは、一歩間違えれば海面に叩き付けられる静かな曲芸飛行。感情を揺らがせる余地などないのだ。







 朝雲邸、警備室。

 分割されたモニターの並ぶ一室にて、警備主任の隣にいた人物はつまらなそうに呟いた。


「本当に来るのでしょうか」


「まあ、来ないでしょうな」


 派遣された自衛官の問いに、主任は苦笑で返す。

 このような些事に自衛隊へ協力を求めるのは、完全にいい迷惑である。

 それでも必要なら動くのが自衛隊だ。派遣された人物―――伊勢 日向は、適度に気を抜きつつ身体を休める。

 まるでスクランブル待機員のようだ、と彼は思った。


「今回貴方が持ち込んだあの飛行機、あれって実弾が入っているのですか?」


「まさか。模擬弾ですよ、今開催されてるレジェンドクラス大会のデモンストレーションで使うやつです」


「仮に賊が現れたとして、それで止められるので?」


「コックピットを模擬弾のペンキで塗り潰せば、敵も不時着するしかないでしょう」


 自分にはそれが出来る、と言外に伝える日向。

 これはまた自信過剰な人員が送られてきたな、と主任は内心呆れていた。


「しかし、まさか航空自衛隊から戦闘機が配備されてくるとは思いませんでした」


「いえ、本官は宇宙作戦隊の所属です。あの戦闘機に至っては鹵獲機を修繕しながら使ってる実験機ですし」


「鹵獲機?」


 鹵獲とは敵から何らかの形で奪った兵器のことをいう。

 自衛隊が交戦した敵というと大陸崩壊の際に回収したのだろうか、と推測する主任。

 大陸産の兵器などわざわざ使う利点が見えず、首を傾げざるを得ない。

 そんな疑問を感じたのか、日向は説明を続けた。


「戦闘機の世代としては第3世代ですが、あの頃の機体は尖った性能を持ってるので。一部に関しては次世代機を超える能力を持っていたりもするんです」


 超大国同士の冷戦が最高潮であった時期。当時は汎用性が高くコストパフォーマンスに優れたマルチロールではなく、とにかく敵国に優位な一点特化の高性能機が求められた。

 空戦以外には1ドルも使うな、と言われた空の王者F―15イーグル。

 地上支援に特化した戦場の神たるA―10サンダーボルト2。

 そして、今回日向が持ち込んだ機体も一点特化の特殊な機体だった。


「どうして今回はそんな機体を? 賊の迎撃に向いてないでしょうに」


「いえある意味究極の迎撃戦闘機なのですが。スケジュールが空いているのが、これだけだったので」


「あれま」


 そういえばなんだかんだであの戦闘機の名前を聞いていないな、と気付いた主任は訊ねようと口を開く。

 その時、警報が唐突に鳴り響いた。


「監視員より報告、0―3―5より小型機が接近! 距離、1マイル!」


「近いな」


「何故この距離まで気付けなかった!?」


 関心したような日向に、愕然とする主任。

 航空機にとって、1マイルはあまりに近い。迎撃などしようのない距離だ。


「レーダーに映っていません! ステルス機です!」


「なっ、相手はテロリストか!?」


 国内屈指の金持ちの屋敷だ、テロの対象となっても不思議ではない。


「不明機、何かを落とし―――」


 言い切るより早く、巨大な水柱が上がった。

 浮遊島に届くのではないかというほどの巨大な水柱。自衛官たる日向は、それが水中爆発によるものだと知っている。


「浮遊島に対して爆雷? 違う、狙いはソナーか」


 見れば、ソナーマンは顔を顰めてヘッドホンを外していた。

 水中の音を監視するソナーだが、水中で爆発が起きてはしばらくノイズで水中の様子を伺えない。旧式装置ならなおさらだ。

 日向は水面を監視するモニターを見やる。爆雷をかました小型機は陽動、撹乱であることは明らか。本命が他にいるはずなのだ。

 そしてそれは、当然のように浮遊島直下より現れた。


「|SLBM《潜水艦発射弾道ミサイル》だと!?」


 水中よりせり出す白柱。それはあたかも、戦略潜水艦より発射される核ミサイルのように上昇する。

 否、弾道ミサイルであろうはずがない。それはデルタ翼を持つ『航空機』であった。

 プラズマ化した推進剤を噴射し、最短距離で朝雲家の浮遊島に肉薄する航空機。


「なんだあれ、水中を飛べる飛行機なんてあるのか!?」


「あるにはある、が」


 主任の驚愕に日向は答える。

 飛行機は酸素がなければ動かない。それは、既に過去の常識だ。

 宇宙機はロケット推進が可能だし、商業用プロペラ機の多くは電動化しているので理屈の上では水中を飛べる。

 無論それはあくまで理屈の上での話であり現実的ではないが、一部特殊な用途の機体となれば潜水は可能なのだ。

 そして、武蔵が用意した機体はまさしく特殊機であった。


「凰花、か……!」


 伊勢はディスプレイに映し出された襲撃機を睨み、その名を唸り唱える。

 小型宇宙往還機、凰花。その汎用性の高さは宇宙のセスナと称され、軍民問わずあらゆる任務に投入される傑作ベストセラー機。

 水中から現れた凰花は空中警戒していたヘリコプターを悠々と掻い潜り、屋敷の庭先へと強行着陸する。

 その無茶な機動は、脆弱な機体なら確実に破損する。だがそうならないことを日向は知っていた。


「あの脚はっ」


 凰花には幾つかバリエーションがあるが、降着装置がいかにも堅牢なタイプとなると限られる。


「不整地用の降着装置……プロトタイプ凰花!?」


 現在では過剰性能であったとされ縮小しているが、凰花の降着装置は当初かなり大きかった。

 今でこそ量産されレジャーから軍事まで幅広く使用されている凰花、しかしそのプロトタイプは人類初の有人火星探査を行った特注機。

 当時火星は未だ未知の要素が多く、凰花にも強靭な脚部を求められた。万が一破損すれば火星から戻ってこれなくなるのだ、当然であろう。

 凰花量産型では過剰装備とされ、降着装置は大幅に簡略化されている。よって、これは凰花のバージョンを判断するにあたっての分かりやすい特徴とされていた。

 本来ならばスミソニアン博物館にでも展示されるべき、凰花プロトタイプ。それが現在、開発者の元にあることを日向は知っていた。

 そしてその人物がハカセと呼ばれ、2人の学生バイトを雇っていることも。


「あんの、あんのクッソガキがああぁぁぁっ!」


 日向の絶叫に、主任がビクッと跳ねた。







 時系列は武蔵が花純を拉致した後まで跳ぶ。

 まんまと屋敷から飛び立った凰花は、ホバリングモードから巡航モードへと移行して加速する。


「《どこに行くのですか》」


 後部座席に収まった花純が訊ねる。

 距離的にはすぐ側だが、エンジンの轟音があるので会話は有線通信だ。


「大苫宇宙港に。減圧区画を抜けて宇宙に出ます」


「《ああ、はい。パスポートを用意するように言われた時点で想像はしてました》」


 脱出前に、急ぎ準備をさせられた花純。

 その内容が明らかに海外旅行を志向していたので、彼女もおおよそ目的地を察していた。


「《地球に降りるのですね》」


「そです。俺も久々です」


 追手があるとは思えないものの、一応加速する凰花。

 宇宙機である凰花は大気圏内でも極超音速として振る舞える。容易く音速を超えた凰花は、一路大苫宇宙港を目指して飛行する。

 一般人を乗せているということもあり加速力はセーブしているものの、限界を感じさせずどこまでもぬるぬると加速していく感覚に花純は震えた。


「《と、とても速く感じるのですが》」


「実際速いですから。航続距離に不安があります、出来れば巡航速度で飛びたい」


「《それって、ゆっくり飛ぶって意味じゃないんですか?》」


「違います。巡航速度とは特定の距離を最も少量の燃料で飛行する速度です。自動車だって人間の歩くような速度、徐行で目的地まで行ったらかえって燃料を余計に食うでしょう。遅ければいいってもんじゃないんです。最適な速度ってのがあるんです」


 宇宙コロニー セルフ・アークから地球まで約38万キロ。これほどの距離を飛ぶとなれば、推進剤残量にも気を配らねばならない。

 かといって性能の許す限り全力で加速しては、一般人の花純が加速度に苦しむこととなる。急く感情を抑え、武蔵は慎重にスロットルを操作した。


「《お父様が自衛隊の人を警備に加えていたようですが、大丈夫なのでしょうか》」


「マジっすか。ま、大丈夫でしょ」


 コロニー内の空の治安維持となれば航空自衛隊の役割だが、彼らは凰花を追えるほどの航空機は有していない。

 凰花は多くの面で自衛隊機に劣った民間機だ。だが、ただトップスピードでは負けはしない。

 軍用機に最高速度を求められる時代ではない。まして大気圏内では多くの制約が生じるので、それと折り合いの付けられるマッハ2,7程度がどうしても技術的限界となる。

 それ以上を求めるのなら、それこそ宇宙機のような尖った設計思想が必要となってしまう。


「とりあえず安全第一で―――シートに背を密着させろ!」


「《へ、きゃあっ!?》」


 言葉を中断し、武蔵は操縦桿を引いた。

 突然の重圧に声を漏らす花純。凰花は超音速に見合わない機敏な動作で軌道を曲げる。

 一瞬前に凰花が飛行していた場所を、無数の曳光弾が走り抜けた。


「【見つけたぞ、バカガキぃぃぃっ!!】」


「んげっ、伊勢日向!」


 顔見知りの自衛官が背後から追ってくる。相手が誰なのか、武蔵は長年の勘とプレッシャーで察知した。

 音さえ置き去りにする特異点を超えた世界。だが、彼の経験は確かに訴えている。

 背後に、何かがいると。凰花の背中に食らいつかんと、戦闘に特化した鋼鉄の荒鷲がつけ狙っていると。


「こなくそっ!」


 凰花は視界が広くとられた戦闘機とは違う。宇宙線の浸透を最低限にすべく、キャノピーは小さめに設計されている。

 この飛行機はコックピットから真後ろが見えない。武蔵は旋回ついでに背後へと視線を走らせる。

 一瞬だが、確かに見えた。

 巨大なデルタ翼。2枚の垂直尾翼。

 垂直尾翼は文字通りの垂直。ストレーキを考慮していない、やや古い設計思想。


「F15イーグル? いや、違う!」


 よく似たデザインだが、それより直線的で機首周りが小さく纏まっている。


「東側、ミグ?」


 航空機は設計企業の癖が出やすい。

 ひと目見れば、それが仮に未知の機体であってもなんとなくだが生産元は判る。

 その機体は有名だからこそ武蔵も識っていたが、実物を見たのは初めてだった。


「ミグ25……フォックスバット!?」


 MiG―25フォックスバット。

 かつて西側世界を恐怖させた、もっとも宇宙船に近い戦闘機であった。

 轟、とMiG―25のエンジンが唸りを上げる。

 根本的な工業力に劣った東側が、西側に対抗すべく数多の工夫の末に実用化された狂気の超高速戦闘機。

 それが、武蔵達を追跡するチェイサーの正体。まさに亡霊と称すべき旧世代の怪物が、彼を追走していた。


「【待てやボケェェェ!】」


 無線機を通じて轟く野太い怒声。

 武蔵は思わず首を竦める。


「こえーよ! つかなんだよその機体、稼働状態のミグ25なんてどこから調達した!」


「【JAXAの実験機だ! 大気圏内用マッハ3級の小型機なんてそうそうないから、後生大事に使ってるんだ!】」


 マジか、と武蔵は驚愕する。

 自衛隊、というか日本がミグ系を運用しているなど毛ほども知らなかった。


「【若い奴は知らないだろうが、大昔にこれで西側に亡命してきた奴がいるんだ! これはその時に鹵獲した機体だ】」


「へー」


 かつて冷戦と呼ばれた時代、ある東側陣営の戦闘機パイロットが訓練中に国外脱出を図った。

 だがMiG―25は航続距離の短い迎撃機。燃料切れ寸前となり、かろうじて降り立ったのがこともあろうか北海道の函館だった。

 そうして西側の手に落ちた、当時東側最新鋭の戦闘機。この機体は様々な調査を受けた後、飛行可能な状態を維持する理由もなかったので資料という名のスクラップとして百里基地の倉庫に眠り続けていた。

 長年死蔵され、適当なタイミングで処分されるはずだったその機体。しかし、その超音速特性は特定の分野で需要があった。

 冷戦終了後。誰もが事件を忘れた頃になってMiG―25はJAXAに引き取られ、実験機として改修を受けた後にセルフ・アークに持ち込まれたのだ。


「にしてもあるだろ、もっと手軽に調達出来そうな機体!」


 言いつつ、考えるも思い付かない。マッハ3級の大気圏内航空機など本当に珍しい。

 数少ないマッハ3級の航空機、そのどれもが実験機や少数生産機。そう考えれば、北熊国が崩壊した後に大量のジャンク品パーツが出回った東側兵器は、手段さえ選ばないなら維持調達しやすかったのかもしれない。


「【凰花がどれだけ高速機でも、大気中ならこちらに分がある!】」


「こんの、骨董品の癖に!」


 零戦を愛機とするウォーファイター(大戦機乗り)が絶対に言ってはいけないことを言いつつ、武蔵は上昇する。

 凰花は戦闘機ではない。運動性能では、直線番長のMiG―25にすら勝てない。

 ならばと上昇力で引き離そうと試みる。だが、MiG―25は悠々と凰花を追跡してみせた。


「なっ、この速度で更に加速するのか!?」


「【勉強不足だな、ミグ25は迎撃機だぞ! 急上昇を求められるのが宇宙機だけだと思うな!】」


 本土を防衛する、最後の空の守り。それが迎撃機だ。

 敵機の接近を感知してから離陸、急上昇するので、迎撃機には高い上昇能力を求められる。

 その反面、航続距離は必要とされない。機内燃料が少量で済むからこその高性能機なのだ。

 更に武蔵の前に別の障害が現れる。

 機内に鳴り響く警報。その意味を武蔵はディスプレイに目を通すこともなく音だけで把握。

 高度1万6000メートル―――高度上昇限界。


「超音速機だと空が狭い!」


 普段はさほど気にしないが、マッハ2で飛ぶ凰花にとってセルフ・アークはあまりに狭かった。

 あっという間にプロペラ機の限界高度を超えた凰花は『天井』を掠め、今度は下降に移る。

 空気の坂道を滑り降りる凰花。高出力エンジンもあって一気に加速する。

 空にまつわる第二の壁が、凰花に襲いかかった。







 航空機には幾つもの『速度の壁』が存在する。

 プロペラの揚力を推力にする以上は超えることの出来ない、時速950キロの壁。

 音の速度を超えることでソニックブームが機体を包み込む、時速1225キロの壁。

 断熱圧縮により機体表面の温度が構成素材の限界を超える、時速3000キロの壁。


 空の特異点ともいうべきそれらを、技師達は創意工夫で乗り越えてきた。

 時速3000キロの熱の壁。それを突き破る尖兵こそが、MiG―25だったのだ。




 暴力的に断熱圧縮の壁を超える凰花に対し、MiG―25はなんら気負いもなく涼やかにマッハ2,7を超える。

 時速3300キロを超えるエアレース。武蔵はどうしても、それに違和感を覚える。


「なあ伊勢軍曹、それ本当にミグ25か!? いくらなんでも安定しすぎに思えるんだが!」


「【改造機だ! 中身はオリジナルだが、機体形状によって極超音速飛行を可能としている!】」


「ああ、低ソニックブーム設計概念実証機!」


 武蔵も聞いたことがあった。JAXAは昔から、この手の研究を続けてきたのだ。

 まさかその実験機にMiG―25を使っているとは思わなかったが。


「【あと俺は蒼曹だ、軍という文字は不適切だ!】」


「めんどくせー!」


 つい、武蔵はいつもの感覚で操縦桿を引いてしまう。

 途端に襲う強烈な重圧。自分にかかる負担以上に、武蔵は後部座席の乗員を案じた。


「すいません、大丈夫ですか!?」


「《……あんまり大丈夫じゃ……ないです》」


 武蔵は歯噛みする。

 凰花の性能限界以前に、一般人の花純が搭乗している以上は能動的にGを制限しなくてはならない。

 鈍重な動きしか出来ない凰花に、バスバスと模擬弾が襲った。


「【キャノピーを塗り潰してやる。視界なしではお前といえど、大気圏突入を断念せざるを得まい】」


「このっ、童貞ハゲ!」


「【ハゲじゃねーよ!】」


 機体をロールさせ、コックピットを隠す凰花。

 模擬弾ならそれ以外の場所にどれだけ被弾しても問題はない。ロケットエンジンなので凰花には吸気口もなく、異物吸引の心配はない。

 その場で機体をひねるロールなら、理屈の上ではGは生じない。揚力が変化するのでそれに応じた機首の偏向が必要だが、それくらいは武蔵ならば苦なくやってみせる。

 それとて高等技術だが、それに対応する伊勢日向の技量はそれ以上だった。


「【それで、振り切れると思っているのか!】」


「っ!」


 回り込み、不自然な角度で飛行する凰花を追走するMiG―25。

 マッハ3の速度域でそんな機動を行えば、パイロットへの負荷は計り知れない。

 しかし日向はそんなプレッシャーを声色には欠片も漏らさず、その巨大な機体を操ってみせた。


「コークスクリュー……!」


 結果的にではあるが、それは自衛隊の曲芸飛行チーム ブルーインパルスが十八番とする曲芸飛行、コークスクリューに酷似していた。

 機体性能、搭乗者の身体的限界からどうしても鈍重な動きを強いられる凰花。

 それに機敏な機動で食らいつくMiG―25。

 武蔵だからこそよく判る。伊勢日向が、自衛隊内でもトップクラスのライダーであることが。


「花純に耐Gスーツを着せるべきだったか、いや、あれは元々鍛えてないと意味がない、かっ」


 体を締め上げて血流を無理矢理に操作する耐Gスーツ。その使用は、パイロットとして鍛えていることが前提だ。

 素人の花純が着たところで心肺に負担をかけるだけだし、そもそも着替える時間などなかった。


「つーかアンタ、宇宙軍だったはずだろ! なんで戦闘機乗れるんだよ!」


「【器用貧乏だと色々あるんだ! というかエアレーサーの癖に超音速機に乗ってるお前に言われたくはない!】」


 怒鳴りつつ、武蔵は感嘆を覚えずにはいられなかった。

 これがプロ。放課後の数時間を訓練に当てる学生とは違う、生活の全てを空に費やした人材。

 そこには、あまりに大きな差がある。武蔵が平凡な学生エアレーサーならば、既にコックピットを模擬弾のインクに塗り潰されて飛行不可能となっていただろう。

 そもそもあの旧式機、MiG―25は超音速で飛ぶだけで大変なはずなのだ。改修されているとはいえ、極超音速で機体を振り回せるパイロットがどれだけいようか。

 徐々に追い詰められる凰花、だが、超音速のエアレースを制したのは武蔵だった。


「すまんが、もうゴールだ!」


 凰花は上下反転からそのまま機首上げを行い、急減速しつつ海面に落ちていく。

 通常のエアブレーキだけでは間に合わず、リニアエンジンを稼動させての強烈な逆噴射。


「通過中の機影はなし、認証、完了っ」


 速度超過警報が鳴り響くが、そんなことを気にしていては立派な大人になれないと武蔵は無視する。

 目指すは海面に浮かぶ、直径数十メートルの穴。

 見た目は所謂『ダム穴』に近い。航空機が直接外と出入りする為の、減圧区画だ。

 ここは隔壁などはない。能動的に宇宙に漏れた空気を逐次回収することで、宇宙との直通を可能とする特殊設備。

 小型機に限定されるが、ここなら飛行状態のまま宇宙へ出られる。高速道路でいうところのETCに近いシステムだ。

 まさか、手動操縦かつ超音速のままに突っ込むことなど誰も想していないが。

 文字通りの、針穴に糸を通すような精密な操縦。精密誘導弾が建物を貫くように、凰花は海面へと突入する。

 ソニックブームが海面を叩き、戦艦の砲弾が着弾したような水しぶきを上げる。

 直径数十メートルのトンネルなど、飛行中の航空機にとっては細い丸太橋に等しい。

 それを突き進む凰花。

 主翼のピトー管が機能不全を起こし、外気が急激に減圧されていることをメーターは指し示す。

 コロニーの外壁を抜け、隔壁を幾つも超え、機体は宇宙へと向かう。

 ここまでくれば最早、大気圏内用の航空機であるMiG―25は着いてこれない。

 逃げ切れる、そう確信した武蔵はコックピット内ミラーに映る機影に息を飲んだ。


「【まあぁぁぁてえぇぇぇやあぁぁぁ……!!】」


「冗談だろ、ついてきやがった」


 猛然と突き進むMiG―25。

 その威容は、まさに本物の軍用機。人を殺める兵器のみが持つ殺気が、武蔵を知らず震わせる。

 執念はまさに驚愕すべきものだった。だが、やはり限界はあった。

 R―15BD―300エンジンは空気の薄い高高度用エンジンであったが、やはり大気圏内用エンジンだ。

 減圧区画内の希薄な空気にエンジンストールし、動翼も空気そのものがなくては機体制御はままならない。

 MiG―25は、惰性で真っ直ぐ飛ぶだけの落下物となった。


「【堕ちろ落ちろオチロ……】」


「怖いから。怖いからほんと呪詛やめろ」


 それでも背後から模擬弾を撃ち続ける伊勢日向。

 凰花後部のエンジン排気口に飛び込んだらトラブルになりかねないので、もう必要ないにも関わらずエンジン出力を下げることも出来ない。

 散々暴れて燃料を食った凰花にとって、地味に有効な嫌がらせだった。



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