ローエングリンの未練14
「びしょびしょです」
「夏場なのが救いですね」
日が落ちても未だ気温は高い。肌に生地が張り付いて気持ち悪いものの、早急に対処せねばならない事態ではなかった。
武蔵は花純のシャツが透けていないかと凝視するも、どうやら下は水着らしく落胆する。
そりゃそうである。
「武蔵くん」
「あ、いや。僕そういうのよくわかんないもん」
幼児退行して誤魔化す武蔵。
見苦しかった。
「そうですか……困りましたね」
男性に対して、卑猥な視線を向けて貰わなければ困る。
それってどういう意味だろうか。そういう意味だろうか。
とワクテカする武蔵だが、次の花純の言葉に一気に脳内お花畑は消し飛んだ。
「帰り道、判らなくなってしまいました」
武蔵は周囲を見渡した。
ライトに照らされる周囲は、しかし似た岩場ばかり。一応海岸なので周囲すぐに海があるはずだが、それすらも見渡せない。
まして足場は悪い。下手に動くのは危険、彼等はそう判断する。
「一番安全なのはこの場で朝を待つことですが」
「無人島、2人っきりで一晩……古い映画みたいな話です」
「まあ文明の利器はそんな美味しいシチュエーションも台無しにするわけであって」
携帯端末のコロニー内現在地測位システムを起動し、帰還ルートを検索する武蔵。
しかし圏外であった。
「あ、しまった。GPSみたいにどこでも使えるわけじゃないんだった、これ」
GPS―――正しくはGNSS、全地球測位システム―――の基本原理は、結局のところ原始的な三辺測量と変わりない。複数の人工衛星からコンパスで円を描き、それらが交差した場所が現在位置である。
地球上においては高い精度を保障し、電子機器が安価となったので事前準備も簡単という便利なシステム。しかし宇宙コロニー内にGPS衛星の信号が届くはずはなく、これとはまた別のシステムが必要となる。
コロニー内に複数設置されたアンテナを測量点に距離を測るのだが、基本原理こそ同じながら測量点がGPSよりずっと多い。広いようで狭いコロニー内、測量点と受信機の距離が近すぎて3基や6基では誤差が大きすぎるのだ。
精度を数でカバーしている為に1基あたりの担当範囲は狭く、アンテナ設置は人工密集地が優先される。こんな無人島に電波が届いているはずがないのだった。
本土のWi-Fi電波が無人島に届くはずがないようなものである。
「でも電波は通じてますよ?」
「通信と測位は別規格なので。とりあえず、みんなに状況伝えといてもらえます? 俺達はこの場で大人しく朝を待つ、って」
「あ、はい」
タプタプと端末を捜査する花純の横で、これは本格的に困ったかもな、と深刻さの欠片もない様子で武蔵は星空を見上げる。
航空機による救援を呼ぶにも、夜間飛行はリスクが極めて高い。武蔵達が朝を待った方がずっとマシだ。
「これもある意味二重遭難なのかな」
二重遭難。本来は遭難者を捜索せんとした者がやはり遭難してしまうことを指す。
遭難者が一旦安全を確保するも、不用意に行動して再び遭難してしまう。
すごいバカみたいだ、と武蔵は思った。
「いや、一度目は不可抗力な機械トラブルだ。二回目にしたって連絡手段を確保した上での安全の為の措置、よってこれは帰還期限の遅延であって遭難状態ではない」
そういって、不用意に夜中に岩場へ入り込んだ自分の判断をフォローする武蔵。
「そうなんですか?」
何気ない花純の一言が、酷い沈黙をもたらした。
「そうなんです」
「えっ、いや、ちがっ」
「そーなんです! 遭難じゃないけどそうなんです!」
「わざとじゃないんです! 偶然、たまたまそうなったというだけであって……!」
「なるほど、そうなんですね!」
「武蔵くんの馬鹿!」
2歳歳上の女性に怒られて、武蔵はちょっと興奮した。
歳上のお姉さんは何故これほど魔力を秘めているのであろうか。
もっと怒らせてみようか。しかし加減を違えれば単純に煙たがれる。
難しい命題であった。
「月が綺麗ですね」
怒らせて、嫌われては本末転倒。
よって、武蔵は別方向からアプローチを試みる。
「え? あ、はい? そうですね?」
第一次攻撃は不発。しかし、我ながら悪くない切り口だと武蔵は自画自賛する。
所詮は人工の映像でしかない月。だが、その艶やかさは実物の地球唯一の衛星と変わりないように武蔵は感じる。
「夏目漱石って知っていますか?」
「はい、何冊か読んだことはあります」
「彼が英語教師をしていたことはご存知ですか?」
会話を誘導、というか牽引する勢いである。
その強引さに、思わず花純も一言。
「武蔵くん、今の君はすごく頭が悪そうです」
「ハハハご冗談を」
純文学を語れば頭が良く見える。その定説が否定された瞬間であった。
ならば次の手は、とやはり空を見上げる。
「織姫と彦星。一年に一度だけ会える2人ですが、正式な星の名って知ってます?」
彼もまた宇宙航空機技師を目指す身。天文学だってちゃんと勉強しているのである。
ならば天測で帰り道を割り出せ、というわけにもいかない。
現在位置が判らないので、方向が判っても仕方がないのだ。
「えっと。ベガとアルタイル、でしたっけ」
「正解です」
武蔵は花純の頭を撫でようと手を伸ばす。
スッと避けられた。
「ベガとアルタイル。天の川を挟んで寄り添う巨星ですが、近いように見えて16光年も離れているんですよ」
「それはまあ、宇宙ですものね。凄く離れているのであろうことは想像が付きます」
どうしよう、予想していたリアクションと違う。
「そうなんですか!? とても離れているのですね!」なんて反応を期待していた武蔵だが、宇宙が途方もなく広いことなんて大体の人が知っている。
宗教的理由もなく近代で天文学の知識がない人物など、故シャーロック・ホームズ氏くらいだ。
「そもそも七夕を『一年で最も天の川が鮮明に見える日』とするならば、正しくは『恋人たちが一年に一度だけ川で分かたれる日』な気がします。なんで川があったら会えるんですか。逆でしょう」
「武蔵くん、お話をする時はちゃんと考えをまとめてから話してください」
軸の定まらないブレブレな論調に、思わず指摘する花純であった。
「ちょっと待って。今どう口説くべきか考えます」
「はあ……ですが、一年のうち364日は顔を合わせられている、という方が救いはありますね。そっちの方が素敵です」
「でしょう。それを言いたかったんです」
「そのしたり顔、あまり人に見せない方がいいですよ」
キリッと凛々しいと本人は思っているらしい顔を作る武蔵に、花純は深々と溜め息を吐いた。
「でも、宇宙を飛ぶ人にそういった知識は必要なのですか? ベガやアルタイルなんて、遠すぎて実際に知識を活用する機会はないように思えますが」
人類が活動しているのは未だ太陽系内のみ。ご都合なワープ装置など開発していない人類は、その版図を一歩ずつ手探りで進めるしかなく、その割に宇宙は広すぎた。
太陽系内ですら、大まかな調査を終えるのは400年後と予想されている。遥か遠方の恒星を目指すなど依然として夢物語だ。
それを例えるならば近海漁業しか行えない小型漁船の持ち主が、遥か彼方の大西洋に思いを馳せるようなもの。
太陽引力のしがらみを振り切ることすら叶わない人類の船が、天頂を描く星座についての知識など必要なのか―――花純はそう考えたのであった。
「まあ、それもまた間違いではありませんよ。太陽系外の星は基本的に『動かないもの』として処理されます」
本当は動いている。見かけ上も、実際にも。
しかしその動きはあまりに小さく、専門の精密器具でなければ観測は出来ない。
遥か彼方の恒星が描く見かけ上の動き、年周視差が初観測されたのは1838年。
その200年以上前、1601年没の天文学者ティコ・ブラーエが年周視差を観測出来ずに、天動説を確信してしまう程度には宇宙は『ただの一枚絵』なのだ。
「でも宇宙飛行士は大抵は星座を覚えてます。覚えやすいですし」
「はい?」
武蔵の奇妙な物言いに、首を傾げる花純。
「覚えなきゃいけないのはあくまで星の配置と名前です。方位を調べるのに必要な知識ですから。その過程で、星座の名前も覚えてしまうんです」
当然ながら、本来は星座にまつわる神話や伝説など覚える必要はない。そんなフィクションは宇宙航行に欠片も役には立たない。
だがそういった逸話・おどき話には相応の所以がある。星々の著名なものはほとんどが神話の名称であるし、神話において惑星が特別視されていたのは、彼等が太陽系惑星であるという異質な存在だと神話の時代に生きた人々がちゃんと気付いていたからに他ならない。
「天文学と神話は直結した学問なんですよ。そのデータの多くは古代より収集されてきたものです」
「不思議ですね。最新の宇宙技術が神話と地続きで繋がっているなんて」
「というか神話自体が、当時の天文学です。古代の人々は拙い観測機器と数学で星を観測し、惑うように駆ける星を発見し、その動きを計算で予想しようとしたんです」
様々な前提―――天動説か地動説か、神々の輝きか水素核融合か、多々間違いを抱えつつも古代の天文学者は『夜空に無数にきらめくあの光は何なのか』を調べ続けたのだ。
「地動説や銀河系の全貌だって、あくまで『現在の定説』です。将来的には覆されるかもしれません」
「今更『地球が宇宙の中心です』なんて理屈が再立証されるとでも?」
「科学には定説はあっても確定事項はないんです。現在の物理法則はたまたま現実に合致するだけであって、本当の真理はもっと遥かにシンプルかもしれない」
この考えを支持する学者は意外なほど多い。
物理学は深淵を求めるほどに複雑怪奇な計算式へと化けていく。あたかも、大前提の間違いを数式で強引に補正するかのように。
どこか初歩的な部分で間違いを犯しているのではないか……学者達は、どうしてもその考えを振り切れないのだ。
それはまさに、天動説が否定され地動説が生まれた流れそのものであった。間違いを間違いで補正していく天動説は研究を進めるほどに煩雑となり、対してケプラーの提唱した地動説はあまりにシンプルであった。
「この間の化物だってそうです。おったまげましたよ、原子力潜水艦と融合した生物兵器がコロニーにいるなんて。俺の価値観が粉砕されました」
「その話はしない約束でしょう」
「さーせん」
限りなく軽い調子で、武蔵は謝意を示した。
「でも……なんだか羨ましいです」
「何がです?」
「私、そういう脈々と受け継がれた歴史のあるものが好きなのです。老舗のお店や、古いお祭りが」
伝統行事が好きなのだろうか、と困惑する武蔵。
現在の宇宙科学は既に伝統でもなんでもない。花純が指摘した通りの、客観的データに基づいた神性の欠片もない学問だ。
日本の宇宙開発において性能計画書のタイトルに酒の銘柄を使ったり、某国の宇宙計画において不吉な数字である13を避けるといった、宇宙関係者に伝わる願掛けなどは実在する。
事故リスクの高い業界なので、その手の願掛けは割とポピュラーだ。
というか、某国の場合13号がドンピシャで呪い過ぎた。よりにもよって不吉な数字を冠した船で大事故が起きたのだ、怯えるのも仕方がない。
しかしそれが所謂『伝統』かといえば、それもまた違う気がした。
「天文学は、古代からかなり変質してますよ? 実用技術なのですから」
「時代によって変化するのは当然です、地続きなのがいいんです。一歩一歩踏みしめた重みが、とても愛おしく思える」
そううっとりと夜空を見上げる花純。
よく判らない価値観だなと、武蔵は忌憚なくぶったぎった。
「というか、それこそ会長の家も大概でしょう。会長の祖先って殿様なんでしょう?」
「……違いますよ? 財閥は民間の商人が起源です」
「あ、今の発言は忘れてください」
武蔵の適当な知識が露見してしまった。
なんとも言えない微妙な空気が流れ、花純はコホンとわざとらしく咳払いをして話を進める。
「とにかく、私の好きな存在はその系譜が途切れてしまったんです」
「なんですか? それって」
「……笑いません?」
「笑いません。俺が、真摯な恋慕を嘲笑するような最低男に見えますか?」
じっと花純を見据える武蔵。
その瞳に些細な揺らぎすらないことを見て取った花純は、大きく息を1つ吐き、小さな声で教えた。
「じつは、私は騎士―――甲冑を着込んだような中世の騎士様が、ずっと昔から好きなのです」
「ぎゃはははははは! ちょーウケるぅー!」
花純は武蔵を無言で海に突き落とした。




