ローエングリンの未練8
風は、地上と空ではその姿を大いに変化させる。
地上では穏やかだった風だが、この高度ともなれば甲板を駆ける豪風がプロペラ戦闘機を揺さぶる。
高度200フィート。海上に吹く風は巨艦をも揺らし、ジェラルミンの塊を吹き飛ばさんと弄ぶ。
カラフルな作業着を来た甲板作業員が戦闘機を半人力でシャトル・トラックへと移動させる。
「《射出用ブライドル、チェック》」
「《ホールド・バック、ロック確認》」
「《初期射出準備完了。カタパルト用意》」
「《回せーっ!》」
「《動翼、機体パラメーター異常なし》」
「発艦最終作業へ移行」
「《エンジンフルスロットル、フラッペンダウン》」
「作業員の退去を確認。こちら飛行長、発艦開始」
《May goddess be with you!》」
「《どーも。それじゃ、行くぞ!》」
自動車以上の重量を誇る鉄塊が2秒で150キロまで加速し、大空へと放り投げられる。
甲板より吹き上げる水蒸気。穏やかとは言い難い高空の暴風の中、その気流すら味方に付けて戦闘機達は空へと昇っていく。
「名門チームは規模が違うな」
艦橋から発艦作業を見学していた武蔵は、その高い練度に感嘆せざるを得なかった。
「中学校の空部とは予算も規模も段違いよ。貴方もこっちに来れば良かったのに」
「空部に入る気すらなかったからな」
「結局入ってるじゃない」
むむむ、と唸る武蔵。
だからと言って今更鋼輪工業の空部が羨ましいかと訊ねられれば、そんなこともない。
「雷間高校の空部は悪くはない。かわい子ちゃんばかりだ」
男性は精々由良か、コーチとして気まぐれに現れるハカセか、妙子のファンクラブくらい。
「意外と多いな」
何にせよ部室のたまり場たる艦橋は常に、男子生徒では有りえない、どこか甘い香りに満たされている。それを聴く度、武蔵の胸は幸福感に包まれるのだ。
「まあこっちは少なからず、男子はいるもんね」
雷間高校の空部は男女比率が女性に大きく傾いでいるが、大抵の学校では男子の方が多いのが普通だ。
見事に女性ばかり集まった時雨チームも大概珍しい編成といえる。
「俺そろそろ帰るわ」
「あら唐突」
加賀の艦橋は男臭く、油臭い。
油臭さは稼働機数の違いに由来するものだが、ともかく思い出してしまったからにはいてもたってもいられなかった。
早く自分の楽園に戻りたい。そんな帰巣本能が、武蔵を突き動かす。
「流石にもう心配してるだろうしな。ちょっと機体貸してくれや」
「どうやって返還するのよ」
時雨はタブレットを操作して、手漉きの機体を確認する。
「ああ、そうだったわ。鈴谷の機体がこれから飛ぶから、ついでに乗りましょ」
「あの頭悪そうな子か。いや待て、秋津洲に着艦設備はないぞ」
「普段どうやって離発着してるのよ……」
アリアの百式については垂直離着陸機なので、後部の甲板から垂直に離発着している。
零戦に関しては離陸はカタパルト。着陸は―――
「気合でなんとか」
出来ないとは言い切れないのを知っているからこそ、時雨はちょっと頭が痛かった。
武蔵の技量と軽量な零戦が揃えば、ヘリポートくらいの面積があれば着陸出来る。
「だ、大丈夫よ、あの子の愛機は飛行艇だから。秋津島に直接降りる必要はないわ」
飛行艇。機体が船としての機能を有する、水面から離発着可能な航空機の総称だ。
機体構成の都合上、水上機と比べて大型な機体である場合が多い。例外も存在するが、飛行艇イコール大型機と考えてもさほど問題はない。
「駆逐機?」
「ええ。活発そうな性格の割に、なかなか厭らしい戦術を組む子よ」
「お前の教え子だ、弱いはずがあるまい」
「えっ。ええ、えぇ。勿論よ」
ポンっと時雨は音をたてて赤面した。
武蔵は艦橋の分厚い窓から後部クレーンを見据える。
海などに不時着した機体を釣り上げる為に追加された大型クレーン。通常これを使うのは不名誉の証だが、例外は存在する。
今現在、高度を0まで降ろした空母加賀は、クレーンは巨大機を海面に降ろす作業を行っていた。
「―――でかいな」
一目見ただけで、その異質さは十二分に理解出来た。
本来小型機のみを運用することを前提とした空母、その甲板上に鎮座する巨体。
加賀は大型船とはいえ、陸上滑走路よりは遥かに小さい。故に―――その異質さが、一層引き立つ。
「ええ、世界的に見ても最大級の飛行艇だもの」
4発のエンジンに、長距離飛行を目指した巨大な翼。
本当にあんな巨大な翼が、海の上から飛べるのか。そんな疑念を抱いてしまうほどに、彼の翼は広かった。
「凄いでしょう。潜水艦からの給油を前提として、同盟国の支援すら必要とせず世界一周爆撃任務を可能とした機体よ」
またとんでもないモノを保有しているな、と武蔵は鋼輪工業学校空部に畏怖すらを覚えた。
「二式大艇改―――『富嶽』」
当時、日本軍は陸軍と海軍が不毛な意地の張り合いをしていた。
だがそれでも優れた兵器については共用する場合もあった。アリアの百式司令部偵察機などもそうだ。
そして、目の前にいる巨大飛行艇についてもその一例である。
「陸軍が調達、改修した二式大艇……敵国本土を爆撃すべく太平洋横断能力を求められた、超長距離巡航の怪物か」
予備機を含めての極少数しか製造されなかった、極めて特殊な任務を達成すべく設計された巨人機。
技術的限界を超えるべくそれ以外の何もかもを削り落とした、矛盾を噛み砕く怪物。
その野心的なコンセプトを達するべく研ぎ澄まされた細長い翼と機体は、まさに異形と呼ぶに相応しい容貌であった。
「大型機の選手って何人くらいいるんだ?」
「流石にあの子だけよ。大型機であるメリットも小さいしね」
現代技術で小型の戦闘機と大型の爆撃機が直接的な空中戦になった場合、勝利するのは実は爆撃機である。
レシプロ戦闘機が飛び回っていた時代ならば、爆撃機は戦闘機には敵わなかった。最高速度が違いすぎる、どうやっても爆撃機は戦闘機から逃れられなかったのだ。
だが近年になると話が変わってくる。高性能なミサイルの登場によってその発射母機となる航空機の性能はさほど戦局に影響を与えなくなり、またエンジンの発達は航空機の速度限界を技術的限界にまで引き上げた。
つまり、真っ直ぐ飛ぶ分には戦闘機も爆撃機も速度に大差がなくなった。
現に、昨今では戦闘機は大型化し、爆撃機と任務を共有するようになっている。
第二次世界大戦前夜に一時流行した『戦闘機不要論』が、部分的に実現しているのだ。
この流れはエアレース界にも及んでいる。かつて戦闘機相手に逃げきれるかは運次第であった爆撃機だが、今や戦闘機は爆撃機にとって鈍足で脆弱な狩人となり果てた。
エアレースにおいてミサイルは禁じられているが、それでも空に要塞のように浮かぶ爆撃機は戦闘機にとって手強い敵と成り得るのだ。
ならば何故戦闘機という兵器が世の中の軍隊からなくならないかといえば、爆撃機の小回りの効かなさは戦略的には使い勝手が悪いからである。
多くの乗員と莫大な資材、人員を消耗する大型機は軍隊にとって扱いにくい兵器である。
今は広い地域をリアルタイムの情報収集で精密爆撃によって潰していく時代。大雑把に爆弾を落とすしか出来ない爆撃機は金食い虫となりがちだ。
戦争とは人と人の争いでも、兵器と兵器の争いでもない。国力と国力の凌ぎ合いなのである。
故に、小型で使い勝手のいい戦闘機に需要が生まれる。大型万能機のみで空軍を編成することは不可能ではないが、それをやっては金が幾らあっても足りない。
「やっぱり、名門は桁違いだな」
だからこそ、武蔵が真に驚愕したのは機体そのものではない。
正規軍の空軍でも、学生の部活動でも大型機の運用に関する手間は変わらない。それを背負える鋼輪工業空部の地力に感嘆させられたのだ。
一般論として、小型の戦闘機程度ならば極少人数で運用することも不可能ではない。実際雷間高校空部ではそうやって機体を維持している、
だが、爆撃機ともなると話が違う。
ただ一機に整備チームを編成し、莫大な予算と労力を溶かし続けることを許容する経済力。そのいずれもが雷間高校空部には存在し得ない力だ。
「しかし長距離を飛ぶためとはいえ、飛行艇でグライダーみたいな細さはまずいだろう。まして100年前の設計、海上の応力に耐えられるのか?」
「現に100年生き延びてるじゃない。昔の飛行機って、下手な現代機より余剰強度が大きいのよ」
「そりゃ知ってるが」
コンピューターで強度計算を行える現代においては、性能を優先すべく機体強度はギリギリになりがちだ。
しかしコンピューターのない時代の飛行機は、安全性を確保すべくとりあえず堅牢な設計になってる場合も多い。
よって、交換可能な主要部品はともかく、機体のフレームそのものは新型機より旧型機の方が長く使用され続けるといった珍事が割とよく発生していた。
「第二次世界大戦の設計技師は本当に凄いわよ。今の感覚でいったら、狂気すら感じる創意工夫で必要性能を満たしている」
「あの頃は飛行機の性能が国の存続に直結したからな」
その原則は今でも変わらないのだが、やはり国家総力戦ともなると心意気が違う。
設計者達は、文字通り心血を注ぎ命を削って機体設計をしたのだ。
その結果の1つこそが、目の前の二式大艇の陸軍版、富嶽であるといえる。
「それで、貴方ならどうやって墜とす?」
「腹案があるとして、お前に話すわけないだろ。こっちは人生を賭けてるんだぞ」
「ちぇ、ちょっとくらい口を滑らせたっていいのに」
ぷえー、と唇を尖らせる時雨。
そこに1人のパイロットスーツに身を包んだ少女が現れる。
「隊長、出撃準備完了しましたっ! って、げげげっ、雷間の変態」
「何が『きゃあっ! 雷間の鬼神、抱いて!』だ」
「おかしいのは頭ですか? 耳ですか?」
「鈴谷、こいつも乗せるわよ。途中で投棄するわ」
「俺は前線部隊への支援物資か何かか」
地面に墜落する破損前提の梱包物資を武蔵は想像した。
前線の地上軍に輸送機で物資を投下する場合、人が乗っているわけでもないので、パラシュートでの減速もほどほどにテキトーに落とされるのだ。
内部が多少損傷するのも気にせず、グチャっと。
「ちょっ……まじで言ってます? 妊娠させられません?」
怯え、自身の腕を抱く最上。
時雨は彼女が何を危惧しているのかを察し、苦笑する。
「大丈夫よ、操縦中にちょっかい出してくるようなことはしないわ。こいつは航空機の扱いに関してはふざけたりはしない」
そこには絶対の自信があった。多くの空を共に飛んだパートナーだからこそ、理解し得る認識があった。
武蔵の空の哲学を、時雨は正しく識っていた。
「そうだぞ、ちょっと個人情報聞き出したりする程度だ」
「さっきは警戒していたはずなのに、気付けば下着の色まで答えてたんですが……」
時雨は武蔵の腕を結束バンドで拘束した。
信頼なんて儚いもんである。
二式大艇改 富嶽
ライバルチームである鋼輪工業のチームは陸軍機、という縛りから急遽設定された架空機。
二式大艇の陸軍版。航続距離を伸ばす改修が施されており、スペック上は艦艇の支援を受ければ世界一周が可能。
陸軍は潜水艦の支援で燃料を補給しつつ敵国本土を爆撃したかったらしいが、まるゆを本気で大西洋まで進出させるつもりだったのかは不明。
架空機だからといってしまえばそれまでだが、日本陸軍はそういうことやりそうだから怖い。




