サミュエルの敗北
『2045年4月10日』
―――空を飛ぶ、夢をみた。
それは悲願だった。翼を持たない人類は、あらゆる時代で空を見上げていた。
神話に登場する空飛ぶ宮殿ヴィマナ。モンゴルフィア兄弟の熱気球。レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチに残された原始的なヘリコプター。
稚拙な空への憧憬はやがて航空力学として昇華され、多くの人命と予算を食い潰しながら正解へと近付いていった。
まさに死闘であった。マジノラインに正面から挑むが如き、冬将軍に軽装で挑むが如き、万里の城を砕き進むが如き、あまりに困難な挑戦であった。
『人が空を飛べるはずがない』
『空気より重い人工物が飛べるわけがない』
『神への背徳行為である』
『そも、彼らは狂人である』
多くの誹りを受け、それでも空を諦められない愚者達の戦い。
数多の学者達に否定された、揚力による人の飛行。鋳造アルミニウム製のエンジンと粗末な翼を纏った人造の鳥は、しかし力強くキティホークの空を舞ったのだ。
ただただ純粋なまでの、空への憧れ。そこに他意も打算もなく、技術者達はひたすらに空だけを見上げていた。
あの青空を自由に飛びたい。鳥のようにどこまでも飛んでいきたい。
―――その真摯な願いが踏みにじられるまでに、僅か10年の歳月しか要さなかった。
第一次世界大戦。それまで空飛ぶ玩具だと笑われてきた飛行機の軍事的意義を確立し、初めて人が空で殺し合った戦争が起きる。
人は知った。その人造の翼は、人を殺せるのだと。
そして更に27年後、1945年。日本国にとってのターニングポイントとなった太平洋戦争が終結。
広大な太平洋という戦場を舞台とした、人類至上最も広範囲に渡って繰り広げられた戦争。
幼子の夢のように淡い空を穢した血と硝煙と銃弾の驟雨はその日、ようやく降り止んだのだった。
―――それから100年。
2045年4月上旬。人類初の動力飛行から142年後の日本。
宇宙に浮かぶ、巨大な宇宙船―――否、宇宙コロニー内部のとある民家にて少年はまどろみから目を醒ました。
「お兄ちゃん、朝だよ」
聞き親しんだ少女の声。
「もう、お兄ちゃん。遅刻しちゃうよー」
身体を揺すられ、少年―――大和武蔵の意識は、ゆっくりと覚醒していく。
「もう少しいいだろ、遅れそうなら飛んで行くから……」
しかし武蔵の睡眠欲は、少女の誘ぎを超過した。
「違反行為は駄目だよお兄ちゃん……起きないとイタズラしちゃうぞ?」
耳元で囁く妹の声。だが武蔵は屈しない。
寝ている兄に妹がイタズラ。ちょっと期待すらしていた。
「よいしょ、よいしょ」
妹は可愛らしい声と共に、兄のズボンを脱がせていく。
「ちょ、おま、俺達は兄妹だぞ、よっしゃ来いや来いや!」
「えいっ!」
「ぎゃー!?」
妹は兄の陰毛を引っこ抜いた。
「俺をパイパンにする気か……」
白米、焼き魚、目玉焼き、味噌汁。これ以上とないお手本のような朝食を前に、武蔵は暗い表情で項垂れた。
武蔵の妹である大和信濃は、文句の付けようのない美少女である。家事万能、学業優秀、才色兼備と非の打ち所のない女の子だ。
華奢で小柄な躯体、くりくりとした大きな瞳、愛嬌のある笑顔。
まさに可愛い妹という存在を体現したような、ある種記号的なほどに愛らしい少女であった。
「見て見てお兄ちゃん! この目玉焼き、双子だったんだよ! 精子がたっぷり注がれたんだね!」
「市販の卵は無精卵だっての」
カタログスペックだけを見れば、愛らしい少女であった。
「でもお兄ちゃん、海外では下の毛をしっかりと処理するのが普通だって聞いたよ」
「ここは日本国領だ西洋カブレめ。……マジでみんなツルツルなのか?」
そう訊ね返す武蔵だが、彼にも覚えがあった。
「お兄ちゃんの持ってるエッチなビデオでも、海外ものはみんなツルツルだったしね」
「俺のコレクションをどーしてお前が観たのか、そこが問題だ」
「ほら、早く食べないと遅刻しちゃうよ。私はもう行くからねっ」
「いてらー」
時間が迫ってものんびりと食事を続ける兄を見捨てて、信濃はさっさと家を飛び出していく。
遠くから聞こえるヘリのローター音を尻目に、武蔵は食事を続けるのであった。
2045年。21世紀も半ばに差し掛かろうかという昨今だが、人々は数十年前とさして代わり映えしない生活を送っていた。
無論、技術の進歩は多く果たされた。しかし自動車の基本形体が150年前から変化しないように、ナイフとフォークが形を変えず数世紀に渡って使用され続けてきたように、完成された技術というのはその形体を大きく変化させることはないのだ。
人は今も昔も携帯端末を弄り、紙媒体の漫画で笑い、ベッドで眠る。
一時は端末など脳に埋め込むようになると、漫画はすべて電子書籍となると、人は睡眠を取る必要などなくなると言われていたものの、結局変化など簡単には訪れないのだ。
多くの難病の治療法が発見されたものの不老―――はともかく―――不死の技術などまだまだ確立されそうになく、有人宇宙船は依然として太陽系から脱出出来ていない。
若者の生活も変わらない。将来に漠然とした不安を抱え、役に立つか判らない勉学に励み、これこそが学生の本分だといわんばかりに友人達との時間を浪費していく。
大和武蔵も、そして彼を取り巻く者達もそんな普通の少年少女であった。
宇宙コロニーという概念をご存知だろうか。
アニメや映画で度々見かける、宇宙空間に築かれた人工の大地。初期の宇宙ステーションからの単純大型化ではなく、宇宙に関わりのない民間人住居や娯楽施設なども内包した独立生活環境。
『移住先として宇宙に住むくらいなら地下街を掘った方が安上がりだ』という議論はあるが、それでも宇宙だからこその利点は多く存在する。地球上の日本本土より技術者技術屋が多いこの地だが、宇宙開拓時代ともなるとそれだけでは成り立たない。
宇宙船も宇宙軍も関係のない民間人とて沢山住んでいる。
そして当然ながら学生も、やはり沢山いるのである。
今日は雷間高校の入学式である。
「女子高生という響きはやはり甘美だな」
「人は期間限定商品に弱いんだよ、お兄ちゃん」
偉そうな態度(たぶん実際偉い立場)な男性教師の、体育館壇上での無駄に長い話。
そんなものどうせ聞かない奴はまったく聞かないのだし、いっそ入学式自体を自由参加にしてしまえばいい……などとりとめのない暴論を妄想しつつ、武蔵は周囲をこっそりと観察する。
観察対象は主に女生徒。その鋭い眼光は、彼女達の所作から多大なる情報を的確に分析分類していく。
「確かに一年生のブカブカな大きめセーラー服は悪くない―――期間限定、言い得て妙だな」
「ちなみに私も、その限定期間真っ只中だよ? うっふん」
「だが、やはり今日の目玉は歳上だ。中学三年生として一年過ごした身としては、歳下は少々見飽きた気がある」
これからまだ若干背が伸びるであろうことを計算し、僅かに大きめな制服に身を包む新入生。その着慣れていない様子もまた、魅力的かもしれない。
しかし武蔵の注目は、おおよそ上級生に向いていた。
「おい見ろ、あの三年生っぽい先輩。ロケットだ、パイオツ弾道ミサイルだ!」
「わあ、すっごく大きいねっ! アポロ13号だよ!」
別段、彼が歳上好きという趣味の持ち主であるわけではない。甘いものばかりを食べていたら塩辛いものが食べたくなる程度の気まぐれであり、武蔵は美人は上も下も大好きである。
「あの先輩、制服の下からロケット発射体を隠しきれていないぞ……! なんて弾頭重量だ!」
「瀬戸際外交だね! 無慈悲なおっぱいだよあれ! さっすが高校生、大人っぽいなぁ!」
女生徒を見て、恍惚の表情を浮かべる武蔵の話し相手。
残念ながら双子の妹、武蔵信濃である。
「でもあんなに大きいと、見えないところにお肉が付いている可能性もあるんじゃないかな?」
「ばかを言え。女ってのはとにかく痩せることを有難がるからいかん」
「わ、童貞がなんか言ってる」
「ちょっとくらいプニプニしていた方が、女の子は可愛い」
「男の人の『ちょっとふっくら』と女の人の『ちょっとふっくら』は違うんだよ」
適当な相槌をうちつつ、信濃は自分の二の腕をふにふにする。
たるみもない、見事なほっそりとした四肢……といえば聞こえはいいが、ぶっちゃけ痩せぎすである。
痩せている分には問題ないが、胸にも尻にも脂肪が乗らないのは困ったものだと信濃は嘆いた。
その時、突如として武蔵が声を上げる。
「―――何奴!?」
「わきゃーっ!?」
武蔵は強い視線を感じ、オーバーリアクションで振り返る。
信濃がびっくりして変な声を上げてひっくり返った。
スケキヨポーズでパンツ丸見えである。
周囲の男子は嬉しくないパンチラがあることを知った。
「くっ、逃げられたか……!」
振り向くも、そこには武蔵の奇行に驚いている新入生以外には誰も居らず。
武蔵は気のせいか、とすぐに視線のことなど忘れてしまうのであった。
割と適当に生きている男である。
視線の主は簡単に判明した。
入学式が終わり、各自割り振られた教室へ移動せんとした際に先方から話しかけてきたのだ。
「大和武蔵さんですね?」
壁の校内図を参照しつつ、ぞろぞろと移動する大勢の新入生の波。
その最中で話しかけてきた少女に対し、武蔵は面倒なので適当に返事をした。
「違うよ」
「えっ、あ、すいません人違いでした」
少女は謝り、懐から取り出した写真を確認し、何度も写真と本人を何度も見比べて、最後に吠えた。
「大和武蔵さんでしょう!?」
「チガウヨ」
「ソウダヨ」
武蔵に倣い、片言で暴露する双子の妹。
敵は近くに居た。
「コノヒトハ『大和武蔵』ダヨ。嘘ツキドーテイ星人タヨ」
「むううぅぅっ!」
頬を膨らませる謎の少女。
武蔵は身内を売った妹のケツを蹴り飛ばす。
「おいコラ」
「きゃうん!?」
「ちょ、暴力はよくありません!」
突然の暴力に驚愕して止めに入る謎の少女。
二人の関係を知らない以上、男子生徒が同級生の女子生徒を蹴り飛ばしたようにしか見えていない。
しかし武蔵は静かに首を横に振る。
「うひょひょひょひょ!」
尻を擦りつつ、恍惚の表情で震える妹。
親愛なる妹の全方位変態っぷりに戦慄しつつ、武蔵は話しかけてきた少女に向き合う。
「それで? 俺は大和武蔵ではないが、何のようだ?」
「大和武蔵さん! 貴方にエアレースの試合を挑みます!」
「お断りします」
即答である。
どうやら野良試合をしたいらしいが、生憎武蔵は引退した身だ。応じる理由も義理もない。
「貴方がもう空に身を置いていないのは知っています! ですが、私は空を飛びたいのです!」
「一人で飛べばいいだろ……」
「教えて下さい!」
「待て、お前素人か?」
自信満々に頷く少女。
よくよく見てみると、凄い美少女だった。
外国人の血が入っているらしく、日本的な愛嬌がありつつも金色の髪と透き通った肌が美しい少女。
青い瞳は宝石のように輝いており、その非現実的なほどの美貌に対して活力を生命力を感じさせる。
土地柄外国人も多いこのコロニーだが、これほどの西洋風美少女に出会ったのは武蔵も初めてだった。
「し、仕方がないなぁ。事情を話してみなさい」
下心で方針変更する武蔵である。
彼の主義は基本ブレッブレだった。
「私はヨーロッパの島国から引っ越してきました、アリア・K・若葉なのです。初めまして」
「あ、はい、ご丁寧にどうも。大和武蔵じゃない男子です」
なおもとぼける武蔵を無視して、アリアと名乗った少女は説明する。
少し右往左往した話の流れだが、要約するとこうなった。
「訳あって常々エアレースをやってみたいと考えていた私は、日本に引っ越したこの機会にチャレンジしてみることにしたのです!」
ヨーロッパの島国といえば紅茶帝国であるが、武蔵は疑問を抱いた。
紅茶帝国はスカイスポーツ、エアレースの土壌がある。むしろ日本より活発かもしれない。
武蔵は彼女がまだ隠していることがあると察しつつ、別の方向から質問を重ねてみる。
「ならどうしてこの学校を選んだんだ、ここ空部ないぞ?」
「えっ? ありますよ?」
「はい、ありますよ?」
「うん、あるわよ?」
今度は武蔵が驚いて少し飛び上がった。
目の前の少女アリアに続き、知らない声が続いて会話に乱入してきたのだ。
すわ何者かと飛び退くも、すぐに警戒は解かれる。
「こんにちは。生徒会長の朝雲花純と申します」
「空部部長の足柄妙子よ。宜しくね、新入生くん!」
なにせ、彼女達は大層な美人だったから。
どうやら新3年生らしい女性2人がやってきていた。
後者の台詞は先程武蔵が目を付けた、ロケットπ先輩である。武蔵は足柄妙子という名前を記憶に刻みつけた。
「とはいえ部員も足らず、ほとんど開店休業状態なのですけどね」
苦笑し、現在の空部の苦境を説明する生徒会長。
花純と名乗った彼女はスタイルは控えめだが、清楚な雰囲気を感じさせる大和撫子系の美少女だ。
入学早々に3人も美少女と出くわしてしまったことに、武蔵は内心浮つき始める。
……そんな青少年の機微も知らず、胸が素晴らしい方の先輩は得心した笑みで頷き、勝手に話を進めた。
「話は聞かせてもらったわ! つまり2人は入部に際して、親善試合をしたいということね!」
「ちょ、待っ」
何故か武蔵まで入部志望だと勘違いされていた。
「解りました。それでは私が生徒会長権限を行使して、親善試合の場を設けましょう!」
「機体は用意してないでしょうから、部にある練習機を使っていいわ。スペックも対等になるし」
「これから部活動勧誘の時間です。その一環として捩じ込みましょう」
「じゃあ私は準備してくるわね! 花純、書類関係は宜しく!」
どたばたと去ってしまった3年生2人。
残された1年生3人は、ぽかーんと口を開けたまま放置される。
「ふっふっふ、腕がなりますね!」
「なんでお前は素人なのにそんなに自信満々なんだよ。つーかライセンス持っているのか」
「小型機免許は持ってますよ。試合経験はありませんが」
どうしよう、と武蔵は唸った。
空と縁を切るつもりが、引きずり込まれようとしている。
「お兄ちゃん、こういうのは縁だよ。切っても切れない、って奴だよ。お兄ちゃんは空を飛ぶべきなんだよ」
「信濃……」
武蔵はちょっと感動した。
「お前、俺のことそんなふうに……!」
「私とお兄ちゃんが爛れた肉体関係を断ち切れないように、お兄ちゃんと空は強い縁で結ばれているんだよ」
「黙れ処女」
感動した自分がバカみたいだった。
「つまりなんだ、俺の指導を受けたいから引退した俺にやる気になれと? その為の手段が俺に勝つことだと?」
上達したいが為に自分より格上に勝つ。とんだ矛盾である。
「いってはなんですが、私に払える対価はそれ以外にないのです」
精悍な表情で頷くアリア。
彼女は確信している。自分がエアレースという世界に参戦するには、分の悪い戦いに挑むくらいの気迫が必要なのだと。
「いやいやあるだろう払える対価、俺は色々とウエルカムだぞ」
「はあ」
「つーか待て。前提からしておかしい。『自分が勝ったら指導しろ、デメリットは圧倒的不利』って、俺からすれば勝ってもメリットなし、負けたらデメリットじゃねーか。対価でもなんでもねーよ」
「チッ」
アリアは舌打ちした。
武蔵はアリアにげんこつを落とした。
「きゅううぅぅっ!」
「こいつ、ちゃっかりノーリスクで指導を受ける気でいやがった!」
「ならお兄ちゃんも対価をせしめればいいんだよ!」
信濃が武蔵にガッツポーズで提案する。
武蔵はなるほどと思った。こちらから対価を提案すればいいのだ。
相手はどうやら初心者、仮にもエースだった自分なら楽勝である。
「あの、あまりお金は……」
「なんで二言目にはお金を要求されるって思った!?」
「なら何がほしいのですか? 私、本当に面白みのないただの帰国子女なのですが」
どうやら彼女は自分の価値に気が付いていないらしい。
武蔵のゲスい計算が、スパコン並に演算される。
「俺が勝ったら」
「貴方が勝ったら?」
「俺のものになれ」
武蔵は真っ青になった。何言ってんだ俺。
まさか口に出してしまうとは自分でも思っていなかった。表向き紳士で通しているのだ。
アリアも真っ青になった。駄目だこの人。頼っちゃいけない人だった。
「やったねお兄ちゃん! これで童貞卒業だよ! バンザーイ! バンザーイ! ドウテーイ!」
万歳三唱する信濃。小心者の武蔵は更に愕然とする。
しかしアリアも負けてはいなかった。
「い、いいでしょう! 私が負ければ恋人にでも奴隷にでもなってあげます! こんな貧相な身体でいいのなら、思う存分弄べばいいのです!」
「何言ってんのお前!?」
「オホォォォォッ! きたよお兄ちゃん、性奴隷だよ肉奴隷だよ! グヘヘヘ私にも味見させてくださいよアニキ!」
ざわめく新入生達。歓喜する妹。困惑する当事者2人。
―――こうして、誰もがその場の勢いのままに親善試合が行われる運びとなったのであった。
試合会場はそのまま、雷間高校の校舎を使用することとなった。
「規定はアンリミテッドクラスに準じるわ。使用機体は練習機の九三式中間練習機を使用。指定した空域を先に3周した方が勝ち。細かなペナルティはなしってことで。アリアちゃんは初心者みたいだしね。2人とも、いい?」
「は、はい!」
「え、マジでやるの?」
グラウンドにて暖気された、3機の九三式中間練習機。うち一機はチェイサー、審判や試合進行の為の機体である。
「赤とんぼ、という名称ながらオレンジ色なんですね」
「乗れるか? 乗れないならお前の不戦敗ってことでもいいが」
「それ、試合を回避しつつ戦利品はせしめようとしてますよね!?」
バリバリとちゃっちい音を立てながら、プロペラをアイドリング回転させる赤とんぼ。
武蔵はグラウンドをざっと眺め、滑走距離が足りるかを確認する。
「ちょっと短いんじゃないか? フェンスに突っ込むぞ」
グラウンドを対角線上に目一杯使っても、せいぜい200メートル。古めかしい複葉機である赤とんぼなら速度も遅いので、離着陸は不可能とはいわないものの、やはり心許ない。
「大丈夫よ新入部員君、うちの赤とんぼはエンジンを強化してるから!」
「まあそれなら、あと俺は入部しませんからそこんとこヨロシク」
Vサインする部長のお姉さんに、武蔵はしっかりと明言しておく。なし崩しに入部させられては堪らない。
部長……足柄妙子の駆る赤とんぼがひらりと離陸する。危なげはないが、正直なんか下手だと武蔵は思った。
続いて謎の美少女アリア機、そして武蔵機も離陸する。
3機の編隊は大きく旋回し、学校の上空に。
突然のエアレース開催に、在校生新入生問わず空を見上げ沸き立つ。
多くの人々が見守る野良レースが、遂に始まろうとしていた。
「【それじゃあいい? よーい、どん!】」
先頭を飛んでいた妙子機が、合図と共に上昇離脱する。
よくあるエアレース開始時の機動だが、気の抜けた宣言に武蔵は脱力した。
「【さあ、私の真価を見せてやるのです!】」
面白い、と武蔵は敵の言葉に唸る。
彼にこれほど大口を叩いた敵など久しくいなかった。孤立の最強に至った青年は、久方ぶりの『敵』と邂逅したのだ。
「《せいぜい股を洗って待ってろ、ちびっ子―――!》」
猛烈な唸りを上げるレシプロエンジン。翼が翻り、機体が横滑りする。
試合結果など記すまでもない。
武蔵の圧勝であり、めでたく謎の少女アリアは武蔵の奴隷となった。
「勝てるわけがないのですよ!」
「知ってた」
嘆き号泣するアリアと、その前でおろおろとする武蔵。
アリアがまさかの才能を発揮するようなこともなく、経験者が素人に圧勝するという当たり前すぎる結果に終わった。
試合もグダグダ。勝敗もグダグダ。何もかもグダグダ。
誰もが思った。この事態、どう収拾を付ければいいんだろう、と。
思えば、これが始まりであった。
特別な生まれの秘密があるわけでもない、特殊な能力を持っているわけでもない。
ごくごく普通の高校一年生が、一人の少女と出会ったことで物語は始まった。
これは、彼―――大和武蔵が経験した、4月から8月にかけての、長い伝説の物語である。
久々の投稿は疲れました。今日はこの辺にしときます。
はじまったばかりで催促するのもなんですが、感想やポイントいただけたら嬉しいです。