ピーファウルの落伍者3
「ここを確認して……負担がかかる場所だから、罅の1つも見落としちゃだめです……」
「了解なのです」
由良指導の元、飛行前点検を実施するアリア。
脚回りをつぶさに見る少女達を、妙子は後ろから見守る。
「由良ちゃん、何か手伝う?」
「パイロットと整備士以外に手伝わせたら違法になります……待ってて下さい」
「むーっ」
手持ち無沙汰な妙子は、主翼によしかかって退屈げに身体を揺する。
由良が若干低い声で指摘した。
「そこは大丈夫ですけど、飛行機の翼はとてもか弱いので……触らないで下さい」
「ごめんなさい。……どうせおっぱいだけが取り柄のお姉さんだもん」
無能妙子、落ち込む。
当然ながら飛行中は機体重量を支える主翼は、十分な強度があり、そう簡単には破損しない。探せば主翼に人間が乗っている写真などごまんと見つかる。
ただ、エルロンなど動翼部分は布製の場合があり、力を加えれば容易く破損してしまう。よく判っていないのなら、触らせないのが最善手である。
「おっぱい以外にも先輩の長所はあります!」
「あれ、武蔵くん生き返ったんだ」
武蔵が復活した。
「ねえ武蔵くん。私、役に立ってる?」
「責任者は責任を取るのが仕事なんですよ」
「つまり覚悟さえあれば無能でも出来ると……」
意気消沈した妙子は、地面に指で『の』の字を書き始めてしまった。
「責任を取るということは、軽いことではありません。覚悟を出来るならそれは有能です」
「そんなの大前提よ、私部長だもん」
フォローしきれなかった。
本格的に落ち込んでいるらしい妙子に、どうしたものかと武蔵は唸る。
「……捗りますか?」
「地面に『の』の字も書けないなんて、私ってダメね」
「指先でコンクリートを削って字を書けたら怖いですけどね」
「どうしたらいいのかしら、私」
「とりあえずポンチ使います?」
ポンチとは金属に窪みを穿つ為の道具である。
金属を打つ為の道具なので、先端は数多の工具の中でも屈指の硬度を誇る。コンクリートなどポンチの前には豆腐に等しい。
「これがあれば、私でも地面に字を書けるのね!」
「ばっちしです!」
「ところでコンクリートを傷付けて怒られないかしら!」
「空港を出禁になります! 神聖な滑走路を傷付けるとか、二度と敷居をまたげなくなること請け合いです!」
妙子は近くの自販機前で待っていることにした。
飛行前点検を終えたアリアは、武蔵と飛行計画について打ち合わせていた。
おおよそ事項を伝え終えた時、ふとアリアは訊ねる。
「武蔵武蔵、ここって人工的に作られた埋立地なんですよね」
「コロニー自体が人工物だが」
大苫宇宙港はコロニーを内面と外殻まで貫く垂直なトンネル構造だ。巨大な隔壁を開けば、数百メートルクラスの宇宙船をコロニー内の海に進水させることも出来る。
宇宙港の内側、気密区画側の外見は羽田空港に近い。アリアの言うところの『埋立地』という表現が正しいかはともかく、この地に関しては他の海外線のような自然に形成された浜辺・岬としての体裁は整えられておらず、どうみても人工島としか思えない直角な形状となっている。
騒音対策や空港としての利便性を考慮すると、結局羽田空港に似た外見になってしまったのである。
「人間が地形を変えるなんて、傲慢だと思いませんか?」
「はいはい人間より動物様植物様の尊厳を尊重する世界帝国臣民の御高説どうも。埋立地なんて江戸時代からあったっての」
人が住まう地域から隔離された海上施設だからこそ、宇宙港はその機能を24時間フル稼働出来る。宇宙への需要は増すばかりであり、そして空港の利用者数も半端なものではない。
「あっ、飛行機」
「離陸1つで目を輝かせられるのは、ちょっと羨ましいよ」
プラズマの尾を曳き、宇宙往還機がコロニー内を巡航飛行していく。
宇宙空間を飛んできた旅客機が乗員荷物を載せ替えることなくコロニー内へエレベーターで搬入され、今度はコロニー内の空を飛行するのだ。近年の飛行機は全天候型にもほどがある。
「あれはどこに行くんでしょうね」
「さてな」
ヘッドホンから航空無線が聞こえてくる。
「【Self‐arc Otoma Tower, Korin airplane club Bravo , 10 miles final】」
「【Korin airplane club Bravo , Self‐arc Otoma Tower, Runway 36, Cleared to Land】」
「あ、今のって鋼輪工業の」
「あっちはもう練習に入ってたみたいだ」
見上げれば、プロペラ戦闘機が編隊を組んでフライバイしてきた。
むしろ武蔵達がだらだらのんびりと作業をしすぎである。
「うわなんか1機凄く大きいのが居ます」
「レジェンドクラスの規約は『プロペラ機であること』だからな、プロペラ回ってりゃあ爆撃機でも許可されるんだ」
使いどころが難しい大型機だが、それでも作戦次第では戦闘機をも圧倒出来る。予算が許すならば、決してネタ枠ではなくしっかりと使える機種なのだ。
4発エンジンの大型機。日の丸が付いているあたり、まず間違いなく日本軍機だ。
さて該当する機体はなんだったかなと考えていると、アリアが別の疑問を訊ねてきた。
「プロペラ? ヘリコプターでも出場出来るのですか?」
「……どうなんだろ?」
予想外の質問だった。
「妙子先輩、どうなんですか?」
「え、ええっと、どうなのかな」
アリアに訊ねられ、しどろもどろになる妙子。
アリアは矛先を変える。
「由良ちゃん、どうなんです?」
「ティルトローターなら、ベル社と朝雲重工の共同開発した小型機『海鳥』で出場した人がいたはずですが……」
「まじか。あのオプスレイもどきで空戦とか、ハリアーかよ」
ただあまり活躍はしなかった。
ミサイルは禁止なので、フォークランド紛争の再現とは行かなかったらしい。
「あんな大型機を運用するなんて……鋼輪工業はスタッフも予算も沢山あるんですね」
由良が感嘆するように空を見上げる。
機体が大きくなるだけでどれだけ労力が大きくなるか、それをよく知っているからこそ由良は驚かされた。
「同好会の俺らと違って、予算がっぽりなんだろうな。……合併したら半分俺らのもの?」
「初めて部活動統合に意義を見出しましたね、武蔵……」
「【日本語で申します。エアバンドのスイッチ入ってるわよバカ武蔵】」
「し、失礼しました」
どこでスイッチを誤作動させてしまったのか、無線機の入力がオンになっていたことに気付き、武蔵は慌ててスイッチを切った。
気まずい沈黙が流れる。
「……このように、航空無線はまったくプライバシーのない、業務用のオープンな周波数だ。雑談なんて言語道断だから注意するように」
「貴方の痴態なんて気にしませんから、早く練習しましょうよ」
「イエス、マム」
二式練習戦闘機に乗り込む武蔵とアリア。
練習の主役であるアリアが前に座り、後部座席の武蔵がサポートする形だ。
妙子が無線越しに声をかけた。
「《アリアちゃん、もしもし、聞こえる?》」
「聞こえますよ。あれ、お話していいのですか? 雑談禁止じゃ?」
「これはデジタル簡易無線ってやつだから、第三者には聞かれていない。通信方式が違う」
部内の面々だけで共有される回線である。
「そもそもどうして100年前のアナログな通信方法が未だ使用されているのです?」
「シンプルだからだ。同じ周波数で被って通信しても、重なって聞こえるだけでどちらかが打ち消されるということがない。通信障害に強いんだ」
もっとも、それでもデジタル化の波もあって文章をデジタル表示させる新方式が台頭してきている。アナログエアバンドは予備としての意味合いも強い。
それぞれが場合によっては母国語ではない英語で専門用語を暗号のように交わすよりは、サクッと読める文章で連絡したほうが安全なのだ。
それでも世界規模の共通規格を変えるとなるとなかなか上手くはいかず、未だにアナログ方式が多用されているのである。世の中そんなものなのだ。
「それよりアリア、緊張とかしてないか?」
「フフフ、私とて小型機ライセンスを持っていることをお忘れなく」
「そういうところが心配なんだよなぁ……」
超小型機に満足に乗れない奴が何か言った。
武蔵は心配を覚えるも、それを愚痴るに留める。
アリアを小型とはいえ、本格的な飛行機に乗せることには不安があった。だが、ライセンスそのものは持っているのだ。
万一操縦が上手く行かなくとも、後部座席の武蔵が操縦を奪えばいい。
「Engine connect!」
機外で由良がイナーシャを回す。エンジンにハンドルをぶっ刺してグルグル回すアレである。
「うぐぐぐ」
顔を真っ赤にしてハンドルに体重をかける。
武蔵は若干罪悪感を覚えた。
「あれ、武蔵がやってあげるべきだったのでは?」
「うん、俺もそう思った」
そもそも、今時エンジンスターターも積んでいないのが問題なのだ。手動のイナーシャなど所詮趣味の範疇である。
「でもあれ、男らしいんよね」
「可愛いからいいじゃないですか。フラグも立ってるみたいですし」
「フラグだけじゃなくて別のモノまで立ってたらどうするんだよ。零戦に空中給油口はないんだぞ」
「なんの話ですか?」
バリバリと時代錯誤なレシプロエンジンが始動し、ちゃっちな機体が小刻みに揺れる。
機体の割に強力な空冷エンジンはカウンタートルクを生じさせ、機体を傾けようと作用する。
操縦席のアリアは戦闘機という乗り物のアンバランスさに恐怖を覚えた。
「これ、壊れませんよね?」
「空冷エンジンはちょっとくらい壊れたって止まらないから安心しろ」
「壊れないって断言して欲しかった」
エプロン内で待機する練習機。ここでしばし、滑走路が空くまで順番待ちである。
「管制塔の指示に従って離陸……その辺は勉強したか」
「安心してください。完璧です」
サムズアップするアリア。
武蔵はやっぱり不安になった。
「にしても、ここは色んな飛行機がいますね」
個人所有が多い短距離滑走路の利用者はやたら多種多用で、珍しい航空機も少なくない。
物珍しそうに並ぶ小型機を見て一喜一憂するアリア。
「見て下さい! 零戦ですよ!」
「あれは隼だ。まあ素人目には似ているかもな」
「あっちにも零戦が!」
「あれはテキサンって練習機だ。シルエットは似ているが外国製だぞ」
「それは日の丸が付いているので、零戦で間違いありませんね!」
「閃電のレプリカだ! 全然形違うじゃねーか!」
母親がテレビゲームを全てファミコンと呼ぶように、アリアもまたプロペラ戦闘機を全て零戦と認識するタイプであった。
「じゃあなんだ、アレもお前にとっては零戦なのか?」
流体力学の発達によって高速低燃費巡航に対応し、航空業界に復権したプロペラ旅客機を指差して武蔵は訊ねる。
アリアは冷めた声で答えた。
「あれが零戦? 何言ってんですか? バカですか?」
「あ、コイツ可愛くない」
会話しつつ、離陸の順番を待つ2人。そこに第三者の声が混ざった。
「【おい、タキシングウェイで痴話喧嘩してんじゃねえよ骨董品】」
エアバンドで挑発行為をされた。
何事かと2人してキョロキョロしていると、続いて女性の声が聞こえる。
「【チョーウケる、こいつ等さっき怒られてた奴らじゃね?】」
「【ふはは、破局寸前ってカンジ? まじだせー!】」
声の主はすぐに判った。練習機の前に控えている小型機だ。
彼等は武蔵とアリアが先程やらかした張本人だと気付き、とりあえず嘲笑うことにしたのだ。
「なんなのですか、貴方達は!」
「アリア、ほっとけ。というか俺達まで怒られる」
「《エアバンドでの私語は謹んで下さい》」
案の定、管制塔から注意が入る。しかし彼らは意に介さず、今度は肉声でからかってきた。
「【素人は玩具で遊覧飛行ごっこしていろよ、俺達はこいつで高空のデートだぜ】」
「無視だ無視」
武蔵も国家権力に逆らう気はない。
遠慮なくエアバンドでからかってくるチャラ男に、武蔵はいっそ関心する。
「管制塔に逆らうとか、いい度胸だな……」
「【ほれ、見ろよ俺の最新鋭機を!】」
真っ白な小型機。標準的な外見のジェット機だが、その機体が最新鋭機であることを武蔵は知っている。
「凰花か。金持ちめ」
「【最新鋭機だ、お前達みたいな貧乏人とは違うんだよ】」
『死ね』
武蔵は練習機の座席下に標準装備された小さな黒板で端的に罵倒した。
筆談なら電波法違反ではない。
あまりに直接的な罵倒に、チャラ男もたじろぐ。
「【そ、そこまで言うかよ……】」
チャラ男が黙り込んでしまったので、武蔵は凰花をつぶさに観察することにした。
「あれ、そんな凄い機体なんですか?」
「んーまあな、あの原型機は伝説的な記録を残した個体だ」
凰花。最大3人乗りのこの小型機は、単なるレジャー用飛行機ではない。
外見は強いていえば、小さなスペースシャトルというべきか。最新鋭と呼ぶ割に古く単純な構造を積極的に採用し、機材も民生品を多く流用することで価格の高騰を抑えた汎用小型宇宙艇。
「ちょーっと前にさ、とある財団が民間宇宙開発を促進させる為にとあるコンテストを開いたんだ」
「ああ、ありますよね。優秀なプログラマーを育てるとか、漫画家を発掘するとか」
「そうそう、そんな感じの。確かコンテストは3つ部門があったんだ」
『宇宙往還機を製造し、同一機体にて2週間以内に2度宇宙空間に有人飛行を行うこと』
『月面に探査機を着地させ、5000メートル以上走行した上でアポロ計画の残骸物を撮影すること』
『火星の軌道上へ探査機を到達させること』
「この3つの部門だけどな、主催者は当然別々の機体で挑むことを想定していた。そりゃそうだ、そもそも別のコンテストだったわけだしな。つーか宇宙に自力で行けて月面に到達出来て火星に近付ける航空機なんて、国家規模でも製造不可能だった」
ここまで言われれば、アリアにも次の展開は読める。
「で、やっちゃったと」
「そ。凰花は、このコンテスト3部門を1機で全てクリアしてしまった」
他のチームが液体ロケットエンジンか固形ロケットエンジンで宇宙へ挑む中、凰花の開発者は当時誰も研究すらしていなかった新開発のリニアエンジンを実用化し、小型機に搭載してみせた。
「当時としてはSFかファンタジーの域に達したデタラメ飛行機だよ。当時の宇宙ロケットなんて、つまるところロケット花火と同じ原理だったからな」
「そりゃまた原始的な。……え、それってつまり爆発物の塊ですか? 爆発しませんか?」
「《はい、爆発します。何度も爆発を繰り返してきた、危険なチャレンジでした》」
寂しくなったのか、由良が会話に加わってきた。
「《更に、同時期に人工知能やロボット技術が発達したことで有人宇宙飛行の意義すら揺らぐこととなります。わざわざ危険を犯して宇宙に行くくらいなら、地球からロボットを遠隔操作をした方がいい―――そんな風潮が広がったんです》」
技術的に有人飛行が出来るのに、リスクや費用に見合わないから無人探査機ばかり製造する。そんな潜在的な有人宇宙開発が可能な国家が幾つか乱立する時代が訪れる。
それは実利が浪漫を否定する、夢もへったくれもない時代であった。
「信じられませんね、ポンポン宇宙に飛び出してる今の人類を見ると」
「だな。だからこそ、凰花は……というよりリニアエンジン技術は画期的だった。化学ロケットエンジン宇宙船に対し、リニアエンジン搭載宇宙船は次世代と区分されるくらいには別物だ」
凰花は紆余曲折の果てに量産化され、その単純故に頑丈な機体設計を活かし実験機から軍用、そして民間機としても幅広く利用されている。
「由良ちゃんちも結構見かけるだろ、凰花の派系機は」
「《そう、ですね。たまにうちの工場に来ます》」
しかし価格を抑えたといっても、仮にも宇宙まで行ける高性能機。購入維持にはそれなりの資金力を必要とし、それを個人所有しているというのは、先程の彼がこれをクリアし得る立場であると証明していた。
「武蔵のバイト先でも見るんですね」
「見るよ、あのチャラ男が自慢するほど希少ってわけでもない」
ぶっちゃけ武蔵としては、バイト先で見慣れていた。
というか、そもそもコンテストを荒らした開発者張本人こそ、何を隠そうバイトの店長たる『ハカセ』その人であった。
バイトの雇い主、『ハカセ』がリニアエンジンを開発した際に新規設計で1から作り上げた実験機。それを量産したのが凰花だ。
バイトの店長、割とチート主人公である。
「凰花が離陸するのです」
チャラ男カップル2人が乗った凰花は滑走路まで自走し、そのまま離陸していった。
凰花は大気圏も飛べる宇宙船だ。逆にいえば大気圏内の飛行はさほど得意ではない。
コロニー内を遊覧飛行するのに楽しい機体ではないはずだが、スーパーカーみたいなノリなのだろうと武蔵は納得した。同じ2人乗りならスーパーカーよりバイクの方が嬉しい武蔵としては、なんとも理解し難い価値観である。
「まったく、航空法や電波法以前にマナー違反な人ですね」
「そうカッカするなよ。可愛い顔が台無しだぜ」
「武蔵……」
「お前は顔だけは美少女だからな。あいつにも、男のプライドとか色々あったんだろうさ」
「顔だけとは何です、顔だけとは。これでもスタイルも悪くないつもりですよ」
「あのな、スタイルがいいのと肉付きが悪いのは違うんだぞ?」
「クケーッ!」
アリアはニワトリに進化した。
「《お兄さん。あの飛行機、少し機動がおかしくありませんか?》」
由良が指摘し、武蔵も凰花を見上げる。
凰花の大気圏中の飛行特性は、強いていえばF―104スターファイターに近い。速い離着陸速度、鈍い舵。同機ほど引き起こしがシビアというわけではないが、飛び立ち方は瓜二つだ。
しかし、目の前の凰花はそういった特性とはまた異なる離陸をしていた。
「連れの女性が加速の重圧に耐えきれないから気遣って―――いや、単によく機体特性を判ってないだけだな」
「どうして判るのです?」
「挙動がもたついている」
機体の動きは、パイロットの思考と直結している。
別に脳や神経と電子的に接続されているというわけではないが、機体を操るには全身を自在に操らねばならない。僅かな迷いや気の逸れも、機体の動きには反映されるのだ。
例えば、あのチャラ男の場合―――
「ああ、ちょっと迷ってラダー蹴った感ありましたね」
武蔵は機内のミラー越しに、アリアの顔をジロジロを見た。
「な、なんですか。私の顔に何か付いてますか」
「いや、何でもない。俺から飛ぶぞ」
滑走路に侵入し、エンジンスロットルを全開にする。
「V1―――」
アリアが読み上げる傍ら、武蔵は眉間に皺を寄せて唸る。
加速していく練習機。マニュアル通りの読み上げをするアリア。
武蔵は操縦とはまったく別のことを考える。
確かに、下手な奴が意味もなくラダー蹴ってしまうのはよくあることだ。
だがそれを外から見て看破するのは難しい。ラダー操作はぱっと見判らない。
「VR―――」
機首が上がり、脚が滑走路から離れる。
ここからはなんの保障もない、自分だけで自立せねばならない世界。武蔵は考えを切り替え、アリアに集中した。
「―――V2」
「……上出来だ、アリア。そのまま慎重に上昇していけ」
「了解」
管制塔には彼女が初心者であることを既に伝えてある。安全の為ならば、お硬い印象の管制塔も意外と余計な会話を許容してくれるものだ。
未だ速度も高度も確保されていない離陸直後は、もっとも航空機が不安定な瞬間の1つ。だが武蔵にとっては慣れたものである。
慌てて操縦桿を引けば、二式練習戦闘機なんて骨董品は簡単に失速してしまう。指先の些細な動き1つで重大事故が起こりうるなど、とんだ欠陥品ではないかと武蔵はふと思った。
高度と速度を増していく練習機。その挙動に迷いも乱れもない。
危なげない翼の煌めきに、武蔵は眩しそうに目を細めるのであった。
「俺はお前が出来る子だと思ってたよ。信じてた」
「誰目線なのです」




