第62話 ヘルス
──大昔、とある一匹の獣がいた。
その獣は衰弱しており、死がすぐそこまで迫っていた。
弱者は淘汰され、強者は更に上を求める。
弱者は強者に憧れ、同じ弱者を倒し、強者と共に戦いの日々を送る。
残酷な過去であり、最悪の時代の真っ只中だ。
獣はすぐそこにある死に抵抗すら出来ず、生命を終わらせる──筈だった。
とある男が、獣を拾い上げたのだ。
獣は男を見上げると──そこに、大きな影。
『キェェェェエエエエエ!!』
グリフォンが襲いかかってくる。
獣は食われる──死を覚悟し、そう思った瞬間──大きな影は小さくなり、十の影が出来た。
十の影は落下し、グリフォンだったものが辺りに散らばる。
獣は男の手元を見ると──剣が握られていた。
漆黒の、美しい剣だ。
「俺はタップァー、そうだな……未来の英雄だ」
彼は──タップァーは笑みを浮かべ、獣を撫でた。
──彼と出会ってから、獣の生活は大きく変わった。
「お、元気になったか?」
衰弱していた獣に治療を施した。
正確には彼ではなく──
「──もう、いくら小さくて可愛い獣族だからって、レジェンド帝は許してくれると思ってるの?」
エルフが扉を開け、タップァーにそう言う。
タップァーではなく、彼女が治療を施したのだ。
彼女の名はシュガー、タップァーの婚約者である。
「レジェンドならもう説得してある!俺の部屋ならいいってよ!」
「……まさか、レジェンド帝が許すとは……」
タップァーは自信満々に親指を立て、シュガーは信じられない、というような顔をする。
獣は困惑するが、タップァーに撫でられる幸福感の方が勝ち、顔が喜びに満ちる。
「……なら、その子の名前はどうするの?」
「そうだな……こいつは出会った時弱ってたから……健康になることを祈ってヘルス、という名前にするか!」
「まあ、いいんじゃないの?適当にポチとか付けるよりかは……ね」
「あの時は申し訳なかった」
獣──ヘルスは、自分に名前が付けられたことに、更に喜ぶ。
そんな姿にタップァーは癒され、シュガーは笑顔になる。
「じゃあヘルス、これからよろしくな!」
ヘルスは喋ることなく、ただ幸せそうに頷いた。
──ヘルスはタップァーと共に戦った。
人々の味方となり、どんな獣よりも吠え、どんな獣よりもその爪で引き裂き、牙で食いちぎった。
ヘルスは獣族というのもあり、すぐに有名になり、人々の生活に溶け込んだ。
一方で、警戒する者も一定数いるが、ヘルスの活躍を聞く度に段々と警戒心が薄れ、やがてヘルスは人々から『黒麗の猛獣』と呼ばれるようになった。
タップァーと同じ『黒麗』と呼ばれるようになり、更に幸せな気分になるヘルスだったのだ。
──だがそんな幸せも、長くは続かない。
これは今までの時代で最悪の時代、幸せなんて簡単に崩れ去ってしまうのだ。
「グッ……!」
タップァーが傷を負った。
小さな傷だ、そう、大したことはない小さな傷だ。
だがその傷が、大問題を引き起こすのだ。
「──タップァー、落ち着いて聞いて……あなたはもう、戦えない。戦ってはいけないのよ」
シュガーが、そう言った。
タップァーは現実を受け入れられない。
ヘルスは信じられない、とでも言うような顔を浮かべた。
伝説上ではシュガーが大怪我を負ったということになっているが、実際はタップァーが大怪我を負っているのだ。
「この傷自体は大したことは無いわ。でも、あなたはこの傷を放置して戦った……それが駄目だったのよ。呪いが刻まれている、あなたは戦えば……死ぬ」
タップァーの手足が震える。
英雄になるべくして産まれたタップァーは、現実を受け止められない。
近くにいたレジェンドはそっと部屋を出る。
ヘルスは悲しみの顔を浮かべ、タップァーに近寄った。
「……大丈夫よ、タップァー。私たち死地を定めし戦乙女が何とかするわ」
タップァーは言葉が出ない。
ただひたすら後悔している。
黒い希望の星は今、確かに地に落ちたのだ。
──それからタップァーは部屋から出てこなくなった。
ヘルスはタップァーを心配するが、今度はタップァーではなくヴァルキュリア達と共に戦った。
だがヘルスはタップァーを心配するあまり、戦いに集中出来ずにいた。
ヘルスは、魔王に支配されてしまったのだ。
偶然戦場で魔王と出会い、戦闘した。
だが、魔王に勝てる筈がなかった。
魔王は魔物を統率する魔の王。
戦いに集中出来ていないヘルスなど、一瞬にして殺害出来る。
魔王はヘルスの強さを見込み、魔獣へと変化させた。
魔獣は記憶を無くし、とある戦場でヴァルキュリア達を殺戮した。
この戦場にて、半数以上のヴァルキュリア達がこの世を去ってしまったのだ。
──記憶の海を彷徨い、魔王の支配に打ち勝ったヘルスは、目を覚ました。
そこは戦場であり、血塗れになった女達が散乱している。
体の震えが止まらない。
その女達は、自身を可愛がってくれた女達だったからだ。
すぐに理解した。
この女達は、死地を定めし戦乙女だと。
自分の手足を見る。
人間の赤い血が、付着していた。
吐き気が止まらない。
息が詰まる。
この惨状を自分が起こしたのかと、信じられない。
これが悪い夢ならまだ良かった。
だが、これは現実──ヘルスがヴァルキュリア達を殺戮したのは、間違いなかったのだ。
ヘルスは悲しみに包まれ、ただ咆哮した。
そして初めて、彼は頬に伝う水を流したのだ。
──ヘルスは帝国に帰らなかった。
皆の前に立つ資格がないと、そう思い、死体を運んで大森林に逃げ込んだ。
自身が殺したヴァルキュリア達を生き返らせる為に。
ヘルスは生まれて初めて魔法陣を描き、禁忌である『生命魔法』を取得しようとしたのだ。
──だが、命を操る行為は神にしか出来ない。
どんな能力であろうと、生命を完全に操るのは出来るはずがないのだ。
ヘルスは『生命魔法』ではなく『操魂魔法』を取得し、またも記憶を無くした。
だが、それだけに留まらず、ヘルスは人型の魔物──魔人へと変貌し、魔王への忠誠を誓った。
──そこからは、人間側──正確には、帝国側は苦戦を強いられた。
英雄であるタップァーは戦えず、ヴァルキュリアは半数以上が死亡し、レジェンドの本気は帝国全土に影響を及ぼす。
他国からの援軍も来れる筈が無く、帝国は混乱と絶望の真っ只中にいたのだ。
ヴァルキュリア達は覚悟を決め、全軍を投入。
凶悪な魔物達の襲来を完全に防ぎ、撤退させなければならないのだ。
この戦力で殲滅は不可能と判断したシュガーは、何とかして持ちこたえなければと躍起になる。
帝国が潰されれば、それは人間側に多大なる影響を及ぼしてしまう。
持ちこたえさえいれば、少し余裕のあるスティア王国から援軍が来る可能性もある。
だが──そんな希望を絶つように、世界に激震が走る。
魔王が、属性龍王を生み出したのだ。
この状態で魔物側の戦力の増強、人間側の圧倒的な不利となった。
属性龍王のせいで帝国への援軍は不可能となってしまった。
いや、仮に援軍が来ていたとしても──最悪の魔人に殲滅されていただろう。
帝国はまさしく、地獄を迎えていたのだ。
──帝国をかけた戦闘が開始した。
民は震え、戦士達の勝利を願った。
戦士達は猛り、魔物をひたすら狩る。
魔物達は吠え、脆弱な人間を殺し続ける。
帝国は今、確かに危機を迎えている。
──タップァーは、弱い自分を呪った。
呪いを刻まれ、もう二度と戦えない自分を恨んだ。
ベッドの上で蹲り、目を瞑る。
黒い剣は机の上に綺麗に整えられて置いてある。
黒い鎧は床に散乱してあるが、傷や凹みは一切ない。
タップァーは歯を食いしばり、シュガー達の勝利を願う。
そんな時に、ふと扉が開いた。
レジェンドが、タップァーの部屋に入ってきたのだ。
絶望の中で彷徨うタップァーは、問う。
「……レジェンド、俺はどうしたら……」
レジェンドの答えは、単純だ。
「──戦え」
タップァーはレジェンドを見つめる。
レジェンドは、タップァーに逆に問う。
「お前は愛する女に、ただ一人戦わせるのか?」
タップァーは俯く。
だがそんなタップァーにレジェンドは近づき、胸ぐらを掴む。
「奴は死を覚悟して戦っている!無論、他の戦士達もだ!貴様だってそうだっただろう、生きて帰ってくる為に死を覚悟して戦っていただろう!」
「そ、それは……」
「なら貴様はこうやって勝利を待つだけか!?違うだろう、そんなに死が怖いか!己の宿命を定められている死地を定めし戦乙女達の前でそんな言葉が言えるのか!」
タップァーの目が揺れる。
シュガー達、ヴァルキュリアに選ばれた女性は逃れられない死の運命にある。
タップァーと何ら変わりはしない。
だがタップァーは逃げ、ヴァルキュリア達は戦っているのだ。
タップァーは己を恥じた。
やがてレジェンドから開放された瞬間、鎧と剣を拾い、走りながら装備した。
目指す場所はただ一つ。
今も戦っている、愛する女の場所だ。
記憶を無くした、大好きな相棒の場所だ。
タップァーはとにかく走る。
ひたすら間に合うことだけを願い、必死に走る。
戦場に到着したタップァーが見たのは──ただ一人、戦場で立っている一人の魔人だけだった。
「……ヘルス……」
「──誰だテメェ、何故俺の名を知っている?」
想定していた通りの答えを聞き、一瞬だけ落胆する。
昔は仲間だったが、今は敵だ。
黒い瞳が魔人を捉え、戦意に満ちる。
「おいおい、俺と殺り合うってか……それはちょいと、力不足じゃねえか!?」
魔人の爪が伸び、タップァーの鎧を傷つけていく。
戦うことを禁じられた日から一度も動かなかったのだ、着いていける方がおかしい。
「ほらほらどうしたよ、もっと楽しませてくれよ!」
「──『我は黒き剣と鎧と共にあり。黒き希望の星たる我に、光の慈悲を。漆黒の光は麗しく輝く』」
タップァーが詠唱を始める。
高まっていく漆黒の魔力にヘルスは驚き、阻止しようと喉を目掛けて爪や牙を駆使した。
だが、タップァーは全て回避し、詠唱を続ける。
「『黒と共に生きし我は光を制す。唸れ閃光、黒き光は今魔を滅する。狂え、閃光の爆発と共に』」
詠唱が成功する。
ヘルスは何とか回避しようとするが、タップァーがヘルスの足を掴む。
そして体を引き寄せ、ヘルスを抱きしめる。
何故か分からないが、ヘルスは──幸せな気分となったのだ。
そしてタップァーは、こう言った。
「愛してるぞ、ヘルス……」
ヘルスの目が見開く。
タップァーの目が閉じ、口を開く。
黒い魔力は二人を包み、破裂しそうなまで膨れ上がる。
そしてタップァーは、魔法を完成させた。
「──『閃光爆破』」
黒い魔力の中から光が溢れ、辺り一帯を吹き飛ばす。
後から来たレジェンドでさえ顔を腕で覆う程だ。
魔物の死骸が、戦士達の死骸が、ヴァルキュリア達の生きた証が、光と共に散る。
ヘルスは最後にヴァルキュリア達の魂をこの地に封印し、自分だけが解放出来るようにした。
そしてヘルスは意識が飛ぶ最後、こう聞こえた気がした。
『ヘルス──今まで、ありがとうな』
一筋の水が、右目から流れた。
最後に見た景色は、タップァーの笑顔。
ヘルスは言語では表せないような、幸福感に包まれながら、一度目の生を終わらせたのだった。




