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第42話 黒い渦

──人の心は脆い。

それは、いつも思っていた。

いつもこの帝国を見て、そう感じていた。

泣き叫ぶ声が絶えない。

勝者の雄叫びが絶えない。

絶望を受け、心の壊れる音が絶えない。

俺が作り上げた帝国は、そんな国だ。

ずっと痛みを受け続けた。

もう限界も近かった。

早くあの忌々しい魔王を始末しないと、今度は俺が壊れてしまう。

何故俺はこんな国を作り上げたのか。

一体、昔の俺は何を考えていたのか。

──そうだ、魔王さえいなくなれば、この国なんてもういらない。

だが、魔王を倒す為なら、どんな痛みでも受けよう、と。

あの時、兄に誓ったじゃないか。

何故俺はそれを忘れていたのか。

いや、そんなことあったか?

分からない。

知らない記憶が、俺の中にある。

いつから俺は──壊れていた?




「み、帝様……?」


レジェンドは、既に壊れている。

それを自身が自覚していないだけ。

本当は耐えていなかった。

もう何千年も前に、レジェンドの精神は壊れている。

なのに、レジェンドはまだ保っている。

たった一つの願望の為だけに。

魔王を滅ぼさねば、という野望を。

叶えようとしても叶えられなかった絶望を思い出した。

何故今思い出したのかは分かっていない。

ただ言えるとしたら──


「この国は、俺にとってもう邪魔だ」


フィルは戦慄した。

さっきまで柔軟な雰囲気をしていたレジェンドが、いきなりどす黒い何かになってしまった。

フィルは他人の心の状態が分かる。

家族の状態だけは分からなかったが、フィルは家に来た医者や来訪者の気持ちを知っていた。

だから今、レジェンドの気持ちを知ってしまった。

今まで感じたことの無い感情が渦巻いている。

さっきまでいたブライアよりも酷い。

常人がそれを持ったら、間違いなく失神していた。

幾重もの苦労と辛苦を乗り越えたフィルだから耐えることが出来る。

だが、もう遅い。

レジェンドの黒い感情は──帝国全土に響き渡った。



──いきなり、ウィクスが倒れ込んだ。

白目を剥いている。

何かあったのか、と思うのも束の間だった。


「なっ……なんだこれは!?」


黒い渦が空を覆っている。

いつの間にか太陽は隠れ、常闇が帝国を襲う。

こいつなんかに構っている暇は無い。

今すぐレジェンドの所に行かないと!


「転移!」


そして俺は、絶望を見ることになる。



──スティア王国では

「伝令!帝国に何か不審な黒い渦が!どう致しましょう?」


王宮では騒然としていた。

帝国はそんな素振りを見せることなく、突然と起こった黒い渦に混乱していた。

むしろ、今警戒していたのは皇国の方だ。

一体何が、と事態の収集を急遽行っている。

その中でも今一番焦っているのは、シャイフォンだ。


「ブライア……こうしてはいられない、早く行かないと!」


シャイフォンはその時、王宮に招待されていた。

当時のことを国王に教えていたのだ。

急いで出発しようとするシャイフォンを、国王──ユーザルトは慌てること無く止める。


「待て、お前一人では行っても無駄だろう。今助っ人を呼んだ」

「助っ人って……誰だ?」

「ユーザルト、いきなり招集して何があった?」


現れたのは七人の人物。

髪色は赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色。

シャイフォンは驚愕した。

レインボードラゴン現当主の七人全員がその場にいた。

すると、奥からまた一人やってくる。


「そうじゃな、いきなり招集していきなり行ってこいは酷いぞ、早く説明をせい、ユーザルト」


金髪のベレー帽を被った少女が現れた。

スティア国立貴族学校校長、クリーナだ。

シャイフォンは口を開けて固まった。

まさか、こんな大物がまだこの国にいるとは思ってもいなかった。

メイドや執事が追加で八人分の椅子を用意して、ユーザルトが座るように促す。

全員が席に着き、ユーザルトが説明をする。


「まだ正体は判明していないが、帝国に異変があった。報告によると、帝国に黒い渦が発生したらしい」


全員が顔を顰める。

一体何故、という質問こそはしなかったが、それが表情に出ていた。

ユーザルトは気にせず続ける。


「原因不明、救援要請は出ていないが、貴族学校の生徒が一名帝国にいる。その子の救助と原因解明を任せたい。いいか?」


クライアがハッとする。

ブライアに何かあれば、と思い席を立った。


「待てクライア、お前の単独行動は許されないぞ」


レッドドラゴン家当主のエラディスが眉をひそめながら言う。

だが今のクライア(親バカ)にはブライアのことしか頭にない。


「なら早く行くぞ、ブライアが心配だ」

「チッ、この馬鹿が……」


クライアに聞こえないように悪態をつく。

だが言葉とは裏腹に、サッと席を立つ。

そして全員に声をかける。


「何をボサっとしている、早く行くぞ」


誰かは分からないが、一人小声で「お前も心配なんじゃないか……」と言った。

エラディスは物凄い速さで後ろを振り向き、圧をかけた。

全員が笑いそうになったが我慢する。

やがて収まったのか、クライアの後を追う。

これから、何が待ち受けているのかを知らずに──



──帝宮にて

物凄く黒い何かが放出されている。

レジェンドだから大丈夫だとは思うが、急がないと。

もしフィル君に何かあれば大変だ。

帝宮に入ると、そこはとんでもない光景が広がっていた。

メイドや執事、警護の騎士は眠る様に倒れていた。

近づいても起きない。

上で何か起こっている、と思い急いでレジェンドの場所に向かった。

何か、嫌な予感がする。

レジェンドの部屋の前に着いた時、そう感じた。

だがビビっていても仕方無い。

勢いよく扉を開けた。


「レジェンド!フィル君!大丈夫!?」


──見ると、レジェンドが黒金双槍を持ってフィル君に斬りかかろうとしていた。

突然の光景に、目を見張った。

フィル君が、虚ろな目でこちらを見て──鮮血が吹き出した。

肩から腰まで、深い傷を負っただろう。

何も、出来なかった。

いや、それよりも──


「何をしている、レジェンドォォォォ!!」


拳を力いっぱい握り締めて、殴りかかる。

だが、レジェンドに取ってはそんな拳、塵でしか無かった。

気づいた時には──地に伏していた。

何が起きたか分からなかった。

見ると、俺の体はもう既に血まみれだ。

痛い、痛い、痛い。

激痛が俺を襲った。

レジェンドとの特訓でもこんな攻撃は一回も食らったことは無い。

一体、何が起きている……?


「ぐぅあああああああああ!!」


気づいた時には叫んでいた。

血がボタボタと床に落ちる。

臓器が崩れ落ちそうだ。

だが必死にせき止める。

治癒魔法を、治癒魔法をかけないと!


「『超速治癒(スピードヒーリング)』ッッ……」


何とか収まった。

だが、今何が起きているか分からない。

何故レジェンドはいきなり俺を攻撃した?

何故フィル君を斬った?

困惑と混乱が俺の頭を支配した。

ただ言えることは──今のレジェンドは、いつものレジェンドじゃない。


「……何が、あったんだ……」


さっきまであった痛みがまだ引かない。

あんな経験、第三の事件振りだ。

……事件?

まさか、第五の事件がもう?

感覚的にそうかもしれない。

第五の事件は、ティルさんが残虐に殺されたことじゃなかった?

このレジェンドが、第五の事件となるのか?

何が起きているんだ、誰か教えてくれ!


「レジェンド、一体何で──」

「邪魔だ消えろ」


無数の槍がレジェンドの背後に現れた。

その槍は、床に伏している俺に放たれた。

何とか反応して避け、立ち上がる。

立ち上がったはいいものの、槍はまだ俺を襲う。

拳で折り、潰し、壊す。

レジェンドに近づくには、物凄い速さで迫ってくる槍地獄を耐えなければならない。

いや、超えなければならない。

早く、もっと早く。

いつの間にか俺は既に限界を超え──極限まで達した。


「ウガァァァァァァ!」


獣のような咆哮を放つ。

だが槍は止まることを知らないようにまだ俺を襲う。

いつしか俺は、槍の速度を超えた。

槍地獄の中で、極限に至った。

これなら、レジェンドに立ち向かえる──そんな考えは、次の瞬間に打ち砕かれる。


「『極限解放』」


黄金の髪はいっそう輝きを増した。

槍は二つに減るが、一つは黄金に、もう一つは漆黒に染まっている。

人の心は、圧倒的な絶望で折ることが出来る。

さっき俺がしていたことを、今体験した。

膝の震えが止まらない。

拳を握ろうにも、体がそれを拒絶する。

俺も極限に至った。

それなのに、それなのに。

強大な力に、逆らうことは許されなかった。

レジェンドによる、最も過酷な地獄が静かに始まる。


「もう何もかもいらない……壊す」


それだけが、地獄の始まりの合図だった。

金の槍がレジェンドの意思に呼応するように光り輝く。

黒の槍がレジェンドの意思に賛成するように暴れ回る。

心が折れた。

実質三対一のこの状況は、隠されていた覆すことの出来ない暴力が全てを支配した。

死を覚悟した。

所詮ここまでだったのかと。

転生して、大体の物事は今までは何とかなっていた。

だがこれはそんな次元じゃない。

神に最も近い人間による──蹂躙だ。


「ははっ……もう終わりか」


俺の眼前に槍が迫る。

俺の腹を貫通し、吹き飛ばす。

切れ味が半端じゃない。

あれがレジェンドの本気なのかと、どうでもいいことを今思う。

俺はもう悟った。

死を受け入れるしかない。

足掻きも、無駄だ。

誰かが助ける可能性なんてゼロに近いだろう。

それに助けに来ても、この状態じゃあ無駄だ。

目を瞑り、今までの人生を振り返る。

こういう状態になると、どうでもいい記憶が頭に浮かぶ。

走馬灯というやつだろう。

大人しく、俺はレジェンドの圧倒的な槍を受け入れようとした──その時、奇跡が起きた。

槍がこなかった。

目を開けると──懐かしい顔が、そこにはあった。

駄目だ、涙が止まらない。

久しぶりに見たその顔は何も変わってはいない。

ただただ、俺は嬉しかった。

そこにいたのは──


「──シャイフォン!」


涙を流し、その名を呼ぶ。


【第五の事件・帝国暗黒化事件】

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