第123話 『聖霊』
──フィアセルト・フレンテ・アイシクルローザ。
彼の家庭環境は劣悪だった。
父親は物心つく前に亡くなり、家はなく、ソロミア皇国の貧民街の路地裏で暮らしていた。
彼の心を寄せる場所は、母親しかいなかった。
「⋯⋯ねぇ、僕のお父さんってどこにいるの?」
幼少期のフィアセルトは、ふと気になって母親に聞く。
母親は笑って、こう答えた。
「そうだね⋯⋯お空の上じゃないかな」
フィアセルトは空の上に父親がいると聞き、憧れを抱いた。
あの広大な空の上に自分の父親がいると、胸を高鳴らせた。
そうして10年が経過する。
──母親が、何者かに殺された。
失意のどん底に陥ったフィアセルトは──誘拐される。
──機械の中に入れられ、何年も何年も眠り続ける。
そして目を覚ましたのは、数百年後だった。
「おはようございます、フィアセルト・フレンテ・アイシクルローザ。私の貴重な実験体よ」
目の前には、見知らぬ人間がいた。
名はマテリアル・コンスターク。
彼、もしくは彼女は、フィアセルトの前に現れた瞬間、魔法を放った。
一般人とはいえ、何をしでかすか分からない。
有り得る可能性全てを考慮し、フィアセルトの心身を掌握する。
「さて、あなたにはやってもらうことがあります。ですがその前に⋯⋯この中に入って貰いましょうか」
フィアセルトは監獄の中に放り込まれる。
その中にいたのは、二体の『聖霊』。
「新入りか?お前」
「威圧するのはやめなさい、同じ実験体なのですから」
赤い髪色の聖霊──フィアッツ・フリスト。
青い髪色の聖霊──ヨーフェン・メルド・アリア。
真逆にして同じ種族の二人が、フィアセルトに言葉を投げかけた。
フィアセルトは困惑する。
目覚めて未だ数分、状況が掴めないのも当然だ。
「えっと、ここは⋯⋯?」
「マテリアル・コンスタークの実験場だ。名前、聞いたことねぇか?」
「⋯⋯ない、今まで一度も」
「そんなこと有り得るのか?八魔導士の序列二位だぞ?」
「⋯⋯恐らく、眠らされていたのでしょう。ヤツに連れ回されている時に、この実験場で見たことがあります」
「チッ、趣味の悪い一族だぜ」
フィアセルトは、一目見て理解した。
この二人は強い、と。
そして何故か──自分にも、この二人に並ぶ程の才能がある、と。
──一年もこの中で過ごせば、フィアセルトは二人と仲良くなった。
しかし──待ち受けるのは、地獄のみ。
彼らが過ごしているのが、マテリアルの実験場ということを忘れてはならない。
「さて、フィアセルト、こちらへ」
マテリアルに連れられ、個室に入る。
入った瞬間──意識を失った。
「さて、実験の始まりです」
最後に聞こえたのは、マテリアルのその一言だった。
──フィアッツとヨーフェンは、フィアセルトの隣の部屋で椅子に座らされた。
そうして二人も意識を失う。
「まずは──目をくり抜きましょうか」
痛みに悶える声は、ノイズになる。
痛覚と意識を遮断し、邪魔されないように迅速に実験を行うのだ。
「これが聖霊の目⋯⋯美しいですね」
マテリアルは赫と蒼の目を一つずつ手にする。
そして隣の部屋へ行き──フィアセルトの目と、交換作業を行う。
まさに吐き気を催す実験、赫と蒼の聖霊を一個体にまとめあげようとしているのだ。
「⋯⋯ふむ、美しい。思った通り、彼は良質な個体です」
マテリアルの手のひらにあるのは、フィアセルトの目。
その目を謎の液体に漬け、フィアセルトを連れて隣の部屋へ移動する。
「あとはこの血を入れ替えるだけですね」
三人に針を刺し──血を抜く。
そしてフィアセルトに、フィアッツとヨーフェンの聖霊の血を半分ずつ流し込む。
「聖霊の契約に背く冒涜的な実験──こうも、興味が唆られるものですか」
結論から言うと、実験は成功した。
一人の死と共に。
「ク、ソ⋯⋯テメェ⋯⋯!」
「ふむ、目が覚めましたか。しかし、目が覚めたということは⋯⋯」
「何を、言って⋯⋯やがる⋯⋯!」
「あなたはもうすぐ死ぬ、ということですよ」
フィアッツは信じられないというような目でマテリアルを見る。
しかし、確かに死が近づいているという感覚に⋯⋯言葉を失った。
「ヨーフェンの方は無事ですか、なら血を流しましょう」
フィアセルトの血を、ヨーフェンの方に流し込む。
「お前、俺達に、何を、した⋯⋯!?」
「死にゆく者への冥土の土産はありませんよ、つまらないですからね」
そう言いながら、フィアッツのもう片方の目をくり抜く。
両目が見えなくなったフィアッツは、痛みと恐怖で叫び声を上げる。
しかし、声が出ない。
マテリアルが既に、フィアッツの声帯を壊していたのだ。
何もできないフィアッツは、絶望する。
しかし、その絶望の中一筋の希望を見出した。
自分の魂を、フィアセルトの身体に移動させる。
マテリアルにバレないよう、かつ迅速に。
「ヨーフェンの目も今の間にくり抜いておきましょう、フィアッツが死ぬのなら好都合です」
──その瞬間に、フィアッツが死んだ。
そして魂となり──フィアセルトの中へと入る。
《おい、起きろ!》
(⋯⋯フィアッツ?)
《俺は今、死んだ。お前の身体に魂を入れている状態だ》
(待って、何を言ってるの!?死んだ、って⋯⋯)
(あのクソ野郎の実験のせいだ。いいか、今絶対目を覚ますな。俺が指示するまで動くな)
フィアッツの鬼気迫る声に、フィアセルトはフィアッツの指示に従う。
《機会を見て俺がヨーフェンに合図を出す、その瞬間に目を覚まして──俺の指示通りに逃げろ》
マテリアルから逃げる。
これがどれ程難しいことか、フィアッツもフィアセルトも理解している。
だからこそ、やらねばならない。
実験体として生きるのは、もう耐えられないからだ。
《⋯⋯よし、今だ!》
ヨーフェンが目を覚まし、フィアセルトと共に転移する。
マテリアルは呆気にとられるが、数秒の沈黙の後、笑い声を上げた。
「ハハハハハ!まさか逃げるとは!面白いじゃないか!」
確かに、笑い声だった。
しかし、その表情は一切笑っていない。
「⋯⋯ええ、許しはしません。ですが、貴重な実験体なのは事実です」
マテリアルはフィアッツの死体を持ち上げ──吸収する。
そしてフィアッツとヨーフェンの混ざった血を飲み干し、二人の聖霊の目を食らう。
そして──また、笑い声を上げた。
「ハハハハハ!自暴自棄か!?それもまた良いだろう!私も──聖霊になればいいッ!!」
マテリアルの眼が変わる。
赫と蒼の美しい眼が、血を流していることにも気づかず、力を満たした。
「私が、私こそが最低最悪の魔導士だ!親の呪いを一身に受け、穢れた血を宿す屑だ!だからこそ──世界を、敵に回そう!」
コツコツと、大きな音を立てて歩く。
怒りに身を任せないマテリアルの理性は、既に限界を迎えている。
しかし、彼女の研究の欲求は、収まることを知らない。
彼女はこの瞬間──真に【悪究の使徒】として覚醒した。
──そして、現在。
「覚醒──ああ、美しい⋯⋯!」
マテリアルはうっとりとした笑みを浮かべ、フィアセルトを見る。
対するフィアセルトは、二対四枚の蝶のような翅を羽ばたかせ、飛び上がった。
「今、どんな気分ですか?教えて頂きたい」
「──腹が立ってる、お前にな」
「怒りによる覚醒⋯⋯成程、やはり生命体の力の覚醒は感情によるものが大きいのですね」
冷静に分析するマテリアルだが、その表情は笑みを浮かべている。
そんなマテリアルに、フィアセルトは苛立ちを抑えられない。
言葉にしがたい怒りを吐き出すように、魔法を乱射する。
「僕がやらなきゃならない、あの二人の為に⋯⋯!」
フィアセルトの頭に浮かぶのは、フィアッツとヨーフェンの顔。
あの二人に顔向けできるよう、フィアセルトはここでマテリアルを殺さなければならない。
──聖霊の血が、祝福を授ける。
「──これは⋯⋯?」
赤と青の光が融合し、フィアセルトの身体の中へと入っていく。
その沸き立つ闘志が、フィアセルトを覚醒の道へと誘う。
「──僕の、闘志⋯⋯そうか、紫なのか」
『紫の闘志』──効果は魔法の威力上昇と、魔力の増幅。
フィアセルトの赫と蒼の眼が『紫紺の懸眼』へと進化する。
魔力による行動全ての支配と統制を行う、魔導士に対して圧倒的な優位を取る特異体質だ。
「──ハハハハッ!面白い!」
対するマテリアルは──笑った。
そして、彼女も力を解放する。
立ち上る歪な闇の魔力は、ブライアには見覚えのある魔力だった。
そう、まるで──地龍王が復活したときの魔力だ。
「ブライア・グリーンドラゴンはこれを見たことがあるでしょう?」
ブライアの方を見て、口角を吊り上げた。
そしてフィアセルトの方へと向き、大声で叫ぶ。
「私の名はマテリアル・コンスターク!その名を冠すると同時に!我らの組織『暦』の上位称号『如月』を冠する者である──ッ!」
ブライアは、言葉を失った。
ユフィスティアは、舌打ちをした。
ドラグレイヴは、哀れみの目でマテリアルを見た。
そして、フィアセルトは──
「──フィアッツやヨーメアだけでなく、ブライアまで愚弄するか!貴様は──ッ!」
更に怒りを加速させた。
圧倒的なまでの力が渦巻き、聖霊が魔力を暴走させる。
しかし、『紫紺の懸眼』によって、完全に魔力が制御され、標的はマテリアルに絞られた。
「お前をここで、殺す──ッ!」
凝縮された魔力を、一条の閃光として放つ。
対するマテリアルは──自身が練り上げた魔力を全て乱され、閃光に撃ち抜かれた。
「カハ──ッ!」
──この瞬間。
八魔導士序列二位の座が──フィアセルトに渡った。