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海でぐー/短編集

初心、忘るべからず

作者: 海でぐー

私の体験談です。

皆さんにとって何かキッカケや気付きに繋がればと思い、書かせていただきました。


 初心忘るべからず。

 非常によく耳にする言葉である。


 由来は、室町時代の「能」役者・作者である世阿弥(ぜあみ)の残した理論書「花鏡(かきょう)」で述べられている言葉だそうだ。


 初心。初志。

 最初の考え、決心。



 さて、これを聞いて、あなたはどう思っただろうか。


 私なら「そんなもん忘れたことないよ。いつでも初心忘るべからずの精神で頑張ってるし」と答えていたと思う。


 ……先日までなら。




 恥ずかしながら私は、本当に分かっていなかった。

 その言葉の意図に、言わんとするところに。


 確かに()()を忘れたつもりは無かったのだが、それは全くもって初心ではないと思い知らされる出来事があった。


 今日は、そのことについて少し語らせていただこうと思う。




 ……端的に述べるなら、先日まで私はとても調子に乗っていた。

 今回は仕事に関しての話が主になるが、恐らくは私生活にも当てはまっていたのだろう。


 ベテランと呼ばれる部類に入り、職場では皆が私を頼ってくれていた。

 皆が出来ないことでも、私には難なく出来る。知識もそこそこ深い。

 業界の大抵のことは分かるし、出来てしまう。

 これが先日までの私の()()である。


 もう、この文章だけで自分がどれだけ(おご)っていたか自覚できるし、恥ずかしくて穴があったら入りたいくらいだ。

 ウソみたいだろ。初心忘れてないつもりなんだぜ、これで……。



 さらに付け加えるなら、自分の横柄な態度も()()だと本気で思っていた。

 だって皆が出来ないことが出来て、皆が出来ないところをフォローさえしているのだから、多少態度が横柄でも許されよう。文句があるならフォローされないようにもっと頑張ればいい。


 私は給料分キッチリ働いているのだから、私よりできない人の給料を下げるか、なんなら私のを上げるのが当たり前だ。

 社長でさえ私を頼るのだから、社長にだって多少横柄でも問題はあるまい。



 ……怖い怖い怖い怖い。

 今となっては過去の自分が恐ろしくて堪らない。


 傍から見て、なんと醜い姿か。

 謙虚?なにそれおいしいの?自分に必要あるかな?とか本気で思ってた過去の自分を往復ビンタしてやりたいものだ。




 そんな私に、大きな転機が訪れる。

 本来なら私がお会いすることの無いような立場の方と、お話しさせていただく機会に恵まれたのだ。


 そこで私は緊張しながらも、いつも通りの自分でいれば問題無く失礼のない態度で会話出来ると思い、それなりにリラックスした状態でその方と対面した。

 そして色々と会話し、相槌を打ち、こちらもたまに口を開いて楽しく談笑……していると思っていた。思い込んでいた。


 だが……状況は一変する。



 突然、その方が不快そうな雰囲気を漂わせ、私に言った。


「それでいいと本気で思いますか? あなた、人生楽しいですか?」


 そう言われ、私はキョトンとしてしまった。



 私にとっては何気なく語った、ただの()()

 それは、会社から任せられた仕事だけど私ではなく他の者でも出来ることだから、当然お断りしたという、()()()()()()の内容だったのだ。


 だが、その方には違うように受け取られていた。

 私のことを評価し、様々な考えのもとで「任せてもいい」という判断があって上の者から(もたら)されたにもかかわらず、私は「私じゃなくてもできる」のひと言で一蹴したわけだから。


 詳細を語りすぎると業界がバレるので伏せさせていただくが、とにかく私が驕っていたということはお伝えしておきたい。

 そして幸運なことに、その方は気分を害して退室するなどということをせず、私に説いてくださった。


「やりもせず、最初から決めつけていて人生楽しいでしょうか? まずはやってみて、挑戦してみてから考えるというのはどうでしょう?」


 そんな当たり前のこと。

 ネットでもたまに見かけるようなありふれた話。


 漫画やアニメを見ても稀に登場して「うんうん、いいこと言うなあ。その通り」なんて相槌を打っていたようなセリフである。


 だが、その方に言われた瞬間、私にはそれが大きな……いや、()()な「気付き」となって突き刺さった。心を抉られた。

 その後も、その方は私がどのように傲慢な考えを持ち、どのように横柄に振舞い、どのように()()()()かを丁寧に指摘してくださった。


 短い間で、その方は私の心の内を見透かして的確に痛い部分を突いてきた。

 その言葉のどれもがクリティカルヒットとなり、私は唖然として言葉を失うこととなる。


 その方は本当に経験豊富で、私では想像も付かないくらい広く深い器をお持ちだと、その短い間だけでも感じた。



 私は本当に幸運だったのだが、その方はきっと私の今後を思って敢えて厳しい言葉を発してくださったのだと思う。

 まるで間違いを犯した子どもを導くように、自分の感情を押し殺してただ静かに、丁寧に。


 最終的に私は「最後の挨拶だけでもしっかりとしなければ」と、精一杯の感謝を述べてその方と別れることになる。

 最初はいつも通りで大丈夫なんて余裕を見せていたにもかかわらず、終わってみれば挨拶で手一杯になるという体たらく。



 ショックだった。本当に恥ずかしかった。

 自分の傲慢さも、浅はかさも、これまでの全てが。



 そうして、改めて気付く。


 自分とて先達に教え導いてもらって今の立場にあるというのに、私は自分より仕事が出来ないだの遅いだのといって同僚たちを如何に見下し、慢心し切っていたのだろうか。

 給料分働いているなどと慢心し、その基準を自分の中で決めつけて、私はどれだけ横柄な態度を取り続けていたのだろうか。


 何より、初心というものは始めた頃の(こころざし)であって、今の私が考える「初心とはこうあるべき!」では無いのだから。


 そして私は業界初心者向けの教本を引っ張り出し、そこで心の底から愕然とすることになった。

 何故なら、私が今になって気付いた()()()()()など、その教本の一番最初に書いてあったのだから。



「真摯な気持ちで、慢心せず自分を高めましょう」



 要約すると、そんな文章である。

 ベテランで、大抵のことが出来て、皆から頼られる私が()()()()()()業界の基本中の基本が、そこに存在していた。


 なんということでしょう。

 私は誰よりも無知で愚かな業界の恥さらしだったのだ。


 あまりのショックに、その日は一日茫然自失。

 そして次の出勤時に、私は心を入れ替えた。


 人間、そうすぐに変われるものではない。

 だが、私はその出会いによって大きく変わったと思う。



 初心忘るべからず。

 それを言うのも、言葉の意味を考えるのも非常に簡単なことだ。


 だが、本当の意味でその言葉を胸に刻むことが出来る人は、はたしてどれくらいいるのだろう。

 今こうして心に深い傷を負った私は、本当に幸運だったと思う。



 今一度、私から皆さんに投げかけたい。

 私に刺さったからといって皆さんにも刺さるとは限らないが、それでも新年度ということで敢えて繰り返すとしよう。



「それでいいと本気で思いますか? あなた、人生楽しいですか?」



 初心忘るべからず。


 しつこいようだが、自分の現状を今一度見直してほしい。

 私のように恥を、黒歴史を生まないためにも、皆さんには初心と謙虚さを決して失うことなく日々過ごしてもらえたらな……と願う。



なお、その方の信者だとかそういう話ではないので悪しからず。

あくまで指摘いただいたことに感謝しかないということであり、恐らく二度と会うこともないでしょう。


調子に乗ってる時って、自分では意外と分からないものですね。

二年後、三年後の私、頼むから再びこれを読んで自覚してくれよ?(笑)


以上、エイプリルフールだけどド真面目なお話でした。


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― 新着の感想 ―
[良い点] なんとなく二回目読みました。 初心も忘れるべからずだけど、長年やってきて身についたものも多いわけで、 経験を活かしながらも初心も決して忘れない、そんな人こそが最強なのかなと思いました。
[良い点] エッセイの趣旨とは異なるでしょうが、仕事で慢心出来るくらいの知識&事務処理能力が欲しいなぁと思いました。始めた頃の志、忘れがちです……。興味深い内容でした。読ませて頂き有り難うございました…
[一言] 私は車を運転する仕事をしていますが、不慣れな方を見ると『なんでそんなことがわからないんだろう、出来ないんだろう』と思ってしまいがちです。 免許取り立ての頃は怖くてまっすぐも走れなかったくせ…
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