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第七節 狐の教え アカシカの追跡 再会 そして死闘

 夜の山は森以上におそろしい世界だ。木々の間から見下ろす町は、森と山とに囲まれなんとも頼りない。

 人間の暮らす事ができる範囲とは、こんなにも小さな世界なのかと哀愁を感じずには居られない。

 旅暮らしで夜目の利く少女は早速オオカミの痕跡を探すことにした。

 季節は秋の深い時期だ。木の実で肥えた獣たちはオオカミの最高のご馳走であろう。

 オオカミにとって人間は狩場を荒らす厄介者に過ぎない。


 狩の仕方はユージェニオ2世ことマスター・フォックスから手ほどきを受けていた。もちろん、本の世界の話だ。

 マスター・フォックスはその名前の通り、大きなキツネで、優秀なハンターにして森を統べる賢き王だ。

 彼には森で生きていくためのあらゆる技術を教わった。

 食べ物や飲める水の見分け方、コンパスの作り方、火を起こす方法。

 そして獣たちとの知恵比べもだ。


 どんな時でも本から得られた生きた知識と経験は、決してウソは付かない。

 土の上に付けられた足跡からそれがどんな動物なのか、大人か子供か、どの方向にどれくらいの速度で移動しているのか、大まかな予測を立てることが出来た。

 足元の草に隠れるように撒かれた糞はおそらく、アカシカのものだろう。

 摘み上げてみるとまだ柔らかく、暖かい。ほんのついさっきまでここに居たのだ。


 目を凝らしてよく見ると、ほんの10メートルほどの所にその輪郭が見えた。少女は荷物の中から小型のクロスボウを取り出す。

 本命の獲物ではないが、鹿を獲れば囮のエサに使えるかもしれないし肉にありつける。


 アカシカはその名の通り、赤褐色の毛で覆われている。そして()()()()()()()()大型の鹿だ。

 二つの首の片方が餌を食んだり、水を飲んだりしている時でも、もう片方の首が常に周りを警戒している。

 話によれば寝るときも立ったまま、片方ずつ眠るそうだ。


 鹿がこちらを振り返る。四つの瞳が緑に輝き、こちらを見つめている。

 気付かれてしまった、これはおそらくボルトの無駄になるだろう。

 少女は諦めてクロスボウを下ろし、足早に去っていく後姿を眺めた。しかしもう一つあることに気付いた。

 鹿の片方の首に噛み傷があったのだ。おそらく、例のオオカミと対峙しなんとか逃げ切ったのだろう。

 傷はまだ比較的新しいようだ、近くを調べると血が流れているのがわかる。


 しめた、と思った。餌を食いそびれたオオカミは苛立っているに違いない。そしてこの美味そうな血の匂いをおってくるはずだ。

 鹿を殺すまでも無く生餌として使えそうだ。

 シオンは鹿の後をつけていくことにした。鹿は風下に向かって早歩きで進んでいる。

 オオカミから逃げ果せただけあって賢い奴だ。

 付かず離れず、刺激しすぎる事の無いように息を殺して忍び歩く。

 念のため、洗ったばかりで少々もったいなかったが、周りの葉を皮鎧や外套にこすりつけた。

 あのドジな少女の困り顔が目に浮かぶが仕方ない。


 追跡の途中、開けた崖の上に出た。気が付けばかなり高い所まで登って来ていたようだ。

 眼下には大きな湖を支えるアーチ型の石の構造物が見える。これも明王(めいおう)の世に作られたものであろう。

 暫くの間そのまま進んでいると、草木の揺れる大きな音がする。アカシカが何かに気づいて全速で逃げ出したのだ。

 オオカミか。シオンは身を低くし、クロスボウを握りしめた。

 オオカミならばすぐに追いかけていくはずだ。しかしその様子は見られない、外れか。

 少女は肩を落として、仕方なく鹿が逃げて行ったあたりを探索することにした。狩りとはこういうものだ、仕方ない。


「………逃が…… 方が…い… 戻……」


 人の声だ。少女は訝しげに眉間に皺を寄せた。自分以外にハンターがいるのか?

 いやしかし依頼は自分しか受けていないはずだ。

 では一体だれがこの山の中に? しばし考えた後、その正体を突き止めることに決めた。

 狩りの邪魔をされてはたまらないし、山賊か何かの類かもしれない。

 警戒はしておくにこしたことはないのだ。


 シオンは素早く、しかし静かに声の方へ向かった。鹿やオオカミと比べたら生きた人間など楽な物だ。

 太い木の幹に隠れ、そっと様子を伺った。


「なんでまた彼奴らなの!?」


 視線の先にいたのは、またしても白フードの連中だ。三人ほど居て、手に弓を持っている。

 呆れたことに夜の森の中でさえ、目立つ白いフードを脱がないでいるではないか。

 少女は小さく舌うちした、それではただ森を荒らしてるだけだ。これでは台無しだ。

 白フードたちは何事か話し合った後で山の上に向かって移動を始めた。

 少女もまたそれを追って進む。今夜のところはまずこの白フードの同行を探ることにしよう。


 だがその時、獣の遠吠えの声が聞こえた。二度、三度、……間違いないオオカミの声だ。

 シオンは白フード達を諦め、本命であるオオカミを追うべく方向を変えた。声はそう遠くない。

 しかもこちらは風上だ。うまくすれば今夜のうちに仕留められかもしれない。


 オオカミが遠吠えをするにはいくつかの意味がある。その一つは何かが自分の縄張りを侵した時だ。

 実際、その遠吠えは緊張感を感じさせる強いものだった。

 オオカミはあまり移動していない。遠吠えが徐々に近づいている。

 山の中での声は周りの反響で位置がつかみにくいが当たりだったようだ。

 そしてすぐにその遠吠えの理由が分かった。


「いやぁ!! 助けて! 誰か! 誰か!」


 松明を手にした女が、大声で叫びまわっているようだった。声は一つだ。何てことだ、夜の森に女一人で出歩いているだって?

 自分の事を棚に上げてシオンは思った。


 助けなくては。ほとんど本能に近い感情のまま、少女は剣とクロスボウを手に飛び出した。かえる師匠の教えと反するが仕方ない、出たとこ勝負だ。


 木枝をかき分け、向かった先に、まず見えたのは二頭のオオカミだ。皮膚には毛が無く、赤黒く隆起した筋肉が直に見える。

 手前のオオカミの胴長は目算で2メートルほど、体重は100kg以上ににもなるだろう。

 二匹は激しく獲物に向かって吠えたている。その獲物は、血を流して木にもたれ掛かるようにうずくまる女だ。

 シオンは即座にクロスボウで手前の一匹に狙いを付ける。動きを止め、呼吸を止め、トリガーを握る。

 射出されたボルトがオオカミの首筋に命中した。

 上手くいった、首に矢を突き刺したままそのオオカミは逃げていく、あの深手では一時間と持たないであろう。問題はもう一匹の方だ。

 クロスボウは連射はできない。それに不意を突きでもしない限り、敏捷なオオカミに当てるのは難しい。


 即座にシオンは剣を抜き放ち、両手で握りしめた。目の前にはこちらに向き直り、怒りに牙を剥くもう一頭のオオカミ。

 体に傷が少なく、体もだいぶ小さい。まだ若い個体だ。 若いオオカミは恐れを知らない。必ずまっすぐに向かってくるはずだ。

 そこを首筋を狙い剣で突き刺す。オオカミの皮膚と筋肉は頑丈だが、相手の勢いと体重で深く突き刺さり、即死させられるはずだ。


 しかしそう上手くはいかなかった。オオカミの勢いは少女が想像したよりも遥かに強く、そして自身の実力は大したこと無いものだったのだ。

 予測通り、オオカミはまっすぐに飛び込み、剣は首筋に刺さったが勢いで少女は跳ね飛ばされ、剣も振りほどかれてしまった。

 地面に背中から叩きつけられ、肺から息が一気に吐き出される。

 当然オオカミはこの好機を逃すはずがない。オオカミは馬乗りに少女の頭を噛み砕かんと大顎を開ける。

 少女は反射的に突き出した左腕で顔を守るが、代わりにその腕が犠牲となった。


「ゥアアアアアっ!!!」


 痛みと恐怖と、そして怒りと興奮が混ざった叫びを少女が上げる。このままでは、次はのどをやられる、腰のナイフを取らなくては、だが肩を前足で押さえつけられてしまっている。

 何とかしなくては、左腕を食いちぎられる前に。その時、マスター・フォックスとかえる師匠の言葉を思い出した。

 二人の師はどちらも、こんな時に役立つ最高の技術を教えてくれていた。


「よいかシオン これを使うときは決して容赦はするでないぞ」

「いいかい、プリンセス よぉく狙いを定め、そして一発でやるんだ 大丈夫、君ならできるさ」


 成功確率は二分の一だ。シオンは思い切り、オオカミの股間を蹴り上げた。ブーツのつま先で、大き目のカタツムリをつぶしたような感触があった。

 オオカミは甲高く引きつった声を上げ、口を離し前足をどけた。少女は腰のナイフを動く右手で取り出し、力の限りに、何度もオオカミの首に突き刺した。何度も何度も。

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