第二節 少女は亡霊退治の依頼を受ける 村での歓待 本の記憶
簡素な村の酒場の一角に人だかりが出来た。
村の窮状を聞き届けに来たという少女の話は、小一時間で小さな村の全ての人間に伝わったのだ。
しかし集まったのは女子供ばかりで、大人の男は酒場の主人を含めてもほんの数人しかいない。
それはこの村に限った事でなく、この地域のほとんどの場所がそうなのだ。
この土地で、過去果てしなく続く戦乱の歴史がそうさせていた。力ある統治者はおらず、土地も人も痩せていくばかりなのはそれが原因だ。
さて、集まった大勢の村人達は次々と無責任に、際限なく口を挟み続けた。
断片的で要領を得ない無数の情報を投げ掛けてくる。それを少女が根気よく聞き、そして統合した結果はこうなる。
森やその周辺に青白く光る亡霊が現れる。
村人たちは恐ろしくてどんぐりも拾いに行けない。
それに食料となる動物たちが姿を現さなくなってしまった。
さらに村の中で金目の物が無くなる事件が起きている、という事だ。
一通り話し終えた後、酒場の主人が舌が絡んだように、たどたどしく口を開いた。
「その、き、気を悪くしないでほしいんだが…… ほ、報酬の件だ 金を払うと言ったが、掲示してからもう二週間になる その間にも金が必要だったんだ…… ああ、もちろんなんとかする! その、おふくろの形見の指輪を渡す 金の指輪だ、それでなんとか頼む!」
「ふーん…… ここまで来た路銀すら出せないってわけね?」
少女は肩をすくめて両手を広げて見せて、それからしばし間を置いた。主人はごくりとつばを飲み込み、周りの女たちも息を潜めて少女の答えを待った。
実の所これは何事か考えてるフリをしているだけで、もう答えは決まっている。
つまりこれは彼らへの印象をより良くするための駆け引きなのだ。こういう事には慣れている。
「……わかった、引き受ける 話を聞くに、そいつはフォグレイスって奴だけど森の中じゃ不利ね 他に目撃されたところは?」
「廃墟の方で見たことがあるよ」と村の女性の一人が口を開いた。
「廃墟? ふーん、よしそれじゃぁこのお店で一番強い酒を用意して それから松明もね 準備しておじさん」
「準備って、おい待ってくれ もしかして俺も行くのか!?」
酒場の主人は面食らった様子で、大きく咳き込みながら素っ頓狂な声を上げた。
町に仕事の掲示だけ上げて、あとは手を拱いていた男だ、その反応も仕方が無い。
「こんな小さな子があたしら助けようって言ってきてるんだよ! あんたも少しくらい働きな!」
こういう時の女ほど強いものは居ない。
そうだそうだと次々に声をあげ、男に拒否権は与えられなかった。
「ま、待ってくれ俺は最近具合がよくなくて……」
シオンはこの世の終わりとばかりに頭を抱える男を小突きつつ、準備を始めた。
本と剣とクロスボウ、そしてわずかな金以外の余計な荷物は店に預け、軽く体をストレッチさせた。
その後、集まった女たちは持ち寄った食べ物をシオンに、半ば強引に押し付けるように渡した。
貧しい村の、せめてものもてなしなのだ。どうやら少女の健気な姿は、村の女たちの信頼を勝ち得たようだ。
そのまま日が暮れるまで少女は食べ物と、好奇心旺盛な女たちの質問攻めにあった。
村から遠くへはほとんど出る事のない村人たちにとって、旅人の話はまたとない娯楽だ。
『♪若いレディーが酒場の隅で、酔いつぶれた修道士♪ そいつの裾をちょいと上げたなら♪ オー!
可愛らしい小さな友達に、青いリボンを巻いてあげて♪ オー!』
酒の入った村の女たちが陽気で猥雑な歌を始め、シオンは目を回しつつも手拍子でそれに答えた。
その頃にはもうとっぷりと日が暮れていた。
「もうよい頃合だね それじゃぁ行くよおじさん 火には気をつけてね」
「あ、ああ…… しかしほんとに大丈夫なのか?お前は怖くないのか、そのフォグなんとかってのが」
「大丈夫だよ 一番の敵は己の恐怖心ってね」
少女は屈託のない、しかし挑発的な笑顔で答えた。
薄暗い村外れの小路を松明を頼りに男と少女は進む。
森の中と違い、月明かりを遮るものは無く一面の寂しげな草原を銀色に照らすのだった。
「こんなに土地があるのに、どうして畑にしないの?」
「水が足りねぇんだ 井戸の水はいくらでも出るが、いちいち汲み上げるのも大変だろ それに川は遠い」
なるほど、どこの村でも町でも男手は足りていない。
農作業は力仕事だ。女や子供達だけではこれ以上はどうしようもないのだろう。
取り留めのない、男の身の上話を聞いているうちに、村人たちの言う例の廃墟までたどり着いた。
かつては大きな塔が建っていたのだろう。
大人が100人はすっぽり入れるほどの円形の巨大な土台と、錆朽ちた何かの金属部品だけが転がっている。
これが何に使われていたのか、最早知る者は居ない。
しかし、確かにかつてはこれほどの構造物を作れるだけの技術と富が、この地にはあったのだ。
そのことに思い馳せる少女は憐愍にも似た感情を抱いた。
「おい! ありゃぁなんだ!?」
シオンの後ろに隠れ、震え声を上げた男の示す先に、青白く輝く影が現れた。
シオンはかえる師匠の物語を思い出していた。
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真っ暗な夜の闇が炎の明かりで輝いていた。
燃え盛る松明を手にしたシオンは火に巻かれた青白い人影が、体中から稲光のような光を出しながら消えていくのを見ていた。
「ほ、ほんとにやったのか? こんな簡単に?」
「ええ、大活躍だったねおじさん」
と実際には震えながら松明を振り回していただけの男に声をかけた。
辺りにはまだかすかに燃え残りの火があったが、周りは瓦礫で何かに燃え移る心配はないだろう。
怪しい人影、フォグレイスは蒸留酒を使った火の罠によって霧散させられていた。
「もしもまた出てきてもこれで平気でしょ?」
「あ、ああ! わかってみりゃあ簡単だったじゃねえか!」
「なに、急に元気になって……」
「これでもう安心だ! さぁ早く帰って女どもを安心させにゃぁ! 今夜は騒ぐぞ!」
鬱屈と緊張がほどけた男はさも愉快そうに腕を振り回しながら村へと続く夜道を戻るのだった。
「しかし、あんな奴の倒し方なんてどこで知ったんだ?」
「かえる師匠に教わったのよ 本の中でね」
少女は本気とも冗談とも付かない様子で、肩からぶら下げた本を叩いた。
「今日は上手くいったよエデュバ 久しぶりにフォグレイスを見たよ」
「流石シオンねぇ フォグレイスは熱病を撒き散らすから気をつけるのよ ちゃんとおててと身体を洗って、暖かくして寝てね」
暗闇の底で魔女と少女が抱きしめ合っていた。
少女は魔女のぬくもりを感じていたが、それは所詮偽りの暖かさである事は理解していた。
現実の自分は、村の酒場の片隅で膝を抱えている。屋根と床があるだけ随分マシだが。
「明日報酬を貰ったらお風呂に入るよ もうめっちゃ臭い」
「あぁん あたしが近くに居れば洗ってあげるのにぃ」
「あははっ、じゃぁ会いに来たらいいじゃない それじゃぁまたねエデュバ」
「またねぇシオン」