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ほんのしあわせ


 一日で読まれると、一年で読まれるとでは、本にとって、どちらが幸せだろう。


 その本は、一日で読破できるほど短くはなく、かといって一年費やす必要があるくらい壮大でもなかった。


 たいていの者はその本を三日から一週間かけて読んでいた。


 しかし、あるところにいた二人のうちの一人は、その本のあまりの面白さにページをめくる手をとめることができず、たった一日で全てを読み終えてしまい、もう一人はあまりの面白さに本の(とりこ)となってしまい、ページをめくるたびせつなくなったせいで、岩から石像を彫るように丁寧に丁寧に読みすすめた結果、気づけば一年も経っていたのだ。


 一日の者も一年の者も、その本から得た感動は同じだった。


 その本は、別段めずらしい本ではなかった。


 その本は、人気のある本だった。


 当初、その本はあまり期待されていなかった。


 幸運にも出版社の予想はよい方向にはずれ、その本は大いに売れた。


 そのため、部数の少ない初版には価値が生まれ、求める者が増えた。


 その本は、初版だった。


 それに気づいた誰かが、その本を盗み、競売にかけた。


 高値で売られた本は、コレクターの手にわたり、コレクターは本を一度も開くことなく、それを完璧な保管庫にしまってしまった。


 その完璧な保管庫は戦争で飛んできた爆弾で拍子抜けするほどあっさりと破壊された。


 戦いの中で、その本はときに武器となり、ときに盾となり、何人もの者を倒したり守ったりした。


 戦いは終わり、焼け野原に横たわっていたその本を一人の老婆が拾った。


 老婆は戦争で子供を失っていた。


 老婆の子供はその本が大好きで、その本を見ていると、生きていたころの子供を思い出すことができたので、老婆はその本を綺麗にして、我が子のように扱った。


 やがて老婆は本のように動かなくなった。


 ネズミたちがその本を運び出し、その本を海に投げ、その上にネズミたちは乗り込み、本はネズミたちの船となり、旅立った。


 誰も見たことのない島にたどり着く。


 本を開いて、ひっくり返して、その下でネズミたちは過ごした。


 海をさかさまにしたような強い雨の日も、体も意識も溶けてしまうのではと怯えるほど暑い太陽の日も、その本の下でネズミたちは生きていた。


 ある日、何者かが、ネズミたちから本をうばった。


 何者かは、何者でもなかった。


 それは、どんな本にも載っていない、いきもの。


 その島にしかいない、島の王。


 島の王は、本を知らないので、本を本だと認識できなかった。


 ぱたぱたと閉じたり開いたりしたときに奏でる音が愉快だったので、楽器のように扱って、それなりに楽しんだ。


 ところが、島の王はかしこかったので、本に書いてあることをだんだんと理解して、なんと読みはじめたのだった。


 一年よりも長い時間をかけて、解読しながら読みすすめ、もうすぐ全て読み終わる。


 読めることは、ぱたぱたと鳴らしていたときよりも、ずっとずっと素晴らしかった。


 ついに明日、最後のページにたどりつく。


 島の王は嬉しさと興奮で、ひとまず眠りについた。


 島に流れ着いた冒険者は海水にまみれて、今にも凍え死にそうだった。


 ふるえながら島を探索していると、一冊の本を見つけた。


 これぞ天からの救いと、冒険者は本に火をつけて、(だん)をとった。


 ばくり。


 怒り狂った島の王は冒険者を丸飲みした。


 もう読めなくなってしまった本をみて、島の王はかなしくなって、ざあざあと泣いた。


 島の王は、はじめて、かなしさを知って、はじめて、涙を流した。


 島の王はこれからもずっとずっと長く生きるけれど、それ以降、島の王が涙したことはなかった。


 かたちを失った本は、魂だけとなり、天に昇る。


 あらゆるものたちから、神、と形容されている存在がそこにいた。


 神、は本の魂に訊く。


 これまでの生涯で、いちばんしあわせだったときのことを思い出して。そのひとときをもういちど体験させてあげよう。そうすることできみは、より素晴らしいものとして生まれ変われるから。


 神、の言葉にしたがい、本の魂はもっともしあわせを感じていたときのことを思い出してみた。


 そして世界は一変する。


 そこは、一年かけて本を読んだ者の部屋だった。


 その者は今日も少しだけ本を楽しむと、いつくしむようにため息をついて、部屋から出ていった。


 それから何かを持って戻ってきた。


 ()れたての紅茶の入ったティーカップだった。


 これだ、と本は微笑んだ。


 ティーカップからのぼる湯気が、そっと本をなでる。


 その本は、この瞬間が何よりも大好きだった。


 その本は、本としての役割を果たしていたとき、つまり、誰かに読まれているときでも、およそ本来の目的とはかけ離れた扱いをうけているときでもなく。


 紅茶の香りに包まれているときだけ、その本はしあわせだった。




 おしまい



 お店でお昼ご飯を食べていると、近くの席で、ある本についての会話が聞こえてきました。

 一人はその本を一日で読んだといい、もう一人はその本を一年かけて読んだといいました。

 ふむふむそれでと、思わず聞き入ってしまうと、その話題は発展するでも意外なオチが待っているでもなく、二人は食事に集中しはじめたのです。

 おいおい、うそだろ。

 どうしてそんな魅力的なエピソードを持っているのに、ラーメンなんてすすれるんだと。

 エビチリおごるから、もうちょっと話してくれませんかと本気で割り込みそうになりました。

 そして私の頭の中には、本にとって一日で読まれることと、一年で読まれることのどちらが幸せなのだろうというテーマが生まれました。

 いや待てよ、そもそも読まれることが本にとっての幸せなのだろうか?


 あるところに地球人が大好きな宇宙人がいて、たくさんの地球人をさらってペットにすることにしました。

 広いスペースで宇宙人は、大好きな地球人にたくさんの労働と争いの種を与えました。

 毎日大好きな地球人を観察していたので、宇宙人はこう思ったのです。

 これだけ毎日労働や争いをしているのだから、間違いなく地球人は労働と争いが大好きなんだろうな。


 そんなジョークを思い出して、もしかして自分だって本の幸せを思い違いしているのではないだろうか。

 本だって本当は読まれることではなく、端からみればどうしてそんなことが? と思えるようなことに幸せを感じているのではないだろうか?

 そんなことを一日中考えていて、とにかくこの思いを吐き出さないとどうにかなりそうだと部屋に戻って走り書きしたものがこちらになります。

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