どうしたらいいか解らなかった十代。
第四話
卒業して(15才)、すぐに仕事の為に隣の県に引っ越しをした。母が学歴が無い代わりに手に職をつけなさい。と選んだのが理容師になることだったが、今までイジメにあっていて人と話をするのも接するのも怖かったのに急に親元を離れて馴れない土地に来て、ましてや寮に入りと初めての事も多くって戸惑っていたけど・・・
そこの先生と呼ばれる社長兼店長の人も奥さんや先輩達もとても優しく良い方でとても楽しくやっていました。
仕事にも馴れて、初めての給料が出たので、母の日が近いのもありプレゼントを買いました。今まで散々迷惑かけたのもあるしなぁ~と悩んだ結果、春と秋に着れるパジャマをあげました。
だいたい、3~4ヶ月たった位だったかな、休みで家に帰ったりするようになっていたんですが、その頃から弟の様子がおかしくって気になっていたのですが、あえて聞くことをしませんでした。そんな時に営業時間が終わり落ち着いた頃に一本の電話が店にかかってきました。
弟からでどうしたのかわからないけど急に「お姉ちゃん、今度いつ帰って来るの?」と聞かれたので
「今月は後帰らないかな。」と言ったら
「わかった。またね。」と言って電話は終了したのだけど、なんかモヤモヤと引っ掛かって気になったので、休みの前の日に電話をする事にした。
電話したら弟が出た事にもビックリしたが、それよりもその後に言った言葉にもビックリしてしまいました。
弟が泣きながら「父さんに殺される。」と一言・・・・。ウチはただ、「はっ!?」としか言えず「母さんは?」「居ない。」「わかった。明日帰るから心配するなっ!」と言って電話を終わらせた。
そして、次の日朝一で帰った。
その日の夜にすぐに弟が泣きながら電話してきた理由がハッキリとわかった。
聞いたときは、まさか父親が我が子を手にかけようとは思っていなかったから、半信半疑だった。
試しに、寝場所を変えて寝てみたらビックリするぐらいに目が見えないはずの父親が、ウチに股がり首絞めをやった。
ウチは父親を叩き「何してんのやっ!」と怒った。
それに対して「ごめん。Mだったか」と言って部屋に戻って行った。
次の日に母と父に、「二人とも、何してんの?」って言った言葉に父親が「なにが?」って言って部屋に戻って行った。
その後母さんに、「母さんが居ない間、S(弟)がどんな思いしてるかわかるか?」
それに対して「なんで母さんが言われないとならないの?ちゃんとやってるのに!」と怒ったから、久々にブチキレた!
「じゃ~オレがなんでこんなに帰って来てるかわかるか?ただ、帰って来たいから帰って来てるんじゃないんだや?」
それに対して「仕事したくないから、言い訳してるのか?」
完全にキレた!!
親に向かって言う言葉ではないけど
「おめぇ~はご飯作って家の事してれば、遊びに歩いても大丈夫ってことか?Sがオヤジに首絞められて泣いて助けを求めてる時におめぇは家にいたくないから、子供置いて歩いてもいいと!?ふざけてんじゃねぇよ!」と怒った。
部屋で聞いてた弟は泣いていた、それにつられて妹も泣いてた。宥めて部屋に行く。
結局、自分には合わなくって一年で帰って来てしまったけど、帰る場所がオヤジの所か母親の男の家かの2択で、良くしてくれたお姉さんの家に居候?させてもらった。
オヤジの所にお金を返して貰おうと行ったが、叔父がいて「親に貸した物を取り返しに来るなんておかしい」と言われた。
「貸したんだから返して欲しい。今、ドコドコのお姉さんの家にお世話になってるから必要だから」と言ったら、
「じゃ~今まで育ててやったんだから、その分のかかった費用払え!」と言われ、言ってはならない言葉を言ってしまった。
その時はそれが最後の言葉になるともわからずに。
「だったら、なんでオレら子供を作った!そしたら金かからなかっただし、なんで産ませた!」
勿論次にきた言葉は「なんだ!その言い方は!」だった。
それに対して「うるせぇ~くそオヤジ、シネ」と言って家を出て行ったきり、後は連絡もしないで会うことなかった。
それからまもなくして、次の仕事が見つかり県南の方へ住み込みで仕事する事になった。
元々動物が好きで、動物関係の仕事に就きたいと思っていたのでやってみることにした。
その仕事が、愛犬と警察犬の訓練所だった。
そこの訓練所は所長さんと奥さんと息子さんの三人でやってる所で、二階が住居になってる一室に住み込みで働くことに。
そこの所長さんがとてもいい人で、行った事無いところに色々と連れて行ってくれた。
確か17才になって少したってからか、父親の夢をみた。
何もない白色の建物ばかりの所で、父親が手招きをしている。近くに行こうとしても中々近くに行くこともできなくって・・・。
っていう変な夢を見てしまった。
そしたら、奥さんが電話だよ。と言いにきた。
内容は「父親が危篤で早く帰って来い」って連絡だった。
そこの所長さんに事情を話休みをもらう事にしました。
ところが着いた時にはもう亡くなって家に帰って来てると言われ、直ぐ様家に帰った。
なんであの時あんな言葉を言ったんだろうと後悔ばかりしてしまい、泣きつかれてそのまま寝てしまっていた。
あんな事があったから、弟は来ないし、お兄ちゃんっ子だった妹もお兄ちゃんが行かないなら行かないって言って、葬儀に参加したのは自分だけだ。
一週間休みをもらって母親の所にも顔だし、また職場に帰っていった。
そこの職場では優しかったのは所長さんだけで奥さんは何かすると手をあげる人だった。犬舎を洗うデッキブラシで頭を叩かれたり、シャワー式のヘッドで頭を叩かれホースから外れたり、壊れたりするぐらい強くたたかれ朝から水浴びするくらい濡れたりした。
それは自分が何度も同じ事を言われても何の進歩もしないからだと思って頑張っていた。
犬の指導は息子さんにしてもらったりしていたけど、たまに失敗して怒られる時は犬の首にするチェーンで叩かれ青くアザになったり、おもいっきり蹴られ歩くのが大変な時もあった。
普段は優しい人達だから自分がきちんとやって頑張れば大丈夫なんだ!って言い聞かせてきた。
そんなこんなんで、三年半たった頃だったか、所長さんが体調を崩して入院をした。一時期は退院もして良くなったんだなって安心したんだけど、また病院に戻りその二日後に亡くなった。
亡くなる日の午前中に所長さんが事務所で仕事してるの見ていたのにって思っていたんどけど、その姿が点滴のスタンドを持って来て、自分が犬達の世話をしてるのを見ていた。
戻って来たときには居なくなっていてなんだったんだろうと?不思議に思っていた。
その時にいたのは自分だけで、奥さんも息子さんも居なかったから。
その日の夜中に還らぬ人となって戻ってきた。
それには自分もビックリしてしまい、どうしたらいいか解らなかった。
それから半年後に四年勤めた訓練所を辞めて帰ってきた。