8.かわいい
「彼氏のふりを、してくれませんか」
いきなりの、想定外過ぎる発言に、晴彦は「へ?」と間抜けな声をあげた。
一方の千里は、相当思いきって言った割に、
「や、やっぱり、いい! いいです、ごめんなさい!」
と前言を翻す。
「いきなりヘンなこと言ってごめんなさい。やっぱり、いいです、いいから。忘れて。ごめんなさい」
うろたえる彼女に、
「落ち着いて、鈴木さん」
晴彦はかえって冷静になってしまった。
今にも席を立って逃げ出しそうな千里を両手で制して。
「なんだか事情は知らないけど、とりあえず話だけでも聞かせてくれないかな?」
「一度会っただけの俺に声かけてくるなんて、よほど困ってるんじゃないの?」
「メッセージくれるのだって、相当思いきったでしょう?」
「せっかく勇気出して言ったんだから、全部言っちゃったら?」
「聞くよ?」
千里は目元から頬を赤く染め、俯いて固まってしまっている。
それからまた、しばらく沈黙が続くのだけれど、一度口に出してしまったからか、先刻よりはスムーズだった。
観念したように話し始めた千里の事情とは、こういうことだった。
「幼なじみの男友達がいるの。同い年で、小学校どころか、保育園まで遡れて、ずーっといっしょだったから、ふたごのきょうだいみたいで」
その男友達が結婚するという。
婚約者に紹介する、とのことなのだけれど、その際、彼がいうには。
“どうせお前彼氏いないんだろ。小さい頃から全然モテないもんな。俺の彼女、かっわいいぞー。紹介してやるよ。彼女を見習って少しは女らしくしたら、誰か寄ってくるかもしれないぜ”
「って、バカにしてくるもんだから、ついムキになっちゃって」
「それで、彼氏いる、って言っちゃったんだ」
「……そう。それで、何しろ保育園からのつきあいだから、友だちも共通でみんな知ってて、彼氏役なんて頼める人いなくって」
「…………」
「……ごめんなさい。呆れたでしょ、バカバカしいよね」
「いや、……呆れた、っていうか、さ」
「えっと、鈴木さんって、彼氏、いないの?」
心の底から不思議そうに、疑問を噛みしめるように発してしまった。
「……いたら、こんなこと頼んでません」
ぷい。とそっぽを向いて拗ねたように言う。
やっべ。かわいい。
めちゃめちゃかわいい。
晴彦は思わず笑みが浮かんできてしまって、でもこのタイミングで笑ったら即死必至なので決死の思いで堪える。
口元をおさえて俯く晴彦に気づいて、千里は「あ」と、すまなそうに向き直った。
「ヘンなこと言って、本当にごめんなさい。断ってくれていいから。本当に」
「いいよ。やるよ」
なんとか笑いの発作を飲み込んで、つとめて何でもないふうに応えた。
「おもしろそうじゃん。俺たぶん、そういうの得意だよ。やったことないけどさ」
愉快そうに言った。
驚いたことに、幼なじみとその婚約者に会う約束は、三日後だという。
「うっわ、ぎりぎりじゃん! もっと早く言ってくれればいいのに」
千里としても、さすがにこんなバカバカしいことにつきあわせるなんて悪い、と迷っていたらしい。
「正直に、彼氏なんていない、って白状しようかとも思ったの。まさか、佐藤さんが引き受けてくれるなんて思わなかったし」
「ハル」
「……え?」
「ハルって呼んでよ。みんなそう呼ぶ」
「…………ハル?」
「そう。OK、チリちゃん」
「チリ、って、なに? この間も言ってたけど。私の名前、“ちさと”って言ったよね?」
「まあ、いいじゃん」
「……わけわかんない」
「いいよね? じゃあ、チリちゃん。さっそく作戦たてようぜ」