6.つきあってないからね?
「それにしても、今日初めて来たっていうおじさん、高橋さん?だっけか、すっげーいい人だったね。かっこいいし、品があって落ち着いてて、紳士、って感じ。憧れるなー、俺」
「確かに、ハル兄にはない要素ばっかりだね」
「認めるけど、もう少し歯に衣着せてくださいよ、梨香ちゃん先生」
梨香と千里の後ろを遠慮がちに歩いていた晴彦だったけれど、なんとなくどさくさまぎれに距離をつめて、3人並びのポジション取りに成功した。
千里の態度の硬さはだいぶ和らいで、でも、少し気まずさが残る。
その気まずさをやり過ごそうと、いつも以上に饒舌になった。
「年配の男性でタイ料理に興味持つの珍しいかな、って思ったら、息子さんのお嫁さんにつくったげるんだって言ってたな」
「あ、ハル兄も聞いてた? ご次男のお嫁さんだそうなんだけどさ、つわりがひどくて怪獣みたい、って、おっかしいよね。“ギャ~ス!って火ィ噴くんだよー”とか、ニコニコしながら言うんだもん、そんなん笑うわ」
「怪獣は笑った。“自分で自分が止まらないんだよー”ってびーびー泣くんだって。つわりって大変なんだなー」
「うん。もともとよく食べるお嫁さんなのに、全然食べられなくなったみたい。それが最近突然、“パッタイが食べたい”って言い出したから習いに来たって。いいお舅さんだよね」
「いやしかし、怪獣嫁ウケるわー。イライラして当たりちらすのは厄介だろうけど、あれね、あのセリフ」
「さんざんわがまま言って暴れたあとに、“ごめんなさい愛してるー!”って」
「かわいすぎる。俺もそういう奥さん欲しい」
「えー。面倒くさくない?」
「俺、面倒くさいコわりと好きだよ」
ふいに、梨香が何かに気づいたように千里に向き直り、
「あ! ねえ鈴木さん、誤解されたらやだから言っとくけど、私ハル兄とつきあってないからね?」
念を押すように言った。「は?」と怪訝に返す千里に、晴彦はなんともいえない表情で言い添えた。
「ああ、うん。俺いま彼女いないし、確かに、つきあってない。けど、わざわざ言わなくても、そうは見えないだろ」
「それが、じゃれてる喧嘩ップルに見られたことあるから、とりあえず言っとかないと、と思って」
「喧嘩ップル? 俺そーいうタイプじゃないからなー。つきあうコにはめちゃめちゃ優しくするよ。ベタ甘になるよ」
「知らないよどーでもいいよハル兄のつきあい方なんて」
「食い気味に返すなよ。……弥生経由で俺と知り合うコは、ガチで妹分になるんだよなー。しかもみんなチャキチャキ系で兄貴をこきつかう。弥生の友達だからって類友過ぎるだろ」
「へー。そういう態度なんだ? 今日のこと弥生に言うよ?」
「すいませんごめんなさい何でもしますからそれだけはお許しを」
そうこうしているうちに私鉄の最寄り駅に着いた。
「私、上り線のホームだから、こっちね。ハル兄は反対方向だよね」
「うん。鈴木さんは?」
「……下り」
「……じゃ、俺といっしょだ」
微妙に視線が混ざり合い、雰囲気を探るように交錯する。
ふう。と、千里はため息をつき、そこにわずかな苦笑の気配がこもる。晴彦の方を向き、
「もう、いいです」
と言った。
初めて彼女の声を聞いたような気がした。警戒と嫌悪の武装を解いた、彼女の本当の声。
目を瞠る晴彦に、表情を和らげる。
「かえって気を使わせてごめんなさい。そんなに申し訳なさそうにしないでください」
「……鈴木さん? えっと俺、さっきは」
「本当に、もういいです。謝ってもらったし」
私、怒りすぎでしたよね。
そんなことない。と、反射的に謝りそうになる晴彦を梨香が制した。
「それじゃ、ハル兄、私ここで。鈴木さんを送ったげてね。鈴木さんも、バイバイまたねーおつかれー」
反対方面のホームに続く階段に身を翻し、さっさと去っていった。
……逃げやがったな。
それでも、だいぶフォローしてくれたほうだけれど。
「……行こっか?」
晴彦が声をかけると、千里も素直に「はい」と応じた。
「……ね、鈴木さん、服とかどこで買うの? ホンットおしゃれだよね」
「……………」
「ヤバ。またマズった?」
応答がなくて慌てる晴彦に、千里はまたため息をついた。今度はもう少し、苦笑の割合が多い。
「いえ。いいです、慣れてきたから。佐藤さん、イタリア人なんですもんね」
「ちがうし日本人だし。あ、ねえ、俺のことはハルでいいよ。晴彦のハル」
「……呼びませんよ」
「遠慮することないのに」
「懲りない人ですね……」
千里は呆れた顔で応じ、晴彦はようやく調子を取り戻して、ははっ、と笑った。