3.らしくない
その後、晴彦は調理や試食の間も彼女からはできるだけ距離を置き、というか、内心での“チリちゃん”呼びも見すかされるのではないかと思うような目線にビビりつつ、なんとかやり過ごした。
「……食った気がしねえ」
同じ班の女性たちから「男のコなんだからいっぱい食べて」と大盛りにしてもらった上にあれこれお裾分けまでもらって平らげ、胃袋は十分すぎるほど充満したのに満足感とはほど遠い。気まずくてほとんど味がしなかった。
他の受講者は既に帰途につき、授業が終わった調理室はすっかり片付いている。
晴彦は作業台のシンク脇に寄りかかり、心持ち傾いた姿勢で呟いた。
「あー、もう、俺何やってんだかなー……」
「ハル兄ちゃん、大丈夫?」
講師の女性がミネラルウォーターのペットボトルを手渡す。
「……ありがと、梨香ちゃん先生。なんかごめんね」
料理教室の講師・相宮梨香は、晴彦の妹・弥生の調理専門学校時代の同級生だ。弥生を介して、たまに教室受講を誘ってくる。
教室後の点検をする梨香につきあって彼も残っているのだった。
「それにしても、珍しいね。そこまで空回りしちゃうなんて、ハル兄らしくないなあ」
「あー、うん。今日俺、全然意味なかったよね」
「意味ないとか、別にそこまでのことじゃないでしょ。いつも助かってるし、たまには、普通に料理習ってけばいいじゃない」
ヘンなとこで律儀なんだから。
梨香は呆れた顔をした。
「さてと、帰ろっか。ハル兄、私事務室に用事あるんで、あと10分くらい待ってくれる?」
「わかった。玄関出たとこにいるよ。少し風に当たりたい」
玄関の自動ドアを出て、軽く伸びをする。時刻は21時を過ぎたあたり。
料理教室が開催されている施設は最寄り駅から徒歩10分ほど。さほど距離があるわけではないけれど、途中に人気のない路地を通らなければならない。
受講者たちはできるだけ連れ立って集団で帰るように推奨されていて、皆早々に帰ってしまった。玄関先にも誰もいない。
ボディガード、というほど腕っぷしに自信があるわけではないけれど、一応は男である。梨香を送って帰るのが晴彦の役目なのだった。
それにしても、今日の俺はどうかしてる。空回り、とはまったく言い得て妙だ。
どうしてあんなに不躾に、じろじろ見つめてしまったんだろう。
もっと距離感覚あるはずだし、そつなくやれるほうなんだけどな。それとも、自分で思ってるほどコミュ力ないのかな?
やれやれ。
と、自己嫌悪にため息をついた瞬間、背後で自動ドアが開いた。
梨香だ、と思って振り向くと、そこにいたのは思っても見ない人物だった。
「チリちゃん?」
ヤバ。
驚きすぎて、思わず声に出た。
眉間に皺が寄せられ、彼女の不快そうな表情を見てとって、慌てて言い添える。
「じゃなかった。鈴木さん。ごめん、勝手に名前呼んじゃって」
ああ、言い訳がましさが余計に不審者っぽい。超アヤシい。けれど、狼狽しすぎて立て直せない。
「……なんなんですか、さっきから、いったい」
いきなりちゃん付けとか。馴れ馴れしい。
反応は威嚇混じりの警戒MAX。無理もないけど。
あー、もう。どーしよう。
晴彦は追い詰められた気分で頭を抱えた。