23.冷凍うどん
「うち、なんにもないんだよなー」
ようやく目を覚ました晴彦は、大して広くもない台所のあちこちを覗いて食事になりそうなものを探した。
「普段は料理しないんだよ。料理するときは完全に趣味道楽で、食材の買い置きもしない。唐辛子のコレクションだけは大量にあるけどね」
「……だから、コンビニ行ってくるってば。10分くらいのとこにあったよね?」
「こんな時間にダメだよ。行くなら俺も行くから。その前に、ちょっと待って。なんかあるかもしれないし。……そうだ、あれがある」
冷凍庫から出してきたのは、簡易なアルミ鍋の鍋焼きうどん。そのまま火にかけて煮るタイプのもの。
「非常食。風邪ひいたとき用のやつね。これちょうどいいんじゃない? どう、チリちゃん、うどんでいい?」
「非常用なんでしょ? いいの?」
「いいよ。大事な彼女がお腹空かしてるなんて、非常事態だろ」
「……ハルってば」
恥ずかしい。
呆れ気味に頬を赤らめる千里をおもしろそうに見やって、晴彦は上機嫌に温め調理を始めた。
「チリちゃん、できたよ。 熱いから気をつけて」
「うわ。おいしそう」
「七味、どれにする?」
目の前に七味唐辛子の小瓶や缶が十数個、ずらりと並べられ、千里は思わず笑い出す。
「なにこれ、すごい。こんなに種類があるの」
「俺のお薦めは柚子七味かな。こっちのもゴマが香ばしくてうまいよ」
「そう? なら、柚子七味試してみるね。…………ハルは? いっしょに食べようよ」
「じゃあ、少しだけもらうよ」
お椀に少し分けて、向かい合わせに座る。
「いただきます」
「いただきます」
食事の挨拶が、なんだかくすぐったい。
「ん。これ、おいしい。ハル、ありがとう」
「冷凍モノってかなり美味いんだよ」
「麩が入ってるの、好き。だしがよくしみてふわふわ」
「だし巻き卵もいいよな。冷凍鍋焼きに必ず入ってるやつ」
「ハル、エビ食べる?」
「いいよ、チリちゃん食べなよ」
「鶏は?」
「いいから食べな」
ふふっ。と、突然、千里が笑った。
「変なの」
急に可笑しさがこみあげてきて、くすくす笑いが止まらない。
「何が?」
「だって」
怪訝に尋ねる晴彦に、さらに可笑しくなってしまう。
「だって、こんな時間に、うどん食べてる。ハルと。……彼氏と」
彼氏。彼氏だって。照れる。笑っちゃう。
「なんだそりゃ」
つられて笑った。
そんな晴彦を、千里は嬉しそうに見つめる。
ああ、これだ。と、彼は思う。
これが欲しかった。彼女の存在すべてが視線になって対象へと向かうような。
潔いほど真っ直ぐなその目で、自分だけを見つめて欲しかった。
横顔だけじゃ、足りなかった。
今、その瞳に、自分の姿が映っている。
愛おしさに眩んでしまう。
「ハル?」
千里が怪訝そうに晴彦を呼ぶ。
彼は自分でも気づかずに、目を細めて眩しそうに彼女を見つめていた。
「どうかした?」
「……ん。いや、何でもない。もっと食べなよ」
「?…………うん、いただくけど。へんなの。ニコニコしちゃって、どうしたの?」
「チリちゃんがあんまりかわいいからさ。俺、ずっと見てられる。動画撮っていい? ループして見続けるよ」
「ばか」
何言ってるの。
窘める声はわりと本気なのだけれど、心なしか甘い。
…………気のせいかな?
気のせいでも何でもいいや。
彼女がいる。
俺の傍に。
夜の底はとても静かで、今、この世界には晴彦と千里、ふたりきりしかいないように思われた。
ホカホカと幸せな湯気の向こう、嬉しそうな彼女。
浮かれてんなー、俺。と、自分でも呆れながら、晴彦はニコニコと千里を見つめていた。




