20.ちょろい
彼氏のふりをする、という作戦は、洋輔に千里の気持ちを悟られないように、というのが狙いだった訳で。千里の気持ちに整理がついたなら、もう彼氏役も必要ないだろう。
となると、どうやってフェードアウトするか、という撤退作戦になる。
晴彦は投げやりに溜息を吐いた。
「そういうことなら、俺のことは、調子いい男で他の女性にも手ェ出してブチ切れてチリちゃんが振った、ってことにでもしとけば」
「ううん、そうじゃなくて。……………………え、ハル。あの、そういう人、いるの?」
「そういう人?」
「その、他の女性。好きな人とか、気になる人」
「チリちゃん以外にはいないよ?」
冗談とも本気ともつかない応答に、千里は眉をハの字に寄せて口ごもる。
そうじゃなくて。何度も口の中で呟くようにぶつぶつ逡巡していたけれど、やがて、意を決して向き直った。
「あのね。実は、あれから、よく眠れなくて」
「………………うん?」
なんの話だろう? 晴彦は首を傾げる。
「いろいろ思い出しちゃって、恥ずかしくて、うわああああ、って暴れたくなる」
「ああ。よくあるよくある」
「よくあるやつだけど、それだけじゃなくって。…………ハルが、何度も“大丈夫”って言ってくれたこととか、思い出しちゃって」
「言ったとおり、大丈夫だったろ?」
「……うん。………………でも、大丈夫じゃない、みたいで」
「何が?」
話が見えない。
千里は、「ああ、もう」と、もどかしげに呻く。何度か躊躇ってから、観念したように続けた。
「……………ハルが。すごく優しい声で励ましてくれたこととか。頭撫でてくれて、抱きしめてくれて。バカなこと言った私を怒って、そのときのハルが、すごく悲しそうだったこととか。私をずっと宥めて、泣かせてくれて、眠るまで寄り添ってくれたこととか」
「油断すると、そういうの思い出しちゃって、忘れられなくなって」
「昨日だって。洋輔んちで、帰り際にニヤニヤしながら言われて。“お前、ずっとハルさんのことばっかり話してたよな”って」
「こんなにあっさり立ち直れたのだって、ハルのおかげだって、ようやくわかったの」
「だからって、あんまりだよね。図々しいよね。こないだまで、洋輔のことばっかりだったのに。なんなのこれ。本当に私、バカみたい」
「頭ん中、全部、ハルのことでいっぱいで」
「どうしよう、なにこれ。なんなのこれ。ねえ、ハル」
「ハル」
「………………なにか言ってよ」
ぷはっ。と、晴彦は吹き出した。
こらえきれなかった。
「ちょっろ」
片手で顔を覆い、肩をふるわせて、くくくく、と噛みしめるように笑う。腹の底から笑えてきて、たまらない。
「チリちゃん、ちょろい。ちょろ過ぎ」
「俺のこと、好きになっちゃったの?」
ははははは。マジで。
「俺に、会いたかった? チリちゃん」
「………………なによ。そんな言い方って」
「ごめん。でも、いいんじゃん? ちょろくても。俺もちょっろいから、ちょろい者同士でさ」
息も絶え絶えに、笑い転げながら告げた。
「好きだよ、チリちゃん。俺とつきあって。俺を、本当の彼氏にしてよ」




