18.来ちゃった。
千里からなんの連絡もないまま、二週間が経つ。
晴彦は、縁がなかったってことなんだろうなあ。と、諦めかけていた。
もちろん、自分から連絡しようとも思った。
でも、あのときの、千里の嘆きようを思うと「ないな」と溜息しか出ない。より正確に記すなら、「(俺が彼女の心を得られる可能性は)ない(し、ていうか“俺=決定的にフラれた傷心の夜”のイメージ固まっちゃってるだろうし、連絡したらフラバじゃないか)な」。
それに、晴彦にとっても、結構ツラい。いくら不憫慣れしていたとしても、あの夜はダメージ甚大だったのだ。
という次第で、つまり、ほとんど諦めていた。
いつの間にか、気づかぬうちに体の一部を失ってしまったような気持ち。
でもそれも、いつか気にならなくなる。はず。
そのはずだったのに。
「来ちゃった」
玄関を開けると、そこにいたのは千里だった。
世間で言うところの夕飯どきを過ぎて、そろそろ深夜の入り口、くらいの時間帯。なんとなくかったるくて、部屋でぼーっとしていたところ。
呼び鈴が鳴って、こんな時間に誰かと思えば、彼女。しかも、悪戯っぽく「来ちゃった」とベタをかまされた。
呆気にとられて何も言えずにいたら、彼女は申し訳なさそうに表情を変えた。
「ごめんなさい。お詫びしなきゃ、ってずっと気になってたんだけど、その、なんだか気まずくって、それにあれからちょっとバタバタしてて。日にちがあいたら余計に来づらくなっちゃって、こんなに遅くなっちゃった。本当に、ごめんなさい」
これ、うちのショップで扱ってるワイングラスのセットなんだけど。それとワインも。と紙袋を手渡してくる。
「ああ、うん。わざわざどうも」
なんといってよいものか、無愛想に薄い応対になってしまった。
千里は少し戸惑って、それから、ドアの奥にちらりと、部屋に入れてくれないの?的な視線を寄越す。
晴彦は溜息を返した。
「ダメだよ。ひとり暮らしの男の部屋に、しかもこんな時間に入ったりしちゃ」
彼女は鼻白んで不服そうに、
「……あの状況で何もしなかった人が、今日はオオカミになっちゃうの?」
下手な挑発をしてくる。
「…………あのね」
本気で怒るぞ。と、ド説教をかますべく息を吸い込み、それと察して千里は再び「ごめんなさい」と謝った。
今度はきちんと礼儀正しく、畏まって態度を改め、深々と頭を下げる。
「このたびは、ご迷惑をおかけしまして、誠に申し訳ありませんでした。また、ご挨拶が遅くなりましたことも重ねてお詫び申し上げます。助けていただいて、ありがとうございました」
それから、小さく溜息を吐いて。
「急に、ごめんなさい。失礼しました」
踵を返そうと、玄関から離れた。
そのとき、一瞬、泣きそうな顔が閃いたような気がして。あのときの、迷子の子どもみたいな寄る辺なさを思い出す。
思わず「チリちゃん」と呼び止めていた。
「寄ってけば?」
「……いいの?」
「“来ちゃった”んだろ?」
しょうがないな、まったく。
玄関を通された千里は、何かを確かめるようにきょろきょろと部屋の中を見回す。軽く息を吸い込んで、何やら物思わしげに頷いた。
「どうしたの?」
「……ちょっと、あのときのこと、思い出して。自己嫌悪と戦ってた」
こめかみあたりで頭痛を宥めるみたいな仕草をする。
「まあ、結構酔ってたからね。気持ち的に修羅場だったろうし、しょうがないんじゃない」
「ハル、私に甘過ぎ」
「確かに」
苦笑気味に返した。
「それで、あれからどうしてたの?」
部屋の隅に立ち尽くし、座ろうとしない千里を促しつつ、話を向けると。
「…………なんていうか。ちょっと、困ってる」
……おい。なんかそれ、厄介な話の前フリなんじゃないの?
的な、不穏を感じる。ヤバいぞこれ。
「洋輔と久美さんが、結婚披露宴の二次会の幹事やってほしいって。私と、ハルで」
やっぱりそういう話かよ(頭抱え)。




