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Prik Kee Noo  作者: ムトウ
10/23

10.ひどいや

 晴彦の妹・弥生の修業先は、妹の名と同じ、“弥生寿司”という。

 カウンターの端の席は晴彦の定席で、その隣で話の相手をするのはがし のぞむ


「……で、明日がその、婚約祝いの食事会なんだ?」

「うん……」

 いつも軽妙に賑やかしい男が、ノンアルコールビール+麦茶という奇っ怪なブレンドを傾けつつ、心ここにあらず、といった風情。


「また妙なことに巻き込まれちまッて」

 呆れる弥生に、

「でも、ハルらしいと言えば、らしいかな」

 八重樫は苦笑交じりに、感心したように言った。

「アドリブもきくし、彼氏役としてはベストな人選じゃないか? その女性、ハルのことよく見てるんだな」


 晴彦は、彼氏役を頼まれた、という話はしたけれど、千里と幼なじみの事情までは言わない。ましてや、千里に対する自分の心情も打ち明けるには至らない。

 彼はぶっちゃけるタイプに見えて、意外と肝腎なことは口が堅い。

 それと心得ている弥生も八重樫も深く尋ねはしないけれど、どうやら晴彦が何事か思い憂えているらしいことは察した。

 八重樫のセリフも聞いているのかいないのか、うわの空だ。

 弥生と八重樫は顔を見合わせて肩をすくめる。



「八重樫さん、お待たせしました、持ち帰り鮨4人前ね」

「ありがとう。自家製のガリもつけてもらえましたか?」

「もちろん。別添えでたっぷりめにご用意しましたよ。マリエさんお好きですもんね」

「珠美さんも気に入ってるみたいで。念を入れて頼まれましたよ」

 八重樫はこれからマリエ宅を訪ねる予定で、土産の鮨を調達しに寄ったのだった。珠美はマリエと同行して先に行っているらしい。

 マリエや珠美の名を聞いても、晴彦はなんの反応もない。いつもなら「ふたりによろしく。マリエさんの夫さんも、お大事に」と挨拶を寄こしてくるのに。


 これは相当重傷だ。

 とは言え、何ができるわけでもなく、ほうけっぷりに苦笑するくらいで。

「ハルのことだから、うまいことやるだろ。明日、がんばって」

 八重樫は大事そうに折り詰めを携え、店を去って行った。



 晴彦はノンアルビール麦茶(麦茶を足すと麦の香りが増してよりそれっぽくなる、とか戯言を吹いてる)を飲みながら、ぼんやりと感慨に耽る。


 思い出されるのは、千里の声。表情。仕草。

 初めて会ったときの、鮮烈な横顔。真っ直ぐな視線。不機嫌そうに眉を寄せる表情。

 警戒を解いてからの、柔らかく深い声。すぐには馴れない。かしこまった距離感から、ときおりひらめくように表れる笑顔。不意打ちの茶目っ気。


 そして何より、“彼”のことを話すときの、いきいきとした饒舌。

 くるくると表情が変わり、話すほどに“彼”に関することを思いついて、嬉しそうに笑いながら。

 はしゃいしまう自分にハッとして、饒舌を抑えようとして、でも、結局こらえきれずに話してしまう。


 洋輔とか言うらしい、“彼”はよく気づかずにいられるものだ。あんなにまっすぐに気持ちを向けられているのに。


「言わないの?」

 と聞いてみたら、千里は

「だからそんなんじゃないし!」

 と繰り返してごまかし続け、けれど、結局ごまかしきれずに、途方に暮れた子どもみたいな顔をした。


「言わない。絶対」

 言ったって、誰も幸せにならない。


「彼女のことを話す洋輔を見たら、何も言えなくなる。あんな笑顔初めて見た。あんなに優しい声で話すの、信じられない。バカみたい。洋輔なのに。いつもふざけてばっかりなのに」


「……それでいいの? 後悔しない?」

「後悔なんてとっくにしたよ。死ぬほどした」

「…………」

「どうして、ちゃんと伝えなかったんだろう、って。あのとき言ってれば、って。でも、だとしても、どうにもならなかった。きっとそう。わかる。わかっちゃうの」


「それでも、言うべきだ、って思う? 私は思わない」


「今まで通り、幼なじみでいられなくなるかもしれないから? 確かにそれも怖いよ。でも、それよりも。洋輔の幸せが曇る。それが嫌。絶対嫌」


「私の気持ちなんてどうだっていいの。私にはちゃんと彼氏がいて、洋輔のことなんかなんとも思ってないし、ただの幼なじみだし。って、洋輔はそう思ってればいい」


「ふたりにはちゃんと笑って“結婚おめでとう、幸せにね”って、言いたいの。言うの」


「だから、お願い、ハル。協力して」




「………………勝手だよなあ」

 完全に巻き込まれている。利用されてる。

 なのに、怒りや苛立ちは感じない。

 ただ、放っておけない。


 あのときの彼女はすごく綺麗で。


「ひどいや」


 あんなに綺麗だなんて。

 ひどい人だ。





八重樫望と珠美さん、マリエさんは「Ginger」「Vanilla」の登場人物。

晴彦の妹、弥生は「Vanilla」と短編「Wasabi」に出てきます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あっ、やっぱり……不憫男子続行中なのですねw ハルくんが紛い物じゃなく、誰かの一番になれる日を祈ってます。が、そこにいたる紆余曲折を楽しみにもしています(ひどい)。 八重樫氏スキーなので、…
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