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ティーフィーはこの話を聞いて驚愕した。
「お…兄様?」
アルスは力強く頷くと、かがんでティーフィー達に目線を合わせてにっこり笑った。
「改めまして。14年ぶりだね、ティーフィー。、、初めまして。ステアにメルガ。フーっ…さっき死んだって聞いたときは焦ったよ〜。」
ステアは、姉の肩から手を離して軽く会釈した。
「初めまして。お兄様。」
「初めまして~!」
それにメルガも続く。
「うんうん。良いねぇ。妹って感じだ!」
アルスは呑気に大きな声で笑った。
「…ところでお兄様。話に出てきたエルバという男性。もしかしなくてもここのコック長のエルバ・イースグラムさんですよね?」
ステアがそう続けるとアルスは大袈裟に驚いてこう言った。
「ええっ!あいつコック長なんてやってんのか?俺と同じ歳で…生意気なっ!ってか、なんで姓違うの?イスムラーバだよな?」
「お父さんが亡くなって、お母さんの姓に変えたって言ってたわ。」
ティーフィーが答えると、アルスは少し間をおいて苦笑いをした。
「…そうか。そんなこともあったんだよな。」
すると、そこでメルガがアルスの袖口を引いた。
「ねぇねぇ…お兄ぃちゃんなの?」
「そうだよ。えっと、メルガ、だっけ。」
「うん!小さくないからね。」
メルガはわざとらしく背伸びをして兄の顔を見上げた。
「メルガは今何歳なんだ?」
「7歳!」
メルガが笑顔たっぷりにそう言うと、アルスもすっかり笑顔になってメルガを抱き上げた。
「参ったなぁ。14も歳の違う妹か…こんなのがそばにいたらついつい甘やかしちまいそうだ。」
…「マジかよ。なんも答えてくんねぇな王サマ。」
「ああ…予想以上だぜ。」
ドアが開く音がして、若い男二人が肩を寄せ合って歩いてくる。
ティーフィーが声のする方に目を向けると、丁度男達が城を出ようというところだった。
「あの!」
「んん?」
一人が足を止めて振り返り、もう一人もそれに気づくとティーフィーに近づいてこう言った。
「なんだ、お前。」
ティーフィーは咄嗟に出かかった言葉を飲み込んで落ち着いてから口を開いた。
「謁見はどうだったんですか?あなた方ですよね?」
その様子に男はため息をつくと話し出した。
「ああ。もうダメだなありゃ、王サマ、何も答えてくれやしねぇし。あいつの言った通りだったぜ。」
「あいつって?」
「俺らの友達が2週間前に行ったんでー、どうだった?つったら、王サマ全然話聞いてくんねぇって言ってたんだよ。」
「…ホント、行くだけ無駄だぜ。」
もう一人も口を揃えると、さっさと後ろを向いて去って行ってしまった。
「…あ、ありがとう..ございます。」
後ろ姿を眺めながらティーフィーはそう呟くと、妹達の元へ戻った。
「どうしたんだ?」
アルスの完結な一言にティーフィーは小さく首を振って、はっきりと口にした。
「なんでもないよ。私たちが会いに行くのは王様じゃない。お父さんと弟なんだから!」
ステア、メルガがそれぞれ頷くと、アルスも満足げににっこり笑った。
「ーーフィリス殿、それと、お連れの方々。準備が整いました。謁見の間へ。」
カナンさんの重々しい声で、長らく静まっていた鼓動が再び激しく脈を打ちだす。
そして、それはアルスとて例外ではない。口をぎゅっと結び、真剣な眼差しで歩きだす妹達を横目に、アルスの手のひらは、とても強く握られていた。
一方ティーフィーは、震える手首で冷や汗を拭って、大きく息を吸い込んだ。
「行こう!」
重たい扉を開かれて、入った空間は妙な威圧感はあるものの、ティーフィー達にとっては、間違うことのない自分の《家》だった。
高い天井にはめ込まれたステンドグラスは相変わらずセンスを問いたくなる派手なデザイン。長く広がった赤いカーペットの先で、王は玉座に座っていた。
メルガは興味深そうに辺りを見回してから、ぎこちない動作で歩き始める姉達に着いて進んだ。
真っ白の壁に刺繍された金飾りは、アルスが子供の頃、母親が付けさせたものだった。それに気づくと、アルスは視界が歪んで行くのを止めることができなかった。母親の死は、エルバによってしっかり伝えられていた。
久しぶりに帰ったというのに、良いことなど何一つもないな…。
アルスはそんなことを考えながら進んだ。悪いのは自分で、目の前にいる妹達にもたくさんの迷惑をかけている。分かっていてもなお、否定しようとする心がアルスの中にはあった。
ティーフィーは皆より一足先に、玉座の前に立つと、よく通る声で王にこう告げた。
「最後にお会いする機会を頂いたこと、感謝します。」
ティーフィーが敬意を払うよう身を屈めると、ステアもそれに習って頭を垂れた。
メルガは、オロオロと二人を見比べて、結局立ちっぱなしだったアルスの後ろに隠れるように飛び込んだ。
して、少しかがんだ姿勢になった王の視線は、一番後ろに立つ、アルスに注がれていた。
ステアは王を見上げるが、答えが返ってくる気配はない。
「…姉様。言っても良いでしょうか。」
頭を下げたまま息を殺して姉に問う。けれどもティーフィーは顔を歪めるばかりで動こうとしなかった。
「…それでは私が言います。」
ステアは大袈裟に自分のローブを引き剥がして王の真正面に立った。
途端、煌びやかな装飾品に光が反射してステアを照らした。
「ちょっと、ステア⁉︎」
ティーフィーはそれに気づくと、止めるようにステアのドレスの袖を引いた。
「姉様。会いに来たんでしょう。お父様に。」
「…ステア。」
ステアは大きく一歩を踏み出すと口を開いた。
「お父様。私達がわかりますか?」
王は低い唸り声を発しながらステアに視線を移した。
「お父様!私はステアです!ステアと、ティーフィーと、メルガと、…アルス兄様です!!」
叫ぶ。
父の耳に届くように。伝わるように。
アルスは少し肩を震わせると、力なく微笑んだ。
「アルス…。あのバカ息子か。」
王が声を発すると、さっきまで何かが響いていたような音も消え、部屋全体が静まり返ったようだった。
「父さん。出ていってごめん。全部俺の所為なのに、謝りにも来なくてごめん。」
不意にアルスが進み出てそう言うと、王は満足そうに頷いた。
「良い。もう一目お前を見たいと思っていた。」
「え…?」
アルスは拍子抜けしたようで気の抜けた声を返した。それはそうだろう。王位を放棄し、友人を巻き込んで家出した挙句城の皆の苦労を知りながら呑気に世界を旅してたような奴が帰ってきたら、普通こっぴどく叱るだろう。そして再会を喜ぶか…。
てことは?
アルスは不意を突かれたように黙り込んだ。
「…父さん。そんなすぐに死んだりしないよな?」
「わからんぞ。私は割ともう長くない。」
この言葉にはティーフィーもステアも驚きを隠せなかった。その事実はともかく、自分の父親が、王が、自分からそんなことを言うとは想像もつかなかったのだ。
「お父様…。」
ステアはそう呟くと俯いて表情を暗くした。
その様子を見たティーフィーは、静かに立ち上がってローブを脱いだ。
「お父様、私達はお願いがあってきたのです。…弟に、エデンに会わせてくれませんか?」
小さく、でも、それでいて凛と張った声はこの空間によく響いた。
張り詰めた空気の中、王はゆっくりと立ち上がって頷いた。
「…私がいなくなったらあの子の面倒を見れるものはいない。それどころか、今は代わりに政治を行える者もいない。アルス…お前がいれば心強い。まだ、幼いあの子を、支えてやってくれるか。」
王の答えはアルスに向けられたものだった。
アルスは歯を噛み締めて頷いた。
「ああ…。王位を継ぐのは俺の弟だ。あいつが大人になるまでは、俺が、このアルス・ファイントスがこの国を守ってやる。」
ステルバ王は、やはりいつになっても変わりやしない。
国を守り、国をまとめ、国を繋いでいく。
たった1人でその任を任され、これまでずっと努力し続けてきたのだ。
伝統を守るため、王位継承権を男児に限定し、この先不自由のないように必死で様々な問題に取り組んだ。国民から支持を得て、団結力を強めた。自分が役割を終えたあとの継承者にやれる限りの教えを施した。
全部全部、その結果なのだ。
そう思うと、全部が全部、沸点の低い王の性格が導いた悪い結果ではないのだ。
エデンがいるからこの国は続いて行ける。アルスがいるから、この国はこれからも守られていくのだろう。
「心配すんなよ。14年前、散々期待されてた俺が付いてるんだ。」
アルスが少々笑いながらそう言うと、王もぎこちない笑顔をつくった。
そしてその眼差しは、14年前アルスに向けていた期待の眼差しによく似ていた。
ティーフィーは脱いだローブを抱きしめて2人を見つめた。たった今交わされた、その約束に期待を込めて。
ーーこれで、良かったんだよね。
ステアもメルガも、表情は、さっきまでとは打って変わって、とても穏やかなものだった。