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「お生まれになりました。元気な…女の子です」
「なんだと!どけ!」
「ステルバ様っ…」
王が分娩室に入ると言葉通り元気な赤ん坊が泣き声を響かせていた。
しかし、室内の空気は重く、誰もが顔をうつむかせている。
赤ん坊を産んだ王妃でさえ、入ってきた王のすがたに顔を強張らせていた。
眩しいくらいの灯がただ室内を照らし、赤ん坊の泣き声だけが響いていたーー。
この国、エメラニア王国に、三番目の王女が生まれて3年程が過ぎた。
国王ステルバは、外国との外交で長らく自国をあけることとなったが、代わりに政治を行っていた王妃や国の政治家に、国民はなんの不満も抱いていなかった。
ーエメラニア王国は栄えていた。
それほど特別な資産を持っている者も、貧しい暮らしに不自由している者も、働く場所がなくて困っている者もいなかった。言わば、現代社会で最も理想に近い国とも言えるだろう。しかしそのせいで、最近は他国から移住してくる者も多くなり、人口増加により食料不足が目に見えるほどになってきたのである。
ゆえに、王は移住制限をしたり、他国との貿易の場を広げようと国を出ることも多くなった。
さて、話を戻そう。この国に生まれた三姉妹、長女ティーフィー、次女ステア、三女メルガは王妃、つまりは母親と楽しい休暇を過ごしていた。それこそ、普段王の代わりに国民の前にたつ母と気安く語り合える大切な時間である。
しかし王がもうすぐ戻るということもあり、ティーフィーもステアも、うつむかずにはいられなかった。
「ねえ、お姉ちゃん、お母ぁさん、どうして怖い顔してるの?」
「…メルガ。怖い顔なんてしてないわよ、ほーら、ほらね!」
ティーフィーはステアの頬をつまみあげてメルガににっこり笑いかけた。
「お姉ちゃん変な顔〜!きゃはははは−」
メルガは姉に苦笑いを向け、ティーフィーはそっと安堵の溜息をもらした。3歳になって間もないメルガに心配させるようなことはあってはならない。
しかしそんなティーフィーを見て、母親の気持ちはますます暗くなった。
メルガはなにも知らなかった。
メルガが生まれた時、王は国をあけていていなかった。それから王は長らく国へ帰っていない。時々届く手紙に王の存在を知ってはいたが、メルガはまだ王の姿を見たことがなかったのである。今回王が帰ってくると知って一番喜んだのはメルガだった。
やっとお父さんに会える!
と喜んでいるメルガをみて、母や姉たちがどれだけ心を痛めたかわからない。
扉を叩く音がする。
王妃が顔をあげるとドアの内側に控えていた召使がほんの少し扉を開けて外の者の話を聞き取ると少々大きめの声で部屋の中に向かって繰り返した。
「王がお帰りになられました。家族一同、お迎えにあがるようにと。」
「わかりました。」
王妃は王女たちの手を取って立ち上がった。
従者の開いた扉をぬけると、そこはもう玄関前の大広間だ。
たくさんの共を従えて大広間に入ってきた王は、威厳も貫禄も何倍にもなっているように感じられた。
メルガは姉、ステアの手にしがみつきながら王の姿に呆然としていた。
「お姉ちゃん、あれがお父さん?」
「…そうですよ。」
ステアは、メルガから手を離し、今度は頭を撫でながら呟くように答えた。
突然ステアの手に力が入る。メルガが驚いて見上げると、ちょうど自分に向かって歩いてくる王様に気づいた。
「お姉ちゃん。」
「大丈夫です、お父様に挨拶を。」
「うん。」
ステアは解くことのできない握りこぶしを隠すように後ろで手を組んだ。
強張って力の抜けないその背中を、ティーフィーが力強く支えた。しかしその瞳はしっかり王へと注がれている。
「お父さん…?私はメルガだよ、です!は、初めまして…」
メルガはとてつもなく緊張しながら、どこか恥ずかしそうに右手を差し出した。
「お前がメルガか。」
しかし王がその手を握り返すことはなく、その手をはらい、驚いてかたまっているメルガを押しのけて王妃の前にのしのしと歩いて行った。ここにいる誰もがこの国の行く末を心配してその行動を静かに見守った。だがそんな訳にも行かなくなった。
王は王妃に近づくと、事もあろうに全力でその頬を叩いたのだ。
周りの従者たちがおろおろとしかし何もできずにいる中で、王の暴行は続く。
「お前が!何故男児を産まない!今度こそはと赤子の誕生を待っておったのに!女、女など、いくついてもなんの役にも立ちやしない!もうたくさんだ!こんな金を消費するだけの子なんか要らん!」
王妃は抵抗しようとせず、ただ悔しそうに唇をかむだけ。ティーフィーもステアも、うつむくばかり。特にステアは、生まれたときから父には酷い扱いを受けて、ずっと自分の存在を否定し続けてきたのだから、この言葉は改めて心に深い傷を作った。
メルガは信じられないといった様子で母の様子を呆然と眺めていたが、突然決意したように唇をぎゅっと結ぶと、父と母の間に割って入った。
「やめてお父さん、お母さんをいじめないで!」
そんなメルガの声に応えたのは声ではなく悪意のこもった拳だった。
派手な音が響いてメルガの小さな体がほんの少し宙に浮く。その体を受け止めたのはティーフィーだった。その瞬間にとんでもない勢いで床を蹴るとメルガの小さな体に飛びついた。
「メルガ!お願い子供を傷つけないで!」
「黙っていろ!あんなのに用はない」
「あ…あ…お姉様。」
ステアは今この瞬間何者でもなく自分自身を呪った。何故、この悪魔を押し倒してでも母親を助け出すことができないのだろうか。あんなに小さい妹が飛び込んでいったというのに。目の前の父親が腐っても自分の親だから、いや違う。こんなのは最初から父親などではない。じゃあ何故、この足は動こうとしないのか。それは長年の父親への恐怖のせいだった。ステアは小さい頃から、自分に対してすれ違うたびに嫌味を言い、嫌がらせをしてくる父親がただ恐怖の対象でしかなかった。
「お姉様、メルガ…」
ステアはガクガクと震える足を無理やり動かして倒れているティーフィーとメルガに手を差し出した。
しかしその手をティーフィーが掴む前に王が怒鳴り声をあげた。
「その者たちはもう私の子供とは認めない!捕え、処刑しろ!この国に王女は要らん!」
「「な…!?」」
どんなに王妃を傷つけても、この言葉が出ることだけは誰も予想していなかっただろう。この場にいる誰もがこの言葉に驚愕し、その指示に従おうとする者はいなかった。
「何をしている早くしろ!」
王は王妃をその足で踏みしめたまま再び声を張り上げた。ぎこちなく動き出す兵士たち。
王の足の下で王妃は呻き声を漏らしながら上半身を起こして王女たちに声を投げた。
「逃げなさい!どこか、遠いところに!ゔっ、ティー…フィー、妹たちをよろしくね。」
王は王妃を踏む足にますます力を入れながら逃すまいとこちらも声をあげた。
「捕らえろ!逃すな!あれはこの国の恥だ!」
ティーフィーはメルガを抱えて走っていた。
王のいる方向から背を向けるようにして、階段の下の廊下を通って裏口へ。裾の長いワンピースはこの際邪魔だから破って短くしてしまった。ステアは気が気じゃない様子でしきりに後ろを振り返っては表情を曇らせている。
なんでこんなことになってしまったんだろう。ティーフィーもステアも、頭を埋め尽くす物は変わらない。誰かが男でさえあったなら、誰もこんな目に遭いやしなかったのだ。
運命とは、時に残酷である。本当に。