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戦国ブロードウェイ  作者: ヴィエリ
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~過去 水野貴一郎~

「ここからは俺1人でいい。」


我が主君である陣内秀孝が奥の間に向かう廊下を渡っている途中で立ち止まった。


「何をおっしゃいます。私は殿の付き人でございます。殿をお1人にさせるわけにはいきません。」


私は状況が状況なだけに、周囲に注意深く目を配らせながらそう言った。


「そうだ。お前は俺の付き人であり、参謀でもあることは知っている。だったら我々の今の状況も十分に理解しているはずだ。」


隣国に攻め込まれて、10日は経過している。国を治めている象徴である我ら陣内家の城は城としての機能をもはや果たしていない。つまり、今までに経験したことのない程の危機的状況だということだ。


「貴一郎、お前は俺の家臣の中でも特に優れたやつよ。こんな老いぼれと心中させるのは惜しいと俺は思っている。・・・分かるな?」


主君として様々な戦局を好転させてきた秀孝の口から、自らの死をほのめかすような言葉が出てきたことが、この危機的状況をさらに裏付けていた。


「外で我らの勝利を信じ戦っている者たちも殿の優秀な家臣であり、私の信頼できる同士であります。その者達に背中を見せることは敵に見せる以上に恥ずべきことだと思っております。」

「これは俺の一存ではない。この戦の前に梶山などの重臣達との話し合いの末に出た結論である。」


城外から火縄銃と鍔迫り合いの音が聞こえてくる。

その音が日に日に大きくなって近付いてくる度に、敵が着実に我らの城に攻め込んできているということを実感する。


「そうだとしても、先程も言った通り私には出来ません。」


秀孝の付き人として、私は命令されたことは今まで確実に遂行してきたと自負している。

だが、それは秀孝のためであり、国のためであるということが大前提にあったからだ。私自身の保身のために自ら動くことは絶対に有り得なかった。


「さあ、それよりも奥の間に行きましょう。あそこには君子様もいらっしゃいます。」


いつ敵に出くわすか分からない状況だ。私はいつでも刀を抜ける体勢で秀孝を奥の間へと誘導する。


「・・・雪名もきっとそれを望んでいる。それでも断るか?」


秀孝の口から唐突に出てきたその名前に、私は僅かに反応した。いや、私のみならず陣内家の人間であれば、雪名という名を聞いて何も感じない者などいないだろう。

雪名とは秀孝の一人娘であり、もともと私は毛利朔太郎という同い年の家臣とともに雪名の目付け役を兼任していた。

器量が優れていて、なおかつ秀孝の娘ということもあり肝が据わっていて、その評判は我が国だけに留まらない程のお方であった。私も朔太郎も雪名の目付け役を天命と信じ、与えられたその任に日々従事していた。

だが、今回の戦が始まって5日目に事件は起きた。


「貴一郎、起きろ。」


この一言から全てが始まったことを今でも鮮明に覚えている。仕事上早朝に起きることが多いので、誰かに起こされることなど滅多になかった私は、朦朧とした意識の中、数時間視界を閉ざしていた重い瞼をこじ開けた。


「寝ている場合じゃないぞ。早く起きろ。」


最初に私の視界に飛び込んできたのは、満彦だった。


「・・・どうした?まだ日も明けていないじゃないか。」


私は仰向けの状態で頭だけを外に向けると、空はまだ薄暗く星もまばらに出ていた。日が昇るにはまだ随分時間がある。


「貴一郎・・・どうしたじゃない!雪名様と朔太郎が血だらけになって倒れているんだ!」


私は両目を擦ろうとした手を止めた。いや、私の意に反して止まってしまったと言ってもいい。


「本当なのか?」


聞くまでもなかった。私を見つめる満彦の目を見て、即座にこれは真実だと悟った。ましてや森満彦はそのような嘘を言うような人間ではなかった。秀孝に一目置かれている程の優秀な武士であり、同い年として長年切磋琢磨してきた私が最も信頼している人間でもある。


「では、2人は今どこにいる?」


私は覚悟を決めて、満彦を真っ直ぐ見据えた。


「殿の庭園にいる。早く来い!」


私と満彦は秀孝の庭園へとつながる長い渡り廊下を走った。何度振り払おうとも悪い予感はどこからともなくやって来て私の身体を支配していく。前にいる満彦の背中を追って、無心で走るしかなかった。


「こっちだ!」


庭園の近くまで来ると、満彦が所属する隊の隊長である梶山がこちらに向かって手招きをしている。普段秀孝と娘の雪名以外は立ち入ることが出来ない庭園に6、7人の人間が立って輪になって何かを囲んでいる。もちろん、秀孝の姿もあった。

大柄の男達が私と満彦に気がついて、作っていた輪を崩した時にその何かがはっきりと視界に現れた。


「今、医者が診てくれている。」


隣に来た梶山はどこにも焦点を合わせていないような表情で言う。

そこには2人の人間が並んで横たわっていた。朔太郎は仰向けになって、首から血を流して倒れていた。次に、雪名を見た。一件目立った外傷は見当たらない。


「雪名様は背中を切られていた。」


梶山の顔が一層険しくなっていた。そして、一番近くにいる私にも聞き取れない程の声で続ける。


「今から一刻程前に発見されたらしい。医者の話だと・・・おそらく2人とも厳しいとのことだ。」


医者と助手の2人が懸命に治療を続けていた。戦場では怖いもの知らずの屈強な武士達は為す術なく、刻一刻と悪化していくこの状況をただ立って見ているしかなかった。秀孝は、先程から私達に背を向けて次第に明け始めている空を眺めたまま、ぴくりとも動かない。

最期に雪名を見たのは、昨夜だった。昨夜は、戦時中ということもあり、現時点での戦の進行状況やもしものことがあった場合の対処について、付き人である私が雪名に説明をしていたのだ。


「これから私はどうなるのだろうか。」


寝間着に着替えて、布団の上に座っていた雪名が呟いた。


「敵の狙いは、この国と雪名様です。それは家臣達も重々承知しております。ですので、雪名様が心配することは何もございません。我が国の勝利をただ信じていればいいのです。」


雪名の曇った表情を察した私はそう言って、励ました。だが、単なる気遣いで言ったわけではなく、私もそう強く信じているからこそ出た言葉だった。


「そうだな、私もそう信じることにしよう。」

「そうですとも。それでは雪名様、私はこれで。このような状況ですので、早くお休みになられて下さい。」


まだ雑務が残っていたことを思い出し、雪名の寝室を出ようと立ち上がった時だった。


「ちょっと待て、貴一郎。」


背後から聞こえてきた声に私は立ち止って、雪名の方を振り返った。


「どうされましたか?」

「私にもしものことがあったら、お前はどうするのだ?」


やはりこれからのことが心配なのか、俯いている雪名の表情は暗かった。


「私はどんな状況になろうとも雪名様に最後まで付き添うつもりですよ。」

「その言葉、信じていいのだな?」


雪名が真っ直ぐ目を合わせて来たので、代わりに私は深く頷いた。


「もちろんです。そのためでしたら、私だってただでは死にませんよ。」


私が笑うと雪名もつられて微笑む。これが今日初めて見た笑顔であり、同時に私が最後に見た雪名の笑顔でもあった。


「そうか。つまり、お前を最後に看取れるのはこの私しかいないということだな。」

「ええ、その通りです。それが私の本望でございます。」


ドンという大きな爆発音が私を雪名のいない現実へと引き戻す。


「たとえ、それが雪名様のお願いであっても、私は出来ません。」

「・・・そうか。ならば最期まで私に付き合ってもらうぞ。」

「かしこまりました。では殿、先を急ぎましょう。」


秀孝の付き人としての任を果たすことが、雪名とこの国のために今の私が出来る唯一のことなのだ。

奥の間について慎重に襖を開けると、部屋の中は外の騒乱がまるで嘘のように静かだった。奥の間と呼ばれているこの部屋の右隅には、秀孝の母であるお静の位牌がある。私は幼い頃に数回しか会ったことがないが、古くから陣内家に仕えている家臣によると7年前に起きた戦の最中に亡くなったということらしい。


「戦の度にここへ来て、母に向かって祈りを捧げているが・・・今度ばかりは母の祈りといえど、我々を守りきれんだろうな。」


秀孝はそう言って、お静の位牌に向かって手を合わせる。秀孝の言う通り、いつ敵がここへ来てもおかしくない状況だった。その証拠に外から聞こえてくる音は、時間が経つにつれて次第に大きくなっている。


「外では家臣達が懸命に敵の侵入を食い止めているはずです。それに・・・雪名様もお力添えしてくれましょう。」


秀孝は位牌を見つめたまま、動かない。


「貴一郎よ・・・娘はなぜ死んだ?」


しばらく2人の間に続いていた沈黙を力の無い秀孝の言葉が終わらせた。


「・・・分かりません。雪名様、いや雪名様と朔太郎は敵である何者かに殺されてしまったとしか・・・。」


私も何百何千と考えた。だが、その理由は未だに分からないままだった。


「俺は死ぬ前に知りたかった。娘の背中に何のためらいもなく刀を抜いた人間の正体を・・・。」


秀孝は途中で言葉を詰まると同時に位牌から目線を外し、俯いた。背中越しでも泣いているのが分かった。雪名と朔太郎が殺されていたあの庭園で秀孝だけが皆に背を向けて、皮肉な程に青い空を眺めていた光景が思い出された。

私も知りたかった。今更知っても仕方がない状況と分かっていても、私はどうしても知りたかった。ふと位牌へと姿を変えてもなお陣内家を守って続けてくれているお静を見た。私はこの時初めて、人間以外のものにすがった。それを知るまでは死にたくない、と願ったのだ。


その時だった。


軽い目眩とともに、視界が霞んで狭まっていく感覚がいきなり私を襲ってきたのだ。全身を使って足掻こうにも全く身動きが出来ない。目の前にいる秀孝を呼ぼうにも声が出せない。

そして、あれ程身体中を巡っていた様々な感情が次第に消えていっていることに気が付いた。私の感情や意識が突如として現れた暗闇に吸い込まれていく。


そして、雪名を愛する私の感情もまた果てないその暗闇へと吸い込まれていくー。

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