~再会~
「ここまでが今回のテスト範囲だからな。皆、しっかり勉強しておくように。」
斎藤先生はそう言って、チョークを置く。
黒板にはテスト範囲が箇条書きされていて、クラスメート達は各々ノートや教科書にそれをメモしている。そんな中、僕だけがペンも持たずに快晴の秋空を見ていた。
あの文化祭の劇が終わってから1週間が経つのだが、ここ数日の僕はペンを持って黒板と向き合う時間よりも、肘をついて空を見上げている時間の方が多いのではないだろうか。いつものように弁当を食べすぎて眠いわけでも演劇部を引退して寂しいわけでもないのは分かっている。
でも、僕の中でその原因にずっと靄がかかっている気がするのだ。後ろを振り返り、佐山が座っていた席を見た。今はもう空席になってしまっている、もちろん島田の席もそうだった。
「じゃあ今日の授業はここまでにしよう。」
先生はチャイムと同時に教卓にある教科書とノートを片付け始める。
「30分後にホームルームをやるからな。先生は一旦職員室に戻る。」
と言って、先生は足早に教室を出ていった。とうとう今日も僕のノートはほとんど真っ白のままで授業が終わってしまった。その僕の真っ白のノートの上に、色違いの別のノートが置かれた。表紙には太字で日本史Ⅲと書かれている。
「これ、今日の授業の分だよ。勇・・・大丈夫?」
後ろの席から萌が心配そうな表情で話しかけてきた。ここ数日の僕を察してか、加藤や唐津も今の萌と全く同じ表情をして、僕に話しかけてくる。
「ああ、大丈夫だよ。なんか心配かけてるみたいで悪いな。」
佐山との別れから僕は登校前と放課後に毎日のように図書館に行っている。だが、待てど暮らせど佐山が僕の前に現れることはなかった。別れ際の佐山のあの言葉は何だったのか?
僕は未だにそれを分からないでいた。
「やっぱり今日も図書館に行くの?」
ノートや教科書をバッグに入れて帰り支度をし始める僕の顔を覗き込んできた。
「もちろん行くよ。会えるまで行く。」
「待っても来ないかもしれないよ。もしかしたら事情があって来れないのかもしれない。それでも行くの?」
「そうかもしれないな。だったら俺の中で踏ん切りがつくまで行くよ。」
「そう・・・分かった。」
僕は佐山に聞きたいことが山ほどあった。いや、僕はただ佐山にどうしても会いたいだけなのかもしれない。
斎藤先生は言っていた通り、日本史の授業が終わってからちょうど30分で教室に戻ってきた。
「待たせてすまなかったな。さっきまで今回の日本史のテスト範囲のことで、他の先生達と少し話し合っててな。」
先生は持っていた鞄から教科書を取り出す。
「それでテスト範囲に少し変更があるから、皆には悪いが教科書を出してもらってもいいか?」
先生が教科書を開くと、生徒達もそれに倣って各自、教科書を開き始めた。
「皆、93ページを開けてくれるか?」
一斉にページをめくる音が聞こえてくる。それすらもしないでいるのは、おそらく僕と今日の欠席者くらいだろう。
「土埼城の変って皆知ってるか?1583年に起きた戦なんだが。」
僕は反射的に頬杖をついていた手を解いた。
「はい、確か陣内家と片岡家の間で起こった戦ですよね。最終的にはその戦によって陣内家が滅ぼされたと聞きました。」
僕のクラスで毎回優秀な成績を残している野球部の高宮が、先生の質問に即座に答える。
「その通り。それでな、この戦、歴史的には小さい事件なのだが、ある事で学者の間で今注目を集めているんだよ。」
「ある事?」
高宮は少し身を乗り出す。歴史マニアとしては興味を掻き立てられる話なのだろう。
僕の背中にそっと手が置かれた。その手の部分が次第に温かくなっていく。
「ああ。実はこの1年後の1584年に、土埼城の変について詳しく書かれた書物が出ているんだよ。そこには陣内家の人間であった森満彦という人間の裏切りがあったことや陣内家の復興に尽力していこうとする筆者の意思が綴られているのだが・・・この書物の文末のある一文が問題
になっているんだ。」
先生はチョークを手に取り黒板に書き始め、生徒達は無言で先生の書く文字を目で追う。教室は黒板にチョークで書く時に鳴るカツカツという音しか聞こえなかった。
「あそこの図書館に行けば、また俺と再会できるさ。すぐにな。」
あの文化祭の日、別れ際に佐山が僕に言った最後の言葉が脳裏をよぎった。
僕の背中に置かれた萌の手に次第に力が入っていく。途中から先生が何を書いているのか僕には全く分からなくなっていた。両目から流れる涙が視界を邪魔してしまって何も見えない。
書き終わった先生はチョークを置き、僕達の方を振り返る。
「これがその文末の一文だ。この時代に我々の言葉、いわゆる現代語が使われているんだよ。不思議だろう?」
誰が書いたものなのか、僕はすぐに分かった。
「しかも誰かへ宛てた言葉なんだよな。」
とめどなく流れるこの涙と胸に突き上げてくるこの感情は、もはや僕には止めようがなかった。何とか見ようとして何も見えない目を凝らしてしまったから。もう会えないと分かっているのに会いたいと強く願ってしまったから。
でも・・・。
―俺の言った通り、また会えただろう。お前にどうしても一言だけ言っておきたかったんだ。ありがとう、本当に―