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戦国ブロードウェイ  作者: ヴィエリ
11/14

~現代✕過去 劇①~

「良い策がある?」


片岡家の主君である片岡菊次郎は立派に伸びた顎の髭を右手でゆっくりと触りながら、そう言う。


「ええ、私の言う通りにすれば、陣内家の隠し財産の在処が書かれている文書を必ずや手に入れることが出来ましょう。」


森満彦は懐から一枚の白い紙を取り出して、片岡の前に広げる。紙には陣内家の城である土埼城の見取り図が筆で書いてある。


「土埼城は今、戦の最中ということもあり、城の正面の警備は厳重です。」


満彦は紙に書いてある城の正面入り口を指差す。そして、指を動かし今度は入り口が存在しない城を囲うようになっている外壁のある場所を差した。


「何もないではないか?まさか外壁をよじ登って入るわけではないだろうな?」


片岡はおどけた調子で笑う。だが、薄暗い部屋に光る片岡の目は鋭く満彦を捉え、話の続きを催促していた。


「まさか。この外壁の向こうには陣内家の主君である秀孝の庭園があります。その庭園には片岡様の目的である隠し財産を記した文書が隠されています。」


片岡は相変わらず自分の髭を触りながら、満彦の指先を黙って見ている。満彦はさらに続ける。


「先日、私は秀孝にある提案をしました。戦況が悪化した場合に殿の逃走用の出入り口を作ってみてはいかがでしょうか、と。」


満彦の思惑が読めてきたのだろうか、片岡は何度か頷く。


「それで庭園の近くにそれをこしらえたのだな?」


満彦は黙って頷く。


「だが、今は側近が交代で庭園の見張りについているのだろう?それはどう掻い潜るつもりだ?」


片岡は持っていた扇子で庭園付近を何度かつつく。


「片岡様はあまり面識のない人間に再び会った場合、その人間のどこを見て判断しますか?」

「ほとんど知らない人間にあった場合?それは顔で判断するしかないだろう。」

「その通りです、それが普通です。それでは、親しい人間の場合はどのように見分けますか?」


満彦の質問の意図が見えてこないことに、片岡は徐々に苛立ち始める。


「親しければ顔を見ずとも、そやつの口調なり仕草なりで幾らでも判断できるだろう。お前は一体何が言いたい?」

「・・・明朝、私と一緒に文書の確認にあたる人間は私を古くから知っている毛利朔太郎という者です。」


満彦は青の生地で桜が刺繍されている着物を脱ぎ、片岡の前に置く。武士が身に付けるにはかなり派手だ。


「まだ日も明けていない薄暗い状況の中で、私と全く同じ身なりをした人間が実は私と別人であることを朔太郎や陣内家の人間は果たして見分けることが出来ますでしょうか?親しければ親しい程しっかりと顔までは確認せずに判断してしまうでしょう。」


2人は少しの間無言で見つめ合う。


「・・・明日はしっかり頼むぞ。」

「もちろんです。これは私のためでもありますから。」


片岡は持っていた扇子を開き、自分の顔に向かって扇ぎ始めた。


「ああ、そうだな。」


幕が上から徐々に降りてくる。これで第1部が終わったのだ。森満彦役の島田は、やはりはまり役だと改めて実感した。配役は僕と佐山で決めたのだが、島田を森満彦役に強く推したのは佐山の方だった。裏切り者の満彦は、おばあさんから借りた本にでも生々しく描かれていたし、ある意味今回の劇の核となる重要な役であった。

舞台セットを短時間で変えるために唐津を中心に数人の美術班がせわしなく動き回っている。

第2部がもうすぐ始まる。

水野貴一郎役の佐山と陣内雪名役の萌が緊張した面持ちで舞台へと向かう。事件の前夜、雪名の寝室のシーンから第2部は始まる。


「私に看取られるのがお前の本望か、貴一郎。」


雪名はそう言って、自分の寝室にある灯りを1つ消した。


「ええ、本望です。誰よりも傍で雪名様と雪名様の幸福に満ちた未来をお守りしたいと思っております。ただ私1人の命だけで全てを守れるのであれば、それは少々贅沢すぎますがね。」


貴一郎は少し微笑んで雪名に笑いかける。


「申し訳ありません。今夜の私は少し話しすぎていますね。」


雪名はゆっくりと首を左右に振る。


「私はただの1人の人間にすぎないよ。」

「いいえ。それは違います、雪名様。雪名様はこの先、必ず幸せになれるお人です。あなたの未来は輝きに満ちて見える。」


深く暗くなっていく夜に反して、寝室の灯りがまた1つ消える。


「お前は私の本望を聞きたくはないか?」

「はい?」

「貴一郎、私にもう一度言わせる気か?」


暗闇で視界があまり働かない分、声は普段よりも生々しく鮮明に聞こえる。


「・・・聞きたくないはずがないではありませんか。でも、先の見えない自分自身の立場を考えると、聞きたくないような・・・雪名様の幸多き今後を誰よりも願っているというのに・・・矛盾している自分の気持ちが分からないのです。」


消えてしまった灯りと今もなお光を放ち続けている灯りを己と雪名に重ねているのだろうか、貴一郎の表情はどこか哀しげに見える。


「貴一郎、お前はきっと生きたいのだよ。」


雪名は立ち上がり、貴一郎の方へゆっくりと近づく。


「この世に未練があるのか、あるいは死への覚悟が出来ていないのかなんて、ほんの些細なことでどうでもよいことさ。お前はただ生きたいだけなんだよ。」


2人の間が徐々に狭まっていく。


「私も生きたいよ、貴一郎。お前と寄り添って生きてゆきたい。」

「それが雪名様の・・・。」

「でも、こんな時代だからな・・・それは贅沢すぎる願いなのかもしれない。ならば一緒に死ねるだけで私は十分満足さ。」


雪名はそっと貴一郎の背中に手を回す。2人の間には光と闇、生と死、戦や身分などが入る隙は全くなかった。2人はしばらく見つめ合うと、それらを全て跳ね除けるようにお互いの身体を重ね合う。


「それが私の本望だよ。」


雪名は貴一郎から静かに流れ落ちる涙を掬うように、優しく口づけをした。


幕が下り始めると同時に第2部の終わりを告げる音楽が劇場内に鳴り響く。観客席からは拍手がまばらに聞こえてくる。大半の観客は拍手をするのも忘れて、佐山と萌の演技に魅入ってしまっているのだ、と何の疑いもなくそう思った。他ならぬ僕自身がそうであったから。

演技を終えた佐山と萌が舞台をセッティングしている唐津藩の邪魔にならないように、小走りで舞台袖に帰ってくる。部員達が帰ってきた2人に笑顔で声をかける。


「どうだった?勇。」


萌は満面の笑みに少し不安を覗かせた表情で、こちらに駆け寄ってきた。


「本当に良くやった。想像以上だよ。」


僕は素直にそう言って、萌の頭にポンと軽く触れた。


「佐山もお疲れ様。2人は俺の脚本以上の貴一郎と雪名を観せてくれた。」


佐山は僕達の輪から少し外れたところに無表情で立っていた。俯いている佐山の目が、まだ終わりじゃないだろう?と言っている気がした。

最終章はあの事件から始まる。片岡の差し金である使者が森満彦に成り済まして見張りをしていた毛利朔太郎を欺き、見事に庭園に隠されていた文書を手に入れることに成功する。そして、朔太郎と偶然その現場に出くわしてしまった雪名は、満彦の手によって殺されてしまう―。

老婆から借りた本を基に、僕と佐山はあの事件をこのように再現したのだ。ハッピーエンドではないが、本から伝わる筆者の無念と雪名への愛情の深さを際立たせようと考えた末に、最終的にこのような結末に至った。

劇が始まる直前の佐山の言葉を思い出した。佐山はこの結末をどのように変えるつもりなのだろうか。突然の頼み事だったので、僕ですら佐山がどう動くか全く分からなかった。そもそも佐山の頼み事を容易に受け入れたのは果たして正解だったのだろうか。

演劇部の部長としての不安と観客の一人としての期待が交差する中、最終章の始まりを告げる音楽が館内に鳴り響く。


そう、まだ劇は終わらない。最終章がこれから始まる。


森満彦は片岡の使者が文書を手にしたのを確認すると、ゆっくりと鞘から刀を抜く。そして、音と気配を完全に消し、毛利朔太郎の首筋に向かって背後から斬りつけた。


「ぐうっ。」


不意を突かれた朔太郎の首から大量の血が噴き出し、そのまま仰向けに倒れる。朔太郎と満彦が出会ってから十数年と積んできた歳月や関係は、徐々に光を失っていく朔太郎の目の輝きとともに一瞬にして終わりを告げた。


「・・・。」


盗まれた文書への注意を少しでも逸らすためにこれは仕方のない行為だったのだと言っているかのように、満彦はもう動かない朔太郎をしばらくの間見つめていた。片岡の使者はその一部始終を確認すると着ていた満彦の服を脱ぎ、庭園近くの扉から城外へと出て行った。1人になった満彦は周囲を見渡し、刀身に付着した朔太郎の血を拭き取った。そして、使者が脱いでいった自分の服を素早い動作で着る。ここまでは順調に事を運べていると思った矢先だった。


「一体何をしている?」


刀を鞘に納めたと同時に背後からその声は聞こえた。振り向かずとも声の主が誰かはすぐに分かった。


「何って・・・見張りに決まっているではないですか、雪名様。」


背後には淡い赤色の着物を着た雪名が立っていた。


「朔太郎を切ったのはお前だな、満彦。」


刀は拭って鞘に納めたものの、服に付着した血までは隠しようがなかった。


「いいえ、先程敵が侵入して来まして、それで朔太郎を・・・と言っても信じてはもらえないでしょうね。」


無表情で静かに佇む雪名とは対称的に、満彦はこの状況をまるで楽しんでいるかのように不敵な笑みを浮かべている。


「大人しく観念しろ、満彦。今のお前には何もできない。じきに貴一郎がここへやってくる。」

「ほう、確かに貴一郎に来られたら、私もかなり追い込まれてしまうでしょうね。やつとは幼い頃から何度も手合わせをしましたが、最後までどちらが強かったのか分からなかったままだ。」


満彦は先程のまでの表情とは打って変わって、鋭い眼光で雪名を見た。


朔太郎は仰向けの状態でもう自力では閉じることが出来なくなった両目を見開いて、夜明け前の薄暗い空を見ていた。星と雲が反射して、朔太郎の周りに出来た血溜まりに映っている。


「追い込まれているのはあなたの方です、雪名様。これでいつでも終わらせることが出来ますよ。」


満彦はそう言って、左手で鞘を掴んだ。しかし、動じる様子は雪名からは感じられない。


「・・・なぜこのようなことをしたんだ?」

「私をより必要としてくれる環境を求めた結果・・・としか言えませんね。」


満彦は雪名の方へゆっくりと近づく。


「お前はそれだけの理由でためらいもなく陣内家を裏切り、幼馴染であった朔太郎を斬ったというのか?」

「ええ、何のためらいもなく。貴一郎だったとしても同じです。ただやつは朔太郎のように簡単には斬れなかったでしょうが。」


雪名の真正面に立つと、満彦は鞘からおもむろに刀を抜いた。


「もし私がためらう人間がいるとしたら・・・それは雪名様、あなただけです。一瞬で終わらせるつもりなので、決して動かないでください。」


言われるまでもなく、雪名はそこから動こうとはしなかった。動けないのではなく、動くつもりがないのだと悟った満彦はその芯の強さに苛立ったように軽く舌打ちをした。


「これでお前も私を斬り安かろう。」


雪名は静かに目を閉じると、突然満彦に背を向けた。


「どういうおつもりですか?」


思わぬ行動に戸惑っているのか、雪名の背中に向かって訊く満彦の声が少しうわずっている。


「終わらないよ、満彦。私がここで死んでも何も終わらない。私の思いを受け継いだ人間がいつかきっとお前の前に現れるはずだ・・・私に負わせた傷以上のものをお前に与える人間が必ずな。」


夜明け前の涼しい風が満彦と雪名の間を通り抜けていく。この風が雪名に逃げるように諭すために吹いた風か、またはその雪名を斬ることにためらっている満彦を促すために吹いた風なのかは、その直後に分かった。


「そうですか。」


雪名の背中に向けて、満彦は刀を振り下ろした。


今回の劇は最後に満彦が雪名を斬るこのシーンで、幕を閉じるはずだった。


「劇のラストの部分・・・あそこを急遽変更させてほしいんだ。」


ふと僕の頭の中に劇を始める前の佐山の言葉が浮かんできた。いや、浮かんできたのではなく、島田と萌の間に突如として入った1人の人間を見て思い出したと言ってもいい。

水野貴一郎の役を終えたはずの佐山が、森満彦扮する島田の振り下ろした刀を止めていた。

観客席からは歓声が沸く一方で、突然の事態に舞台袖にいた部員達は戸惑っていた。脚本にはなかった展開が今起こっているのだ。


「おいおい、佐山は一体何をしてるんだ?」


いつの間にか隣にいた唐津が僕に言う。状況的におそらく僕以外の部員のほとんどがそう言うに違いなかった。


「どうするんだ?土河。」

「もちろん、このまま続けるよ。時間もまだ20分くらい残ってるしね。」


僕は自分自身の判断に迷いは一切なかった。


佐山と島田はお互いの刀を交差させたまま動かない。佐山の突然の登場に歓声を上げていた観客も2人に倣って次第に静かになっていった。


「どうした、佐山。貴一郎役の出番はもう終わっただろう?」


島田はそう言って刀を引き、後ろに下がる。


「それとも脚本がいきなり変更でもされたのか?」


島田は観客や雪名も聞き取れないような声で佐山に話しかける。島田の口調はいたって冷静だ。


「違うよ、島田。俺はただ雪名が2度も俺の目の前で殺されるのが耐えられなかっただけさ。」

「は?」

「雪名が再びお前に斬られてしまうのを黙って見ることが出来なかったと言っているんだよ。」

「・・・さっきから何を言っているんだ。」


島田から先程の笑顔が消えていた。


「朔太郎と雪名を殺した後に、すぐにお前はお静様の位牌がある奥の間に行ったよな。そして、そこで突然意識を失って気付いた時にはすでにこっちの世界に来ていた・・・違うか?」


島田は口を閉ざして黙り込む。だが、佐山はさらに続ける。


「隠し財産が奥の間にあると思ったのか?いや、今はそんなことはどうでもいい。そして、お前がこっちの時代に来た時に最初に出会った人間は、今もお前と一緒に住んでいるおばあさんだったはずだ。」


おそらく観客は、佐山と島田が舞台上で沈黙したまま睨みあっているように見えているのだろう、異変を感じ始めた人間から次第にざわめき出す。


「突然の事態に動揺したお前はその時おばあさんから色々と聞いたはずだ。自分のいた戦国の時代から刀も城も戦もないこっちの時代に来てしまった理由、そして、これからこっちの時代に適応していくための術などをな。」


先程から口を閉ざしたまま立っている島田だが、目は佐山の動きを確実に捉えている。


「俺もすぐ後にお前と同じ境遇を味わったからな。ただ、俺の場合はお前のようにこっちの時代に適応するのには、かなり時間がかかったよ。」


萌は舞台上で座り込み、佐山と島田を交互に見つめていた。人ごみの中で母親とはぐれてしまった子供と同じような表情をしている。ただ、萌は母親ではなく何を探しているのか、また2人がどのような会話をしているのかは今僕がいる位置からではほとんど分からなかった。


「何事も器用にこなすところはこっちの時代でも相変わらずだな・・・森満彦よ。お前が満彦だと気付くのにも大分時間がかかってしまったよ。」

「・・・さっきから何を言っている?」

「俺よりも先に誰かがこっちの時代に来ていることはおばあさん・・・いやお静様に聞いていた。だが、お静様にこの高校に編入させてもらって実際にお前に会った時はかなり驚いたよ。」


静かに体育館の扉が開く。加藤を先頭に十数名の生徒が体育館に入ってきた。演劇部の後は吹奏楽部の演奏が控えているのだ。館内の異様な雰囲気を悟ったのか、加藤は舞台袖にいる僕を見た。頷く僕の表情と館内の空気を汲み取った加藤は、吹奏楽部の部員達にもう少し待つようにと指示した。


「この時を待っていた。ずっと待っていたよ、満彦。」

「・・・時間がないよ、佐山。もう終わりにしよう。」


扉の前で待機をしている吹奏楽部に気付いた島田は持っていた刀を鞘に納めて、舞台袖に引き上げようとゆっくりと歩き始める。


「終わり?終わらないよ、満彦。秀孝様や土河、そして、雪名様が己の身を呈して作り上げたこの劇はまだ終わらない。」


佐山は横切った島田の後頭部に素早く刀を向けた。

佐山の突然の行動に観客席からまた歓声が沸く。


「何のつもりだ?作り物の刀と言えど、当たり所によっては致命傷になりかねないものだぞ。」

「お前こそ何を言っている?この刀に似たような木刀で2人でよく手合わせをしていたではないか。そして、どちらが優れていたのかもはっきりと覚えているだろう?」


舞台袖に向かっていた島田は足を止めると、佐山の方を振り返った。


「お前が俺に勝てば、こっちの時代で森満彦としてではなく島田祐二として今まで通り生きていくことが出来る。」


佐山は島田に向けていた刀を引き、刀を正面に構えた。剣道でいうところの中段の構えをとる。それに対し島田は刀を少し下げた、いわゆる下段の構えをとった。


「佐山、いや貴一郎・・・こんなことになるのなら、やっぱりお前にはもっと注意しておくべきだったよ。」

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