~現代 土河勇⑥~
この度私の最も信頼する友人であり、名高い探偵でもある高山利彦氏に是非とも目を通して頂きたく、ご無理を承知でこの文書を送らせてもらった。
この手紙に昨日の事件に関して、私なりに全てを書かせてもらった。敵国に攻め込まれて身動きが取れない私にとって今出来るのはこのくらいのことしかないと思い立ったからだ。この差し迫った状況下で書いた文章はおそらく稚拙でどこまで理解してもらえるか分からないが、私の記憶していることは全て書いたつもりである。最後まで高山氏に読んで頂ければ幸いである。
まず、この城には陣内家の正室であったお静の隠し財産があり、その在処が記されている文書が存在する。その文書はお静が書いたものであり、国が非常時の場合のみ私用を許すと一部の家臣達は言われていた。お静が戦で亡くなってしまった後も家臣達はそのお告げを守り、隠し財産の在処を探すこともしなかった。
事件の前夜、その隠し財産の在処が記されている文書を隠した庭園に梶山源治ともう一人の家臣が、いつものように確認をしに行った。簡単に見つかる場所ではないのだが、決して敵の手に渡ってはいけないもの故に、今回の戦が始まってからは毎日のように文書の有無を家臣達が4人体制で朝と夜に交代で確認をしていたのだ。
だが、その翌朝に事件は起こってしまった。正確には、その日の朝の担当であった森満彦の悲鳴が聞こえてきた時点では、もうすでに事が全て終わっていたと言っていいだろう。
部屋を出て最初に視界に飛び込んできたのは、首から血を流して仰向けに倒れる毛利朔太郎の死体だった。背後から斬りつけられたのだろうか、刀は鞘に納まったまま絶命していた。満彦の声を聞きつけた家臣達が私の後ろから血相を変えて庭園に駆け込んできた。だが、大半の家臣は朔太郎を通り過ぎて、少し離れた場所に集まり、次第に輪を作っていく。
狭い庭園には大声で医者を呼ぶ者、為す術がなく天を仰ぐ者、そして、その者達をただ茫然と立ち尽くして見ている私がいた。
輪の中心には見覚えのある着物を着て、見たことのない表情で倒れている雪名がいた。雪名の周りに溜まった血は庭園の池にまで流れていた。
目の前を必死な形相で森満彦が火薬と血の匂いを引き連れ、駆け足で通り過ぎる。今度は年配の医者がこの状況に戸惑う若い助手の手を引っ張って、私の前を通り過ぎていく。そして、隠し財産を記した文書が無くなっていることに気付いた梶山が私のもとへと駆け寄ってくる。
全てを悟った私・・・陣内秀孝にとって、国や財産、感覚や感情、それらが一瞬にして無意味なものに感じられた。真一文字に斬られた娘の雪名の背中だけが私の頭を離れずに今も鮮明に残っている、後悔と憎悪とともに―。
今回の劇の一番重要であるこの場面を改めて読み返す。何度も何度も繰り返し読んだ場面である。老婆から借りたこの本をバッグにしまい、僕は演劇部の皆が待機している体育館裏の部室へと向かった。先程観客を館内に案内してくれた文化祭実行委員によると、用意した80席はほぼ全て埋まっている様子とのことだった。しかし、部員達には純粋に観客を楽しませることだけに集中してほしいと思い、満席状態であることを告げるつもりはなかった。たとえ1人だろうと1万人だろうと稽古をしてきた以上の演劇を観客に観せる、この当たり前の意識を部員達全員に浸透させてきた自信はある。80人の観客の中にあの老婆がいると思うと、いつも以上に気持ちが入っている僕自身がその意識に反しているのではないのかと思い、そんな自分に対して僕は少し笑った。
「何を笑ってるんだ?」
後ろから声をかけられて、僕は我に返って振り向いた。
水野貴一郎役の佐山が、劇用の着物を着て立っていた。意外にも着物をそれなりに着こなしていて、不思議と風格も感じられた。脚本作りにも力を貸してくれた上に、今となっては役者としての佐山にも期待している。
「なかなか似合ってるな。今日頼むよ。」
佐山は黙って頷く。無愛想なところは相変わらずだが、演劇部に入ってから佐山は見た目だけではなく内面的にも変わったと思っている。
「おーい、そこの2人。そろそろミーティング始めるぞ、早く来いよ。」
数メートル先の部室から森満彦役の島田と陣内雪名役の萌が顔を出し、僕と佐山に手招きをしている。今から劇の開始1時間前の最終ミーティングが控えている。
「行こうか、佐山。」
僕は佐山の背中を軽く叩いた。
「土河。」
「うん?」
「・・・俺がいてお前はどれくらい助かってる?」
不意に佐山がそう呟いたので、少し前を歩いていた僕は足を止めて佐山を見た。
「急に何だよ?」
「俺はどのくらいお前の力になってあげられたのかと聞いている。」
遠くから僕達を呼びかける萌の声が聞こえる。それでも佐山はそこから一歩も動こうとしなかった。
「すごく助かってるよ。今回の脚本も佐山の協力がなかったら書けなかっただろうし、役者としても必要な存在だよ。」
質問の意図は分からなかったが、素直な気持ちを正直に答えることにした。本当にそう思っている。
「・・・だったら俺の頼みを聞いてくれるか?たった1つだけだから。」
普段は俯き加減で話す佐山が、僕に目線を合わせようと顔を上げた。佐山の表情が、以前僕の家で演劇部に入部したいと言った時と全く同じ表情をしていた。以前と違うところがあるとすれば、それは僕の佐山に対する気持ちだった。今の僕は人間的な面でも佐山を信頼している。どんな頼みであろうと、僕に断る気はなかった。
「聞くよ、佐山の頼み。言ってみてよ。」
今度は島田の通った声が聞こえてきた。ミーティングの時間がかなり過ぎてしまっているのだろう。
「劇のラストの部分・・・あそこを急遽変更させてほしいんだ。」
放送部のアナウンスがきっかけで、数十個の照明が徐々に消えていく。1つずつ消えていく度に僕の胸の高鳴りは増していって緊張が全身に伝わっていく。完全に照明が消えて真っ暗になった天井を仰ぎ、僕は1つ深呼吸をした。森満彦役の島田が真剣な面持ちで、僕の横を通り過ぎていく。
これから僕の高校3年間の集大成である最後の劇が始まる。