あの日で何が変わったんだろう
A.M.1:00
深夜の錆びれた街中を、一台のバイクが走っている。そのバイクは信号に引っかかり古くなったタイヤを軋ませながらゆったりと停止した。乗っている男がヘルメットのバイザーを上げ、タバコの箱を取り出す。男の名は伊丹海翔。今日も塗装の仕事を終え、家でくつろいでいたが寝付けないのでバイクで街に繰り出していたのだった。
誰も通らないにも関わらずなかなか切り替わらない信号にイライラして信号無視をしようかとアクセルを吹かした瞬間、交差点に赤いライトを上に乗せた白黒の車が入ってきた。「うぅぉっとぉ!」大人しく片足を地面につけ直して怪訝な顔をする警官達をやり過ごす。ふぅ…溜め息が自然と出た。このところタイミングを逃して物事に失敗するのを繰り返しているのだ。仕事でも、家庭でも。
ようやく信号が青に切り替わりさっきとは打って変わって余裕を持ってバイクを発進させ、寝静まった街を安っぽいエンジン音と共に走り抜ける。〜A.M.1:20
A.M.1:08 〜川東警察署〜
「至急至急、本部より入電。川東市内にて刃物様のものを所持した男が住宅地を徒歩で徘徊しているとの通報が入った。直ちに担当部署は現場に急行し、事実確認及び状況連絡を行え。」
なんだよこんな時間に…どうせなら人が多い昼間にウロつけよな…と寝ぼけまなこをこすりながら自分のデスクで目を覚ましたのは岡原悠希巡査部長(36)。宿直中は甘い物を食べた後に自分のデスクで眠ってしまうのが最近の悩みだ。新婚の嫁、愛子にも「最近太ってきたんじゃない?」と言われて腹回りを気にするよくいるオッサンである。
横でまだ気持ちよさそうに寝ている相棒の野下太郎警部補(39)を少し乱暴めにゆすり起こす。
「んにゃぁ〜?」猫のような声をあげてようやく起きた野下は、「何かあったのか?」と眼鏡をかけながら言った。
「刃物を持った男が住宅地でウロついてるらしいです。まあ見間違いだと思いますけどね」刃物を持った男の通報は実は大半が見間違いなのだ。「そうだなぁ、人殺したいならこんなイチジクしかとれんような田舎じゃなくて大阪とかに出るしなぁ。」先輩の野下もそれに応じる。だが一応、念の為にパトロールをするのが彼らの仕事である。中年のおっさんでも、夜勤中に疲れて眠ってしまっていても、プロはプロ。すぐに装備を済ませ、パトカーに乗り込んだ。〜A.M.1:12
A.M.1:18〜パトカー 車内〜
世間話で眠気を紛らわしながら運転している岡原。夜の川東は人通りも殆どない寂しい街だ。青信号の交差点に進入しようとしたとき「ブルルルルッ!」とバイクが信号無視をして交差点に突っ込もうとしていた。パトカーを見てすんでで止まったが。「あーいうの取り締まらなくて良いんすか?」「何にも道路交通法違反はしてないからなぁ…、それに俺たちは刃物男を優先しないと。」「そーっすね。」夜勤中に入電も聞こえないほど爆睡していた男から放たれたとは思えない正論に岡原は複雑な気持ちでハンドルを切った。〜A.M.1:20
A.M.1:25
そろそろ帰って寝るか…伊丹はコンビニの駐車場に入ってバイクを元来た道のほうに向けた。
そしてまた、静かな暗い道に戻る。
ついさっき捕まりかけた交差点。律儀にぴったり端に寄せて停まる。今度はすぐに信号が青に変わり、バイクを左折させる。
「ズシャッ」
何かが胸に当たった。いや、刺さった。全身の力が抜けてバイクごと倒れこむ。その後は、何事も無かったかのように立ち去っていく黒い服を着た男と向かい側の歩道まで吹き飛んでいくのを薄れゆく意識のなかで見つめているのが精一杯だつまた。捕まらなかったのは…最期のタイミングも逃したってことなのか…と思いながら伊丹は冷たいコンクリートの上で屍と化した。
黒い服の男は、童謡を口ずさみながら闇夜へと溶け込んだ。〜A.M.1:26