連絡
木の匂いと絵の具の匂いが混ざって、執拗なくらい充満する。いつも触れている空間とは逆の、色の世界。悲しいくらい彼女のことを思わせる。この世界には、空間には、音はない。僕の知らない彼女の過ごしている日々がある。ただ、それだけだった。
「どういう、こと…?」
「そのまんまの意味だよ。」
彼は僕の方に向き直ると舌打ちをした。やっぱり怖い。
「だから、俺のこと手伝えって」
「いやいやいや、意味わからないよ。僕は君となんて関わったことないし。何をするのかもわからない」
「関わったことがない?はぁ…これだからまじ陰キャラは苦手なんだ」
「陰キャラって…確かにそうかもしれないけど…ていうか、手伝いって何するのさ」
「お前、色葉と仲いいんだろ。学校で話してるとこ見たことねぇけど、前に色葉が言ってたし。そんなお前ならあいつの事救ってやれんじゃないかって思ったんだ」
彼はニヤニヤと笑った。何を考えているのかは分からないが、僕の生活が狂うことだけはわかっていた。
「色葉が学校に来ないのはやっぱり理由があるの…?もしかして君が…」
「やってねぇよクズ。てか、君っていう呼び方辞めろよ。クッソ腹立つ。冗談でも名前知らないとか無いよな…?」
彼はイライラしているのか、僕を睨みつけた。僕はそんなこと動じていないような顔で、単調に言った。
「知らないよ。ていうか、クラスの人の名前色葉以外に知らないから。」
内心いつ殴られるんだとハラハラしていた。彼は美術室の机を思いっきり殴ると、ため息を一つ吐いて言った。
「竹野一誠だ。覚えろよ」
「竹野くんだね。よろしく」
丁度その時チャイムが鳴った。2時間目の授業が始まる。こんな短い休み時間で、それも遠い美術室なんかで話し合うなんてどうかしてる。チャイムは誰もいないこっち側の校舎に強く響いて、段々焦ってくる。
「あのさ、二時間目…サボるつもりじゃないよね…?」
「次なんだっけか」
「世界史だよ確か。」
「ちょっと携帯よこせ」
彼は手を差し出す。僕は渋々言われた通りにすると、彼は奪うかのようにして僕の携帯をとった。
「んだよ、ロックかかってんのかよ」
僕はすぐさま携帯を取り返すとロックを解除して渡した。ハラハラする。携帯壊されたらたまったもんじゃない。
数分して、彼から携帯が返ってきた。どうやら、画面は無事らしい。
「連絡先入れといたから。んじゃな、俺はここでサボる」
「ああ…うん」
彼を置いて美術室を去った。全速力で廊下を走る。もう授業開始には間に合わないだろうけど、とりあえず変な誤解を招いたりはしたくない。息が切れる中、僕は教室の前についた。呼吸を整えて、さも普通のようにドアを開けて中に入る。クラスメイトは僕に視線を浴びせたが、僕だとわかるとすぐに黒板に視線を戻した。やっぱり僕を気にかける人なんていないんだから、急がなくても良かったじゃないか。
席につくと、ちょっと年齢と化粧の濃さが比例してきている女の先生が話しかけてきた。
「どこに行ってたの?」
「保健室です。」
「来訪カードは?」
「書き忘れました」
先生は次からは気をつけるようにと、注意をすると黒板に文字をまた書き始める。なんか、もう疲れた。二時間目からこんなに疲れているのは初めてで、眠い。僕は教科書も出さないまま、机に突っ伏して夢の中に入っていった。
「和音…あのね…」
「色葉…?」
彼女は涙を流して、笑う。彼女はまた何かを言いかけて、女子生徒に手を引かれて行ってしまった。僕の周りには空っぽの空間が残っていた。
「和音…助けて…」
目が覚めると、もう世界史は終わろうとしていた。先生から向けられる迷惑そうな目。チャイムが鳴るとすぐに挨拶をして、いつもより強くヒールの音を立てて、出ていった。
やらかした、のかもしれないと思った。後悔を残したまま、1日をやり過ごした。結局、その日彼が話しかけてくることはなく、携帯に彼の連絡先が残されただけだった。
結局何がしたいのか、どうすればいいのかはわからない。だけどあまり良いことではなく、これから大変な思いをすることは分かっている。
断ったら殺されるのだろうな。
そう思って家に着くと、ベッドに横になった。疲労が湧き上がってくる。
ふと、携帯を開いて、彼女とのトーク画面を開いた。大丈夫?と打ち込んで送ると、携帯を置き眠った。明日からまた大変になる予感がした。
その日、彼女から返信はなかった。