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雑記メモ群  作者: Richard Roe
現代魔術は異世界をクロールするか? 改稿版
2/5

現代魔術は異世界をクロールするか? 検討中

 1

 現代魔術の話をしよう。

 魔法の発動に伴う、安定領域の解析の話だ。

 この世のシステムは時間tと状態変数xによる微分方程式によって記述されるが、それが安定なシステムかどうかを果たして求められるだろうか。

 答えは『ある程度』可能である。

 それも数学的な演繹手法によって。


「――今回も授業は無意味な演習か」


 明日提出のレポートの右上に、ジーニアス・アスタと俺の名前が書かれている。

 レポートの内容は『以下の補助魔法を発動するための安定条件を、注ぐマナの種類と量ごとに調べて書け』というもの。

 ずらりと並ぶ補助魔法は、防御の加護を与えるもの、治癒の加護を与えるもの、などの便利なもの。

 たくさんあるが、これは全て魔法学院アカデミアの生徒の必修魔法のごく一部である。


「安定条件ねえ」


 俺は自分の記述した文章を見直した。

『それぞれの魔法陣の吸引的不動点をx*とおく。各魔法陣の状態空間表現を、状態変数xを用いて以下のように表す。

 Ax + Bu = x'

 Cx + Du = y

 ここでuは任意の値を取るものとする。

 ……』

 何も間違いはない。

 しかし、これは提出しないレポートである。

 提出するレポートにはこう書くつもりだ。

『①防御のルーン(イチイの木/エイワズ):(火、水、風、土、光、闇) = (10、10、10、80、10、10)

 ②天命のルーン(神の手/パース):……』

 先の文章と比較すると随分と簡単になっているのが分かるだろう。

 そして、厳密には間違っている(・・・・・・)


「だって、この世界の人たちに『魔法陣の状態空間表現』とか伝わらないだろうしな……。そもそも注いだマナの総量だけじゃなくて単位時間当たりに注ぐマナの流量でも安定条件は変化するんだがな」


 くあ、と欠伸を一つ。

 気付けば夜も深くなっていた。発光デバイスへのマナ供給を止めて部屋の明かりを消す。

 特待生も楽じゃない、こうやってわざと学校のカリキュラムに合わせて回答を装う必要があるのだから。


「……この部屋もこれでお別れか。おやすみ」


 特待生になれば、学生寮は個室が与えられる。それは数少ない特待生特権の一つだ。

 しかし、俺はそろそろお別れしないといけない。今日が最後の特待生生活だ。


 誰もいない部屋の中、疑似睡眠では足りなかった分を補うために俺はベッドに体を横たえて目をつぶった。











 2

 この世界【命と大地の船】の中で最も魔術を研究している機関といえば、その一つに魔術学院アカデミアが挙げられるだろう。

【命と大地の船】の五大国の一つ、公国に位置するこの学院は、国籍を問わず全ての国から優秀な人材が集められている。魔術の研究、そして次世代の教育。その両方が高い水準で満たされているのがこの魔術学院アカデミアの特徴だ。


 魔術学院の生徒も優秀な者が多い。初等魔法以上を要求される実技試験と、魔術理論の基礎的な内容を問う筆記試験と、そして個人の資質を見る面接試験を合わせた三つが入学試験として課せられ、それを合格した者たちのみがこのアカデミアに入れるのだから、自然と優秀な生徒が集まる道理だ。


 中でも、実技試験を圧倒的な得点で通過した伯爵令嬢「暴風」アネモイ、筆記試験で満点を記録した王国第五王女アイリーン、などの特待生は、ただでさえ優秀なアカデミアの生徒にさらに輪をかけて優秀だ。もし望むなら、国を問わず宮廷魔術師になることも可能だろう。それほどに能力が卓越しているのだ。


(まあ、実は俺もその特待生の一人なんだけどなあ)「はあ」


「お兄様、どうなさいました?」


 正確には特待生の一人だった、が正しい。

 今現在は残念なことに、日頃の素行の問題から特待生資格を剥奪され、更には留年までリーチがかかっているという始末。


 それもこれも、俺の自己責任である。大体の授業においては課題を無難にこなしているつもりだったが、定期試験の日に欠席した授業が一つあって、それが理由で特待生資格を失って留年の可能性まで浮上しているのだ。


 学院としては非常に珍しい事態だそうだ。特待生の留年は今まであり得なかった訳ではないが、この数百年に渡る歴史の中でも数件程度だとか。つまり俺は百年に一人の馬鹿ということらしい。世紀の馬鹿。嫌な響きだ。


「いや、何でも。……それよりターニャ、早くご飯を食べた方がいいぞ。そろそろ二時限目が終わった生徒たちが一気に食堂に押し寄せる時間帯だからな」


「そうですね、お兄様。……はい、どうぞ」


 ところで、百年に一人の馬鹿には妹がいる。名前をティターニャ・アスタ。彼女もまた特待生であり、二つ年下の可愛い同級生だ。

 どういうことなのかというと、家庭の事情で妹と同時に入学試験を受けたのだ。


 兄妹そろって特待生枠に合格、そして妹に至っては得点調整をしくじった(・・・・・)ためか総合得点一位を獲得し、首席合格を果たしている。とんでもない兄妹だと思われたに違いない。実際にとんでもなかった訳だが。片方は百年に一人の馬鹿だし。


「……ターニャ、なんだその手は。猫パンチか?」


「違いますよ、お金です。自分の食費ぐらい自分で払いますので。ほら、手を出して下さい」


「あ、そうなの? てか妹からはお金は受け取れ――」


「特待生でなくなったお兄様は、自分で学費を納めるために学校に手持ちのお金全てを払ったため、今は金欠でいらっしゃいますよね」


「……よくご存じで」


 特待生から外れた俺は、家族に迷惑をかけないために自腹で学費を納めている。半期の学費には全く足りなかったが、一ヶ月分なら手持ちでギリギリなんとか賄える計算だ。その一ヶ月間で迷宮に潜り込んで資金稼ぎに発奮すれば、多分半期分の学費と生活費まで手に入るはず。


 その一ヶ月の間、授業は捨てることになるだろう。出席は一応するが、その時間は俺の貴重な睡眠時間になりそうだ。授業時間外は迷宮漬けなのだから、当然睡眠時間は授業時間しかない。あまり褒められた行為ではないが、背に腹は代えられないって奴だ。


 さて、そうまでして学費を何とか捻出しようとしている俺がお金に困っていないはずもなく。今日の昼食代ですら微妙に財布に痛かったりする。ましてや妹にいつものように昼食を奢ろうものなら、明日は昼食抜きになるところであった。


「お兄様は強がりすぎです。いつも妹の私に昼ご飯を奢ろうとなさるのは結構ですけど、こんなときぐらいは奢るのをやめるべきです。むしろ今度は私が奢る番でしょう」


「いやいやいや、妹に奢られるなんて」


「それに学費もです。こういうときに家族に甘えなくて、いつ甘えるのですか。そもそもお兄様の入学が遅れたのは、お父様が二人分の学費を工面するためだったはずです。――つまり、お兄様が学費を自分で賄う必要はないのですよ」


「駄目だ。それは父さんに迷惑がかかる。知ってるかターニャ、学費って馬鹿にならない金額なんだぜ」


「それを、自分が特待生落ちしたことを知られたくないし余計な迷惑をかけたくないからって、自分で賄おうとする人がいますか? ……それに、お父様には迷惑をかけたくないからって、学院には迷惑をかけてもいいと? お兄様一人のために、学院は学費の分割払いという特例措置に踏み切ったのですよ。そこには当然膨大な手続きがあったはずです」


「まあ、学院には迷惑をかけたけどさ。本当、俺みたいな問題児のためにここまでしてくれるなんて、学院って凄くいい場所だよな」


「それも、通例通り『生徒の学費は、支払い能力がない場合を除いて、本人及び本人の保護者から取り立てる』に従えば、そのままお父様が学費を納めるはずなのに、お兄様の意図を最大限尊重して、我が儘にお付き合いしてくださってるのです。頭が上がりません」


「……本当、そうだよな」


 妹の意見がさっきから正論すぎて耳に痛い。


 というか「何なら私が学費を払うこともできますけど」とか妹が言ってた。

 やめてくれ。妹に学費を払ってもらうという構図に俺は耐えられない。死にたくなる。妹に養ってもらうとかダメ人間にも程がある。

 逆に俺が妹を養うのならありだけど。


 とりあえず妹から昼食代を受け取っておく。彼女は猫パンチじゃなくて手にお金を握っていただけであった。金額を数える前に「ではこれで」とさっさと立ち去る妹だったが、数えてすぐに理由が分かった。

 あいつ、俺の分も払ってやがる。


 本当、よくできた妹だ。おかげでお兄ちゃんは立場がない。でも奢られるのは何か嫌だったので、後で百倍にして返そうと俺は思った。











 3

 世界迷宮。


 世界の各地には迷宮と呼ばれる異空間への入り口が存在する。もしそれらが独立した迷宮なのであれば違うが、殆どの入り口は世界迷宮に繋がっている。


 世界迷宮とは世界の迷宮だ。地下何層に渡って広がっているのかすら判明していない。とにかく広大すぎて、一層一層が一つの別世界のようなものだ。


 世界迷宮の内部には太陽がある。森もあるし池もあるし、とにかくありとあらゆる自然が存在している。洞窟のように天井で覆われたりしている迷宮もあるにはあるのだが、世界迷宮はというと各層ごとの天井がないのだ。


「ふっ! ――これで七体目か」


 ゴブリンが頭に穴を空けて倒れる。俺の弾丸魔術『fire bullet/火の弾丸』に撃ち抜かれたのだ。体が痙攣しているが、立ち上がる気配はない。


 これで七体。結構悪くないペースで進んでいる。


 今は世界迷宮第一階層の森で狩りの最中だ。資金稼ぎと魂の器の成長(レベルアップ)のために魔物を片っ端から倒していく。ゴブリンやホーンラビットなどの雑魚をたくさん狩って、とにかく数を稼ぐつもりである。


(今日は一日中森で狩り倒すとしよう。迷宮は一階層進むごとに時間が一〇倍伸びる。――おかげで俺は地上時間で一二時間分に当たる一二〇時間、つまり五日間も狩りに専念できる訳だ)


 ゴブリンの討伐証明部位の耳を刈り取りながら、俺はそんなことを考えた。


 あとは素材部位を刈り取るのだが、ゴブリンの素材にはあまり需要がない。角、肝臓、心臓、血、精巣、等を解体するには少々手間がかかる。

 なのでさっさと火をつけて燃やすに限る。狩った魔物はアンデッドになっては困るので、こうやって火葬しなくてはならない。火は聖なる魔払いの象徴。誰でも簡単にできるアンデッド予防策だ。

 もちろん森の木に引火しないように気をつけて、だ。


 先程狩ったばかりのゴブリンを火葬しながら、俺はふと気になった。今日は何故かゴブリンが多い。どこかから逃げてきたのか、それとも大量発生しているのか。


(どっちでもいいか。大量発生だったら好都合、その分俺の稼ぎが増えるというものだ)


 ゴブリンの遺骸から魔石を拾い上げて回収する。焼かれて熱くなっているので慎重に袋に入れた。まだまだこれからだ、本腰を入れてもっと稼がねばならない。


 決意を新たにし、俺は次の場所へと向かった。


(またゴブリンか)


 探査魔術で引っかかったのはまたゴブリンだ。それも三体組である。全員こちらには気付いておらず、呑気にキノコを採集している。今がチャンスだろう。


 遠距離から狙撃。自動制御アプリケーション【オートラン】を起動して、弾道を微調整する。演算補助アプリケーション【Ph.D.Engine】を駆使して照準をセット。キノコ採集のために屈み込んでいたゴブリンに、そのまま『fire bullet/火の弾丸』によるヘッドショットを浴びせる。頭に風穴。倒れるゴブリン。


 異変に気付いたゴブリンたちが駆け寄るのが見えた。片方を狙撃。照準が絞りきれないので胴体を狙ったが、運良く胸に命中した。致命傷だろう、じき死ぬはずだ。

 もう一体はというと、敵はどこにいるのか周囲を見回している。その隙に狙撃。鎖骨と胸骨の間に命中、そのまま崩れ落ちる。


 三体を撃破。随分と呆気ないことだ。これで遂に一〇体目、何というかもはや作業になっている。


魂の器(レベル)は少し成長したかな? あんまり自覚はないけど、何となく魔力が伸びた気がする)


 ゴブリンたちから魔石を回収しながら、俺は自分の体を見回した。何となくだが体を巡る魔力の量が増えた気がする。今日一日だけでは実感が薄いが、もしこのまま狩りを続けたならばきっと地上時間で一ヶ月後には相当強くなっているに違いない。


 単純に考えて、このペースなら今日だけで一五体近く狩れそうだ。一ヶ月間このペースを維持できれば、迷宮に累計一五〇日潜ることになるので、二二五〇体狩るわけで。それだけ狩れば魂の経験も積み重なって、少なくない成長が見込めるはずだ。


 資金にしたって、魔石も二二五〇個集まるし、討伐証明部位も合わせて換金すれば結構な稼ぎになるだろう。これは本当に一ヶ月あれば半期分の学費ぐらい賄えそうだ。


 無論、迷宮で一五〇日過ごす分の食費や、武具防具のメンテナンス費も考えて、である。一五〇日をフルに冒険に費やす訳ではないので、一三〇日を狩りにあてたとしても、二〇〇〇体程度が狩れる。十分すぎる。


(まあ、まだこのゴブリンの大量発生が一五〇日続くだなんて保証はないけどな。……これぞオリエント・ジャポニズムの諺『虎狸の皮算用』って奴だな)


 曰く、虎狸という珍しい生き物を仕留めた前提で収入計算をすることを指す。転じて、まだ実現するか分からないうちにあれこれ計画を練ることとなった。

 汝、実現するか分からぬことに(うつつ)を抜かすなかれ。ありがたい教えだ。オリエント・ジャポニズムはいつだって俺に禅スピリットを思い出させてくれる。


 そうだ、一ヶ月で二〇〇〇体も魔物が狩れるだなんて皮算用もいいところだ。もしかしたら俺が大怪我を被って暫く動けなくなるかもしれない。そうなればいよいよ資金に困窮することになるだろう。気を引き締めなければなるまい。


 今のまま安全マージンを十分に確保して、遠距離からの狙撃で魔物を狩るべきだ。接近戦など愚の骨頂。逃げる獲物を追うことすら非効率。強敵は全て無視して、雑魚のみを効率良く狩ることに徹する。射程距離は武器だ。相手に気付かれないうちに一方的に攻撃できるし、気付かれても距離が俺を守ってくれる。相手の油断を突くことこそ狩り効率の向上につながる。つまり、狙撃が最適解だ。


 探査魔術にブラックベアが引っかかったが無視をする。熊なんか相手にしていられない。それよりもゴブリンやホーンラビットなどの雑魚がいい。


(そうだ、これは遊びじゃない。あくまで金稼ぎなんだ)


 新たに発見したゴブリンの一団に目掛けて、今度は『fire bullet/火の弾丸』を複数発プリセットして機を窺う。自動照準機能によって四体のゴブリンの頭に狙いを絞り、彼らの歩く速度から数秒先を予測。そして狙撃。三体のこめかみにクリーンヒット。残り一体に即座に追撃を放って仕留める。


 何度も繰り返すうちに少しずつ要領を掴んだ俺は、結局この日に一七体の魔物を倒すことに成功したのであった。











 4

 自由選択科目として、『固有魔術演習』という授業がある。有り体に言ってしまえば、自分たちで新しい魔術を作ってそれを発表しよう、という授業だ。


 この授業はアカデミアでも人気が高い。何故なら、自分の力で新しい魔術を生み出すのが楽しいからだ。アカデミアの生徒ともなれば皆優秀なので、こういう創造性、自由性の高い授業を与えられると皆楽しそうに取り組む。心から学習を楽しんでいるみたいだ。


 さて、その『固有魔術演習』はグループワーク形式の授業になっている。

 そして、何故か知らないが特待生たち十名は特待生グループという一つのグループにさせられ「周囲の生徒の規範になるように!」と先生に期待までされている始末。

 つまり、俺たち特待生グループは割と本気で『固有魔術演習』に取り組まなくてはならなかった。


「――私たちの課題を整理しようと思う。私たちが作りたいのは上級魔術以上の防壁魔術だ。今まで習ってきた知識を活かせば、きっと達成可能だろう」


(「暴風」アネモイ。彼女はこんな感じでちょっと曖昧な精神論を口にすることがある。何事も成せば成る、って感じで今まで上手くいってきたパターンの人間って感じ。なまじ本人のスペックが高いだけにちょっと厄介なんだよなあ)


「アネモイ。基本の防壁魔術について記述してある本なら、既に図書室から数冊借りてきた。それを元に組み合わせて骨子を作ろう」


(「貴公子」ルードルフ。真面目で優秀、端的に言うと切れ者って感じ。ただの優男という器では収まらない、何か危険な雰囲気が漂っている。喩えとして正しいかは分からないが、野心に燃えるエリートっていうのが近い)


 特待生グループの責任は重大である。何と言ってもただでさえ優秀なアカデミアの生徒のお手本にならなくてはいけない。必然的に高いレベルが要求されることになる。


 そもそも特待生とは『学校から様々な援助を受ける代わりに、学生の規範となるよう過ごす義務がある』生徒のこと。今回もその一環とも言える。規範、つまりお手本だ。学費、教材、特別カリキュラム、学生寮、等々の援助を受けるからにはそれ相応の義務が伴う。


 何事もただではないのだ。


「でも、私たちが扱える防壁魔術は精々が中級でしょ? となるとアプローチとしては元となるベースの魔術は中級で抑えて、それを強化していくって方針しかないんじゃない?」


(王国第五王女アイリーン。獣人族の血が混じっているのに魔術に卓越している。好奇心も旺盛で、どちらかというと研究肌の女子って感じ。改良、改善とかはアイリーンが好きそうな言葉だ)


「アイリーンの言う通りだろう。だが中級魔術を上級魔術レベルにまで強化するのはかなり困難だ。最初から上級魔術に取り組む方が結果的に良いかもしれん」


(流石ルードルフ、王族相手でも切り込むなあ。まあ確かに、中級魔術を上級魔術レベルに強化するのも、上級魔術を最初から行使することも難しいっちゃ難しいけど)


 固有魔術演習は学年を問わず受講できる。


 だが、アネモイ、ルードルフ、アイリーン、そして俺と妹ターニャは同学年の特待生同士だ。そして他の五人もまた偶然同じ学年の特待生である。ここにいる十名全員は同期なのだ。


 俺たちにも342期生の矜持というものがある。342期生の特待生ということは、その期の生徒たちの中で最も優れた生徒たちであるということ。もしそれが目も当てられない実力であれば、俺たちの同期の生徒たちの名誉に泥を塗ることになる。何だ、342期は不作か、みたいに。


 それだけは避けなくてはならない。


「口を挟んで申し訳ありませんが、まずは両方とも実践あるのみかと思われます。幸い強化するだけならば、防壁魔術に『防御のルーン』を刻んだり盾の概念を付与したりするなどで比較的簡単に出来ますし、上級魔術を目指しながらでも可能かと」


(我が妹ターニャは、実は割と実践派の人間だ。暴風アネモイ、妹ターニャが実践派、王女アイリーンが理論派、貴公子ルードルフが中庸って感じか)


 ここにいる皆のことをぼんやりと考える。全員優秀なのは間違いない。そして相性も悪くない。きっとこのグループは無難に良い防壁魔術を達成できるだろう。


 王女アイリーンが「じゃあ一応両方考えてみよっか。一通り中級魔術以上の防壁魔術を試してみて、補助魔術で強化。そうやってどんな強化が相性がいいのかを洗ってみよう」と提案する。


 貴公子ルードルフが「防壁魔術なら色彩魔術でいう白魔術に該当する。そして防御を司るルーン文字、梵字、ヘブライ文字、そしてエノク文字などで一定の意味を練り込む必要があるだろうな」と議論を促す。


 暴風アネモイが「とりあえず皆の得意な魔術の系統を教えてもらえないか? それに合わせてどんな防壁魔術にするのがいいのかを話し合いたい」と話を纏め直す。


 とてもいいバランスだと思う。ここにモチーフ魔術の天才である妹ターニャが加わって、魔法陣のデザインがどんどんと詰められていく。流石は特待生たち、グループワークを与えられても『何をするべきか』『何が足りないか』という目的意識をはっきり持っているためか、流れるように作業が進む。


 それぞれが異なる専門領域を持っているというのも大きい。

 アストラル魔術の『息吹の魔術(ブレス魔術)』を得意とする「暴風」アネモイ。

 カバラ数秘術による高速詠唱を得意とする「貴公子」ルードルフ。

 基本魔術(オーソドックス)全てに適性を持つ「獣の王女」アイリーン。

 錬金術(アルケミー)とモチーフ魔術を得意とする「妖精」ティターニャ。

 その他俺除く五名もまた一角の実力者だ。

 このようにして全員が全員、異なる分野の知識を活かして魔術を組み立てていく。


 魔術は意味だ。どれだけの魔術的意味を組み込むことができるかでその威力が大きく変わる。想像力(イマジネーション)文化的意味(コンテクスト)が魔術の根幹なのだから。

 複数の専門家が持ち前の知識からコンテクストを編み込めば、それだけ重厚で壮大な魔術へとなる道理だ。


「……」


 ふと気付く。


 あれ、これ俺がいる意味ないんじゃ。

 全部彼らに任せても何とかなりそうな気がする。

 というかこれって俺が邪魔しちゃいけないパターンなのでは。


 さっきから和気藹々と魔術について議論が進んでいるし、それに皆楽しそうだ。「そんな方法が」「ほう、便利だな」「これ面白そう!」という具合に弾んだ声が聞こえてくる。きっと何か上手い方法でも見つけたのだろう。ちょっとどんな図なのか魔法陣のデザインを見てみたいが、覗き込むのも何だか気が引ける。

 え、だってこの空気の間に割り込むのって結構勇気が必要じゃないか?


 俺は正直、特待生じゃなくなったことに負い目を感じていた。何だか後ろめたいのだ。こうやって特待生の皆が楽しそうに議論に参加している空気の中に、特待生資格を剥奪された俺が飛び込むなんてできるはずがない。それも学院の爪弾き者の俺が、である。


 あの楽しそうな空気を邪魔したくない。邪魔するのが怖いのだ。


(そもそも、俺が何か意見したら空気が凍りつくっていうか。何故なのかは分からないけどさ)


 認めよう。俺は空気を読むのが絶望的に下手である。ハッシュ型言語関数を基に会話生成を行っているつもりなのだが、どうにも頓珍漢なことを口にしてしまっているらしい。キーワード分析による会話形態素解析はそれなりに頑張っているはずなのに、まだ向上の余地がありそうだ。


 会話のコードブック学習にでも取り組んでみるか、でも会話のコードブックなんて滅茶苦茶長くなりそうで作るの大変そうだなあ、なんて考えていると。


「……あのー、お兄様? お兄様からはご意見ありませんか?」


 妹から急に水を向けられてしまった。


「え、何、ターニャ?」


「ですから、お兄様は先程から黙ってばかりですが、ご意見はありませんか、ということです。だってお兄様が一番好きではありませんか、こういった創作作業」


「あー、まあ創作作業は好きっていうか憧れがあるっていうか」


 気が付くと、アネモイ、ルードルフ、アイリーンの三名も俺をじっと見ていた。しかも全員割と熱っぽい目で俺を見つめているし。好奇の目って奴だろうか。


 え、これ喋らなきゃいけない空気なの? と俺が言葉にまごついている間に、「ジーニアス、君ならどうアプローチするのかな」とアイリーンが試すような口調で問いかけてくる。


「現代魔術、でしょ? 君の得意な魔術。……君ならきっと何か良いアイデア持ってるんじゃない?」


「あー、まあなくはないな」


 答えた瞬間、「本当!?」と食いついてくるアイリーンを見て、俺は己の失敗を悟った。そうだった、アイリーンは俺が現代魔術の知識を披露してもドン引きしない貴重な友人の一人だ。だから厄介なのだ。


 気付けば空気が変わっていた。


「何だ、アイデアがあるのか。遠慮することはなかったのだぞ?」とアネモイはいつも通り空気が読めてないし、「意見があるなら聞こう」とルードルフは至って真面目に受け答えている。妹のターニャは「頑張ってください」と小声でエールをくれた。多分俺が良い感じのアイデアを出すことで、ここにいる皆が兄を認めてくれるようになるはず、と期待しているのだろう。


 だが残り五人からの視線は厳しいものだった。


 あいつが何でここにいるんだ、特待生じゃなくなったはずなのに。またあいつが何かをやらかすぞ。正直迷惑だから黙っていて欲しい。


 そんな冷ややかさを伴った嫌悪が滲み出ている。


 ふと、どこかの誰かの悪口が聞こえた気がした。

 また獣姫とあいつかよ。


 瞬間、俺は立ち上がっていた。


「……あー、何だ。取りあえず無関係な……」


 無関係な奴の悪口言ってるんじゃねえよ、悪口なら俺だけにしろ。そんな言葉を飲み込みながら俺は続けた。


「……無関係な魔術は排除していくほうがいい。ルーン文字を使ってるのに梵字も使うとかすると、二つを使いこなす必要が出てきて、制御する側にかなりの負担がかかるからな」


 何当たり前のこと言ってるんだか、という視線に晒されたが気にしないことにする。


 魔術は基本的にコンテクストを揃えた方が制御しやすい、というのは当たり前の知識である。北欧魔術を使っているのにインドの神様にあやかった魔術を使う、とかになれば、北欧魔術とインド神話の両方に詳しくないといけなくなるからだ。

 更に、上手い具合に組み合わせないと「北欧魔術らしさ」「インド神話らしさ」のミームがお互いを弱めあって魔術の威力すら減衰する。

 つまり魔術は基本的には一つのコンテクストに特化した方がいい。


 だが、基本的に魔術はコンテクストを編む方が強くなるというのもまた事実。複数のコンテクストによって多角的に魔術が補強されるからだ。


 純粋化するか多角化するか、魔術の威力を高めるならこの相反する二択を選ぶ必要が出てくる。


 しかし。


「――だから、魔術のコンテクストの選定は皆に任せる。そんなのはどうでもいい(・・・・・・)。俺は構造力学的アプローチで防壁魔術を補強するよ」


 言った瞬間、視線が随分攻撃的になったのを感じ取った。それもそうだろう、彼らが先程まで一番頭を悩ませていたのが『いかにコンテクストを上手く組み合わせるか』なのだから。


 それを俺はどうでもいい、なんて言い切ったのだ。当然いい気分じゃないだろう。


「構造力学的アプローチ? 何だそれは」


「ああ。まさか皆も一枚の板の防壁を想定していた訳じゃないだろ?」


「当然だ、二枚三枚と重ねて強度を増すに決まって……」


「あー、違う違う。その防壁一枚の構造だ。まさかどんな形でもいいや、なんて思ってたんじゃないだろうな?」


 俺に食ってかかってきた特待生の一人が、言葉に困って押し黙っていた。


 周りを見ると皆も同じような表情をしていた。アイリーンだけが「えっと、なだらかな曲面を作ってアーチ型構造のように力を散らせたらいいんじゃないかな」と建設的な意見を述べていた。流石は現在の学年首位なだけはある。


 なるほど、アイリーン以外は本当に『防壁』というぐらいにしかイメージを持っていなかったらしい。


「アイリーン、正解。アーチは軸力によって力を伝達する構造機構だから、部材断面を効率的に使用できるという利点がある。横に横に、と力が流れていくイメージだ」


「えへへ、まあ前に教えてもらったからね」


「でもアーチ型だけだったら、圧縮には強いが引張には弱くなる 。外から殴られるだけならともかく、振動を加えられたらまずい。力のたわみが生じてどこか一部に引っ張る力が加わったとき、その部分が破れてしまう恐れがある」


「そうなの?」


「そこで、プレストレスの導入だ。引っ張った輪ゴムを防壁の背中に貼り付けるイメージだ。隣と隣の防壁がぎゅっと密にくっつこうとする。そうすることで、例え変な力のたわみが生じて一部が引張されても、輪ゴムの力が引き戻してくれる。……これを輪ゴムなんかじゃなくて張力を印可したマナマテリアルで実現すれば構造的に安定性が高まる」


 勿論、アーチ型構造だけでは話は終わらない。

 先程食ってかかってきた特待生に諭すように言葉を続ける。


「次に防壁を二重三重にするって話だが、もしも何も考えず二重三重と重ねていくことしか考えてないのなら、そもそも二倍三倍に分厚い防壁を使った方がいい。曲げる力に対してどの程度耐えられるか――断面二次モーメントが1/4倍、1/9倍になってしまう」


「……何だそれは」


「多分その防壁の間にジェルなどのクッションを仮定して衝撃を殺すことを考えているんだと思うが……、まあもしかしたら消費マナ量を節約したいという意図もあるのかもな。それだったらハニカム構造が高効率だ」


「……ハニカム構造だと?」


「二次元の解なら知ってるだろ? 蜂の巣構造さ。あれの利点は強度をあまり損なわずに材料を節約できる点にある。……あれを三次元に拡張し、ウィア=フェラン構造を実現するんだ。何、式なら俺が書くとも」


 ウィア=フェラン構造。

 取りあえずは、どんな風に材料に穴を空ければあまり強度を損なわないか、という構造だと思ってくれていい。


「この三次元ハニカムのウィア=フェラン構造をサンドイッチのように挟む。……そうするだけで力の伝搬が高効率で実現されて防壁の強度がかなり高くなる。そのウィア=フェラン構造の穴をジェルで充填すれば振動衝撃や突発的な衝撃にも強くなるって訳だ」


 以上。説明終わり。


 皆は案の定、言葉を失っていた。俺が何を言っているのか半分以上分かっていないという表情であった。反応を見るに『効率良い表面の丸さ』『効率良いサンドイッチの骨組』『効率良いジェル』ってことが何となく伝わったかな、程度だろう。それでいい。


 妹は凄くにこにこしてるが、こいつはアホの子なので多分「ほらお兄様の凄さに皆絶句してますよ」とか呑気に思っているに違いない。なまじ俺が現代魔術を教え込んだせいで、俺の説明が伝わってしまっているのだ。可愛い。けどアホ。凄さに絶句しているというよりは引かれているだけだってのに。


 アネモイは「さっぱり分からん」と肩をすくめているし、ルードルフも「同感だ」と眉をひそめている。この二人は至極普通の反応だ。


 アイリーンが「凄い……」と溜め息混じりに感激しているのは正直よく分からない。こいつは新しい知識というやつに貪欲なのだ。おかげでこいつとは仲がいい。今考えたら王女と仲良しって凄いことのような気が。


 等と、ちょっと思考が脇に逸れた俺に「――はっ」と失笑が浴びせられた。


 あの特待生だった。下らない話を聞いたかのような顔付きで俺をあざ笑っている。


「お前は馬鹿か? 構造が複雑になればなるほどマナ消費量が増えるに決まっているだろ? それじゃあ意味がないだろう」


「ああ、それは大丈夫。ハニカム構造だったら、二種類の立体が一定規則で並んでいるだけだから、再起性のある命令構文を与えれば簡単だとも」


「それが簡単でないから問題なのだろうが! ……第一、ハニカム構造とやらが頑強というのも眉唾物だ。隙間がない方が頑強に決まっているだろ」


「いやそりゃそうだろ。そうじゃなくて強度をなるべく減らさないように材料を効率よく節約するならば……」


「はん、話にならんな」


「話を聞けよ、減らした材料で更に防壁を作れば強度は増え――」


「もういい。喋るな。黙ってろ」


 何だこいつ。


 ふと見れば妹も剣呑な表情になっており、例の特待生を睨んでいる。アイリーンも何やら良く思っていない顔付きであった。


 ルードルフも流石にまずいと思ったのか、感じが悪いこの応対に「やめろ、リック。喧嘩腰はよせ」と宥めに入った。「だが、概要が分からない理屈に信用が置けないのは事実だ」と一言付け加えることも忘れずに、だ。


「とにかく、構造に関しては単純な防壁ではなくて工夫の余地があることは認めよう。それがハニカム構造とやらなのかどうかは検討の余地がある。……今日の結論はこれでいいか?」


 流石は貴公子、場を取りなして纏めるのが上手だ。


 俺としては異論はないのでそのまま頷いておく。妹やアイリーンは少し複雑な表情を浮かべていたが、結局は同意していた。アネモイはちら、と彼女ら二人や俺の顔に一瞥をくれていたが、「……まあ、それなら」と異論はないようだ。


 他の特待生たちも別段反論はないらしく、ルードルフの意見に従っている。リックと呼ばれた特待生は苦虫を潰したような表情だったが、「……ち」と舌打ちを一つ鳴らすだけだった。


「……じゃあ今日はこれまでだな。解散だ。各自、防御魔術について使えそうな呪文、刻印、紋章を調べておくように」


 結局ルードルフの一声で、この場は解散となった。やや気掛かりな事項は残ったものの、解散するには丁度きりがいい。

 立ち去り際に、彼が一言「現代魔術か」と呟いたのが聞こえた気がした。


「神秘の学徒としては、今度是非とも教えてもらいたいものだ」


「ん? ああ、この程度ならいくらでも」


 教えてやるよ、と言う前にルードルフは背中を向けて立ち去っていた。

 因みに返事はなかった。独り言だったようだ、ちょっと恥ずかしい。


「……お兄様」


「ねえ、ジーニアス」


「ん? ああ、ターニャとアイリーンか。そんな変な顔するなよ」


 気付けば、アネモイも苦笑いを浮かべていて「気にするな」とか肩を叩いてくれた。


 妹、アイリーン、アネモイ。

 本当に良い奴らだ。俺に出来た数少ない理解者たちだ、大切にしたいと思う。こういう人間がいるから、俺は学院生活を楽しく過ごすことができるのだから。


「ありがとう。お前らのこと、大切にするよ」


「え」


「へ?」


「なっ」


 あれ。何だこれ。

 感謝を伝えたつもりなのだが、三人とも何か面白い表情で固まっているし。ハッシュ型言語関数を通してみても会話に不自然な要素はなかった。何故だろうか。


 次の授業までの休み時間を使って考えてみたが、結局考えてみても理由はよく分からなかった。



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