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第六話 蝉ドン




「んー、やっぱり追い駆け回される事無くのんびりと過ごせる日っていいわねー」


 大きく伸びをして、空気を胸一杯に吸い込む。

自由って素晴らしいと、私はまさしく不羈ふきなる時を謳歌していた。


 後から考えると私は久々に訪れた安寧にこの上無く油断していたのだと思う。

公務だとか何とかで、ハワードが一日不在だとお城の女官さんから聞かされたのだ。

文字通り舞い上がってしまった、みっともないくらいに。


 今にもスキップをし始めそうな浮かれた気分で私は鼻歌交じりに廊下を歩いた。

目指すのは書庫だ。


 これはこちらの世界に来てからわりと早い段階で判明したのだけれど、私はこの世界の少なくともこの国の文字は読む事が出来るらしい。

そこで帰る方法を探るのだ。


 帰らないで欲しいとウィルに懇願された事は記憶に新しい。

帰す気がないという旨の発言をハワードがしていたのも覚えている。


 その憂いを帯びた瞳に、冗談めかした言葉の裏に潜む真意に、心が揺れなかったと言えば嘘になる。

だけど、やっぱり今の私の胸の内では帰りたいという気持ちが勝っていた。


 もし、ここで暮らす内に気持ちが変わって本当にもしも、この世界に残りたいと思うようになったとしても、あちらに帰る方法が判明する事は何も不都合はない。

実際に帰るか、帰らないかを決めるのは方法が判明してから、帰れる条件が整ってからでもいい。


 ハワードはせっかちだからぐいぐいと強引に迫ってくるけれど、ウィルは急がなくていいと言ってくれた。

今はその言葉に甘えようと思う。


 その上で私は帰る方法を探しつつ、今後の自分の身の振り方についても考えていた。

ここにいれば私は何もせずとも何不自由なく暮らしていける。

だけど、タダで生活を保障してもらっているという状況に不安を覚えてもいた。


 それが両親なら何の疑問も抱く事無く、当たり前のように養ってもらえたけれど彼らは違う。

家族では無いし、現状恋人でも何でもない。

せいぜい友人といったところだろうか?


 求めるものがあるから、彼らは私を保護してくれているのだ。

でも今のところ私はそれに応えるつもりはない。

だったら、何か他の形で彼らの庇護を受ける事への対価を払うべきだ。


 やっぱりありがちなところではあるけれど、それに見合った労働で返すのが妥当だろうか?

そうするにしても、彼らがいったい私にどのくらいのお金をつぎ込んでいるのかが全く見当が付かないのが悩みの種だけれど。


 今、自分の着ているドレスの価値さえ判らないけれど、肌触りの上等な生地からきっと良いものなのだろうと思う。

与えられている部屋の内装にしたってそうだ。

天蓋付きベッドなんて、初めて見た。


 だけど、そんな頭の痛い問題はいったん忘れて、久々に訪れた自由な時を今はじっくりと味わおうと思った。

鬼の居ぬ間の洗濯というやつね。


 城の中はある程度なら自由に見て回って構わないと言われていたのに、ハワードの追跡を恐れて、ゆっくりと見て回る暇なんて皆無だった。


 自分の部屋の位置と、そこからウィルのいる礼拝堂への道を必死に覚えたのが最初の三日間。

一ヶ月ほどしてやっと書庫の位置を把握したけれど、いつハワードがやってくるかといつも気が気ではなくて、落ち着いて調べ物なんか出来やしなかった。

数分おきに背後を振り返るストレスフルな毎日だ。


 ハワードが思っていたより嫌な奴ではなかったとかそういう問題ではない。

人は見られている事に不安を掻き立てられる生き物だし、動物は追われれば逃げたくなるものよ。


 周囲を警戒しなくていいのはやっぱりいい。

駆けずり回る事無く、息を乱す事もなく目的の部屋に到着した私はたくさんある本棚の一つに向き合った。


『奇異なる一族』『窓枠の向こうの君』『猛獣の手懐け方』など、なかなか個性的なラインナップの中から私は一冊の本を抜き取った。


『人類の忘却と魔法の行方』


 私が召喚された時、礼拝堂の足元に幾何学的な模様が現れていた。

ウィルに訊ねたところ、やはりそれは異界人を喚ぶ為の魔法陣だと言う。

だけど驚いて魔法が使えるのかと問うと彼は使えないと答えた。


 私をこちらの世界に喚んだのはウィルなのにどうしてと私は首を傾げた。

すると、「使えるけれど使えない」と彼は言い直し、説明してくれた。


 曰く、この国において魔法とは失われた技術・アーティファクトのようなものらしい。

大昔は皆が当たり前のように日常的に魔法を使っていた。

だけど、いつの間にかその技術は忘れ去られてしまった。


 残されたのはこの魔法陣のような過去の遺物だけ。

月が満ちた夜、そこに使用者自身の血を垂らす事で込められた魔法を使う事は出来るけれど、それ以外に彼らが魔法を行使する術は無い。


 隣国では今なお魔法が栄えているというのに、この国の人間はいくら教えを受けても彼らが遺物の助け無しに魔法を使う事は出来なかった。



「どうも魔法が帰還の鍵のような気がするのよね……」


 そう独り言を呟いた時だった。



「不審人物発見」


 災厄は突然目の前に降ってきた。


「だっ、誰!?」


 誰にもいないと思っていたところにどこからか聞こえた声に私は咄嗟に後ずさった。

誰何する自分の声が天井に空しく響いた。

手から滑り落ちた本が足元でごとりと音を立てるのと同時に、背中が壁にぶつかる。


「どっ、どこなの?」


 部屋のちょうど角に立って右へ左へと忙しなく首を動かし、見えない声の正体に身を固くしていると、さっと視界が闇色に染まった。


「何? 何なの?」

「ここで何をしている、不審人物」


 暗幕が喋ったかと思った。

だけど幾ら異世界だからといってそんなおかしな事がそうそうあってたまるかと思い直す。


 目の前は闇。

右下を見ると黒いものが壁の方から伸びているのが目に入った。

左下も同じく黒いものが壁から伸びている。

最後に顔を上げると……。


「ひっ……」


 どアップの顔がこんにちはした。

口元まで布で覆われているその姿は正しく忍者だった。


「な、何してるの、貴方?」

「それはこちらの台詞だ、不審人物」

「不審人物って貴方だけには言われたくないわよ! この不審者!」


 売り言葉に買い言葉で私を不審人物と呼ぶその声を突っぱねる。

身体の方を突き飛ばさなかっただけ、誉めてほしい。

睨み上げると、相手ももともと細い目を糸のように細くして、見下ろしてきた。


 そう、彼は両手を壁について突っ張るようにして私を高い位置から見下ろしていた。

彼の身体によって私の視界は奪われていたのだ。


 ろくでもない既視感が私を襲った。

でもこれは茶室の侵略者とハワードがしてきたのとは少し違う。

先ほど確認した通りならば、彼の足は地についていないのだ。


 両手、両足を使って彼は壁に張り付き、私を部屋の隅に囲い込んでいる。

まるで蝉のようだと思った。


 正規の書庫の利用法に則って本を探していた私と、黒ずくめの格好で蝉のように壁に張り付く男。

誰がどう見てもむこうの方が不審者だ。

凄技だろうが何だろうが、そんなものは関係ない。

彼の行動が一般人の理解の外にある事には何ら変わりないのだから。


「私の名は不審者ではない、不審人物」

「名前なんて聞いてないわよ」


 またこのパターンかと思いながら、自分の置かれている状況を把握するに従って頭がひどく痛み出した。


 これは壁ドンするハワードを虫捕り少年などと言って揶揄した報いだろうか?

せめて捕まえる側になりたいなんて考えたから、蝉のような不審者が目の前に降って湧いてしまったのかもしれない。



 せっかく羽を伸ばせる日だった。

せっかく落ち着いて調べ物が出来ると思った。


 なのに実際はどうだろう?

目の前のおかしな忍者のせいでまったく気が休まらない。



「あー、もう、取りあえずそこをどいて!」

「それはできぬ。そなたが不審者でないと証明出来るまでな」

「ちゃんと許可は取ってるわよ」

「ならばその証拠を」

「もう、面倒くさいわね!」


 一応警告はした。

あちらがそれを断ったのだから、この先この人がどうなろうと知った事では無い。

私は怒りに任せて右足を蹴り上げた。


「ガハッ……」


 蝉は呻き声を上げながら地に落ちた。

下腹部を押さえて、床の上でうずくまっている姿を見下ろす。

何処にとは言わないけれど、クリーンヒットだった。


「ぐっ……」

「ふー、すっきりしたわ」


 またおかしなものを蹴ってしまったと思いながらも、イライラが収まって満足した私は埃を払うように両手をパンパンと叩く。

別に手で殴ったわけではないけれど。

これは気分の問題だ。


 対して黒ずくめの男は苦悶の表情を浮かべていた。

忍者のような格好をしているし、曲芸か何かのように壁に張り付いていたから、体位捌きも相当なものだと思っていたけれど、受け身もとれずに墜落したらしい。

当たりどころが悪かったかしら?


 ストレスが一気に払拭されたところでやっと冷静になれた私は、すぐに別の事に頭を悩ませる事になった。


 この人をどうしよう?

取りあえず生きているのは見れば判る。

私としてはこれに懲りて立ち去ってくれるのが一番なのだけれど、立てるかしら?


「あのー、もしもし?」


 ドレス姿でまさか目の前の男の人を跨ぐわけにもいかなくて、仕方なく声を掛けてみた時だった。



――ガチャッ。


「何かもの凄い物音がしたけれど大丈夫……って、リサ!? それにジェイル!?」


 前触れ無く開いた扉から顔を出したのはウィルだった。

今日もオフホワイトのローブのような服を纏い、銀糸のような髪を靡かせる彼は綺麗だった。


 変なものを見た後だからだろうか?

余計に彼が目の保養に思えてしまう。

目が潰れる危険性と隣り合わせだけれど。


 いや、ウィルに見とれている場合じゃなかった。

私の足元には現在進行形で黒装束の怪しい男が転がっている訳で、という事が私がまたはしたない事をしたとウィルにバレてしまう。


 ウィルは心配性だ。

蛮行が露見するのが恥ずかしいのもあるけれど、男の人と揉めたと聞いて彼が心を痛めるような事があってはならない。

とてもじゃないけれど言えない、また男を蹴り倒したなんて。


「あら、ウィル様。ごきげんうるわしゅう」

「リサ、急に改まった口調で話されると距離を感じるのだけれど……」


 力一杯棒読みな挨拶をして誤魔化そうとした私に、貴公子ウィリアムは寂しそうに目じりを下げる。

私は痛恨の一撃を食らった。


 自分の演技が大根以下、ド下手くそな事など元より知っている。

だから変だとか気持ち悪いだとか言われるなら、幾らでもこちらのペースに持ち込める自信があった。

だけど、そんな捨てられた子犬のような顔をされたら、懺悔をしたい気持ちになってしまうじゃないの。


「ウィル……」

「ジェイルと何かあったの?」


 言いにくそうに口を開いたり閉じたりする私にウィルは優しく先を促す。


「不審人物呼ばわりされて、ついカッとなって蹴り倒してしまいました」

「リサらしいね」


 観念したように白状すると、ウィルは意外と冷静に受け止めてくれた。

柔和な微笑みさえ見える。

私らしいって、ウィルの中の私がどういうイメージなのかすごく気になるけれど。


「ジェイル、起き上がれる?」

「ぐっ……。川が見えた気がする」


 ウィルは女性だけでなく、男性にも優しい。

白いローブの裾が汚れてしまうのも構わず屈み込むと、そっと気遣うように黒ずくめの男に手を貸してやる。


 完璧だ、ウィルは完璧過ぎる。

三途の川って異世界にもあるのかしらとくだらない事を頭の隅で考えているような私とは大違いだ。


「ウィル、この人知り合いなの?」

「うん。彼はジェイル・オブライアン。私のもう一人の従弟だよ」

「そうだったのね。従弟か、うんうん……え?」


 似てない。

ハワードとウィルが従兄弟関係だと聞かされた時も、そう思った。

だけど今度はさらに信じられなかった。

変態と完璧超人のウィルがご親戚だなんて。


 ジェイルと呼ばれた忍者風の男は煩わしげに頭巾と口元を覆う布を取った。

そこから現れたのは癖のついた黒髪と、薄い唇。

頭巾を外しても黒ずくめだ。


 やっぱり似ていないだなんて素直な感想を抱く私の目の前で彼はほうっと息をついた。

なんだかやたら艶めかしく聞こえるのは気のせいでしょうか?


「ジェイル。彼女はリサと言って私が召喚した女性だよ。ここに入る許可もきちんと取っている」

「リサ……」


 ぼうと私の名前を呟くジェイルの声にぴくりと肩を揺らして身構えたのは仕方のない事だった。

後ずさりしたくても退路はすでに断たれている。


 この状況で嫌でも思い出すのは彼らの従兄弟のハワードとの初対面エピソードだ。

この世界に来て、最初に蹴飛ばした彼も最初は怒り狂っていた。


……怒るわよね、普通。

でも私だって、蹴ったのは不可抗力だ。

突然目の前に壁に張り付いた不審者が現れれば、誰だってパニックになる。

防衛本能が働くのは当たり前よ。



「リサ……」

「ちょっとこっち来ないでよ!」


 こちらにも非はあるけれど、向こうだって悪い部分はある。

弱気になってはダメだ。

ふらりとこちらに近づいて来るジェイルは顔を赤らめてうつろな目をしていた。


「リサ……」

「触らない、で!」

「リサ、それ逆効果……」


 亡者のようにうわ言を言いながら伸ばされた手を払いのけると、本日二止めの蹴りを繰り出した。




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