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第三話 腕ゴールテープ



 それから私とハワード殿下の追いかけっこが始まった。


 追いかけっこなんていうと子供の遊びふぁとか、砂浜で恋人同士がキャッキャウフフだとか、随分と可愛らしいものを思い浮かべがちだけれど、そんな生易しいものでは無かったとここに名言しておこう。


 逃げる側の身として私は、私だけは必死だった。

何故私だけなのかというと、ハワードの体力が宇宙並だからだ。

不死身との私の見立てはあながち間違いではなかったというわけだ。


 初日に見事私の蹴りを食らったハワードはあっちの世界のそっくりさんのように吹っ飛びこそしなかったものの、頬を赤く腫らした。

そして烈火の如く怒り狂ったのだった。

さいわい、傷が癒えるのと同様に怒りも次第に減衰していって、三日ほどで収まってくれたけれど、それ以降も彼は私を追いかけ回した。



「げっ」


 ウィルが都合してくれた部屋から一歩外に出た瞬間に、思わず口から蛙が潰れたような声を洩らす。

全く喜ばしく無い事に、これはここ最近の朝の習慣となりつつある。

朝から嫌なものを見てしまった。



「あら、殿下。ご機嫌麗しゅう!」

「おいコラ、待て」


 自分に向かって伸びてきた手を躱し、今日も今日とて適当に言いおいてくるりと踵を返し、逃げる。

とにかく逃げる。

膨らんだスカートの裾が乱れるだとか、そんな事はどうだっていい。


「おい、露骨に避けるな!」


 両手でドレスのスカートを鷲掴んで、歩いていると言い張れるギリギリの速度で逃げていると、ハワードが叫びながら追いかけてきた。

これもここ最近の恒例行事だ。


「あら、何の事かしら? オホホホホ」

「おい、止まれ」


 とぼけて勝手なイメージの貴族令嬢風に笑いながらも足は止めない。

業を煮やしたハワードが加速しそうな気配を察して、ここぞとばかりに私は指摘するのだ。


「殿下、廊下を走ってはなりませんよ?」

「お前はどうなんだよ!」

「私のは早歩きですわ」


 突っ込みを入れる為に思わず立ち止まってしまったハワードを置いてけぼりに、私は精一杯見栄を張って高笑いをしながら距離を稼いだ。


 勿論、こんな手がいつまでも続くとは思っていない。

体力はあちらの方が数段上だ。

持久戦に持ち込まれれば、負けは確定である。


 ただ闇雲に逃げている訳ではなかった。

広い建物、アクロイド王国の首都ブライトヘブンに位置する城の敷地内で私がきちんと場所を覚えている数少ない部屋へと向かっているのだ。


 参加者二名の小規模な競歩大会で先頭を走りながら、私は何とかその部屋へ辿り着き、飛び込んだ。



「おや、またいらしていただけたのですね」

「おはよう、ウィル!」


 そう、ウィルの職場の礼拝堂である。

城の中には小さくない礼拝堂が建てられていた。


 私だって常識が無い訳ではないので、仕事の邪魔になる事も考えたけれど、そんな事は言っていられなかった。


「リサはいるか!?」

「げっ、もう追いついたの!?」


 ナマハゲみたいな掛け声と共に登場したのは言わずもがな、ハワードだ。


「おはようございます、ハワード様」

「だから様付けはよせと言っただろう、ウィル!」

「そうでした、ハワード」


 いつでも暑苦しいハワードと違って、ウィルは今日も爽やかだ。

二人がいつものやりとりをしている間に、背後を警戒しながらそろりと足音を殺してウィルの背中に隠れた。


「またかよ! リサ、こっちに来い」

「嫌です」

「何もしないからこっちに来い」

「それってだいたい何かする気のある人の言うセリフですよね? なので尚更そちらにはいけません」


 このハワードとの舌戦も、もう何度も繰り返されたものだった。

飽きる程聞かされているというのに、ウィルはニコニコと笑顔を絶やさずに私たちを見守っていた。


「せっかくですし、朝食にしましょうか?」


 二人して言葉が尽きて睨み合いを始めたところで、頃合いを見計らっていたようにウィルが提案をする。

数秒後、私とハワードは同時に頷いた。

一時休戦だ。




「それにしてもお前は毎度毎度どうしてウィルを巻き込むんだ?」

「だって、いざという時に貴方を止めてくれそうな人がウィルしかいないんだもん」


 美味しい紅茶に自然と頬を綻ばせていると、ハワードが話を蒸し返してきた。

彼は私の行動を不思議に思っているようだけれど、私にとってはこれ以外に有効打が見つからないので、至極当然の事だった。


 そう、私はハワードに追い回される度に駆け込み寺の如く礼拝堂へと足繁く通い詰めるもとい、逃げ込んでいた。



「ウィルに迷惑が掛かるとか考えないのかよ?」

「殿下が私をつけ狙うのをおやめになれば宜しいのでは?」

「お前、その口調やめろ。殿下って呼ぶな」


 反論する私の言葉にハワードは露骨に顔をしかめた。

改まった口調で話し掛けられたり、敬称で呼ばれるのがお気に召さないのは初日の時点で把握済みだ。

これは私からの小さな嫌がらせ、意趣返しである。


 テーブルという物理的な障害があるせいで、さしものハワードもすぐには手を出せまい。


「ふふっ、私は迷惑だなんて少しも思っていませんよ? リサの方から私を尋ねてきて下さるなんて、光栄です。それに、リサのおかげでこうして毎日美味しいお茶が頂けますからね」

「ウィル!」


 カップを片手に片目を瞑るウィルの言葉に私は感極まってその名前を呼んだ。

本当になんていい人なのだろう。


 フォローするだけでなく、さりげなく紅茶の味を褒める事も忘れないだなんて、さすがはウィルだ。


 緑茶や抹茶に限らず、私はお茶が好きだ。

そして、お茶を煎れる事が数少ない私の特技だと自負している。

そこをピンポイントで褒めてくれるだなんて、会話の流れで出たお世辞とわかっていても嬉しくなってしまうのは仕方ないだろう。


「お前らいつの間にそんな仲良くなったんだ?」

「ハワードのおかげよ」

「俺の?」

「ええ、そうよ。ねえ、ウィル?」

「はい」


 親しげに名前を呼び交わす私たちにハワードは怪訝な顔をする。

そんな彼を尻目にウィルと二人して見つめ合いながら笑みを交わした。


「リサ。私からもひとつ質問して宜しいですか?」


 二杯目の紅茶をカップに注ぎ終えると、今度はウィルが私に問いかけてきた。


 尋ねる前に許可を得るだなんて、何だろう?

余程訊きにくい質問なのだろうか?


 彼が僅かに首を傾げると、プラチナブロンドの髪が揺れる。

私の前ではいつもニコニコと綺麗な笑みを絶やさなかったウィルが、真剣な顔つきをしている。


 急に訪れた真面目な雰囲気に私は怖じ気付きながら、こくんと無言で首肯した。



「リサは何故、そのように頑なにハワードを拒まれるのですか?」

「それは……」


 今一番訊かれたくない事を訊かれてしまった。

身構えていたというのに、ティーカップを持つ手が震えている。

俯くと、琥珀色の水面に波紋が浮かんでいるのが見えた。


「ハワードが嫌いだからよ」

「おまっ……」


 立ち上がろうとしたハワードをウィルが手を翳して制する。

止められたハワードは憮然としながらも、椅子に掛け直し、押し黙った。


「それは嘘ですよね? 確かにハワードは強引で直情的な部分がありますが、それは裏返せば表裏が無いという事でもあります。貴女はご存じないのかもしれませんが、貴族というものはたいてい建前の表情とは別に、お腹の奥底に後ろ暗い感情を持っているものですよ? ですが、ハワードは違います。貴女と同じように真っ直ぐです。貴女とハワードは似た者同士だ。それでも彼がお嫌いですか?」


 一対のアクアブルーの瞳が私を見つめる。

その瞳に心の奥底まで見透かされているような気がした。


 こっちの世界に喚ばれてから、なるべく考えないようにしていた事があった。

それは元の世界に帰れなかったらという、もしもの場合だ。


 人は追いかけ回されると逃げたくなるものだ。

だけど、そんな本能的な理由とは別に彼を避ける理由があった。


「……認めたくなかったから。もし、こっちの世界で誰かと恋をしたら、帰れなくていいって認めた事になると思ったから。だから……」

「それは私が貴女に求婚しても同じという事ですか?」


 いつも優しい筈のウィルの表情が酷く冷たい。

だというのにアイスブルーの瞳は甘く、温かく濁っているように見えた。


 はらりと何かが頬を伝ったのを感じてハッとする。

カップをテーブルに置いて自分の頬に触れると、指先が濡れたのが判った。


「ごめんなさい……!」


 テーブルに手をついて勢いよく立ち上がると、ティーカップが力無く倒れた。

真っ白なクロスに褐色の染みが広がっていく。


 ただハワードと顔を合わせたくないだけなら、自分の与えられた部屋に閉じこもってしまえば良かった。


 だけど私は帰りたかった。

帰りたかったから、こんな見知らぬ世界の見知らぬ城で、帰る手がかりを見つけようと一歩を踏み出した。


 強引に迫られて、でもそれを肯定してしまえば元の世界に帰る事を諦めた事になるような気がして、今まで通りに視界からシャットアウトしてしまおうとしたのだ。

知れば惹かれてしまうと分かっていたから。



「嫌われちゃったかな?」


 ウィルはぼんやりとテーブルクロスの染みを見つめながら呟いた。


 悲しいのは私。

必死になって隠していた自分の一番弱い部分を突かれて、傷付けられたのは私だ。

なのにどうしてウィルがそんなに苦しそうな顔をしているのだろう?


「ごめんなさい!」


 もう一度叫ぶように謝罪の言葉を述べると、足を急かして扉へ向かう。

ハワードの側を横切った時だった。


「なっ……」


 急に伸びてきた腕に囚われる。

身を捩ってもお腹から腰へと回されたその腕はびくともしなかった。


「ちょっとお前、こっちに来い」


 低い声の主は私の腰に添えていた手を背筋をなぞるようにして上へと滑らせ、肩を掴む。

気付けば、抱きかかえられてどこかへ運ばれていた。




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