久しぶりの姉母と魔物の襲撃
姫視点に戻ります
「ん……?」
心地よい眠りに微睡んでいたが、なんだか気になる臭いが鼻に付き意識が覚醒していく。そうして目を開けてみた私の視界には見知らぬ天井が映った。
石造りの城の天井とは違う、茶色い天井。
起き上がって改めて見回す壁も茶色一色で、よくよく見れば木で造られた家に私は今いて、気になったのは木の匂いだったらしい。
そういえば料理長が薪割りをした後はよくこんな匂いが城に充満していた。
でも木の家で寝てたとかなんでだろう? そもそも、誰の家??
「ええっと、何がどうしたんだっけ……あ」
「え? あっ……おっ、起きた、んだねっ」
それまでを思い出そうとしたけど、一人の女性が室内に現れて思わずそちらに目を向ける。
私に気付いた女性は私と目が合うとおろおろとし出した。
怖がっているというのかな、ちらちらとこちらを窺うけど目が合うとすぐに反らされる。
私は寝起きなのもあっていまいちその反応についていけず、見守る感じでその人を眺めた。
金髪碧眼で、私より年上っぽいけど、まだ大人とは言えないくらいの若そうな年の人だ。
にしても背中に何か背負ってるんだけど、あれ何だろう。
「えっと……おはよう」
「あっ、おはようございます」
その人はまだ戸惑ってる感じが抜けないけど挨拶をしてきたので私もそれに反射で返した。
ただ挨拶を返しただけだけどその人は目に見えてほっとした顔をして、少なくともいい人だと思った私はこの状況を訊ねてみることにした。
「あの、ここはどこですか?」
「え、覚えてない? ……そっか、着いたときは寝てたものね。どこまでなら覚えてるの?」
「……えっと、」
人見知りとかそういうのではなかったのか、普通に話し出したことに少し驚きつつ、どこまで思い出せるかそれまでを振り返ってみることした。
まずは城。そして自分の部屋を思い浮かべる。
今違う場所にいるってことは外に出たってことで、そうする理由は何だったか──そうだ、
「リーナ姉様だ!」
「はっはいっ!」
「え?」
「……え?」
思い付いたことをそのまま口に出したら、傍にいたその人が急にぴしっと姿勢を正して返事をしてきた。
不思議で思わず聞き返せば困惑した様子のその人の視線とぶつかり、部屋に妙な沈黙が流れおちる。私が今のは悪いっぽい?
私が口にしたのは姉様のことで──ん? よくよく見るとその人は私やお母様と同じ金髪碧眼ではあるよね。珍しい色合いではないけど、シルヴァニアの姫は例外なくその色って言われてる色彩。
あともうひとつの確認方法として翼があるかになるけど、背中に何か背負ってるような白い布で覆われたのがそれだとしたら。姉様は黒い翼らしいし堂々と出せなくてそうしているのかもしれない。
そして姉様とは年の差三つと考えてみて、目の前の人がそうだとするならしっくり来る気がする。うん、なんとなく姉様っぽい気がしてきた?
──ようするにちっちゃい頃のこと過ぎて姉様の顔をぼんやりとしか覚えていなかったわけですが、会いたかった気持ちに偽りはないよ! いないよりはいた方がいいし、いるなら会うべき。これから思い出を作っていけばいいんだからねっ。
改めて姉様として見てみると、姉様は困ったような、落ち込んだような、とにかく浮かない顔をしていた。
私がそんな顔をさせたんだよねと思いつつまじまじと見た姉様は──美人さんでした。スレンダー美人。落ち込んだ姿はこれが儚げというものなのか、月光を背負ったらすごく絵になりそうな感じ。
「姉様、すごい美人になったんだねえ」
「…は……えっ、美人?」
「うん。姉様綺麗だもん。私もリーナ姉様の同じくらいの年になったらそうなる? なりたいなあ、羨ましい」
「え? えっと…ミリアは可愛いわよ?」
「可愛いのは…なんか違うような」
「……そうだね、言いたいことはわかるけど、でも…綺麗って言うのは大人向けの言葉じゃない? ミリアはまだ可愛いでいいと思うわ、私」
「え~」
「お子様二人で何て話をしてるのかしら。何、色気付いたの?」
「あ、お母様」
外見についてあれこれ話をしていたら呆れ顔のお母様が現れた。その背に隠れるようにして見馴れない子もこちらを覗き見ている。
初めて見る子だった。その子は私より年下だとわかる小さな体に可愛い顔をした青い瞳の女の子で、水色がかった銀髪で結い上げた部分は動く度にふわふわと跳ねている。
誰だろうって考えはひとまずおいて、私は一旦お母様に視線を戻し、久しぶりに見たその顔を眺めた。
「お母様は綺麗と可愛いが同居してる感じだよね」
「なあに、幼な顔って言いたいのかしら? ん?」
「え、若く見えていいんじゃ」
「若いのよっ! 後半とはいえまだ三十代なのっ! 老けたとか言ったらぶっ飛ばしてるからね?」
と言いつつもう手はすでに出ている。私の頬は思いっきり引っ張られていた。
なんでそんなに怒るのかがわからない……あ、これが年上女性に年を聞くのが失礼だとか言うやつなんだろうか。
それにしても、こうしてお母様とも話をするのも何年ぶりだろう。
痛いんだけれども昔の記憶と一致する口煩さと手が飛んでくる早さに、これがお母様だったなあと少し懐かしくも思った。
このお母様が静養するほどの柔だとか、なんで私は信じてたんだろう。世間に広まる話とは大違いの快活な王妃、それがお母様なのに。
解放された頬を自分で労りながら、他に気になることもあったので話題を変えることにした。
「ね、その後ろの子はだあれ? ひょっとして新しい妹だったり?」
「おっとそうきたか……。なあに、私が浮気したとでも言いたいのかしら~このおばかは?」
「いひゃい、いひゃいれふ、ふいはへん」
とても良い笑顔で怒るお母様の様子に、この推測は違ったらしい。
そりゃあシルヴァニアの姫の色合いでもなく翼もないみたいだけど、ちょっぴり期待しただけに残念。
「この子はサリナちゃんって言って、私と一緒で表立って生きられないからここで預かることになった子なんだって」
苦笑しつつ、姉様がそんな説明をしてくれた。小さなこの子もわけありになるらしい。
「えっと姉様は亡くなったことになってたけど、じゃあこの子もそういうことになるの?」
「それは…私も詳しいことは教えてもらってないから」
そう言って姉様はお母様に視線を向けたので私もそれに倣う。お母様はむっと顔をしかめた。
「言わないわよ。まあどこの家庭にも色々事情はあるものだし、あまり首を突っ込むもんじゃないわ」
「ふーん…?」
そのサリナちゃんはというとじーっと私を見ていたんだけど、不意にとてとてと真っ直ぐに私に向かって歩いてきて、私の袖を掴んできた。
「この服、あったかい感じがするの」
「…そういえばそれ、城には無い質の服よね。どうしたの?」
「ああ、これはあの子が貸してくれた服で……そうだっ、あの子は? いないのっ?」
室内を見回した中には居ないから外に居るのかなと一瞬考えたけど、あまり楽観はできない気がした。
道中の彼は親切ではあるもののどこか壁を感じさせる応対だったのだ。
別れてしまったら二度と会えない、会わないだろう、そんな感じの。
「まさか、行っちゃったとか……?」
「まあ、今はここにいないわね」
「うそっ! まだちゃんとお礼も言えてなかったのに行っちゃった──った!」
「"今は"って言ったわよ、落ち着きなさい。たぶん、戻ってくるわ」
頭の上に手を置かれ、グッと押し込められる。
お母様の言葉を聞いて少しほっとしたものの、まだ不安ですがるようにお母様を見上げる。
「確証はないけど、一人あの子についていった人がいるから、それを送り届けには戻ってくるんじゃないかと思うのよ。魔物を信用しきるのはよくないことだと思うけど……わりと良い子みたいだし」
「良い子っ! やっぱりお母様もそう思った? すっごく良い子だったよね!」
「…少ししか話してないからはっきりとは言えれないけれど、魔物というには不思議ちゃんだったわね。というかそうよ、あの子があんな感じだったから良かったものの、魔物と行動するとかどうなのよ?普通の魔物だったらもう死んでるのよあなた」
「しんでる……」
そう言われても正直、実感が湧かなかった。それよりもにやにやとしたあの男の人たちの方が私は怖いと思う。
私のそんな反応に「危機感が足りない」とお母様には呆れられ、姉様には「無茶しちゃダメだよ」とやんわりとしたお叱りを受けることになったが、やっぱり怖いのはそちらの方。
それでも一応は納得したようにみせておこうと頷きかけ──
「ぐっ?」
不意に腹部にどかんときた衝撃に舌を噛みかけて呻いた。
痛くはなかったけど、何事かと見下ろせば目の前に柔らかそうな銀髪が映る。サリナちゃんだ。
小さな手は体を回り、ぎゅうっとサリナちゃんが私の体に抱きついている。
「あの、ど、どうしたの? 大丈夫?」
俯いてるので顔は見えないが、触れている面から体が震えているのが伝わってきて、わけがわからないままに気遣ってみる。
「もり、森が来るのっ。おにいちゃんたすけてっ……」
森が来るとはどういうことか、お兄ちゃんとは誰なのか。
消え入るような弱々しい声にまた戸惑いながらお母様や姉様を見上げるが、二人もわからないって感じでサリナちゃんを見下ろしていた。
そうしている間に、窓のわずかな隙間から黒い影がひらりと室内に舞い込んできた。
首輪のように首元にある赤い輪が特徴の、小柄な黒鳥だ。
見覚えのあったその鳥は、この国独自の伝書鳩として知られている色々と特殊な鳥。
例えば、お父様以外にはなつかず攻撃するとかね。クールって言うんだっけ、他の人にはそっぽ向いて無関心って感じで、無闇に飛んで鳴いたりする事も普段はないんだけど。
それが狭い室内をくるくると頭上を旋回し、せわしなく鳴き声を上げているなんて珍しい。
「……今日のククイット、なんだか随分と激しいんだね?」
「これは城にいるククイットじゃなくてシュレイアよ。兄妹だから見分けがつきにくいのはわかるけどね」
「えっそうなの?」
これが2羽いたことに驚いていると、木の扉がばんっと開いて今度はそこから強張った表情の男の人が現れた。
「レイミア様っ、魔物の群れがこちらに向かってきます! 至急応戦の準備を──ったぁ?!」
なんとシュレイアと呼ばれた鳥が、ちっちゃな足で話途中の男の人の頭を足蹴にし出した。すごい強気というか、どうやらシュレイアの方も癖があるっぽい。
***
場所は変わって今は外にいる。
辺りはぴりぴりとした、張りつめた空気に包まれていた。
剣を振るい備える者、弓の弦を確かめる者、石とか投げられるものを集めて回る者、杖を構えて集中する者。
そのなかにはお母様と姉様もいて、杖を握って魔力を高めている姿がある。
私はサリナちゃんと一緒に後方待機だ。戦える力もないけど、なにより抱きつかれたままなので動けない。
見た感じは私にすがっている状態だけど、彼の力が宿ってるかもしれない服にサリナちゃんはすがっているらしかった。
サリナちゃんには魔物を感じ取る力があるらしい。
戦いの準備に移る前に姉様が教えていってくれたので、謎の発言や今の状況はどうにか理解できた。今までも何度か襲撃があり、その度サリナちゃんの感知能力で退けてきたという。
でも「森が来る」発言は今までに無かったことだそうで、たぶん今までに無いくらいの規模で来るとの予想が立てられ、皆険しい顔をしてその時に備えていた。
「きた……っ」
サリナちゃんの悲鳴にも似た声があがり、私にしがみつく力もまた強まった。
そしてすぐ、恐々と向けられるその視線の先の森からゆらりと森に生息しているような獣たちが静かにその姿を現し始めた。
肉食系の狼や熊、草食系だろう鹿やら山羊やら、あとは鳥や蛇とか戦えるのっていう小型の動物も居たりする。それらは一定の位置まで進み出てくると後続を待つかのように足を止めていた。
その立ち姿は、はっきり言って異様だった。
鳴き声も上げず身動きもせず、剥製の置物のような感じで佇んでいるのだ。
大人の人たちもそれをおかしいと思っているようで、武器を構えるものの攻撃には移れない感じで成り行きを見ているようだ。
やがて森の動物たちの行進が終わると、その奥からいくつもの蔦を寄り合わせて木を形どる木擬きが現れる。
あれは……あれが魔物なんだろうか?
他に蔦の木擬きの後に出てくるものはなく、それが枝を思わせる蔦をひとつ高々と振り上げて勢いよく地面に打ち下ろせば、それを合図とするように動物たちが一斉に動き出し、その戦いは始まった。