届けられた娘と魔物の子
お姫様の母、レイミア視点です
私は二児の母にして小国シルヴァニアの王妃、レイミア。
本来なら何不自由なく暮らせていた城を離れ、なかなか人の踏み入れない険しい山林でひっそりと自給自足の暮らしを送っている。
この生活は、とある事情から上の娘を城に置けなくなったことから始まった。
数名の護衛のみを連れて、場所の開拓から住むための家から口にする食べ物に至るまでもう何もかもが一からで。ほぼ未経験者の集まりながらよくここまで来れたと思う。
今では愛着も一入なこの場所での生活は目下、あとひとつの問題さえ解決すればもっと住みやすい場所へとなるだろう。
座って作り笑いしている王族業より性に合ってる気がしなくもないし、子供たちも窮屈な世界を知らず、他人の目も気にすることなくのびのびと健やかに育っていてこれはこれでいい暮らしだ。
──子どもと言えば、まだ気掛かりなことがあったわね。
それは城に置いてくることになった下の娘だ。
城に赴いた時に遠目に見るくらいしか出来ないので伝え聞くしかないけれど、成長して行動力が増したようで手を焼いているらしい。あの落ち着きの無さはいったい誰に似たんだか。
全く、あの子が将来国を継ぐのだからしっかりしてもらわなければ困るのに、あの子の周囲は夫を含めて甘い者ばかり。どうしたものかしら。
「わあ……!」
「あらどうしたの? サリナちゃん」
ふわふわっとした銀髪をツインテールに纏め上げた女の子──サリナちゃんという、これまた訳ありで預かることになった他国の姫である──が空を見上げて感嘆の声をあげていて、物思いを一時中断する。
「あのねっ、すごくきれーなのがあっちにあるの!」
「綺麗なの?」
「うん、お水みたいにとーめーな、すっごくきれーなちからっ! サリナ、あんなのはじめて見たぁっ!」
「へえ~、綺麗な力ねえ……──っ!? みんなっ、警戒体制をっ!!」
一点を見つめるサリナちゃんが言うものを探そうとした私だったが、彼女の言葉を反芻してハッとすると集落に住まう他の者達に招集を呼びかけた。
まだ片手にも満たない幼い彼女だが、その言葉は無視できない重要な意味合いがあるのだ。
彼女は不思議な子で、魔力を感じ取れる力がある。
その信憑性に関しては申し分無い。
この辺りには魔物が寄り付きやすい何かがあるのか、最近は特に襲われる頻度も上がっているのが悩みの種なのだが……その襲撃全てが彼女の警告のお陰で迎え撃つことが出来、今の生活を続けられていると言っても過言ではない。
体験談でいけば、声を上げる程に強い魔物である可能性も高くなる。
件のそれがここに来るかは別として、恐らくは力のある魔物。備えはしておいて損はない。
程なく剣や弓を持った男衆がこちらへと駆けてきて、そのうちの一人が私の愛用の杖を差し出した。
「レイミア様これを」
「ええ、ありがとう」
私は差し出された杖を受け取りながら、傍らのサリナちゃんの様子を伺う。
それは彼女の恐怖の度合いでまた大体の力量が把握できるからなのだが──その彼女はというと、先程から変わらず瞳をキラキラとさせて遠くを見上げるばかり。
怯えるのが常だったはずが今はなんというか、本当に感激? しているようだ。
「あの、魔物、なのですよね? どうしてサリナ様は……?」
武器に手をかける者たちも、いつもと違うサリナちゃんの様子に不思議な眼差しを送っている。
「私だってわからないわよ。それでも警戒はするべきでしょう」
「あっ、こっちにくるみたい! あそこっ!」
彼女が背伸びをして懸命に指し示した指の先──そこにややおいて小さな影が視認出来るようになり、そして瞬く間に巨大な影を落としてそれはふわりと目の前に降り立った。
それは一見すると全身紫の毛並みで覆われた獣のようで、でも獣と言うには色々と規格外な魔物。
まず獣耳がありそうな所には角らしきものが後ろへと伸び、足周りすらもがっしりとした体躯は木の丈程の高さもあるだろうか。
そしてその背にはその体を覆わんばかりの大きな翼があり、太く長い尾も獣と言うには似つかわしくない代物だろう。
……このような魔物を、私は知らない。
似た姿ですらこの近辺では見かけたこともない。
というか、そもそも近場にこんなのがごろごろ居られては人の国はきっと滅びるだろう。
襲ってくるわけでも、威嚇してきているわけでもなく、ただ対峙しているだけだというのに──私たちは動くことができないでいるのだから。
冒しがたい空気を纏っているとでも言えばいいのか……大抵の魔物が放つ禍々しさとは真逆の清廉な雰囲気と、凛々しさすら感じさせるその立ち姿に私達は圧倒されていた。
今まで見知っていた、倒してきた魔物たちがどれ程低級な存在だったのかを思い知らされる。
(……綺麗な力の魔物、ね)
そうしてふと、サリナちゃんが言っていた言葉を思い出す。
件の魔物は着地したその場からは動かず、視線を巡らせて私たちや周囲を観察してはいるようだけど相変わらず敵意は感じられず静かに佇んでいる。
そんな魔物を前に未だ恐がる様子を見せないサリナちゃんを確認し、ただ害を為すだけの魔物ではないのかもいう考えがちらりと浮かんで相手の出方をもう少し待ってみることにした。
しかし不思議な魔物だ、と思う。
厳かさもありながら穏やかな空気も纏っているものだからすごく惹き付けられるというかなんというか──そんな静まった空気の中、不意にかさっという乾いた音が耳に届いた。音源を探してみれば、魔物の前足に紙切れのようなものがある。
その視線に気が付いたのか、魔物はようやく動きを見せた。紙切れを足下で転がして、こちらに見えるようにか、広げたそれを草の上へと滑らせてきた。
覗き込んでみたそれは緑と茶色が大半を占め、その緑の上にぐるぐると描かれた丸印を除けばなんの辺哲もないこの周辺の事が載った地図。
シルヴァニア城という大体の位置を知れる目安があり、そこからその記された場所を見やり──はっとした。
地図上ではこれといった目印もない森ではあるが、見る者が見ればわかるその場所はどう考えても……この集落を示しているようにしか見えない。
「これってここで合ってますよね?」
そう思い至った時、突然男の子の声が聞こえてぎょっとした。
驚いて周囲を見回せば、同じように見回す他の者たち。
この集落に子供は居るが、家に避難させている私の上の娘と傍らに居るサリナちゃんの女子二人だけで男児はいないからだ。
話の内容からふと、まさかと思いつつ目の前の魔物を見上げる。
視線が合ったと思ったら再度「合ってませんか?」という問いかけがあり──それとともに魔物が首を傾げる姿があった。
知性ある魔物がまさかの幼い声を発したことには驚いたが、この場所に目的があるということには改めて警戒をしなければならないのかもしれない。
私は武器を握り直し、覚悟を決める。
「あなた、何故、ここへ……? 何をしにここへ来たのかしら。」
「お届け物──あ、人か。があって来ました」
「…………人?」
魔物から発せられる声はやっぱりまだ幼そうな男の子の声で、その上敬語で語られ、違和感が先に立って話を飲み込むまでに必要以上に時間を要した。
その上こんな格上の魔物を遣いにする知り合いも居ないだけにどう答えたらいいものか。
「ここに来たがってる子を連れてきたんですけど、今寝てるみたいだから確認できなくて困ってて。たぶん、ここで合ってると思うんですけど…」
「来たがってる、子?」
「この子です」
そう言って屈み込んでみせた背を恐る恐る覗くと、目に入ったのは肩まで伸びた金髪を散らかし、魔物の背だというのになんとも呑気な寝顔を晒す───私の下の娘。
「…………こんのバむあっ!?」
バカ娘っ、と理解した瞬間私は叫んだ。
いや、正確には叫ぼうとした。
けれど、口を塞ぐ物に阻まれてばふっというくぐもった声が漏れて終わる。
私の口を塞ぐのは、思っていたよりも随分ふっさふさな毛並みだった魔物の前足だった。
うっかりそんな風に気が逸れてしまうくらいやんわりとした力加減で息苦しさは全くない。この魔物は本当にこちらを傷つける気がないらしい……?
「あの、寝てるのを無理に起こすのはよくないかと……ごめんなさい」
そんな思いで視線を向けると、今の行動を伺うように謝罪されてしまった。
……えっと、どうしようか。魔物に制されたと思うよりも幼子の声で申し訳なさそうに言われてしまったことにばつが悪い思いをして居たたまれないわ。
色々と予期せぬ事態に混乱する頭でまず最初に出した答えは一先ず、目の前のこの魔物は私たちの考える魔物とは性格までも異なるのではなかろうかということだ。
こうやって話が出来るのなら話し合うのもいいのかもしれない。この状況についてだって答えてくれるかも。
「あの、どういう経緯でこうなったのか、教えてもらえるかしら?」
「ああ、それはですね」
──そうして魔物の口から語られた内容は、もう違う意味で頭を抱えたくなる話だった。
***
「森で男の人に追われてて? 助かったら助かったで今度は道に迷ったからって魔物である貴方を追いかけて? それに留まらずここに連れていって欲しいってお願いしたとか……もうなにそれよ。あの子バカなの? バカでしょ」
目の前の魔物に聞いた事情を呟いて状況を整理しつつ、今はベッドへと運んだ娘がいる家屋を私は思わず睨み付ける。
やれ剣を振り回してただ、城を抜け出しただなんて比べるまでもない、今回のやんちゃはさすがにどうなの。
更に驚くべきは交渉内容である。
魔物相手に地図一つで成立する取引なんてどんな話。しかも財宝のありかや重要な何かを記された地図なんてわけでもない、これはどこにでも出回っている本当にただの地図なのだ。それもシルヴァニア近辺しか載ってないもの。
有り得ない。にわかには信じがたい。
「貴方、本当にこんな地図でここまで来ることを承諾したの?」
「え、はい。散歩する時これ見ながらだと楽しいかなって思って。色も鮮やかで見やすいから今外にはこんなのがあるんだよって皆にも教えたかったし。あとは今回の散歩の記念みたいなものにもなるかなと」
「……そう。貴方がそれで良かったのならそれで良いわ……」
本気で言っている風の声音である、私はもう脱力するしかない。
娘も娘だけれど、この子もおかしいと思う私は間違ってるのだろうか。
手に持つ地図を複雑な思いで魔物に返しかけ──ふと、付けられていた印が不味いことに思い至った。
「ちょっと待って、この地図は渡せないわ。この場所を示す印がついてるのは不味いのよ。ここはちょっとわけありの場所だから知れ渡る危険性は少しでも避けなきゃいけないの」
「え……そう、なんですか」
「あっえっそうじゃなくてっ! かっ代わり! もっといい地図が他にあるから! それあげるから! まっ待ってて!」
どことなくしょんぼりした姿に罪悪感で慌てた私は大急ぎで家へと向かった。
そして目的の物を引っ掴むとまたダッシュで魔物のもとへ舞い戻る。
「はい、これ! これならあげられるわよっ!」
そう言って、一冊の本になった地図を魔物の眼前に持っていく。
「世界…地図?」
「あら、字を読めるの? そう、これは世界地図なのよ。そしてなんとっ、地域ごとの拡大図付きっ!」
あたかも自分の物であるかのように話したが、ぱちくりと瞬くのみの反応をする魔物を前にはっと我に返り、こほんと咳で場を濁した。
「ええと、貴方がミリアから貰おうとしてたのはこの辺りの地域の拡大図ってだけのものなの。散歩に使うのなら……どこまで行くのか知らないけど、世界地図ならあって損はないでしょう?」
そう言って地図を開いて渡すと、魔物は片足を伸ばし、ぱらっと器用にページを捲って覗き込む。
食い入るように見ているお気に召したらしい様子にほっとした次の瞬間、その姿が淡い光に包み込まれた。
「えっ?」
急な事に驚いている間に光は大きさを縮め──やがて収まったそこには先程の魔物を思わせる紫の髪をした少年が地図本を広げ持って凝視している姿が残った。
また思わぬ展開に言葉が出ない。
「この色って多分砂の所? それでこっちは氷ので……へええ、世界ってこうなってるのかぁ。すごい、まだ行ってないところがこんなにあるんだ。こういうの見ると行きたくなっちゃうなあ」
宝物を手に入れた子供のようにきらきらとした表情で地図本に熱中している少年を呆然と眺めていたが、その声にはっとする。その声は魔物の時に聞いた時の声そのものだったからだ。
「こんな立派な地図、ありがとうございますっ!」
「え、ええ……喜んでもらえて何よりだわ」
一通り見て満足したのか地図から顔を上げた少年は、本当に嬉しそうに礼を言った。
なんだか色々とついていけてないところがあるけれど……まあ、凄く嬉しそうだし良しとしようかしら。
魔物少年は礼を告げたらまた地図に夢中になってしまったみたいなので、私はその姿を観察してみることにした。
半袖短パンの出で立ちに利発そうな少年の外見だけを見るならば、彼はどこにでもいそうな普通の子だった。
雰囲気も魔物だった時と違って荘厳さみたいなものは全く感じられなくなり、この子があの魔物だったというのが信じられないくらい人としての違和感もない。
彼はいったいどういう存在なのか、実年齢もいくつなのか。
声音からすると少年姿は年相応のようで……でもなんにしろ、人に化けるということは魔物なら上位種に位置するはず。
そして今までのやり取りを見るに多分良い子だ。
ふと、バカ娘みたいに信用しきるわけにはいかないけれど、それでも彼はお願いしたら私の話も聞いてくれるんだろうかという疑問が過る。
「ねぇ、貴方はこれからどうするの? さっき聞いた話だとまだ散歩の途中だったのでしょう?」
「え、ああ、そうですね……うーん、どうしようかな。いいお土産が手に入ったし……でももう少しぶらぶらしたい気も。帰ったらまたしばらくはあれだろうしなあ……」
帰るかのんびりするかとぶつぶつと呟いている思案顔はとても真剣だった。
こうやって普通に会話が成り立つことに期待を抱き、私は意を決して話を切り出すことにする。
「あの、もし時間があったらでいいから、ちょっと私のお願いも聞いてもらえないかしら? 勿論ただでとは言わないわ。欲しいものを出来うる限り用意するから……」
「ええと、まずはどんなお願いか聞いても?」
「私達のいるここはその、魔物の襲撃によく遭っていて。それで偵察? みたいなことしてもらえないかと、思ったんだけれど……」
「…………」
それを聞いた魔物少年は森を見やり、やがて空気が魔物だった時の凛としたそれを纏った。
「む、無理にとは言わないわよ?」
「ううん。この森、なんか……」
人の子供姿に気が緩みかけていたけど恐らくは上位種。
そんな空気を纏う様で再認識して、そんな相手の不興を買うのは躊躇われて無かったことにしようかとしたけれど、少年は言葉を切って森を眺め続けている。
やがてそのままふらりと森へと入って行ってしまった。
追いかけるべきかどうしようかと躊躇っていると、「自分が追いかけます!」と一人の青年が声を上げて私の横をすり抜け森へと駆けていく。止める間もなかった。
その青年は、ここと城との新たな繋ぎ役として初見を兼ねこちらに訪れてもらっていた副団長のアデイルという若者。
上の娘とは知り合いだったみたいだが、私はまだ彼の人となりを知らないのでなんとも言えない。
けれど身軽に動ける彼がこの場は適任な気もして、上手くやってくれることを祈りつつひとまず下の娘の眠る家屋へと私は足を向けることにした。
また視点変わります